光を見つける話

しうしう

光を見つける話

 これはまだ世界に光が無かった時のお話です。

 真っ暗な世界では何も見ることができません。

 でも誰も不自由しませんでした。なぜなら、その世界はそれが当然のことだったからです。隣に立っている人がどんな顔をしているのか、どんな表情をしているのか、本当に自分と同じ生き物なのか。それはどうでもいいことだったのです。

 そんな世界のお話だから、もちろん主人公の少年は、頼りになる相棒の顔も、自分を導く花の色も知らないまま旅立っていくのです。

 光を求めて。


 ある日、少年は夢を見ました。

 その夢の中には光がありました。世界中でその夢の中にだけ色とか、輝きとか、鮮やかさだとかがありました。少年はそれらのことも、目の前に広がるものに対して初めて働いた知覚も、なんと言い表すものなのか知りませんでした。

 でもそれが美しいということだけは分かったのです。そして運命が回り始めるにはそれだけで十分だったのです。

 夢は甘い香りがしました。

 少年が夢から覚めると、光はまたどこにも存在しなくなりました。

 でも光と、それに照らされた世界が確かに在ったことは、少年の胸に消えないまま残っていました。

 少年は光にどうしようもなく焦がれました。あの世界に生きたくて堪りませんでした。

 形も色も昨日の夜までどうでもいいものだったのに、今は欲しくて欲しくて仕方ありません。

 ここまでが全てのプロローグです。

 夢の中のそれに光という名前がつくのはまだ先のことなので、旅立っていく少年は探し物の呼び方もわからないのです。

 きっと大変な旅になることでしょう。



「ぼく、旅に出ようと思う」

 夢の中の世界に憧れた少年はさっそく友達に打ち明けました。

 友達は聞きました。

「どこに?」

「わからない。でも、夢が本物になるところに」

「どうしてだ?」

「欲しいものがあるんだ」

「どんなもの?」

「この世界が全く全部変わってしまうようなもの」

「どれだけかかる?」

「わからない。明日帰ってくるかもしれないけれど、もう帰ってこないかもしれない」

 友達は黙ってしまいました。

 息の音はいつもより苦しい感じがしました。

 耐えきれなくて少年は聞きました。

「祝福してくれる? 僕の旅」

「できない」

 即答でした。甲高く上ずった声は怒っていました。

「行きたいんだ。応援してくれよ」

「できない。しない」

「見送りは笑顔でされたいよ。大切な友達に」

「送らない。目的地もない旅になんて」

「あるさ。夢が本当になるところだよ」

「そんな場所、見つからないかもしれない。それ以前に無いかもしれない」

「でも、あるかもしれないし、辿り着けるかもしれない」

「見つからないまま死ぬかもしれない」

「それでもいい」

「旅が終わらないまま死ぬかもしれない」

「それでもいい」

「そうなったら、もう二度と会えなくなる」

「それでも」

「いいって言ったら、呪う」

「それは困る」

「行くな」

「いやだ」

 友達が本気で怒っているのはわかりました。声は押し殺すように低く、震えていました。彼の体温がカッと熱くなったのも気づきました。怒った彼が怖いのもよく知っていました。

 でも譲れないこともあります。

 その日はそのまま帰りました。

 少年は諦めるつもりはありませんでした。友達が少年の夢を誰かに告げ口して、邪魔をされては堪りません。友達が余計なことをする前に旅立つことに決めて、荷物をまとめました。

 あんまり早く飛び出せば、友達が待ち構えているかもしれないので、一眠りしてからみんなが眠る時間に出ました。ただ友達にいってらしゃい、がんばれ。と言って欲しかっただけなのに、ずいぶんな旅立ちになってしまいました。

 祝福と応援を一身に受けて出発できることがどれほど幸福なことか、友達は知らないのでしょう。友達が怒ったように少年もまた怒っていました。だから気づきませんでした。

 少年は隣村に住む物知りのお姉さんの家を目指しました。そのお姉さんは本当に物知りです。食べられる花の香りも、優しい動物と怖い動物の気配の違いも、意地悪な男の子の弱点も教えてくれました。きっと夢の中の世界を本物にする方法も教えてくれるでしょう。

 隣村は甘くて、でも少しだけ背筋の伸びるような青苦さを含んだ匂いがします。

 隣村のお姉さんはいつも、ふんわりとまろやかな香りが漂う、ぽかぽか暖かいところにいます。今日もいつもの場所で出迎えてくれました。

「あら、久しぶり。今日は友達と一緒なのね?」

「え?」

 お姉さんに言われて、少年は振り向きました。そこには確かに、いつもシャボン玉みたいな香りのする友達がいました。

「なんで?」

「寝れないでいたら、お前が出ていくのが見えた」

「それはだって、行くって決めてたから」

「行くなって言ったのに」

「行かないなんて言ってない」

「帰ろうよ」

「いやだ」

「こらこら、けんかは止めなさい。これを食べて落ち着きましょう」

 お姉さんは少年と友達にあったかいスープをくれました。ふんわりとまろやかな香りの正体は、お姉さんのスープでした。隣村の特産品の野菜をいっぱい使ったそれは、甘くてちょっとだけしょっぱいのでした。

 それから少年はお姉さんに夢の話をしました。今まで感じたこともないそれを、言い表すのは大変でした。でも友達もお姉さんも黙って聞いててくれました。

「ごめんなさい。私はそんなすごい物のことはわからないわ。でも、山のふもとに住んでいる、薬屋のおばあさんなら何か知ってるかもしれないわ」

「ありがとう、お姉さん。早速行ってみるよ」

「駄目よ。おばあさんのところへ行く前に、ちゃんと友達と話し合わなきゃ」

「いいよ、あんなわからずや」

「良くないのは君の心が一番分かっているはずよ。勇気を出してお話してみましょう。きっと素晴らしいことが起こるわ」

「……どうしてわかるの?」

「夢を本当にする方法はわからなかったけど、私は物知りなんですもの。当然よ」

 そう言ってお姉さんは居なくなってしまいました。

 少年は友達に向き直りました。けれど何を言えばいいかはわかりませんでした。

「そんなにきれいな世界なのか、お前が言う『何か』のある世界は」

 先に口を開いたのは友達でした。

「……うん」

「それのためなら、二度と帰ることができなくてもいいくらい?」

「うん」

「今の幸せを全部なくしてもいいくらい?」

「うん」

「どうしてそこまで思えるんだ」

「すごくすごくきれいだから、独り占めしたくない」

「……」

「君にも見せたい」

 友達は黙ってしまいました。少年もこれ以上何を言えばいいのかわかりませんでした。

「わかった」

 永い永い沈黙の後、友達は言いました。

「もう止めない」

「……そう」

「かわりに俺も行く」

「え?」

「そんなにきれいな景色なら、お前の次に早く、世界で二番目に早く俺に見させろ」

「……うん!」

「じゃあ、行こうぜ。これから俺らは相棒な」

「うん!」

 二人は村を出ました。それから、古郷とは反対の方向に歩いていきました。山のふもと、おばあさんの薬屋を目指して。



「くさい」

「おやおや、またずいぶん失礼なガキどもが来たもんだねぇ」

 何日も歩いて、やっと着いたおばあさんの薬屋は酷い臭いでいっぱいでした。腐った卵、潰れた虫、すえた血、甘ったるすぎる果物。それらを全部混ぜて、油で煮たような臭い。その中に、いるのかいないのか、わからないような低い体温のおばあさん。口を開くだけで苦しくなりました。何も言えないままでいると、相棒がかわりにおばあさんに聞いてくれました。

「なあ、おばあさん、夢を本当にする方法を知らないか?」

「そんな都合のいいものがこの世にあるとでも? もう赤ん坊みたいな夢を見て許される年じゃないだろう」

「この世が全く変わってしまうような、今まで誰も知らなかった部分で感じるものが欲しいんだ」

「へぇ。いいね」

「なにが?」

 おばあさんは初めて少年たちの方を向きました。

「お前さんたちみたいのはねぇ、兆候だよ。大切にすべき兆候さ。いいよ、その追及心が何かを生む方に賭けてみようか」

「どういうことだ?」

「思いつかなきゃ新しいものはなんも生まれてこないのさ。長く生きているとね、大抵のものを知りつくして、退屈しちまう。だから、新しいものに飢えるんだよ。お前さんたちに期待して、特別にいいことを教えてあげようね」

 おばあさんは相棒の手のひらに石を置きました。少年もそれに触れてみました。冷たくて、とてもすべすべした石でした。

「これは?」

「この山のてっぺんにあたしの友達がいるよ。昔からね、『いつか世界中の人をびっくりさせるもの』ってのを守っているよ。あたし以外とは話もしない友達さ。それはあたしの目印さ。あたしの客人なら五回くらいなら話してくれるだろうよ」

「ありがとう!」

「かまわないさ。お互い役立たずな連れを捕まえると苦労をするね」

「かもな。ほら行くぞ」


 おばあさんの薬屋を離れてやっと少年は口を開きました。

「ごめんよ。全部君に任せてしまって」

「そうだな。頭がすごい痛い」

「もう眠る時間だし休もうか。水飲むかい?」

「もらう。お前の夢なんだから、もっと頑張れよ」

「うん……」

「お前が頼りねえやつなのは知ってる」

「うん…」

「でも、頑張り屋なのも知ってるから、明日からまた頑張れ」

「…うん」

 二人は大きな木に身を寄せて眠りました。



 山はとても険しく、とても大変な道のりでした。あちこち擦りむいて、ボロボロになって辿り着いた山の頂には、大きな大きな湖がありました。くるぶしを少し超えるくらいの深さのキンと冷えた水が、広く広く満ちていました。澄んだ水の、爽やかな香りがしました。不思議と湖の湿気を帯びた空気に包まれていると傷が癒えていきます。

 とても気持ちのいい場所ですけれど、横を向いても、後ろを向いても、誰もいません。相棒が呟きました。

「…もしかして、騙された?」

「あいつはそんな奴ではないよ」

 すると、突然高い高い所から声がしました。

「あなたは?」

 声の主は全くどんな人かわかりませんでしたけれど、少年は勇気を出して上に向かって言いました。高い所からの声なのに、おなかの底に響くような声は返事をしました。

「その石の持ち主の友達。用は?」

「え、あ…僕たち、『この世界が全く全部変わってしまうようなもの』を探しているんです。あなたが守っているって聞いてきたんです。どうか、僕たちにそれをください」

 すると、なにか大きなものが迫って来る風圧を感じました。少年と相棒は小さな悲鳴を上げて、ぎゅっと手を握り合いました。しかし迫ってきたものは、二人のすぐ前で止まりました。ふわりと甘い香りがしました。

「は、花?」

「この花の香りを追って。世界に一つだけこの花が咲いてる場所はね、世界で一番高い場所。そこで一つ石を投げるんだ。空に向かって。それで『おはよう、おはよう。あさがきた』と唱えれば『タイヨウ』が目を覚ます」

「ソラ? メ? タイヨウ? アサ?」

「その時が来れば、いずれわかるよ。じゃあ、もう終わり」

「あ、待って! あなたはいったい何なの?」

「まだ、正体には意味が無いよ。意味が生まれた時には、自然とわかるよ。うん、その時が来れば」

「ありがとう」

 おばあさんの友達はもう何も言いませんでした。体温が低くて、特別な香りもしない彼は喋らないと、まるでいないようでした。

「行こうか」

「ああ」

二人は湖を後にしました。



 それから二人は歩いて行きました。ずっとずっと歩いて行きました。平らな道も、急な道も、でこぼこ道も、下り坂も。遠く遠く香る、甘い香りを見失わないように、いつもいつも強く夢を見ていました。

 下から風が吹き上げる渓谷のつり橋では強く手を繋ぎました。来る日も来る日も疲れ果てるまで歩き、歩き疲れたら身を寄せ合って眠りました。

 深い森の中、生した苔の中、岩肌の上、草原の群れ。どこまでもどこまでも甘い香りを追い続けて歩いて行きました。

 そしてやがて二人は辿り着きました。どこよりも濃く甘い香りが漂う場所に。

「これ、登るのか」

「そうだね。この頂上が、世界で一番高い場所」

「さあ、大詰めだ」

 塔のようにほぼ垂直に立ち塞がるつるつるの岩肌に、二人の追及者が初めて爪を立てました。


 そこからは今まで歩いてきた日々とは比べ物にならない過酷な道になりました。座るところも、横になることもできません。だから、立ったまま眠るのですが、熟睡すれば、よろけて落下します。毎日少しずつ、疲れが溜まっていきます。岩だけで構成された塔には水も食べられるものもありませんでした。

 ただただ、甘い香りだけを依り代に、気を保ち続けました。

「ああ、もう…無理だな」

 ある日、隣で相棒が初めて弱音を吐きました。少年は、彼のその手に、自分の栄養の足りない振るえる手を重ねました。

「うん。僕ももう無理だ。だからあと一歩だけ記念に進もう。そしたら一緒に飛び降りようか」

「この高さ、死ぬぞ。俺はいいけどさ」

「いいさ。命を懸けた夢だったけど、これでおしまい」

「そうだな。この絶壁が夢のはて」

「じゃあ」

「最期の一歩」

「せーの!」

 二人は残った自分のすべてで手を伸ばしました。

その先にある最期を見据えて伸ばした手は、柔らかく、少しだけ、芯の通ったものに触れました。

「あ…」

 二人は肘をついて、引きずり上げるように、よじ登りました。そこは頂上でした。

「ああ」

「ああ」

 鼻先であの香りが揺れました。

「着いた」

「着いたな」

 小さな沢もありました。二人は駆け寄って、甘い花を噛んで、清水を飲んで、どれ程ぶりかに横たわり、手を繋いで、泥のように眠りました。眠りました。眠りました。

 やがて覚醒すると、甘い香りが、始まりの夢をフラッシュバックさせました。

「『オハヨウ、オハヨウ。アサガキタ』」

 大丈夫、覚えている。少年はおばあさんの友達が教えてくれた呪文を繰り返すと、隣に眠る相棒を揺り起こしました。

「さあ、僕の次にあれをみるんでしょう?」

「…おう」

 石を一つ掴み上げて、遠くの黒に放って叫びました。

 二人で口を揃えて。


「『おはよう、おはよう。あさがきた』」



 空から、そこが空だと誰も知りませんでしたけれど、世界に『それ』が降り注ぎました。染み渡るように、少しずつ世界のすみずみまで、流れ込み、照らしていきました。

「きれいだな」

「でしょう」

「お前を止めなくてよかった。こんなすごいもの、知らなかった」

「うん。僕も」

 少年は、いつの間にか子供でなくなってしまった青年は、隣に立つ女性に笑いかけました。

「君が女の子だなんて知らなかったよ」


 青年が笑ったのと同じころ、ある山の頂上で一匹の竜が空を見ました。そのふもとでしゃがれ声の少女が、薬鍋をかき混ぜる手を止めて、そんな竜を見上げました。ある村では一人の物知りな幽霊が一口スープを飲んで、光を浴びて霧散していきました。


 隠れる闇がなくなった世界のことでした。

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光を見つける話 しうしう @kamefukurou

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