第6話
夕刻。
自室に座して、吉雅は一人、ひと振りの刀と向き合う。
その刀は、水心子正秀の作という。
刀袋は和更紗文様で染めた木綿で作られている。
吉雅は刀をむんずと掴み上げると、その紐を一気に解き放った。
(…これは、)
刀は既に
すらりと抜けば、十分な反りと刃文の美しさに息を飲む。
自分が扱った刀の中でも、業物の部類の属するであろうことは明白だった。
(だが、)
試し切りを所望されただけあって、この刀は未だ穢れを知らない。
刀の差表に掘られた倶利伽羅が実に見事だったからこそ、この刀で遂行すべき「夢」について、想いを馳せずにはいられなかった。
出役の際には首を切る罪人の数だけ蝋燭を上げる。
その日は一つ、蝋燭に火が灯った。
家人に見送られることもなく、吉雅は屋敷を後にした。その手に握られていたのは、和更紗紋様の刀袋。
そして吉雅は前だけを見据えて、ゆっくりと歩き出した。
※ ※ ※
足は辛うじて歩ける程に縄で拘束された。
腕は身体の後ろで縛られて、腰の紐にくくりつけられている。
そして顔の前には、白い布がかけられた。
(これでは、手を合わせられない。あの人のために祈ることもできない。)
お密は俯いたままそっと歯噛みする。
「ほら!さっさと歩け!」
二人の同心に引かれるように、前の見えないお密は裸足で大地を踏みしめながら歩を進めた。
そこは、斜陽に照らされた刑場。
視界を塞がれたままのお密は、その場に座るように押さえつけられ膝を折る。脛にざらりとした感触。粗末な麻のゴザの上だと分かり、そんなことがわかる自分が少し小気味良かった。
男たちの怒号も、白い視界の中ではあまり気にならない。不思議と心は落ち着いていた。
(きっと、あの人がアタシの願いを聞いてくれるから。)
夢想に近いが、見えなければ夢も見れる。
強引に上半身を前へと倒されて、いくつもの手で腰を押さえつけられる。
そして、
「いざ!」
遠くで威圧的な男の声が谺する。
しかし、
「うわあああ!」
「何をっ!や、やめろ!!」
不意に、お密の身体が軽くなった。
身体を縛っていた縄が切られたことに気がつき、お密は急いで顔にかけてある白い布を剥ぎ取った。
「……そんなっ」
刹那言葉を失った。
眼前に広がっていたのは阿鼻叫喚。
鮮血で真っ赤に染まった一人の男が、白刃を翻し、次々と同心たちへと襲いかかる。
「そんなっ、やめて、…やめて、吉雅様…」
お密は全身を震わせながら小声でその男を呼んだ。
「……!」
なぜ聞こえたのか。
赤く染まった男がゆっくりと振り返る。
「…違うんだよ吉雅様。アタシが望んだのは、ただ、…貴方に生きてもらいたかった。それだけなんだよ。」
涙で上擦る声は、おそらく吉雅には届かない。
吉雅の握った刀からは、自分のそれではない真っ赤な血が垂れている。
やがて無数の骸の真ん中で、吉雅はお密を見て笑った。
そして、声をはって言った。
「ね、僕の方が、貴女よりずっと穢れてるでしょ!」
「……っ」
なんと名前をつければよい感情なのか。お密にはわからない。だが、お密は流れそうな涙をグッとこらえ、握り拳を震わせた。
途端にお密の眼は尖る。
それでも恍惚とした表情のまま、吉雅は言葉を紡いだ。
「刀は、貴女の血でなくても十分穢れます。なら、貴女がこの刀に斬られる理由はない。違いますか?」
「違う!アタシは貴方に、自らのお役目から逃げてもらいたくなかっただけ!アタシはもう、罪から逃げたくなかっただけ!」
次の瞬間にはお密は足早に吉雅の傍へと駆け寄り、
「愚か者!」
「…なっ」
そして、お密は背筋を伸ばし、身を正すと、真っ直ぐ吉雅を見据えた。
「もう十分わかりました。アタシのために貴方が背負ってしまった不条理は、アタシも等しく背負いましょう。共に、」
「………っ」
お密は赤く染まって泣きそうな顔の吉雅をゆっくりと抱き寄せると、血のりで汚れたその頭を何度も撫でた。
「僕は、…僕は、できることなら、貴女と共に生きたかったんです。」
子供のように泣きじゃくる吉雅を、お密は殊更強く抱き締める。
「では、必ず来世で、アタシが貴方を見つけましょう。それが、貴方が紡いでくれたアタシの夢。」
声を上げて泣く吉雅は、刀を捨て去り、お密の背中に手を回す。
不浄の血を纏った刀は、大地を転がってもなお、その白刃の煌めきを失わない。
それは誠の業物と、後の世まで受け継がれた。
了
不浄の刀が紡ぐのは夢 みーなつむたり @mutari
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