第3話〜モニター(後)

…………。


男は何度も悪態をつく。


警棒を持っていた方の手首は床に倒れ込んだ際に床に打ち付けてしまい、打撲してしまったようだ。


握力がなくなり、ズキンズキンと痛みが走る。


警棒は床に転がっているが、拾うどころではなかった。


男は暗闇の中、口汚く罵り、痛みに慣れるまで床に転がっていた。


遠くに転がっているライトによってうっすらと辺りの輪郭は分かるが、手首同様にズキズキと痛む右脚がどうなってるのかは分からなかった。


やっとな事でライトの位置まで這っていく。


そして自身の脚を照らして絶句した。


男の右脚の脛にはまるで刃物で抉られたような傷が深々と刻まれており、決して少なくない量の血液が心臓の鼓動に合わせて流れ出ていた。


ここまで這ってくる間に、床には男の血がべったりと塗りたくられていた。


傷跡を認識してしまった事で脳裏に痛みが走り抜ける。


男は悲鳴を上げ、無様に転げ回りながら、震える手でベルトを外し、どうにか腿のあたりを締め付け止血しようとする。


自身の腹に蓄えた脂肪に邪魔されながらも、どうにかベルトを強く締め上げる事ができた頃には男はすでに虫の息だった。


…………。


ヒュー、ヒューと喉の奥から出る自身の呼吸音を聞きながら、男は何に躓いたのか、ライトを向ける。


床には段差などは無かったはずだった。


照らした先にも段差はなく、床に穴が空いているわけでも無かった。


しかしライトを左右に照らした時、床から上に少し上がった位置に光るものがあった。


「……っ⁉︎」


男の血と肉片が一部付着し、ライトの光で反射しているのは一本のワイヤー。


ちょうど脛の高さに仕掛けられた、ワイヤートラップだった。


ーーージッ……ジジッ……


男が絶句していると、ブレーカーが落ちているはずの建物内で、次々と電灯が点灯し始めた。


そして同時に遠くから、近くから発せられる異音。


まるでPCの立ち上げの時のような起動音が次々と男の耳に届く。


そして…


ーーーグルルルル…!


床に転げたまま身動きの取れない男の耳には、カチャカチャと床に爪が当たる足音と、低く唸る鳴き声が聞こえてきた。


何が起こっているのか理解できない、そんな顔をした男はゆっくりと顔を通路の向こう側に向ける。


そこには、先程まで哀れなまでに怯え、逃げ惑っていたはずの野犬が、歯を剥き出しにしてこちらに向かって近付いてくる姿があった。


カチ、カチ、カチ…


無意識に男の歯が鳴った。


出血で青白かった男の顔色が、さらに血の気が引いて紙のようになる。


すでに明るいにも関わらず、男は無意識にライトで野犬を照らしていた。


野犬の瞳が白く光る。


工場内に、男の悲鳴が響き渡った。


…………。


……ーーー、ーーー、……ーーー、ーーー、……


清潔な部屋に、低く唸るモーター音が静かに満ちている。


十畳ほどの広い個室に整然と配置されたモニターの数々。


こまめに手入れされた機器と、それらを繋ぐコードの束。


比較的新型のモニターが、定期的に切り替えを繰り返す。


その部屋の窓はカーテンで閉め切られ、外から中を窺うことはできず、落ち着いた静かな空間を作り出していた。


ーーーキィィ…


僅かな金属音をさせて、部屋の扉が開く。


廊下から差し込む光は明るく無機質で、部屋の主人の性格を表すような整頓された部屋を照らした。


慣れた様子で人影が部屋に入ってくる。男だ。


入ってきた男は部屋の電気を付けると、一度モニターをぐるりと見渡した。


そして画面下が赤く点滅するモニターに目を向ける。


延々と切り替わり続けるモニター。


その一つを操作し、画面を固定する。


そして変化のあった時間まで逆再生し、画像を確認した。


…………。


モニターの一つに、小太りな中年男の姿が現れる。


確かしばらく前に会場の一つの管理人として雇った男だった。


勘が良かったり、好奇心で秘密に気付いてしまい、会場の¨次の参加者¨にされてしまう者が多い中、比較的長く管理人を続けている男だったと記憶している。


どうやら壊れた扉から、迷い込んだ野犬が入ってしまったらしい。


それを追うように、男が工場内に入ってくる様子が、¨工場内にいくつも仕掛けられた隠しカメラ¨に映り込んでいる。


やれやれ、と画面を眺める男はため息をつく。


野犬が入り込んだ時点で報告して、中に立ち入らなければ¨処分¨されることもなかったのに、と。


男は携帯端末を操作し、画面に映る男がいる¨会場¨に処理班を向かわせた。


こちらからの合図で、この男は処理される。


そう、全てが終わってから。


この建物内に入り込んだ時点で、男は生きて出る事などできないのを、画面の前の男は知っていた。


画面の向こう側では、男が野犬を追いかけては脅しつける浅ましい行為が様々な角度で鮮明に映し出されている。


そして、極細のワイヤートラップに引っ掛かり、醜い悲鳴を上げて倒れ込んだ。


そしてトラップに連動して、建物内の仕掛けが次々と起動していく…


…………。


面白半分で追いかけ回していた野犬に襲い掛かられ、立場が逆転した男は無様に転げ回りながら逃げて行く。


体の至る所に食いつかれ、引っ掻かれ、それでもしぶとく逃げる様子は中々に¨映える¨。


これは短いが、いい映像作品になると画面の前の男は笑った。


画面の向こう側では次々とトラップが発動し、無数のダーツが男の全身に突き刺さり、無事な方の脚にトラバサミが喰い付く。


歩く事も、起き上がる事もできず、這って進もうにも腹がつかえ、手も負傷していて全く進まない男は、ついに野犬に生きたまま喰われ、叫きながら絶命した。


途中までそれを眺めて満足気に頷いていた男は、すでに会場の入り口で待機していた処理班に合図を送る。


速やかにトラップの解除された建物内に処理班が侵入していき、すでに発動したトラップや男の血肉で汚れた床や壁を片付けていった…


…………。


広く、適度な暗さを保った空間に巨大なモニターがいくつも取り付けられている。


そしてそれらを眺めるのは一見して分かるほどに裕福な身なりの者たち。


その場の中心では、司会者となる男が映像の解説と実況を行っていた。


ここは非合法な賭け事や刺激的な催しに飢えた金持ちや有権者たちに娯楽を提供する場。


命懸けのショーやイベントには運営する非合法組織が提供する、膨大な借金を背負った者や組織の裏切り者が登場する。


中には自慢の非合法奴隷や自慢の¨商品¨として提供された人々も含まれているが。


画面の向こう側では、とある会場に複数台のトラックが入っていく所だった。


今回のイベントは¨脱出ゲーム¨。


巨大なトラックに詰め込まれ、会場に運ばれて行くのは生きて脱出することができれば自由を得る事のできる奴隷たち。


建物の一番奥の部屋に閉じ込められた奴隷たちは命懸けの脱出ゲームに全力で臨み、それを観る金持ちたちはどの奴隷が生き残るのかを賭けるのだ。


ゲームが始まるまでの待ち時間、今回の会場の説明と共に、ショートムービーが流された。


管理人の格好をした中年男と野犬の醜い追いかけっこ。


立場が逆転し無様に死んでいく様は、観客達を大いに盛り上げたのだった。


画面が切り替わり、それぞれのモニターには様々な角度で映し出された奴隷が映る。


…………。


今回もまた、会場の一つで醜いゲームが開催される。


いつからか参加者の中に管理人の格好をした者が加えられるようになった。


知らずに、気付かずに、怠惰であればこうして参加者に選ばれずにすんだのに。


画面越しに、元管理人は叫ぶ。


そして…


一つのモニターに映し出されていたバイタル画面が、変化することをやめた。

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モニター 砂上楼閣 @sagamirokaku

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