そこにいるぼくたちは

サトウ・レン

そこにいるぼくたちは

 きょうは朝から深く積もりそうな雪が降っている。


 あんまり誰にも共感されない趣味なのだけれど、雪の多い街に生まれたぼくは小さい頃、大雪が降ると長靴で足跡を付けるのが好きだった。自分がそこを歩いてきた、という痕跡が確かに残る瞬間に立ち会っているような感覚が嬉しかったのかもしれない。


 そんなぼくについて、雪深いところにまで無邪気に走るその姿が心配になる、と生前の父が付けていた日記にはそんな風に書かれていて、父に叱られた過去をふと思い出す。日記を読まなければ、死ぬまでその記憶は意識のうえに浮かぶことのない片隅に追いやられたままだったかもしれない。偶然、かつて父の使っていた書斎のクローゼットの奥から数十冊に及ぶ日記が見つかり、父の歩んできた人生の登場人物のひとりとして、ぼくはその色褪せた日記を適当に選びぱらぱらとめくる。


 不思議な感覚で、まず父が日記を付けていたことに驚く。


 最初は斜め読み程度の雑な読み方をしていたが、文字を追っていくうちに、気付けばその姿勢は正しくなっていった。




【19✕✕年6月21日


 きょう、俺は父になった。初めて子どもの顔を見た時、俺が内心で抱いていたのは、不安だった。愛おしさでも喜びでも、感慨でもなかった。もちろんそれらの感情がないわけではなく、嬉しさはもちろんあった。だけどそれを覆い尽くすような不安があって、ただ絶対に口にしてはいけない、と、涙を浮かべ、ほほ笑む妻の姿を見ながら、その不安に罪悪感を覚えていた。この感覚は結婚して、夫、と呼ばれるようになった時と似ている。自分みたいな人間がそんな役割を背負ってもいいのだろうか、と誰にも言えずもやもやとしていた時期があった。夫という役割にようやく馴染みはじめた頃、新たに与えられた役割が、父親で、不安の大きさは結婚した時よりも、ずっと強かった。妻の性格を考えると、もしそう言えば、役割に正しい形なんてないのだから、あなたはあなたなりの形を見つけながら、一緒に頑張っていきましょう。怒りながら、そんな風に言うだろう。簡単に、正しいなんて言葉を使いたくはないが、きっとこの妻の考えは、俺の不安よりも、ずっと正しい。向き合っていくしかないのだろう、きっと】




「もうすぐ、お父さんの三回忌ね」


「あぁ、そうか……、もうそんなに経ったんだ」


「やっぱり、お父さんがいない生活にはまだ慣れないね」


「そうだね……」


 先日の母の言葉がよみがえる。そうだね、なんて同意するような相槌を打ちながら、ぼくは父の存在しない生活に慣れ始めていた。だけどそんなことを口に出せるわけもなかった。


 別にぼくは父と仲が悪かったわけでも、お互いに無関心な父子だったわけでもない、と思う。ただ母と違って、一緒に暮らしていない時期が長かったから、自然と慣れるのも早くなる。ただ、それだけのことだ。


 母の言葉を聞いた時、何故か、ぼくは父の顔を写真も見ずに、ぱっと頭に浮かべることができるだろうか、と急に不安になった。


 年々、物忘れが激しくなっていることには気付いていた。ぼくもそろそろ青年という言葉を使うには無理がある年齢に近付いてきている。


 久しく入っていなかった父の書斎に足を踏み入れたのは、母との会話に、父がでてきたのがきっかけだった。生前の父は本の購入癖があり、本棚には指を入れる隙間がないほど、ぎっしりと詰め込まれていた。それでも入りきらずに床に積まれた書籍や雑誌を眺めながら、父は死ぬまでに、どれだけの言葉を読むことができたのだろうか、と考えてしまう。


 本は読まれてはじめて価値を持つものだ、と俺は思っている。それが父の口癖だった。だから父に愛書家やコレクターという言葉はどうも馴染まない。読まれた本より読まれなかっただろう本のほうが圧倒的に多いはずだ。そう思うと、ひどく物悲しいような気分になった。


 父が椅子に座り、小説を読んでいる姿を想像してみるが、その姿はぼやけていてはっきりとしない。用事があって呼びに行く時に何度も見たはずなのに、想像の中で浮かべるその姿が、どうもしっくりと来ない。


 あれだけ長く一緒に暮らしてきた相手でも、たった三年でこんなにも実感のわかないものになってしまう。そう思うと、急に不安になって、父が確かにいたという痕跡を探したくなったのかもしれない。


 その書斎を探っているうちに、ぼくはクローゼットの奥に隠されるように積み上げられた日記を見つけた。日記の表紙には、日付が何時から何時までと記されていて、それを記す位置まで統一されているのが、几帳面な父らしかった。ぼくはぼくが知らない過去の父よりも、ぼくの知っている父を日記から探そうとした。つまりはぼくが生まれて、物心がついて以降の父だ。




【19✕✕年1月10日


 ここ十年で一番の大雪が降る、と昨日の地方ニュースが報じていた通りの天気になった。車を出すだけにも一苦労で、会社をさぼろうか、とつい思ってしまったけれど、こんな日に仮病を使おうものなら、本当に病気だったとしても、どうせこんな日だから、仮病でも使ったんだろ、と疑われてしまいそうな気がして、それも癪だったので、堂々と『雪がひどすぎるから、今日は休ませてください』と上司の家に電話を一本入れて、眠ろうと思ったが、俺の睡魔を妨げる聞き馴染みのある幼い声が外から響いてきて、なんだ、どうした、と声のするほうを探して窓の先を見ると、生意気盛りの我が息子がこんな大雪の中を走り回っている。いつもだったら無視するが、さすがに今日の雪では危ない。強く叱っておいたが、昔から怒るのは苦手で、ちゃんと怒れているだろうか。そもそも仕事をさぼる男の垂れる説教なんて虚しくて仕方ない。自己嫌悪で眠れなくなってしまった】




 日記は、あぁ、そんなこともあったあった……という記憶と、そんな過去あったっけ……、という記憶が交互にやってくるような内容だった。でも直接ぼくと父が関わる話の大半は懐かしさが込み上げてくるものばかりで、その時その時の父の側の意外な心情を知りながら、ぼやけていた父の姿がまた明瞭になるときもあったけれど、ぼくが関わりつつもまったく記憶にない出来事もところどころに見つけて、また不安になる。




【20✕✕年6月10日


 おかしいな、と思い始めたのは、しゃっ、しゃっ、と竹箒で砂埃を払うような音が背後に聞こえてからだった。記憶への違和感と言ったらいいのだろうか。さっきまで覚えていたことが思い出せない。ちょっとした物忘れとは、どこか違うような感じだ……。忘れているのではなく、消えている、という感覚に近い。消えたものはもう戻って来ないのだろう。漠然と気付いた】




 父の死の数年前くらいの日記になると、言葉に快活さがなくなり明らかに言葉の雰囲気が内省的なものに変化していた。




【20✕✕年7月22日


 あぁ……、また聞こえる……。これで何度目だろう。またあの音だ。この音を聞くたびに、俺の歩んできた人生は本当にあったのだろうか、と不安になって、それがどんどん強くなっていく。確かに生きてきた、という痕跡を俺は残してきたはずだ。その痕跡を想い出と呼ぶ、と俺は信じている。失敗や成功、家族や友人との時間、ひとりで思索に耽るような時間もそうだ。だけど俺が地面に付けてきた足跡を、箒で払うように、これまで歩いてきた痕跡が消えていく。怖くなって、古い日記を読み返した。読んでいる際中、俺の頭はおかしくなりそうだった。そこには俺の知らない俺がいた】




 晩年の父についてそこまで詳しいわけじゃない。近くに住んでいたので、頻繁に顔を出してはいたが、別の場所で暮らしているとプライベートに関することは驚くほど分からなくなる。それにもともとお互いの近況を細かく伝え合う関係でもなかった。ただ、父が記憶に苦しんでいたことは母から聞いて知っていた。お父さん、最近はぼけがひどいから、と症状が軽かった頃は苦笑気味に、じょじょに母の言葉に強い険が混じりはじめたのを覚えている。




【20✕✕年2月22日


 妻から物忘れの多さを指摘されることが増えた。この忘れた記憶は周りからどれだけ言われても、戻ってくることはなかった。俺の中から跡形もなく消えてしまったのだろうか。たぶん、そうだ。忘れていることを忘れてしまっていたりすることもあるみたいなので、なんとなく腑に落ちない気分になったりもするが、間違いなく俺のほうの記憶の問題なのだろう。


 最近はすこしずつ恐怖という感情が薄れてきていた。立つ鳥跡を濁さず、という言葉がある。近頃はあの箒の音にも慣れてしまって、あれが聞こえるたびに、最後を前にして、見苦しくならないよう誰かが代わりに掃除をしてくれているのではないか、と思うようになった。すべての痕跡がなくなり、そしてこれから向かう先に跡を付ける場所がなくなった時、俺はこの世界に別れを告げることになるのだろう。仕方のないことだ。そうは思っていても、やはり寂しい。必死に生きてきたつもりでも、記憶や想い出というこんなにも曖昧なものでしか自身の存在を証明できないなんて。日記を読み返しても虚しくなっていくばかりだ。記録は、言葉は、簡単に嘘を吐く。これを書いた当時の俺を、いまの俺は思い出すこともできず、もうそれは別人でしかないのだ。さよなら俺の世界……】




 そこで日記は終わっている。その日付から一ヶ月を待たずに、父は死んだ。三月にしてはやけに雪の多い日だった。


 そうかあれから三年も経ったのか……。ときおり本当に父は死んだのだろうか、と考えてしまうことがある。いやこの言い方は正しくないのかもしれない。たぶんぼくは心のどこかで、父のいた世界こそ夢であり、幻だったのではないか、と感じてしまっているのだ。


 母に言えば、ひどく怒るだろう。確かに父はいた。その証拠として、私たちは想い出を作ってきたのだ、と。


 だけどこの日記が表すように、ぼくが自身の記憶に空いた穴の多さを自覚しはじめたように、ぼくたちは生きて、知って、出会ってきたすべての記憶を失いながら、この世界から消えていく。


 想い出ほど証拠として不確かなものはない、と。


 母に言えば、きっと笑うだろう。心の底にしっかりと貼り付いた想い出はそんな簡単に剥がれ落ちるものではないし、私たちはその想いを残したまま消えていくのだ。残った想いは、後の世代に継がれていく。そのために言葉があり、記憶があるの、みたいな感じで。そんな風に言う母の姿は、ぼくにとって想像しやすいものだった。


 父も日記に書いていたけれど、母の言葉は相手に正しいと思わせるような力強さがある。その性格はときに厄介になることもあるけれど、やはりそれは魅力的で、羨ましくもあった。


 母の言う通りなら、本当にいいなぁ、と思うし、以前のぼくならば母の言葉に寄りかかったかもしれない。でも最近のぼくにとって、父の感じていた葛藤や苦しみは自分事でもあった。


 外に出たぼくを待っていたのは、冷たい風と降り続ける雪だった。もう怒ってくれる父はどこにもいない。ブルゾンのフードを被ったぼくは長靴で深く積もった雪のうえを踏みしめていく。まだ誰も踏んだことのない場所に、確かにぼくの足跡が残った。他の誰でもなく、ぼくだけの。


 だけど……、


 降りやまない粒の大きな雪は、その足跡の中に吸い込まれるように入っていき、すこし経てば、足跡は見えなくなるだろう。最初から足跡など、どこにもなかったかのように。




 しゃっ、しゃっ。




 背後から箒で何かを払うような音が聞こえたのは、気のせいだろうか。

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