第25話 送り主の正体
沢山の人影に混じって、三人は大きな池の畔を歩いていた。
池の上には数艘のボートがのんびりと漂っている。
場にそぐわない張り詰めた空気で、夏井と穂高は肩を並べていた。
付き添いでしかない飛鳥は一歩引て二人の背を追う形で、黙って話を聞いていた。
「電話で話したように、天白が亡くなった件について話を聞きに来たよ。
っていうか有名人なんでしょ、家の電話だけって……スマホ持ちなよ。周りも困るんじゃないの?」
空は前もって、夏井から説明を受けていた。
作品の真偽が不明であり天白の絵が展示されるかどうかの瀬戸際になっていたこと。
対策として自分が祖父母に頼まれ調査したこと。
手詰まりの中、仕方なく翠のパソコンの中身を閲覧したこと。
アポイントをとる段階で、それらを穂高には伝えてあるのだという。
より踏み込んだ内容については、相手に虚偽の答えを考える時間を作らせないために教えなかったとも聞かされていた。
「夏井、雑談しにきたわけじゃない。本題を」
遠慮のない発言。
電車内で説明された通りに、会話が得意な人物ではないことが、それだけで窺い知れた。
「そうだね。まず私が聞きたいのは、天白のパソコンに保存されていたファイルについて。
江戸川をスケッチしたもので、そのファイルのうち数点のタイトルに、ローマ字でHodakaと入力されていた」
「想像だが、俺と会った日に描いた絵に、そのタイトルをつけたのでは?」
「その言い方だと、穂高は翠とは会っていたってこと?」
「ここ一年の間に数回は会っている」
「そう……なんだ」
予想外の事実に驚いたのか、夏井は言葉に詰まった。
友人から全く話を聞かされていなかったようである。
「きっかけは偶然。川をスケッチする習慣があって絵を描いていたら、天白に声をかけられた。
それからたまに顔を合わせた。一緒に描いたりも」
隣を見ることもなく、真っすぐ前を向いたまま穂高は語った。
「たまたま会ったからって穂高が誰かと交流するのは、意外な気がするんだけど」
「君に何が分かる」
「確かにここ数年のことは知らないけど、自分の過去を思い出してみなよ」
「そうだな…………否定はしない。今も変わっていないし」と穂高は首を縦に振った。
「彼女とは元々交流があったんだ」
「……私、聞いたことないんだけど」
「交流とは言っても、部活でたまに会話する顔見知り程度の関係。知らなくても仕方ない」
「それでも穂高と話したのなら、翠は私に何か……」
穂高の発言に、夏井は首を傾げていた。
ただの部活仲間であれば一言二言話したことを、一々記憶には留めないだろう。
しかし、それがファンだと公言するほどに憧れた相手であれば?
人とまともに会話すらしない人物が相手であれば?
空から見ても、天白が穂高との交流を夏井に話していないことは、やや不自然に感じられた。
「事情があって、俺は祖母に育てられた。その祖母が参観日に学校に来た時、トラブルに。
助けてくれたのが、天白。それが交流のきっかけ」
「家族が世話になったから、それで恩人ってこと?」
「……恩人?」
穂高が聞き返す。
「穂高さ、翠の祖父母の家に手を合わせに行ったでしょ」
夏井は断言した。
「ああ。突然押しかけて、迷惑じゃなかっただろうか」
「むしろ喜んでいたよ。わざわざ足を運んで翠に手を合わせてくれる人がいるってことに」
「そうか」
ならばよかったと、相変わらずの無表情で穂高は言った。
「ねえ、穂高」
「なんだ」
二人に交流があったなら話は変わる。
直接、絵を預かる機会が存在したことになるからだ。
次に夏井が何を質問するのか、空には手に取るように分かった。
「……天白の大学に絵を送ったのはアンタ?」
「ああ、俺だ」
あまりにあっさりと穂高は答えた。
予想していたのか、夏井は特に目立った反応をすることもなかった。
「やっぱりそうなんだ……」
「中途半端な対応で、夏井に迷惑をかけた」
「構わないよ。でも、苦労した分くらいは事情を聞かせてくれるかな?」
「ああ。全て話す」と穂高は深く頷いた。
「だから、天白の大学には伏せてくれないか?」
「伏せるって……内容によるとしか言えない」
「そうか」
「どうして手紙は匿名だったの」
「……俺の名前と、絵が関連付けられないため」
想像もしていなかった答えに、空は一瞬内容を理解することができなかった。
「どういう、意味?」
夏井も同様なのだろう。ポカンとした様子で疑問を口にした。
「自意識過剰と言われるかもしれないが、名前を出して妙な推測をされたくなかった。
あの絵は彼女のもの。飾りのない目で素晴らしさを知って欲しかった」
「もしかして、絵の出来が素晴らしい理由が、自分が関わったからだと勘繰られるのが嫌だった?」
「ああ」
「つまりは翠のため?」
「ああ」
油彩画の専門家ではない女性が、突然、周囲を驚かせるような一枚を描いた。
その傍らに、油彩画の世界でそこそこ名の知れた存在がいたとすれば……。
一見、筋が通っているようにも感じるが。
空は違和感を拭うことができなかった。
「……どうして翠の絵を持っていたの?」
送り主が穂高である場合、そこには大きな疑問が発生する。
「中学時代、部室で最後に会った時、絵が欲しいと言われ一枚渡した。
彼女が亡くなる前、その話を持ち出してきて、お返しにと譲り受けたのが例の絵だ」
互いに絵を交換し合ったのだと穂高は言った。
「特に親しいわけでもない天白に、絵を渡した?」
「描くのは好きだが、自分の絵をコレクションしたくない。
自分を写したポスターを部屋中に貼るか?」
「それは嫌だね」
穂高にとって絵とは、自分を投影したものであるということらしい。
「最後に、翠が亡くなった時、穂高はどこに?」
「……フランスに」
わずかな悲しみ。
会話の中で初めて、穂高の発言に感情の色がのったことを、空の強化された耳は聞き逃さなかった。
「そっか、私が聞きたかったことは聞けたよ。思い出したら電話するかもだけど」
最後の質問は確認のためだったのだろう、特に掘り下げることもなく夏井は質問の終了を告げた。
彼女の中で収穫があったのかは表情からは分からないが、どこかホッとしているように空には見えた。
「構わない。俺から夏井に聞きたいのは一つだけだ」
穂高が夏井の顔を凝視する。
「夏井は天白が亡くなる直前の、彼女の交友関係に詳しくないか?」
「うーん、そこそこ把握しているつもりでいたけど、穂高のことも知らなかったくらいだからね……」
「彼女が誰かと、食事に行くとか酒を飲みに行くという話をきいたりしていないか?
もしくは、誘われたらすぐ足を運ぶくらいに気を許していた相手……それこそ君以上に」
「え……ううん、分からない」
変わらず無表情のままで急に饒舌になった穂高に、気圧されるように夏井は首を振った。
「そうか」
「もしかして穂高もさ……翠の件が事件だと思ってる?」
「……俺たちの年代の人間で凍死は、おかしい。
天白から少しは事情も聞いていた」
彼女が酔って亡くなるはずがない、と。
穂高は暗にそう言っている。
「だよね」
夏井は穂高と視線を合わせて、納得するように頷いた。
「夏井、私からも」
二人を観察し続けていた空は、その背に向かって声をかけた。
そろそろ会話が終わりに近づいていることを感じ取り、疑問をぶつけることにしたのだ。
「飛鳥……うん、いいかな穂高」
「ああ」
「穂高さん。絵を送った理由は分かりましたが、どうして、そのタイミングが天白さんの死後、数カ月経ってからなんですか?」
「絵は彼女が俺にとくれたもの。そのまま所持するか……祖父母に渡すか、より多くの人が見る場所に展示すべきか迷った。悩んでいる間に時間が過ぎていた」
真っすぐに空の目を見ながら、穂高は答えた。
「そうですか」と頷きながら、空は最も聞きたかった質問を口にする。
「穂高さん。もしも天白さんが誰かに殺されたのであれば、貴方はどうしますか?」
「どうするって……そうだな、証拠があるなら警察に提供するさ」
そう言って、穂高は目を瞑った。
夏井が語るとおりに、人との交流が上手な人ではない。
でも、それ以上に嘘が下手な人だ。
空はそう思った。
ゲンジュウテイル ~幻獣戦争・グリフォンの力を手にした青年が果たすは、かつての約束~ 月森紺太 @TsukiKon
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