第24話 穂高柳輝


 空に相談をしてすぐ、夏井は持ち前の行動力で穂高と会う約束を取り付けてしまった。

 その待ち合わせの向かうべく、現在、二人は電車に揺られていた。


 カーブに差し掛かり遠心力で空の体が傾き、ふわりとポニーテールが揺れた。


 規則正しい音と揺れは眠気を誘う。

 まぶたが重くならないように、彼女は隣に座る級友へと声をかけることにした。


「ねえ夏井」

「何?」


 ラッシュを過ぎた電車内の人口密度は、普通の声で話をしても迷惑が掛からないくらいには低い。


「さっきからさ、穂高さんと連絡でもとりあってるの?」

「いや、穂高はスマホ持ってないって。私の周りのスマホ所有率どうなってるんだよ……」


 隣に座る夏井を見やると、しきりにスマートフォンを弄っている。

 

「じゃあ、さっきから夏井は何をしてるの?」


 プライベートを侵してはならないと見ないようにしていてが、空は体を傾け画面を覗き込んだ。。 

 手のひらサイズの画面の中では、可愛らしい絵の小さなキャラたちが次々と怪物へと攻撃をしかけていた。


「え、ゲームだけど?」

「いや、本当に何をしてるの!?」

「ゲームでもしてないと緊張でどうにかなりそうで……後は今日から大型イベントが開催中だから」

「後半が本音だね」

「無課金勢は、こういう美味しい話は逃せないんだよ」


 満足したのか、あるいは本当に緊張を紛らわせたかっただけなのか。

 夏井はあっさりとスマートフォンを鞄の中へとしまいこんだ。



「穂高って人の、作品や経歴をネットで見たけどさ――」

「驚いたっしょ?」


 顔を正面に向けたまま夏井は言った。


「うん」

「私、事実を知った時、『ふええ』って変な声だしちゃったもん」


 年若い者が圧倒的な活躍をする。美術の世界において、その意味は重い。


 スポーツ選手のように、身体能力にパフォーマンスが左右されるわけではない。

 テーブルゲームのように、頭の回転の速さが勝敗を決めることもない。


 才能あるものが、何十年も経験を積み進化を続ける可能性があるジャンルである。

 歳の差は、そのまま描いた絵の枚数の差となりうる。


 若さ=ある種の強さという法則が成り立ちづらいのだ。


 絵を描いて数年の若者が、高みに手をかけることは想像以上に難しい。


 実際、彼の受賞経歴のほとんどは、新人や若い者向けの賞であった。

 風向きが変わるのは大学に入った辺りのことだ、経歴の長さ問わない大型の美術展やコンクールなどで、幾つも入賞し始めたのである。


 それはつまり、彼がいつかは傑作を生みだすことになる大器ではなく、すでに実力者として羽化し始めていることを意味していた。



「どういう人だったの?」


 穂高という青年は、経歴に対してあまりにも情報が少ない人物である。

 過去のと注意書きがつくものの、現実の穂高を知る人物が目の前にいるのだ、話を聞かない手はない。 


「絵描き、だね」

「いや、それはそうでしょう?」

「他に例えようがないんだよ。とにかくヤバいくらいに絵ばっか描いてた……言い方は悪いけど、絵描きジャンキー?」


 夏井は苦笑した。


「絵にしか興味がないって感じ。あと笑ってるのを見たことあるのは、弁当を食べている時?

 まあ、好物を食べて喜ぶくらいの人間性はあったってことかなぁ……」

「その言い方だと、人づきあいは……」

「苦手とかじゃなく。無いね。知ってる限り友人知人って呼べる人はいなかったんじゃないかな」

「よく覚えてるね」


 淀みなく答える夏井に、空は問いかけた。


「そりゃあね。六、七年経ってこれだけ印象に残ってる時点で、どれだけ変わったやつなのかを察して欲しいよ」

「周囲から浮いていた感じ?」

「うーん」

 夏井は顎に手をあて悩む素振りを見せた。それから思い出すように、ゆっくりと語りだす。


「当時から、県で金賞だとか全国で特選だとか、はっきり活躍してたからかな、いじめとかなかったけどね。

 むしろ……あいつの邪魔をしちゃ駄目だって空気かな。それで孤独だった感じ?」

「本人が望んでそうしてたってことか」

「嫌味な感じもないし、質問したことは答えるから仲良くなりたい人はいたんじゃない?

 でもね、ちょっと会話するとすぐに分かるんだ、あっ、この人、キャッチボールする気ないわって」


 中学時代からの徹底した態度を知って、空は合点がいったと頷いた。


 ネット上での情報が少ないのも当然である。

 ひねくれて功名心や承認欲求に背を向けているわけではなく、単純に人付き合いが苦手で、できる限り話をしたくないタイプなのだろう。

 受賞後の取材という、当たり前とも思える受け答えも拒否するほどに。


 賞を授けた側や、彼が在籍する大学の関係者は、さぞかし苦労していることだろう。



「となると天白さんも、穂高さんとは交流はなかった?」

「私が知る限りでは、なかったと思うけど……中学を卒業して以降は、翠の口からは一度も穂高の名前を聞いたことがないし。

 でも、当時の翠が穂高をどう思っていたかは知ってるよ、憧れの人ってやつだね」

「憧れって……片思い的な?」


 意外な事実に、空は思わず詳細を訊(たず)ねた。


「ちょっと違うかな。翠は穂高と同じ美術部だったんだけど、一年生で入部した当初から、すごい絵を描く人がいるって大喜びでさ。

 それ以来、度々と穂高の絵のファンだって口にしてた」

「その事実を穂高さんは?」

「知らないと思うよ。当人には伝えてないって言ってたし。まあ、もっと押せ押せな人が校内に増え続けたからね。

 賞を何度もとったりすると、ほら、一定の層に人気がでるのわかるでしょ?」

「あー、まあね」


 学校で、部活のキャプテンやエースなどがもてやすかったアレだろうと、空は苦笑いした。

 

「片鱗があったんだろうね。それに真っ先に気がついていた翠が凄いのか、同い年にファンだと言わせる中学一年生が凄いのか」


 友の在りし日を思い出してか、夏井は優しい瞳で笑った。


「穂高さんが、天白さんをどう思ってたのか分かる?」

「なんとも思ってなかったんじゃない、って答えたいところだけど……私にも分からなくなった」


 夏井は戸惑いの表情を浮かべた。


「どういうこと?」

「穂高ね、もしかしてだけど、個人的に翠の仏壇に手を合わせに来たかもしれない」

「え?」


 今度は、空が戸惑う番だった。


「二人は交流がなかったんだよね」


 個人的に墓を訪れようと考えること自体、近しい人間の発想である。


「私が知る限りではそうなんだよ?

 でも、翠のお葬式が終わって二週間くらい後に、一人の青年が翠に手を合わせたいってお婆ちゃんたちの家を訪ねてきたらしくて」

「……それで」


 急な展開に、空はどうにか声を絞り出した。


「案内された仏壇の前で手を合わせて、それから名前も名乗らずに帰って行ったってさ。

 その青年の容姿が話を聞くに、私の知ってる穂高と重なるんだ」

「穂高さんらしき人は、全く何も言わずに手を合わせただけ?」


「さすがにそれだと、お婆ちゃんたちも家にあげないよ」夏井は首を横に振った。


「翠のことを恩人だって、憔悴した様子で話してたらしい。だからどうしても手をって……私には、その恩がいつの、どんな出来事を指しているのかは分からないけど」

「恩人……」


 憔悴した様子。

 わざわざ足を運んで手を合わせる。

 話に聞いた、穂高の人物像からは外れているように感じられた。


 いや、そもそも、まだその青年が穂高だと決まったわけではない。

 答えはすぐに分かるのだから、焦る必要は無いと、空は逸る自分を宥めた。

 

「ねえ、空……絵を送ってきたの、穂高の可能性あると思う?」

「穂高って人が絵の送り主なら、手を合わせに来た時に、絵を預かっていることを話しているんじゃないかとは思う」


 空は理屈の上での答えを夏井に伝えた。

 直感は全く逆の答えを示しているのだが。


「そっか……」

「もし気になるなら、大学に送られてきた荷物の宛名や、手紙の文字を見ることができれば照合できるかもね。穂高さんの文字と比べれば……」

「おぉ、さすがシャーロック・アスーカ! 筆跡鑑定だね」


 本人が手紙を書いていればの話だが。



     *



 電車が到着すると、待ち合わせの場所は目の前だ。


 改札をくぐると、すぐそこに広がる巨大な公園。

 公園とは言うが動物園や博物館、美術館などを内包した広大な空間である。


 スマホを片手に、周囲を確認しながら歩く夏井の背を、空は無言で追い続けた。

 電車を降りてから、夏井は一言も発していなかった。

 顔を見ずとも、彼女が極度に緊張していることは明らかだった。



 歩くこと数分。

 大きな歩道に設置された複数のベンチ、その中の一つにポツンと青年が座っていた。


「穂高?」


 先に声をかけたのは夏井だった。


「……ああ、夏井か?」

 

 名を質問し合っただけなのに、そこにはぎこちない空気が流れていた。


「うん、久しぶりでいいのかな? 夏井だよ。天白翠の友人の」

「そうか、久しぶりだな」


 感慨のこもっていない、「はじめまして」とまったく変わらない温度で穂高は挨拶を口にした。



 空は彼の容姿を凝視していた。

 間違っても惚れたなどどいう話ではない。


 細身で、どこか陰のある整った顔立ちに、日に当たる機会がないのか青白い肌。

 そして……夜の闇を思わせる真っ黒な髪。

 ヴォジャノーイの被害者たちと、同様の特徴を備えていることに驚いていたのだ。


 両者には関係があるのか?


 思考を巡らせる空とは関係なく、二人の会話は進んでいた。



「彼女は飛鳥。大学の同級生で、私が頼んで付き添ってもらった」

「そうか」

「翠の絵を展示できるように協力してくれた人だよ。彼女は翠とは面識はないけどね」


 穂高はじっと空に視線を向けると、深く頭をさげた。

 まるで、何かに感謝するように。


「はじめまして。穂高です」 

「あ、はい、飛鳥と申します」


 初対面の相手の突飛な行動に、空は目を白黒させた。


「今日はありがとう。私の記憶にある穂高なら、こんなことしている間も絵を描きたいんでしょ?」

「……いや、構わない。俺も聞きたいことがある」


 出会った時と同じ表情で穂高は言った。


 表情のない人だ。

 それが空が穂高に抱いた第一印象だった。


「分かった。私も聞きたいことがあるんだ……沢山ね」



 こうして、かつての同窓生の会話は、緊張感を保ったまま開始された。

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