第23話 境界線
強風のせいで河川敷のグラウンドでは砂埃が舞い上がり、周囲は草が擦れる音で満たされていた。
川面を望む土手の上を歩きながら、奏多は思索に耽っていた。
ヴォジャノーイの撃破から二日。
クインテットのメンバーは、今日という日をそれぞれが私用をこなす日に当てることにした。
ここからしばらくは、忙しくなるだろうと見越してのことである。
ソフト開発を本格的に開始する際に全員で決めたことがある。
新作については完成が見込めるまで、鋭意開発中として明確な期限を切らないということだ。
宣伝行為も同様で、おおよそ形になってからでなければ、小出しにすることすら行わない。
ビジネスという観点では愚策とも呼べる手法だが、
彼らにとって現在の体制でゲームを作ることは、かなり優先度の低い目標である。
本当に作りたいソフトは、あと一人が揃ってから。それまでは助走でしかない。
今になって、あの決定は英断だったと奏多は実感していた。
事件への対処、ソフト開発、学校、全てをこなせるような状況ではなくなっている。
ソフトについて厳密にスケジュールを組んでいたのならば、独立系開発会社としての側面は早々に破綻していただろう。
それほどまに幻獣絡みの事件は、ここ数ヶ月の間に増加の一途を辿っている。
奏多はその事実について、目覚めたものが急激に増えたわけではなく、力と状況を把握しそれぞれが動き出したのだろうと推測していた。
時刻はすでに夕方であり、奇しくもあの絵に描かれたようなオレンジ色に辺り一面が染められている。
向かいから迫ってきた懸命に自転車を漕ぐ学生の一段をやり過ごすと、奏多はその場に足を止めた。
大学にて講義に出席した後、これで私用は終わったと奏多は事件の調査へと乗り出していた。
若い女性たちが命を落した場所を順に巡る。
その最後――五カ所目に訪れたのが、本命だと黙していたこの土手であった。
天白が命を落した土手の斜面。
彼女はそこで眠るように息絶えていたそうだ。
もう数歩手前の土手上の路面であれば、夜中でも誰かが通りかかったのかもしれない。
心の中で手を合わせ、奏多は意識を切り替え周囲を見渡した。
良く言えば開放感のある、悪く言えば何もない広々とした河川敷。
どうして彼女はこんな場所へ、しかも夜に訪れたのか?
一人で、あるいは誰かと来たのだろう?
絶対に酒を口にするはずない彼女は酔っていた理由は?
次々と疑問が沸き起こる。しかし、ヒントと呼べるものはなく奏多は考えることを打ち切った。
三時間かけて、奏多の得た収穫は一つ。
天白翠の亡くなった場所だけが異質であるということ。
他の女性は自宅の傍や、職場からの帰宅の途中、友人と遊んだ帰りと場所と理由はそれぞれだが、総じて市街地で亡くなっていた。
彼女だけが自然のただ中、河原で死んでいることを奏多は疑問に思った。
他の被害者とは違い、日常で偶然立ち寄ることのない――意図的に足を運ばなければならない場所での死。
しかも、その場所は彼女が絵の中に描いた地点である。
「絵か……」
メンバーと話し合った空は、夏井の願い事を受け入れることに決めた。
明日には夏井とともに穂高という人物を訪れることになっている。
空であれば、あの絵について何か探り当ててくるのではないか?
奏多は期待せざるをえなかった。
「……行くか」
念のために、向こう岸に渡って絵を描いたと思われる地点だけは見て帰ろう。
歩き出した奏多の顔を、強い風が撫でていった。
*
一人きりの部屋にマウスのクリック音が響く。
クインテットのオフィスでは、秀人が一人でモニターを見つめていた。
好きなように一日を過していいと言われれば、彼が食事や買い物を除き外に出ることはない。
当人は自らの生活を、我が身に宿した幻獣の性質に影響されたものだと認識していた。
仲間たちに言わせれば、それとは関係なく秀人は家が好きなだけとのことなのだが。
久しぶりにゲームについての作業を進めること半日、現在は息抜きがてら穂高柳輝について調べていた。
彼について書かれた記事はいくつか見つけたのだが、インタビュー――穂高自身の発言が載せられているものは極めて少数だった。
写真だけではなく、取材を受けること自体を嫌う人物であるようだ。
昨今の自己プロデュースも必要という風潮とは反するが、芸術家らしい孤独の香りに秀人は好感を覚えた。
秀人は少年の心を忘れない男でもあるのだ。
こうなると穂高を知るヒントは公開されている経歴と作品しかなく、秀人は作品群を一枚一枚丁寧に調べていた。
検索を進めることしばらく。
つい手を止めて眺めてしまったのは、その作品が川をモチーフとしていたからであった。
彼が高校の時に大きな賞をとった絵であるようだ。
タイトルは『
シンプルな構図の一枚だった。
カンバスの中央、左から右へと一本の川が通っている。
川を挟んで手前の世界と奥の世界、二つの世界が描かれているという造り。
かなりの俯瞰――ビルの一室や空中から眺めるような視点で描かれており、書き込まれている建物や樹木は小さめだ。
川の手前に描かれた建物の群れは、病的なほどに細かく描写され暗澹とした色遣いで塗られていた。
一方で川向うと、その上に広がる空は、煌びやかな色遣いで幻想的な美を表現していた。
仲間に指摘されるとおりに、情感やセンスなどという言葉とは縁遠い秀人だが、この絵の仕組みは一目見て分かった。
この川は境界線だ。
手前の世界と、奥の世界を分ける一本のライン。
果たしてそれぞれの世界が何を意味するのかまでは分からないが。
飛鳥や鳴瀬ならば読み取れるのだろうか?
どちらかが帰ってきたならば、相談しなければと心のメモに予定を書き加えた。
多くの色が使われ、細かく描きこまれた絵を、改めて注視する。
「寂しい絵、ですな……」
と思わず秀人は口にした。
理由は分からないが、胸の奥に冷たい風が吹いた気がしたのだ。
もっとも自分の感性などあてにならないと、秀人はその感情をすぐに忘れることにした。
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