第22話 二人目の存在


 コーヒー豆の香りが充満する室内では、コポコポとフラスコの中のお湯が音を立てていた。


「新しい情報です」


 バリスタ風の服装を身に着けたマスターが、大きな茶封筒を差し出した。


「ありがとう」


 受け取る鳴瀬の姿は、いつもと変わらずウエストコートにYシャツという出で立ちであった。


 古めかしい映画のワンシーンのようなやりとり。

 格好をつけているわけでも、懐古主義なわけでもない。


 元々は、作曲の依頼を請け負い生計を立てていた鳴瀬に 亡き妻が送ったアドバイスによるものである。


 オンとオフの境目を失いがちなのだから、仕事の時くらいスイッチのように服装を変えてみては。

 そんな何気ない一言がきっかけだった。


 数着試してみたところ、妻が喜んだ組み合わせが現在のスタイルとなっただけのこと。

 寒い季節になれば、上にコートやスーツを重ねるのだが、この時期から夏にかけてはウエストコートだけを身に着けている。


 音楽に携わる時も、戦闘を行う時も必ずこの服装で仕事を行う。

 いうなれば、この出で立ちが鳴瀬の制服であった。


「男性の情報については、間に合いませんでしたかね」


 鳴瀬は探るような目つきをマスターへと向けた。

 彼は連続凍殺魔とも呼ぶべき存在が、すでに活動を停止したことに気がついている。


 それでいて、いつ、どうやって解決したのかすら問うことをしない。

 情報こそ最大の武器であるはずの彼がだ。


 状況を掴んでいるのだ。ある程度かすべてかは分からないが。


「そうとも限らんさ」


 茶封筒を開封しながら鳴瀬は言った。


 ヴォジャノーイが女性を殺していなくとも、もう一体が男性を殺していないとは限らない。

 本当に二人犯人がいたのだとしたら、まだ片方についてしか姿を捉えられていないのだから。


「役に立てばいいのですが」

「マスターも分かっているから、被害者たちの顔写真を探してくれているんだろう?」


 容姿に共通点がない被害者がいれば、それは水魔による犯行ではない可能性があるのではないか。

 鳴瀬はそうにらんでいた。


「さあ、必要だと思った仕事をこなしただけですから」


 厳つい顔に、どこか愛嬌のある笑みが浮かんだ。



「……この中に純粋な事故でなくなった人間は、どれくらいいるのかね」


 追加の情報が書き込まれた、三十代以下の被害者リスト。


 鳴瀬は真っ先に気になったページを探し当てると目を通した。

 女性たちに追加された項目に、やはりかと目を瞑る。


 趣味で創作活動――主に漫画を描いているもの。

 イラストレーター。

 アート系専門学校の卒業生。


 全員が美術関係。一人は元であるようだが。


「犯人は、もう一人いたわけか……」


 それが幻獣絡みか、そうでないかは別として。


 別々の問題を、同一の問題と考えて解こうとしていたことになる。

 マスターが男性の容姿まで調べてくれていなければ、あるいは珍しい形の車両が目撃されていなければ、解決は後ろにずれ込んでいたかもしれない。


 早く一件が解決したのは幸運だったと、鳴瀬は胸をなでおろした。


 念のためにと男性についても、流し読み程度に目を通すが、やはり美術に関係した経歴を持つもはいなかった。


「一つだけ――」

 鳴瀬がひと段落したのを見計らって、マスターが声を発した。


「速報なのでそこに記載されていませんが、五人中二人が同じ店でアルバイトしていたことが確認されています」

「どんな店なんだ?」

「文具と画材の専門店です」


 さらにつながる点と点。


「……そこで犯人は獲物を物色したのか?」


 必然的に、美術に興味がある人間が働いたり、客として訪れる場所である。

 画材を買いに来たものを選べば、自然と被害者の経歴は似通ることになる。


 寒さによる事故だとするならば、逆にこれだけ経歴に共通点がある人間ばかりが亡くなることは異常である。


 美術に関わるものを狙った連続殺人事件なのか?

 鳴瀬の中で、推理の方向性が定まり始めていた。



「天白翠という女性についての情報は、こちらです」


 マスターが新たな封筒を差し出した。

 先ほどのものと比べて、それは一回り小さいものだった。


 取り出した紙束を、手に取ると鳴瀬は集中して目を通し始めた。

 彼の中で、天白という女性が一つの鍵になるのではという予感があったからである。





 黙々と読み込むこと数分。


「……中々、波乱万丈な人生だな」


 鳴瀬は天白の人生をそう評した。 


「ですね」


 大学一年生の時に飲酒運転に巻き込まれる形で、両親と姉を失っていた。

 そのまま彼女は元々一人暮らしだったこともあり、引っ越しをすることなく学生生活をそのまま続けることとなる。


 祖父母も経済的には裕福であり、両親が厚めの保険に入っていたために、その方面での心配は一切なかった。

 ただし、家族仲が非常に良好だった反動で、精神に大きなダメージを負ったようである。


 彼女は全てのやる気を失くした。

 大学の退学を考える程に。


 死の直前に絵を描き上げたのだとすれば、きっかけがあって、やる気を回復したのだろうか?

 絶望の時から一年の間に、彼女をそこまで立ち直らせた何かが鳴瀬には気になった。


「シンプルに遺産目当ての殺人ってことはないか?」


 両親や姉の遺産を継ぎ、いずれは祖父母の遺産も継ぐことになる立場である。

 文面からどれほどなのかは分からないが、額によっては同期になりうるのではないか?


「ないですね。遺産は全て祖父母にいっています。彼らはお金には困っていない。

 叔母夫婦と従姉がいますが、彼らも金銭に困っている様子はなく、そういった動きは見せていません」


 同様の疑問を抱いたのか、すでに調べていたらしいマスターは、文面にない情報までもすらすらと答えた。


「なるほどな……」

「引き続き調べれば、まだ」

「その際には、一つ追加で、彼女の死亡事故についてより詳細な情報が欲しい。

 特に、警察が彼女の死を事故と判断したプロセスが」


 店に到着する寸前に、秀人から「天白翠の死亡事故について、より詳細な情報が欲しい」と要望がきていたことを思い出し、鳴瀬はマスターに追加の注文を依頼した。


「了解しました。一応、現在分かっている範囲については、先にお話しいたしますか?」

「頼むよ」 

「それでは……彼女の身体や持ち物に異常はなかったとはいえ警察も捜査は行っています。やはり珍しい事態ですからね。

 その過程で事故と判断せざる負えない、ひと押しがあったようです」


「一押し?」

「彼女を載せたというタクシー運転手の証言や車載カメラの映像などから、事故と判断されたと」

「それは妙は話だな……」

「どういうことですか?」

「それがな――」


 鳴瀬は、先ほど電話で弟子から聞いたばかりの話を説明した。

 天白が酒を憎んですらいて絶対に口にするはずがないと、彼女の友人や遺族が訴えていることを。


 天白の両親と姉の死について経緯を知っているマスターは「確かに妙ですね」と首を傾げた。


「……事実として酔っていたことは、第三者により確認されていたわけか」

「証言だけでは頼りなくとも、映像ですからね」


 人は嘘をついても、映像に嘘はない。改ざんされていなければの話だが。


 天白が酔って、自分の足でタクシーを降りたことは間違いない。


「問題はタクシーに乗る前、どこで酔ったのかということか。最後に会っていた人間が怪しいのか――」

 頭を回転させながら、鳴瀬は矢継ぎ早に注文した。

「タクシー運転手の証言に、どこまで信憑性があるかも知りたい。

 彼女がタクシーに乗った時に、一緒にいた人がいないかなどの証言とかがあればいいんだがな……」


「承りました」

 喫茶店のマスターではなく、情報屋の顔でマスターは頷いた。

「警察の調書には証言内容や身元が描かれているかも知れませんから、手を回しますよ」


「手を回すって怖いことを言うね」


 鳴瀬は肩を竦めた。


「ははっ、連続殺人犯をあっさりと止める人に言われたくありませんね」


 マスターが楽しそうに笑った。


 鳴瀬は、マスターを頼れるが恐ろしい人物だとも思っている。

 相手から、同様の感情を向けられていることも認識していた。


 だからこそ信頼できると、今日もまた彼に仕事を託すことにした。

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