第21話 才能


 作業場にある六人掛けのテーブルには、鳴瀬を除く三人が腰を掛けていた。


 向かい合って座った奏多と空は、鏡合わせのように体を斜めにしながら、チームがミーティングに使用する42インチのモニターに見入っていた。


 秀人はモニターに一番近い席でノートパソコンを操作している。


「やばいでしょ?」


 映し出された画像――天白翠の絵。

 高サイズ・高解像度になったそれを見て、空は深く感動していた。


 絵と死亡した現場に関連性があると聞き、彼女は夏井に頼んでデータを送ってもらっていた。


「上手いとは思いますが、拙者はかっこいいモンスターとか、武器じゃないと心が躍らない体質なので……」

「子どもか! ゴッチャンに聞いた私が間違いだった」


 感想を求めるように、空は奏多に視線を向けた。


「赤く染まった水面は彼女の情熱、夕陽でも染めきれない黄金のススキたちは、彼女の夢や希望を表しているんだろうね。

 遠くに描かれる町並みで孤独感が表現されている」


 引き締まった表情で、奏多は絵に評価をくだした。


「ふんふん、奏多にはそう見えるんだ」

「トリー、騙されちゃだめですぞ。これは分かってないのに、それっぽいことを言っている顔ですな」

「分かった?」

「分からいでか!」


「ウェーイ!」とハイタッチする二人の幼馴染を、空は睨みつけた。


「いや、茶化すつもりはないけど、僕たちには、すごいなぁとしか言えないから

 その道の人、しかも人生最期の絵かもしれないとなると、素人が適当に評していいものじゃないさ」


 奏多は本音を口にした。


「ですな。軽い気持ちで批評していい作品ではないような気がしますな、これは」

「はっきり言えるのは、途中で飽きたとかじゃない、前面に気持ちが入った絵だなってことかな」


 敬意を表してあえて評価をしないのだということ説明する。

「そうか、そうだよね」と空は納得した。


「で、この絵の中には、天白嬢が命を落した場所が描かれている?」


 奏多はモニターの絵と空の顔を交互に見やった。


「夏井が言うにはそうみたい。実際にその場に足も運んだってさ」

「絵心がある人が見てきたのなら、間違いということもなさそうですなぁ……」

「ゴッチ、現場周辺の地図をお願い」


「了解」と秀人は素早くキーを叩いた。


 天白翠が亡くなったのは、江戸川区の河川敷。

 単純に川を挟んで描いたとなると、その対岸。


「千葉県の市川市で描かれた絵ということになるんだね」

「天白って人の家は、現場の近くなのか?」

「ええと……住居は葛飾区、四キロ弱の距離がありますな?」

「歩いて一時間弱……どこかでお酒を飲んだとしても、どう歩いてその場所に行きついたんだ?」


 近隣の主要な電車の駅などからは、自宅に向かう途中でという方向性ではない。

 現場――川に向かって歩かなければ辿り着かない。しかも結構な距離をである。


「警察はどう判断したんだろうね?」


 空は不思議そうに首を傾げた。


「……これは天白殿の事件に関する、詳細な資料を得るべきかもしれませんな。

 師匠には拙者から頼んでおきましょう」


 秀人は任せてくれとサムズアップした。


「穂高って人は、絵について知っていると思う?」

「あぁ……驚いたよね、夏井の同窓生の正体」


 奏多の問いに、空は答えになっていない返事を口にした。


「検索エンジンに引っかかりまくりですからな」


 穂高ほだか柳輝りゅうき

 

 若き天才。

 新進気鋭の西洋画家。

 美術系のWEB雑誌に至っては、百年に一人の逸材とまで称していた。


 持ち上げが行き過ぎて、逆に同業者やファンに反発を買いそうなものだが、それをねじ伏せるだけの実績の持ち主であった。


「あのー、コンクールたちは、お金で買える系の……」

「ゴッチャン失礼。画壇とか協会とか、そういうのに興味も縁もない私でも知ってるガチのやつがあったよ」


 作られた虚像ではなく、本物の輝きを持つ青年。


「知らないところに、すごい人っているんだな」

「まったくです。広告や映画、アニメ、大きなイベント、そういうものと組み合わさった状態じゃないと、絵を描く人の名前など普段耳にしませんからな」

「美術の端っこにいる身としては、知っておくべき名前だったと思うよ。

 まあでも、同級生だった夏井でさえ知らなかったみたいだからね……」


 同世代の英俊えいしゅんに、三人は称賛を口にした。


「しかし、これだけの写真嫌いも現代では珍しいですな」


 どうやら顔を出すことを嫌っている人物であるらしいことは、記事を読み漁っていてすぐに気がついた。


 顔写真がまともに存在しないのである。

 引きでとられた表彰式らしい写真が数点あるだけ。


「いや誰一人、SNSに写真すら載せてない僕たちがいうことじゃないから」


 本人の肖像の代わりに記事に掲載されるのか、名前で検索すると作品の画像ばかりがヒットした。


「検索すると、特にこの絵が多めに引っかかりますが……代表作の一つということですかな?」


 話の流れで秀人が、一枚の画像をモニターへと表示した。

 解像度が高い画像のようで、大ぶりなサイズで表示しているのに荒くはなっていない。


「これは……」


 奏多は思わず息を飲んだ。



『花の壁』



 タイトルの明るさからは想像もでいない、全体的に暗い色で描かれた風景画。

 写実的でありながら、明らかにこの世のものではない植物や構造物が描かれていた。


 細密で繊麗な筆致で埋め尽くされた一枚に、奏多の脳裏には『執念』という言葉が思い浮かんだ。


 胸に迫るような天白の絵と違い、全身に震えがくるような凄みがあった。


 自分でさえこれなのだから彼女の衝撃はいかばかりかと、奏多は正面に座る空へと視線を移した。


「ゴッチャン、別の絵で解像度が高そうなものをお願い」


 空は無表情で、秀人に注文した。


「了解です。」

 すぐに注文どおりの画像がモニターに表示される。

 

「はぁ……」


 空が奏多に困ったような視線を向けた。


「私さ天白さんの絵を見た時に賞賛意外にも、心のどこかで負けてないって自信もあった。

 ジャンルの違いもあるし、冷静に細かい部分を見た時に技術が圧倒的なわけじゃないって分かったから。

 いうなればね、彼女なりの傑作っていう作品だと思うんだ。タイミング、モチーフ、感情、様々な要素が噛み合えば、長く絵を描いていれば誰しもに訪れるかもしれない一枚。

 

 けど……この人は、たまにいる別次元ってやつだよ。いつでも傑作を生みだしてくるような」


「音楽に例えると、一曲すごいなぁっていうのを作った人と、どの曲もヤバいなって人の違い?」

「そうそう」

「これで同い年って……方向性が違うって言うのは救いだね」


 乾いた笑いを浮かべた空に、奏多は首を傾げた。


「僕からみたら、現段階で空さんは絵も才能も負けてないと思うけど。

 もし空さんが、そう感じてるんだとしても、空さんならいつか越えていくでしょ」


 あっさりとした口調で、慰めではなく、ただ厳選たる事実を口にした。

「ありがとう」と空は、ふわりと笑った。


「夏井氏がスケジュールを知っていたのは、こういう記事を見たのか、古い知り合いから情報を得たのかといったところでしょうな」


 空と奏多が話している間にも、秀人は検索を続けていたようで、モニターの空いたスペースに新たな画像を映し出す。

 それは地方紙の記事であった。


「千葉県の地方紙ようですな。無料のWEB版にも記載されたようで」


 東京の芸術大学に通う千葉県出身のアーティストが、フランスで賞をとったということ。

 現地での表彰式の様子。十一月の末から十日ほど滞在し、個展やイベントに参加する。


 要約すると、そういった内容が書かれていた。


「事件の前後は、海外にいたんだな」


 遥か海の向こうで、複数の人間と行動をともにしていた。

 穂高当人には、日本で起きた事件を起こせるはずもない。


「逆に、できすぎな気がしない?」


 空の疑問は、奏多にも理解できるものであった


「ですが、飛行機などでこっそり帰ってくるなど無理な状況でしょう?

 仮に彼が幻獣保有者で、その能力で移動するにしても、あまりに距離がありすぎますわよ?」

「どうして急に奥様口調なんだ、ゴッチ」


 パリと日本、旅客機の速度でもかなりの時間がかかる。

 どれだけ時間かかるか分からないし、体力の問題でも現実的ではない。

 仲間内で最速・最長距離の移動を誇る空でも、無理である


「自分が海外にいるというアリバイを利用して、第三者に彼女を酔わせるように頼んだ、とか?」


 WEBの記事を見ながら空が言った。


「……そこまでして、何のためにって話になりませんかな?」

「そもそも、穂高さんと天白さんの関係も分かってないんだ、この話に答えは出ないよ」 

「そうだよ、ね……ん?」


 モニターを見ていた空が動きを止めた。


「あれ?」

「トリー?」

「どうしたの?」


 急な幼馴染の変化に、奏多と秀人は顔を見合わせた。


「……似てる?」

「似てるって何がですかな」

「どうしてだろう。さっきまで見てた天白さんの絵と、この絵のがね……似てる気がしてさ」


 意図を察したのか秀人がモニター上を整理して、二枚の絵だけを表示させた。


 奏多は二枚を見比らべたが、空が言うような類似性を感じ取ることはでいなかった。


 視線を向けると、秀人はゆっくりと首を振っていた。

 奏多と同じで、特に感じるところはないようである。


「構図とか線の表現とか、色遣いも違うのはわかるんだけど……うーん」


 空が唸り声をあげた。



 絵のことなど分かるはずもない二人は、ただ黙って彼女を見守ることしかできなかった。

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