第20話 あの子は殺されたんだ


 ゆっくりと腰を据えて話をするために二人が選んだのは、大学のすぐ近くにあるファミレスだった。

 

 昼食のピークタイムまでは時間がある。

 勉強をしている学生、仕事しているらしいサラリーマンと個人客ばかり。

 団体は大人な女性たちがお茶会をしている姿だけだった。



 案内された席を断り、窓際――近くが空席となっている一角の利用を、空は店員に願い出た。


「若鳥の唐揚げを二皿と、ドリンクバーをお願いします」


 メニューも見ずに空はオーダーを口にした。

 仲間たちと利用した経験から、このチェーン店で頼むべきものは頭の中にインプットされている。


「え、からあげ? ポテトとかケーキじゃなくて?

 あ、あの、私はドリンクバーで」


 友人が根っからの肉食系であることを知らなかった夏井は、目を白黒させた。


「かしこまりました。お客様ドリンクバーの――」



 一通り説明を終えた店員が去ったのを見計らい、空は薄茶色いーのソファに背中を預けた。

 空調のせいか、合成レザーはひんやりと冷たく心地いい。


「えっと、まずは飛鳥と、飛鳥の同僚の人に感謝を。ありがとうございました」


 夏井は姿勢を正すと丁寧に頭を下げた。


「オッケー、伝えておくよ」


 空は軽い調子でひらひらと手を振った。


「予定していた学内の作品展示だけじゃなくて、うちでいう卒業展示会にも特別枠で公開できるように調整したいって」

「へぇ……それはすごいね。夏井、よかったじゃん」


 卒業展示会は学外の人々の目に触れる貴重な機会である。

 空は努力が報われた友人を労った。


「うん……でもね、実は私の中で、あの絵を多くの人には見せずに、私含めた少数だけが知ってる作品にしたかったという気持ちがゼロじゃないんだよなぁ……」

「あー、分かる。有名じゃないのに、すごい歌とか絵を見つけた時の、あの不思議な気持ちでしょ?」

「そうそう」

「あれ……でもさ、天白さんって夏井と同じ年でしょ? どうして卒業展示に?」


 自分と同じ年なはずだと、空は記憶していた。


「うん。学年も私と一緒だよ。だから本当に特例ってことだろうね」

「それは、また」


 相当にすごいことなのでは驚きつつも、あの絵であればと空は納得もしていた。


「事情と、作品のクオリティを考えると納得する人は多いだろうけど。逆に嫌がる人もいるかもね。

 卒業生だけの展示会に、どうして当時二年生だった生徒の作品がとか。

 後は絵のクオリティーがね、比べられたくないって人もいるんじゃないかな」


 夏井もまた相当に天白の絵を評価しているようであった。

 そこには、亡き友の最期の作品という主観も入っているのではと、空には感じられた。


「そこは、負けない作品を作ったり描いたりすればいいだけでしょ?

 自分の数年は誰にも負けないって気迫でさ」

「お、おぉ……飛鳥がプロっぽい」

「ふっ、一応プロだからね。今日はプロっぽくカフェオレでも飲むことにしようかな」


 わざとらしく髪をかき上げながら、空は席を立った。

 まだ飲み物を用意していないことに気がついたからである。


「どういう理屈なのさ。私も一緒に行くから待って」





        *   


 適当に時間を潰していると、揚げたてのカラアゲが二人のもとに届いた。


 それをきっかけに夏井が本題を切り出した。


「相談のこと、なんだけどさ――」

 意を決したように、夏井が空の目を見た。

「私がパソコンのこと飛鳥に頼みに来たの、変だと思わなかった?」


 空は頷くと、気になっていたことについて語り始めた。


「……私が感じたのは、違和感程度だったよ。

 その違和感の正体は、幼馴染――眼鏡じゃなく眠そうなほうが教えてくれたんだ。

 夏井が、ただパソコンのことを頼まれたにしては詳しすぎるというか、関わりすぎなんじゃないかって」


 空は奏多が語っていた内容について思い返していた。


 天白の両親がすでに他界しているにしても、祖父母以外に頼れる親族はいないのか?

 通っていた学校関係者にも頼れる相手はいるはずである。

 学校伝いに弁護士やシステム関係の技術者など、信頼のおけるプロを紹介してもらえれば、プライベートを守る形で仕事をしてくれるのではないか?


「夏井自身が言ってたよね、アプリとかで交流は続いていたけど、年に数回、顔を合わせる程度だって。

 そんな夏井を、最後の頼みの綱みたいに扱うのは、何か理由があるんじゃないかって」


 祖父母からみて、状況解決にふさわしい条件の持ち主ではなく、最も信頼できる人物が夏井なのではないか。

 それが奏多の結論であった。


「……本当のシャーロックは飛鳥じゃなくて、イケメン幼馴染のうちの一人だったんだね。

 他にはシャーロック君、何か言ってなかった?」


 夏井はぼんやりとした様子で訊ねた。

 その表情に疲れのようなものが滲んでいることを、空は見逃さなかった。


「ここからは妄想だって言ってたけど、天白さんの祖父母と夏井は……天白さんの周囲の人間を信用していないんじゃないかって」

「はぁ……すっごいなぁ」


 夏井は深いため息をついた。 



「……正解?」

「うん、私と翠のお爺ちゃんお婆ちゃんは、あの子が殺されたと思っているの」


 やけにあっさりとした様子で、夏井は口にした。

 空には、そんな友人の態度が、必死に気持ちを押し殺しているようにしか見えなかった。


「……そっか」

「もうちょっと、驚くと思ったけど」

「驚いてるよ。ただ全くの予想外ってわけじゃない。

 ちょっと気になって調べたら、街中で若い人が低体温症で亡くなることってかなり珍しいみたいだから」


 最近、知りえたばかりの知識を空は口にした。


「そうみたいだね……私たちが問題にしているのは、もっと根本的な部分の話なんだけどね」


 夏井はゆっくりと首を振った。


「根本的?」

「翠は大学一年生の時に、両親とお姉さんを交通事故で亡くしてるの。

 相手はかなり飲酒していたうえに酷い運転で、100%向こうの責任だと判断される内容だった。

 それだけで想像できると思うけど、翠は飲酒運転どころか飲酒という行為を酷く嫌うようになったんだ。

 はっきり言って、憎悪とか嫌悪ってレベルで」


 空は、すぐに彼女が言いたいことを理解した。


「彼女の体からアルコールが検出されたことに、夏井は納得がいってないんだね?」

「だって、おかしいでしょ!?」


 夏井の声が大きくなる。


「落ち着いて」と空は言葉と仕草で彼女をなだめた。

「ごめん」と夏井は口を手で覆った。


 落ち着くようにウーロン茶を一口飲んで、夏井は話を再開した。


「これが頭を打って転んで気絶して、そのまま低体温症になったという話なら悲しいけど納得はするよ。

 でもね、お酒を飲んで、外で眠ってしまったみたいだって話だけは、絶対にありえない」


 瞳に不満の色が浮かぶ。


「私の思い込みじゃないよ。翠はお酒のCMがTVで流れるだけで不機嫌になるくらいだったって、お爺ちゃんやお婆ちゃんも言ってたから。

 おかしいって私でさえ断言できるんだから、二人の違和感はもっとすごいんじゃないかな」


 一連の言動から、夏井が何を考えているのか空には理解できた。


「そっか…天白さんの祖父母が、夏井を頼った理由が分かったよ。

 お二人は、天白さんを酔わせた誰かが存在しているとして、それがある程度身近な人間だと考えている――」


 一度、言葉を区切り、本人に問いただすように空は訊(だず)ねた。


「夏井も、同じように考えているんだね?」



 酒を嫌悪していれば、うかつに提供される場所には近づかない。

 ならば、お酒が絡まない食事や集まりに顔を出し、そこで偶然あるいは故意に、口に入れられることになった。


 それが、夏井や祖父母が導き出した答えなのだろう。。


「カラオケとか居酒屋とか、酔った人を目にする場所さえ避けてたあの子が、お酒が出されるような店に行くといのが、そもそも余程のことだと思うんだ」

「警察にこの話は?」

「お爺ちゃんとお婆ちゃんが、何度も掛け合ったって。

 でも金銭や衣服、身体にも誰も触れた気配すらない、だから事故だって」


 夏井の口から語られたのは、空が数日前にオフィスで聞いたとおりの内容であった。


「納得はいかないけどさ、警察が言うなら一学生の私にはできることなんかないだろうって諦めてたんだ……。

 でもね、この前、飛鳥から聞いた、絵の送り主には名乗り出ることができない理由があるんじゃないかって話が気になって」


「根拠のない勘だよ?」空は首を激しく横に振り、強く否定した。


「それに私が想像したのは、絵の送り主が天白さんに何かをしたっていう話じゃないよ。

 脛に傷を持つとかで名乗りづらい人が、天白さんの名前に傷がつかないように黙っているとか、そんなストーリーだから」

「そうなんだ……」


 夏井は目を伏せた。


「絵の送り主が飛鳥さんに危害を加えたとして、絵を奪ったなら、返す方がおかしいと思う。

 自らの犯行がばれる危険性をあげるだけだよ」


 空は正論を持って説得を試みる。

 薄々、学友が何を考えているのかを察しているから。

 考えすぎだ。これ以上踏み込むなと


「飛鳥の言いたいことは分かる。それだけなら私も相談はしなかったよ。

 もう一つさ、あの大量の下書きを見ていて気がついたことがあるんだ」

「気づいたこと?」

「翠が亡くなったのはね、絵の中に描かれた場所だったの」

「……それは」


 点と点を結ぶ太い線の登場に、空は天を仰いだ。


「あの絵は、緑が亡くなった場所の川を挟んだ対岸で描かれたみたい」

「絵が描かれた場所と、亡くなった場所は川を挟んですぐ近くだった……」

「うん。翠の死と、絵が関係あるって考えても、おかしい話じゃないでしょう?」

 

 これ以上話を進める前に、空には絶対に確かめなければならないことがあった。



「夏井、犯人を捜す気?」



 空は射貫くような視線を夏井に向けた。


「殺した誰かっていうよりは、彼女を酔わせたのが誰かを知りたい」

 気圧されることなく、夏井は視線を受け止めた。

「亡くなるにしても、きっと、一番辛くて苦痛な状況だったはずだから」


 困ったことに学友は、好奇心や正義感という軽い気持ちで動いているわけでないことを、空は悟ってしまった。


「ふぅ……」


 望まない展開に空は両手で顔を覆った。


「あっ、一緒に捜査してとかって話じゃないよ。飛鳥のクリエイターとしての顔を知っている身としては、大量に時間を奪うようなこと頼まないよ」


 原因を勘違いしたのか、夏井は明るい声で否定の意を示した。


「本気で探したくなったら、自分の力で探すから」

「嫌なフラグみたいなこと言わないでよ……それ、夏井が真実に迫って犠牲になるやつじゃん?」


 そんな展開こそ、空が最も恐れているというのに。


「相談っていうのはね、一箇所だけ名探偵の飛鳥についてきて欲しい場所があるんだ。現在持ってる唯一のヒントだから」

「ヒントって?」

「ホダカだよ、ホダカ」


 聞き覚えのない単語に、空は記憶を浚った。

 すぐに彼女が何を言っているのか理解した。


「ああ、下描きのファイル名にあった、ローマ字の」

「そう、あれさ、多分、私や翠の中学生の同窓生っていうの?

 クラスメートではなかったけど、同じ学校に通ってた男の子のことだと思う」

「……二人の同窓生?」


 新たな人物の登場に、空は首を傾げた。


「そう。直接事件に関係ないのは分かってるんだけど、あのファイルに名前が書かれてたからには意味があるとも思うから。

 翠と交流があったかも含めて、どこまで事情を知ってるのか話を聞きに行くつもり――」


 強く気になる点があったのだが、話の腰を折らないように空は言葉を飲み込んだ。


「そこで名探偵の力を借りたいんだ。私だと上手く話しもきけないし、大事なことも見逃すかもしれないから。

 厄介なことに巻き込むかもしれないけど……」

「ちょっと考えさせて」


 一端の猶予を求めたが、空の中で答えはほぼ決まっていた。

 先のパソコンの中身を見るといった話とは別次元の、現実に起こった殺人事件の捜査であるかもしれない。


 もしも、そうならば関わることなどできるはずもない。

 理想は、夏井も関わらせないことなのだが……。


「うん。絵のことが解決したから、特に急いでいるわけじゃないし、ゆっくり返事は待つよ」

「私も手を引く、夏井も手を引くっていうのは?」

「あー、空が何を心配しているかは分かるけど、穂高については危険はないと思うよ」


 先ほど空が気になった点はこれ――ホダカという人物に対しての夏井の発言の数々である。


「……ファイルに名前が残されているくらいならさ、そのホダカって人は、天白さんと最近でも交流があったんだよね?」

「それがね、少なくとも私は聞いたことがないんだ。スマホとかにも記録は残っていないみたいだし」

「おかしくない?」

「だから、なおさら話を聞きたいんだ」

「ねえ、夏井。ホダカって人こそ有力な容疑者じゃないの?

 どうして直接事件に関係ないって断言できるの?」


 噛み合わない話に、空はハッキリとした口調で問うた。


「ゴメン、最初に説明しなきゃならなかった。

 話は単純だよ。その頃、ホダカは日本にいなかったから。それ以前に、当時のあいつの性格を考えるとね」


 申し訳なさそうに謝りながら、夏井は言った。


「……そうなんだ」


 空は夏井の意見に、素直にうなずくことができなかった。

 完璧なアリバイ。出来過ぎた状況だと思うのは、きな臭い話を聞いて疑心暗鬼になっているからなのか?


 そもそも、どうして名前もすぐに思い出せなかったような相手が海外に行っていたことを夏井は知っているのか?


穂高ほだか柳輝りゅうき

 数日前まで私も知らなかったんだけど……ネットで検索してみ、マジで驚くからさ」


 これまでの陰鬱な雰囲気など忘れたとばかりに、夏井はイタズラな笑みを浮かべた。


 空は、夏井の表情と言葉を測りかねていた。

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