第19話 撃破リザルト
「ア、ア……アトランティックサーモンッ!」
昼下がりのオフィスに秀人の叫び声が響き渡った。
「どうしたゴッチ!?」
急に魚の名称を叫んだ幼馴染に、奏多は何事かと声をかけた。
「うー、寒くも無いのにくしゃみが……さては、誰かが拙者のことを噂しておりますな」
遠い地で、特殊部隊の人員たちが自らのことを噂しているなど知る由もない。
純粋に冗談のつもりで秀人は言った。
「なんだ、くしゃみか……今のくしゃみなの!?」
理解不能な状況に、奏多は思わず秀人を二度見した。
「ええ、くしゃみですが?」
「完全に魚の名前を叫んでたじゃん!」
「はて、普通にくしゃみをしただけなのですが……」
身に覚えがないと、困惑した様子で秀人は言った。
「俺にも間違いなく、鮭の種類に聞こえたぞ……ズズ」
共有スペースのソファに腰掛けた紳士が、優雅にコーヒーカップを傾けた。
「ですよね」
「秀人。いくらなんでも、不自然……キ、キ、キリタンポッ!」
「ナルさん!?」
急に食品の名前を叫んだ兄貴分に、奏多は焦りの声をあげた。
「スマン、俺もくしゃみだ。どこかの誰かに噂されているのかもしれん」
「今のも、くしゃみなんですか!? 完全に秋田県の名物を叫んでましたよ?」
「そうか? 秀人と違って、普通にくしゃみをしただけだろ?」
「はぁ……師匠、今のくしゃみのどこが普通だと?」
やれやれと秀人は肩を竦める。自らのことを綺麗さっぱり棚にあげた態度に、奏多は目を剝いた。
「それで、どこまで話したっけか」
「ヴォジャノーイが語ったという、犯行理由についてですな」
場を荒らしておきながら、何事もなかったかのように師弟は軌道修正を図った。
「素敵な歌を真似したかった……随分、誌的というか抽象的な物言いですな」
「できる限り聞いた話を再現したつもりだが、微妙なニュアンスは違っているかもしれん」
「誰かを模倣したという意味なのは、間違いないでしょうな」
「……文脈から察するに、誰かじゃなく、何かってこともありえるんじゃないか?」
奏多は思い付きを口にした。
「どういうことですかな?」
「ヴォジャノーイが語った素敵な歌というのが、現実の犯罪行為じゃなく、映画や絵のような創作物だとも受け取れるんじゃないかって」
鳴瀬の記憶によると、彼女は「見聞きした素晴らしい何かを真似をしようと思った」と供述しているだけである。
見聞きしたものが、現実なのか創作物なのかには言及していない。
「なるほど……自主製作や公に発表していない作品であれば、誰にも知られるずに歌われてるって部分と齟齬(そご)はないか」
「その場合は、ヴォジャノーイを倒した時点で一連の犯行は止まることになりますな」
最悪のケースとして男性と女性、それぞれの命を奪っている二人の犯人を想定していた。
創作物からの模倣なら、実際に事件を起こしていたのはヴォジャノーイ一人ということになる。
「その場合は、俺たちの出番は終わりだな。
だが、まだ俺たちが関わることになるケースも存在している」
「最初に別の能力者が事件を起こしていて、それを彼女が真似した場合ですね」
彼女が模倣したのが、能力とは関係のない猟奇殺人事件であれば警察が対応する話である。
問題は、そうではない場合。
「こうなると俺の対応は温かったかもしれん。意味深な言葉について、もっとやつを問い詰めておけばよかった……どんな手を使ってもな」
静かな声で鳴瀬は言った。その迫力に奏多は頼もしさを感じた。
「師匠は何も悪くありませんぞ」
「秀人よ、俺はイエスマンの弟子は望まんぞ」
「……き、今日も師匠がかっこいい」
「ゴッチの言うとおり、ナルさんの対応はベストですよ。下手なことをして、妙な一手でも思いつかれたら面倒くさいことになってました。
話を聞く限りでは曲者だったんですよね?」
「性格や思考も含めて、下手をうてば今後厄介な存在になりうる。そんな相手だったな」
思い出すように、鳴瀬は遠い目をする。
「戦いには慣れている様子はなく、おそらくは初めての戦闘行為だ。能力と戦術が噛み合っていなかった」
豊富にスキルを使用しているようにみえて、上空からの攻撃ばかりでワンパターンなものだった。
特製とあっていない『破壊』を狙ったスキルばかりを好んでいたのも下策である。
「ヴォジャノーイの性質を考えれば、溺れさせる、引きずり込むといった行動に関わる技のほうが、強化されるでしょうからね」
怪物が持つはずであろうスキル群を、思い出しながら奏多は言った。
「自己申告によると力に目覚めて五カ月。その短期間で自己鍛錬のみで二段階目の中盤に至っていることになる。
後、数カ月もあれば三段階より上に昇りったうえで、スキルの仕様にも精通していただろうさ」
「そうなれば、もっと劇的な被害をだしたかもしれませんなぁ……」
「まあ、その仮定に意味はないが……うちが気づかずに見逃しても、COSDがどこかで動いていただろうからな」
彼女は人を殺し過ぎた。
どこかのタイミングで犯行を抑制したとしても、すでに起こした事件から足がついていたことは間違いない。
ヴォジャノーイには、五感の強化やサポート系のスキルという恩恵があまりなかったのではないだろうかと奏多は推測した。
それらを駆使して追いかけてくる誰かのことを想像できなかったのではないか。
「それからな、鎌をかけてみたが、おそらく女性はやつの獲物の中には入っていないぞ。
終始、己は快楽殺人者ではなく結果的に殺人を犯しているというスタンスだった。
当人の供述通りに、関係のない相手の命を奪っているとは考えづらい。
本命の……好みの素材を使った事件が起こしづらくなるからな」
「納得できる話ですね」
鳴瀬は、ある意味で彼女の中にルールが存在することを認めているようである。
直接、顔を合わせていない奏多には、それを否定する理由はなかった。
「もっとも、車両を奪うために命を奪った渋海の件もあるから、鵜呑みにすることはできんが」
「やはり、二人目――正しくは一人目の殺人者が存在するのですかな……ふむ」
何かを思いついた秀人は、キーボードとマウスを操作し始めた。
「調査を続ける必要はあるだろうな。主に女性の被害者について俺のほうでも情報を集めてみる」
「僕は女性たちが亡くなった現場巡りですかね」
流れるように互いの担当が決まると、奏多は頭の中で、これからのスケジュールを考え始めた。
「お二方、若い女性の被害だけをまとめてみましたぞ」
作業を終えたのか、秀人は手を止めた。
奏多と鳴瀬は、誘われるように席を立つと秀人の背後からモニターを覗き込む。
数日前までのファイルとは違い、扱う情報が減り簡素になった文字だけのデータ。。
そこに記載されているのは、昨年末から亡くなった三十歳以下の女性たち。その数は五名である。
「男性を除いて考えてみた時に、明らかな季節外れに死んでいるのは一人だけか……」
「ゼロではないのが厄介ですな。事故だともいいきれない。例の美術関係の人材が多いというのも気になります」
「女性だけに注目すると、天白って女性が最初の凍死者に該当するわけか……」
鳴瀬が呟くように言った。
天白が亡くなったのは、十二月の初頭。
時期的にはヴォジャノーイが目覚める以前となる。
水魔が、彼女を殺したという可能性は低そうであると奏多は感じた。
「……次の被害者が三週間後の十二月末。そこから三名が亡くなっているが、亡くなった日付や間隔に特に法則性はなさそうだな」
「立て続けにっていうのは、一箇所もありませんね」
「こうして見ると、トリーのフレンドオブフレンドの件以前にも事故が起こっていないのか調べる必要があるのかもしれませんな」
「やるなゴッチ、その着眼点はなかったな」
「グフフ」
奏多は幼馴染を手放しで褒めた。
昨年の夏や秋に一件でも低体温症での不自然な死者が出ていれば、ヴォジャノーイ以外に犯人が存在する確率がグッと高まる。
「ところで、その空は? 学校かと思っていたんだが」
「ひと段落就いたから、友人の誘いに応じると言って出かけました。例の件のお礼らしいですぞ」
鳴瀬が仮眠室から起きてきた時には、すでに空はオフィスを出た後であった。
その後すぐに昨晩の検討に入ったために、若者二人組は鳴瀬への説明を忘れていた。
「そうか、吉報ってやつか?」
「絵は飾られることが決定したようですけど。それだけじゃなく、先方に新たに相談事があると言われたそうですよ」
奏多は朝一番で空から聞いた話を思い出す。
昨晩、届いたメールを見て、すぐに会うことを約束したらしい。
文面からは、楽しいだけの話ではなさそうだとも言っていた。
「……相談事か」
「気になりますよね」
「ああ」
「ですな」
偶然か、三人は同時に、モニターに表示された『天白翠』という文字を見つめていた。
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