エピローグー2

 ダンによれば、中条なかじょうマキによる被害者は数十人にも上る。


〈ファントム〉の能力で操られたしもべたちが、人をさらってくる流れだった。


 被害者たちは仮面の実験台にされていたという。どのようなものなのかは説明してくれなかったが、おそらく『彼』——あの男子のように、利用されていたのだろう。


 中条マキの目的とはなんだったのか。


 ダンは「まだはっきりとはわからない」と答えた。彼女は取り調べの最中、流暢に話したかと思えば突然沈黙するということを繰り返している。中でも久良木くらきエリのことに触れると怒り狂い、その場にいた刑事に掴みかかるほどだった。


 久良木エリは中条マキの独占欲を満たすための、人形だった。


 エリは今、原因不明の頭痛と高熱に悩まされている。医師の見立てでは〈ファントム〉の洗脳の後遺症とのことだ。見舞いに行きたいと言っても、「面会謝絶だ」とにべもなく却下された。


 エリは罪に問われるのか、と聞いてみた。


「そこは言えない」とダンは難しい顔をしていた。洗脳されていた者が罪を犯したら、その者は罪に問われるのか――もしかしたら警察内でも、議論が起こっているのかもしれない。


 エリとマキが消えたことで、台舞高校の誰もが不安をあらわにしていた。学園長はコンクールへの出場を取り止め、教師たちに事態の鎮静化を図るようにと指示をしてから、沈黙を決め込んだ。


 それから、一週間が経った。




 ミドリとアオイは手をつないで、帰路を辿っていた。


 アカネはバイトで、ミドリがアオイのお迎えを務めている。アオイは「一人でも大丈夫だもん!」と息巻いたのだが、ダンもアカネも渋い顔をして却下と言ってのけた。


 ミドリもアオイ一人で帰らせるのは不安だった。


 ただ――本当に不安なのは自分ではないだろうか。アオイを口実にして、本当は自分が一人で帰りたくないだけではないのだろうか。


「ミドリお姉、どうしたの? 暗い顔をしてる」

「え? そうかな……」

「やっぱり、あのこと?」


 ミドリは返答に困り――結局、「うん」とうなずいた。


「そりゃそうだよね。わたしも同じ立場だったら、ミドリお姉みたいな顔をしてると思う」

「わたし、そんなひどい顔をしてたかなぁ?」

「うん」


 即答だった。


 ちょうど、家の近くの公園に通りがかったところだった。なんとなく園内に視線をやったところで、足が止まる。


 つられてアオイも立ち止まり、「ミドリお姉?」と振り返った。


「公園になんかあった? ……あ」


 アオイも気づいたようだった。


 公園の中心には、あの道化がいた。足元には大きなスーツケース。そして彼はいくつもの輪を宙に投げ、それを受け止めてはまた投げるということを繰り返している。


「なんでジャグリングやってるんだろ?」

「さぁ……?」

「ミドリお姉、行かないの?」

「え?」

「今行かないと、また会えないかもしれないよ。ミドリお姉だって、あの人と話したいことあるんでしょ?」

「……そうだね。ありがと、アオイちゃん」


 アオイの手を離し、足先を公園に向けたところで、袖を引っ張られる。ミドリがぱちくりと目をしばたたかせていると、アオイが得意げに笑っていた。


「わたしも行くよ、ミドリお姉」

「え、で、でも……」

「わたしだってあの道化さんにお礼を言いたいもん」


 一切譲る気配のない妹に、ミドリは呆れ顔で小さく息をついた。


 二人で公園に立ち入る。道化はこちらに背を向ける形で、相変わらずジャグリングを続けている。


 不意に、ミドリは気づいた。彼を見ているのは自分たちだけではないことに。木々の陰から小学生ぐらいの子供たちが数人、道化を窺うようにして見ている。怯えと好奇心とがないまぜになったような表情だ。


 案外あの道化は、子供に懐かれる性質なのかもしれない。


「道化さん」


 声をかけると、道化は放り投げた輪をすべて受け止めた。くるりと振り返り、「おやおや」と肩をすくめる。


「奇遇だね、こんなところで何をしているんだい?」

「それはこっちの台詞だよ。わたしたちは家に帰るところだったの。道化さんこそ、どうしてこんなところでジャグリングやってるの?」


 道化は輪のひとつを指先でくるくると回し、「練習だよ」


「常日頃から芸に親しんでいないと、すぐに忘れてしまうからね」

「……聞いていいことなのかわかんないけれど、その芸を披露する機会ってあるの?」

「正直に言えば、ないね。今のところ」

「じゃあ、ダメじゃない」

「そんなことないよ、ミドリお姉」


 つんつんとアオイに突かれる。


「誰にも見てもらえないからって、芸を磨くことを放棄したら芸人失格だよ」

「なかなか話せるじゃないか。君、お名前は?」

「人に名前を聞く時は、まず自分から名乗るのが礼儀だもん」


 道化は参った、と言わんばかりに額に手を当てた。


「君の言うことももっともだ。だがしかし、僕には名前がないのだよ」

「だからミドリお姉、道化さんって呼んでたんだね」


 納得したようにうなずいている。


「じゃ、わたしもあなたのこと、道化さんって呼んでいい?」

「もちろん」

「ありがと。わたしは引島ひきしまアオイっていうの。小学五年生、引島家の末っ子です」


 ぺこりと頭を下げる。


 道化は肩をすくめ、「しっかりしているね」


「えーっと……まぁ、うん」

「ミドリお姉とアカネお姉の育て方が良かったんだよー」

「それは遠回しにおじさんの育て方が悪いってことだよね……?」

「どうかなぁ?」


 素知らぬ顔で口笛を吹いている。いつからこんな子に育ってしまったのかと、ミドリは我が身を振り返りそうになった。


 道化は輪をスーツケースに収め、「ミドリくん」


「僕に何か聞きたいことがあるんじゃないのかな?」

「……うん、そうだね。色々ある」


 ぱたんとスーツケースを閉じ、道化は身を起こす。


「何から聞きたい?」

「どうして、マキ先輩と久良木先生が怪しいと思ってたの?」

「ふむ。順を追って説明していかないとね」


 道化はこつこつと、自分の仮面を指で叩いた。


「実は、仮面と仮面とはひかれ合う性質がある。仮面は人の想いを具現化したもので、その想いが強いほど影響力も高まる。いうなれば台風みたいなもので、その中心にいたのが中条マキと久良木エリだったわけだ」

「そう、なんだ……」

「だが、二人のどちらかが〈ファントム〉なのかを突き止めるのは難しかった。仮面同士でひかれ合う性質があるといっても、その精度は確かじゃない。そこで君に協力してもらうことにしたわけだ。あの刑事に言わせれば、利用していたってことになるがね」

「マキ先輩は、何をしようとしていたの?」

「それは本人の口から聞いてみないとなんとも言えないが……おそらく彼女は、自分の思い通りの世界を作り上げようとしたんじゃないかな」

「思い通りの世界?」

「自分の恋が叶う世界に」


 ミドリはあの時の、マキの言葉を思い返した。マキはエリに恋をして――その恋が報われない、許されないものであることを知っていた。屋上で話した時に見せたあの表情が、すべてを物語っているのかもしれない。


「でも、それなら……言い方は悪いかもしれないけれど、久良木先生だけを操っていれば良かったんじゃない? どうして大勢の人を巻き込んだの?」

「可能性の話だが、中条マキは誰かに協力していたことが考えられる」

「誰か? 協力?」

「中条マキに仮面を渡した人物さ」


 あっと声を漏らした。


「例えば、〈ファントム〉の仮面を作ることも――全部一人でやれたとは考えにくい。彼女に仮面を提供し、その見返りに協力してもらう。それなら辻褄が合うと思わないかい?」

「確かに……」

「でもね、これはあくまでも僕の推測だ。あそこにいる彼からより詳細を聞かないと、確実なことは言えない」

「彼?」


 振り返ると、公園の入り口にパトカーが停まったところだった。ダンが乱暴にドアを閉め、ずかずかと歩いてくる。


「てめぇ、道化野郎! 性懲りもなくまたミドリに手を出しやがるか! 今度はアオイまで!」

「人聞きの悪いことを。僕は口出しをしているだけだよ」

「ほざくな! おい、ミドリ! アオイ! こんな奴に近づくんじゃねぇぞ!」

「おじさん、こわーい」


 アオイが道化の陰に隠れる。「んなっ!?」と驚愕するダンに、アオイは舌を出した。


「道化さんはいい人だもん。わたしを助けてくれたし」

「お、お前らを懐柔するためだろうが!」

「カイジュウってなーに? アオイまだ子供だからわかんない」


 ぐぬぬ、と歯を食いしばるダン。


 ミドリは苦笑し、「まぁまぁ」とダンを手で押し留めた。


「おじさん、道化さんがいなかったらマキ先輩を――〈ファントム〉を止められなかったでしょ?」

「うぐ」

「今回だけは見逃して。ね?」


 ダンはなおも不満げに歯ぎしりした。


 道化は「ふむ」と仮面の下部をつまむ。


「刑事。中条マキの様子は?」

「……なんでてめぇに言う必要がある」

「ま、素直に話してくれるとは思ってなかったさ。もしも中条マキに協力者がいたとしたら、その人物のことを聞いておきたかったからね」


 ダンは真顔になり――ひげの伸びたあごをさすった。


「……てめぇの娘が亡くなったことと、何か関係があるのか?」

「さて、どうかな」

「ちっ。話すつもりはないってわけか」

「まぁ、そういうことだね」


 あらぬ方向を向く道化。


 ふと、ミドリが「うん?」と首を傾げた。


「道化さん、子供もいたの? 奥さんだけじゃなくて?」

「ああ? どういうことだ?」

「わたしが聞いた話だと、道化さんの奥さんが〈カオナシ〉になっちゃったって……」

「……俺は、この道化野郎の娘が〈カオナシ〉になったって聞いたぞ」

「どういうこと?」

「知るかよ! おい、道化や……」


 ミドリとダンが同時に首を向けると、道化はスーツケースを担いで、すたこらさっさと逃げ出しているところだった。


 二人が唖然としていると、アオイがくすくすと笑っている。


「ミドリお姉、おじさん。あの道化さん言ってたよ」

「……なに?」

「『道化の言うことを真に受けちゃダメさ』だって。面白い人だね」

「あの野郎……!」


 ダンは道化の背中に向かって吠える。

「おい、道化野郎! でまかせばかりぬかしやがって! いつか逮捕してやるからな! あと、俺の姪に手を出すんじゃねぇぞ! おい、聞いてんのか道化野郎!」


 息巻くダンと、あっという間に小さくなる道化の背中。


 二人の姿を交互に見ながら、ミドリは苦笑した。


「困った人だね」とアオイが言う。


「ほんと」とミドリも応えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マスカ・レイド「白い道化とオペラ座の怪人」 寿 丸 @kotobuki222

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ