エピローグー1

 校門前はサイレンと野次馬の騒ぎ声で騒然としていた。


 中条なかじょうマキは連行されることとなった。


 生気をなくした表情で、ただうつむいている。パトカーに乗り込む時も、ミドリやマキに顔を向けることはなかった。


 エリは肩に受けた傷が深く、救急隊員から応急処置を受けている。


 その様子をミドリはただ、沈痛な目で見つめていた。


「大丈夫よ」とエリは言った。

「私のことなら心配ない。むしろ、あなたの方が心配」

「先生……」

「ごめんなさい。操られている間の記憶はほとんどないけれど――あなたや、あなたの家族に危害を加えようとしたことだけは確かだと思う。それはいくら詫びても許されることじゃないわ」

「そんなこと、ないです!」


 ぶんぶんと首を振り――目元に涙が滲む。


「わたし、こんな……こんな風に終わるなんて……!」

「終わりじゃないわ。まだ」


 え、と顔を上げる。


 エリはぎこちなく微笑んでいた。


「あなたも私も、そして中条さんもまだ終わりじゃない。厳しいけれど、生きている限り終わりは来ないの。一度人生という舞台に上がった以上、勝手に降りることは許されない。最後の時を迎えるまで、私たちは演じ続けなければいけない」

「…………」

「でも、これは私の人生訓。あなたのこれからに少しでも役に立つといいけれど」

「久良木、先生……」


 よろしいですか、と救急隊員から話しかけられる。


 エリがうなずくと、彼女は救急車に運ばれていった。


「またね、引島さん」


 最後にエリはそう言った。


 彼女が搬送されていくのをただ見つめて――人目をはばからず、とうとう泣いてしまった。頬を伝わる涙の感触が、肌を粟立たせる。


 どうしてこうなったのだろう。


 どうして止められなかったのだろう。


「お前のせいじゃない」


 後ろからダンが肩に手を回した。


 ミドリは叔父の胸で、むせび泣く。


「でも、でも……!」

「お前はただ止めようとしただけだ。それよりも前から中条マキは久良木くらきエリを操って、いくつもの罪を犯してきた。それはどうやっても変えられない事実だ」

「だって、わたしが余計なことをしなければマキ先輩も久良木先生も!」

「一人で何かを変えられるかもしれないってのは、思い上がりだ。それを証拠に今回お前は、何もかも一人でやっていたわけじゃない。そうだろ?」

「…………」

「それはあの野郎もわかっているはずだ。お前の協力がなかったら、もしかしたら〈ファントム〉の正体にたどり着けなかったかもしれねぇ。お前の望む結果じゃなかっただろうが、どのみち――こうなることは予想できたはずだ」


 ミドリはうつむき、ダンの胸を叩く。


「わかんないよ。全然わかんない。わかりたくないよ」

「いつかわかる。嫌でもそういう時が来る。だから今は好きなだけ泣いておけ」


 ミドリはダンの背に手を回し、強く頭を押しつけた。


 やがて――サイレンの音が彼方に消えた。


 野次馬もぞろぞろと姿を消しつつある中、ミドリはようやく泣き止んだ。目元はすっかり赤くなっていた。


「ミドリお姉」


 ててて、とアオイが近づいてくる。不安げにミドリを見上げ、「大丈夫?」


「うん、もう大丈夫。心配かけてごめんね、アオイちゃん」


 身を屈め、頭を撫でようとして――アオイはするっとその手をすり抜け、ミドリに抱きついた。


「もう、危ないことしちゃ嫌だよ」

「アオイちゃん……」

「アオイの言う通りよ、ミドリ」


 アカネがため息をつきながら歩いてくる。


「あんた、あたしやおっさんの忠告にも耳を貸さなかったっしょ」

「うん、ごめんね。アカネちゃん」

「許さない。今日はギョーザって気分」

「うん、おいしいの作るから」

「それでいいのよ」


 むすっとした表情が、少しだけ柔らかくなる。


 着信音が鳴り、ダンはスマホを取り出した。簡単なやり取りを交わした後で、「やれやれ」と通話を切る。


「どうしたのさ、おっさん」

「上からお達しだ。さっさと戻ってこいだとよ」

「あっそ、帰りは?」

「遅くなるだろうな。ギョーザは楽しみだが、またの機会にしてもらうぜ。いいな、ミドリ?」

「うん」

「ところで……だ」


 ダンは周辺を見回し、「あの道化野郎はどこに行った?」


「そういえばいないね。一体いつの間に消えたのやら」

「ほんと、どこに行ったんだろ……」


 ダンはこちらを窺う素振りを見せ――「ふう」と肩の力を抜いた。


「まぁ、いい。あの道化野郎はいつか逮捕するとして、お前らはさっさと帰れ。もう文化祭どころじゃないだろうからな」

「まぁ、そうね」

「うん……」

「残念だな、ミドリお姉の劇、最後まで観たかったんだけど」


 こてん、とアオイが頭をもたれかかせてくる。


 ミドリは頭を撫で、「ごめんね」


「お姉のせいじゃないもん」

「うん、わかってるよ」

「ならいいの」


 その様子をしばらく見ていたダンは、合図といわんばかりに首の骨を鳴らした。


「とりあえず俺は行くぞ」

「行ってら」

「行ってらっしゃい」

「おじさんの分まで、ギョーザ食べるからねー」

「口だけは達者になりやがって、まったく。……じゃあな」


 ダンは校門の前に停まっているパトカーに向かい――のんきにスマホをいじっている後輩の頭をどついた。


 彼の乗り込んだパトカーが走り去るのを見てから、アカネが「あーあ」と腕を伸ばす。


「なんか疲れちゃった。もう帰ろうよ」

「そうだね。アオイちゃんも、いいよね?」

「うん。あ、でもちょっと待って」


 アオイが口に手を添え、小声でつぶやく。


「あの道化さん、いい人だね」

「え?」

「ミドリお姉のこともわたしのことも、助けてくれたもん」


 目を丸くすると、アオイがいきなり手を引っ張った。


「じゃ、帰ろうお姉! わたしお腹空いちゃった!」

「あ、うん……」

「あんたたち、何やってんのよ」


 アカネが呆れたように言った。


 アオイの手を握る感触、三人で並んで歩くこと、馴染んだ感覚のはずなのにとても久しぶりに思えてならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る