その30 白妙

 四月一日。

 優作が初めてこの校舎に足を踏み入れた日と同じように、よく晴れている。

 体育館では白妙純心学園の入学式が執り行われていた。

 心配されていた稲田の死に関しては、カラスが去っていったあの日のうちに本人自らによる犯行声明がネット上を駆け巡ったため、軍や警察から必要以上の介入を受けずに済み、白妙純心学園は無事にこの日を迎えることができたのだった。

 カラスは約束を守ったのだった。


 堀之内によると、あの日以来、裏の世界でもカラスの名が出てくることはなくなったらしい。

 カラスはカラスの名を捨て、垂水十夜として生きている。例えまた戦うことになったとしても、そうあってほしいと優作は思った。

 カラスとの戦闘で穴が空くなどの被害があった校舎だったが、その後、入学式までの約十日間という短期間の間に――もちろん全てを修繕することなどできなかった。

 今は体育館の檀上で、理事長となるスーツ姿の綾乃が祝辞が述べていた。


「この校舎は、つい先日まで『色憑き』と呼ばれる学校でした。新入生の皆さんの中には、我々と拳を交えた方がいるかもしれません。ですが、白妙純心学園で学ぶ意思があるのなら、我々は受け入れます。全力で学んでいただきます」


 綾乃が少し興奮気味に両手を演台につくと、バラバラと壊れてただの板切れになってしまう。

 まだ新しい体が馴染んでいないようで、力加減がうまくできないらしい。

 すると、舞台袖からそそくさとスタッフが現れ、新しい演台を用意し、壊れた演台を回収していく。

 実はこのやりとは今ので三度目である。

 祝辞の冒頭で既に一台目を破壊し、綾乃の感情が高ぶるたびに演台が犠牲になっていく。

 まるでわんこそば状態である。

 いきなり綾乃が演台を破壊したことによって新入生がビビった……かはわからないが、式持と式無の生徒が一堂に会するという状況でも、何事もなく入学式は進んでいた。


「体育館を見回してみてください。今はシートでふさがれていますが、壁にこのような穴が空いてしまうような戦いを制し、我々は皆さんの学び舎を確保することに成功しました。修復は直ちに行いますが、それまでは校舎に残った戦闘の爪痕から、式かどうかという区別で争うことの愚かさを感じ取ってください」


 綾乃が一礼すると、拍手が起こった。

 新設の学校なので、一年生から三年生まで全員が新入生という扱いで、入学式は行われた。

 式が発現しているかどうかは関係なく、ただ、普通に高校を卒業したい生徒たち、およそ百人程度が入学を希望した。

 もちろんその中には、もともとこの校舎を支配していた奴もいるはずで、何かあった場合は優作、麻琴、ソフィア、桜子が率先して鎮圧にあたるようにと言われていた。

 だが、それは杞憂に終わった。

 今、入学式に参加している生徒は、学校の修繕は間に合わなくとも、制服だけは――ということで用意された白妙純心学園の制服をきちんと着こなしている。

「入学試験兼入学式兼高校デビュー」のときに優作と麻琴が着ていたものと同じ、シンプルな学ランとセーラー服だ。


 入学式が終わり、ぞろぞろと体育館から出て行く生徒を見ながら、優作は嬉しくなった。

 少なくとも、入学式に参加していた生徒たちは「普通」に見えたから。

 式持も式無も、見た目では区別がつかなかった。

 これからたくさん問題も起こるだろう。

 でも、今はこれでいい。


「あ、そうだ。もうすぐ甲子園の決勝じゃねーか」


 ポケットから取り出した本郷家支給のスマートフォンでテレビ視聴用のアプリを起動してチャンネルを合わせると、ちょうど試合が始まったところだった。

 カラスと一緒に見たときと同じ。マウンドには川口龍星。

 サイレンが鳴り響いたのと同時に、川口が投球動作を起こす。

 既に誰も居なくなっていた体育館に、試合開始のサイレンがよく響いた。

 が、サイレン以上の大声が体育館にこだました。


「あーっ! こら、優作。校内で携帯電話の使用は禁止!」

「えっ、そうなの? 別にいいだろ。授業中とか使うつもりねーし」

「よくない! 普通の高校じゃ持ち込みもできない学校だってあるんだぞ! ちゃんと生徒手帳を暗記なよ!」

「いや、暗記はしなくていいだろ……」


 しぶしぶスマートフォンをポケットにしまうと、麻琴に続いて桜子も体育館にやって来た。


「ダメですよ、真壁くん。私たちは暫定生徒会の役員なんですからね。しっかりしてもらわないと」

「おお……桜子サンがメイド服じゃない……」


 メイド服がセーラー服に変わっても、なんかコスプレに見えてしまう。胸に目が行ってしまうのも一緒だ。


「あれ、ところでソフィアは?」


 そう言うと、また桜子に怒られた。


「ほら、また。先輩を呼び捨てにしてはいけません。私とソフィアは二年生。真壁くんと麻琴さんは一年生なんですから」


 桜子は数日前から本郷家の屋敷で会ってもこんな調子だった。


「うふふ、ソフィアは今すぐ連れてきますから、待っててくださいね」


 どことなく邪悪な微笑みを残し、一度体育館から出て行くと、入口の方でから争うような声が聞こえてきた。


「や、やめろっ! 離せって!」

「大丈夫よ。恥ずかしいのは最初だけですから。すぐ見られるのが快感になるわ」


 とんでもない会話の後に背中を押し出される形で体育館に入って来たのは、セーラー服姿のソフィアだった。

 ボンタンと長ランをセーラー服に着替えただけなのだが、いよいよ人形にしか見えない。

 童顔と低い身長のせいで中学生くらいに見えてしまう。

 ランドセルがあれば小学生でも行けそうな雰囲気があったが、そんな事を言ったらこの体育館のように大穴を空けられてしまいそうなので、優作は無難に褒めておくことにした。


「いいんじゃないか。良く似合ってますよ、ソフィア先輩」

「にゃっ!? うううううるさい! 腹に風穴空けるよ!」


 どのみち穴を空けられる運命らしい。


「ソフィア、言動には気を付けてください。暫定とはいえあなたは生徒会長なのですから。それに、その格好で衝撃波なんか使ったら、スカートがめくれてパンツが丸見えになりますからね?」

「いやあああああああああああっ!」


 ソフィアはスカートの前と後ろを押さえつけて桜子の陰に隠れた。

 そんなソフィアを見て、全員で腹の底から声を出して笑った。

 ソフィア自身も笑っていた。


「ちょっとあなたたち、いつまで遊んでる気?」


 今度は綾乃が体育館にやって来た。丸めた紙を脇にかかえている。


「あ、入学式お疲れ様でした。綾乃サン」

「こら。学校内では理事長と呼びなさいと言ったでしょう」

「すすすすすいません理事長!」


 綾乃が額を小突くような仕草を見せたので、優作は慌てて麻琴影に隠れる。


「なによ……大袈裟ね……」


 手を着くだけでわんこそばのように演台を破壊していた綾乃だ。小突かれる程度なら大丈夫だろうが、万が一勢い余って力が入るなどということがあった場合、先日の綾乃のように首から上だけが飛んで行く、なんてことになりかねない。


「まあいいわ。あなたたち暫定生徒会執行部に最初の仕事を持ってきたわよ」

「仕事……?」


 ソフィアは綾乃から丸めた紙を手渡された。


「それを校内の掲示板に貼ってきてもらえるかしら。終わったら暫定生徒会室にいらっしゃい。お茶を用意しておくわ」

「お姉様。これ、今見てもいいですか?」

「どうぞ」


 そこに記されていたのは、どうということはない周知事項だった。


 告示


 白妙純心学園高等部創立において、学校機能が完全に回復するまでの間、生徒による自治を暫定的に行うため、以下の者を暫定生徒会執行部として任命するので、ここに告示する。


 記


 暫定生徒会長 秦野 ソフィア

 暫定生徒会副会長 矢上 桜子

 暫定生徒会書記 本郷 麻琴

 暫定生徒会会計 真壁 優作


 以上


 白妙純心学園 理事長 本郷 綾乃


 この、左下に角印が押されている格式ばった掲示物に自分の名前があるだけで優作は嬉しかった。この四人の名前が並んで記されているのもいい。

 

 優作以外の三人も笑顔だった。

 もう腰に拳銃はない。あるのは義手を馴染ませるための試合球だけ。

 白妙純心学園の「普通」への道は、遠く遠く果てしない。

 またすぐに銃を取らなければならないかもしれない。

 けれど、既に優作たちは「普通」に向かって歩み始めている。

 たとえ右腕が無くとも――普通ではないと言われようとも、絶対にその歩みを止めることはない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その手で掴む、お前との「普通」 あてらざわそねみ @sonemix

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ