格安物件

小丘真知

格安物件

大学の時に両親が離婚しまして。



片親になって仕送りを期待するな的な話になっちゃったので、もう少し家賃が安いアパートに引っ越そうとしてました。

当時住んでたアパートの家賃が6万5000円だったので、それより安くて交通費もかからないところを探してたんですけど、なかなかないんですよね。

近場の不動産屋じゃだいたいダメだったし、ネットで検索すると電車で1時間半とかかかるようなとこしか出てこなくて。


もう、事故物件しかないなと思いました。

そういうの信じてなかったんで。


ちょっと脅かされる程度を我慢するだけでお安くあがるんであれば、全然アリだなって考えたんです。

そういう部屋を紹介してもらえれば俺は生活が助かる。

不動産屋も告知義務がなくなる。

いわゆるwinwinでしょって思って、遠くの不動産屋まで自転車飛ばしました。


結構しっかりした感じの不動産屋で、入店してきっちり事情を説明しました。

その上で、安ければ事故物件でも構わないということも伝えました。

対応してくれたのは、たぶんそこの責任者っぽい人なんですけど、なんかこう、要領を得ないんですよね。

あるようなないような、のらりくらりという感じで。

あるんですかないんですか、って問い詰める感じで聞いたら、あるっちゃあると。

でも、事故物件はないと。

でも、絶対やめた方がいいと。

よく分からないことを言うんですよ。

こっちは生活かかってるから何でも良いんで安いの紹介してって念押ししたんですけど、とうとう断られてしまいました。


しょうがなくお店を出ました。

でも、まあ、そういうのがあるのは分かったんで。

仲介業者同士で情報共有してるだろうし、他の不動産屋でもその物件紹介してくれるだろうと思ったんで、他の不動産屋を検索してたら

「ちょっとちょっと、お兄さん」

って、おばさん職員に呼び止められたんですよ。

「もしかして、他の不動産屋さんに行こうとしてる?」

って聞かれたんで、そうですけど?って答えたら、考え直さない?とか、他にもいろんな物件あるから一緒に考えましょ、とか、説得しようとしてきたんですね。

心配してくれるのは有難いんですけど、どう安くたって近場で考えると5万超えるし、それより安さ求めると大学から離れちゃうのは目に見えてたんで。

おばさんにごめんなさいしようと、ちょっと強引にその場を離れようとしたら

「分かったわ。分かったから。ちょっと一緒に来てくれない?」

って自転車掴まれてお誘いを受けたんで、びっくりして。

あっけにとられていたら、そのおばさんササッと不動産屋に戻って、車の鍵を持って出てきたんです。


「内見させてあげるから。一緒に行きましょう」


って言われて。

助手席に乗せてもらって、その物件見に行ったんです。


そこは不動産屋から車で10分くらいのところにある、2階建のアパートでした。

白とダークブルーのおしゃれな外観がかっこ良いなって、思いはしました。

けど、どうみても新築。

こりゃあお高いでしょうと思ってたら

「築3年と1ヶ月くらい。相場は8万だったかな。角部屋で10万」

って、案の定をおばさんが言うわけですよ。

いや全然無理なんスけど、って言おうとしたら

「あそこの階段の、上ってすぐのところの部屋、見える?」

と、指差したんです。

2Fに上がる階段…上ってすぐ…あそこかな?と思って、あ、たぶんと答えると

「じゃ、そこの玄関の前で待ってて」

と、俺を下ろしておばさんは車でどっか行っちゃいました。

俺はおばさんを見送って、階段を上ってすぐの部屋の前で待ってました。

ダークブルーのドアと白く輝く廊下も素敵で、綺麗なお姉さんいっぱい住んでそうな感じでテンション上がったんですけど、今の俺には住めるわけがないんで。

お金欲しいな〜とか思ってバイト検索してました。


20〜30分くらいですかね。

下からおばさんの

「ちょっと手伝って〜」って呼ぶ声が聞こえたんで見ると、階段の近くに車を横付けして、なんか荷物を下ろしてたんです。

後部座席から日本酒、お米、塩、水、それに野菜。

これから料理でもするんかな、って感じで色々と荷下ろししてて。

下りて車の中を覗くと、その他、お皿とかぬいぐるみとかテーブルとかが、100均の袋に入って積まれてました。

意味わからんかったんですけど、とりあえずおばさんと協力して、荷物をその部屋の前に下ろしました。

なんに使うんだろ?とか思って荷物を眺めてたらおばさんは

「そのうちわかるから」と、キリッとした眼で教えてくれました。


ふぅーっと息を整えるとおばさんは、何事かをぶつぶつ呟くと

「入るわよ」とマスターキーでドアを開けて、中に案内してくれました。


玄関入って広い洋間が一つ、奥にもう一つ。

奥の洋間に大きめのクローゼット。

トイレ・バス別。

東向きの窓も大きくて日当たり良し。

好みの間取りでした。

住みたいなぁ、でも8万は無理だなぁ、と思ってるとおばさんが


「ここね。3万5000円よ。駐車場代込みでね」


と、言うではないですか。

え!?ぜひここで!と飛びつくと

「分かったから。ちょっとここで待ってて」

と、玄関先に立つ俺を手で制するとおばさんは、荷物を部屋の中に入れて、何やら準備し始めました。


手前の洋間の真ん中に小さめのテーブルを置くと、その上に日本酒を注いだプラスチック製のコップを二つ並べて、その後ろに生米を盛ったお茶碗を同じく二つ、丁寧に配置しました。

次に、生米を盛ったお茶碗の間に置いたお皿に野菜をのせて、その野菜皿の後ろにウサギのぬいぐるみを寝かせました。

なんか、神社とかのお供えみたいですねって声をかけると、おばさんが

「あそだ」と、何かを思い出してぬいぐるみを持ち上げると、俺の頭やおでこ、肩や腕をぬいぐるみで撫でつけてきました。

なんなんすか?って聞くと、それに答えるようにおばさんが

「息、吹きかけて。ろうそく吹き消すみたいに」と言うのでフゥッと、やりました。

するとおばさんはそのぬいぐるみの中にお米を少し入れて、懐から出した紙を敷いて、その上に丁寧にぬいぐるみを寝かせました。

最後にそのテーブルを奥の洋間の方に向けると、広い洋間の奥、窓際の角など3箇所に盛り塩をして、テーブルに向かって何かを祈るようにつぶやいて玄関先に戻って来ました。

俺はその神社風ディスプレイをぼんやり見つめてたんですが

「さ、また明日来ましょ。決めるのはそれからにして」

と、おばさんに背中を押されて部屋を出ました。

何か地鎮祭みたいで、神様を迎え入れるみたいに良い感じで仕上がったし、明日になれば契約できるかもしれないと思ったんで、わかりましたと答えて、おばさんの車に乗ってそのアパートを後にしました。


翌日、不動産屋に行くと

「いきましょ」と、昨日と同じようにおばさんの運転する車に同乗して、アパートに向かいました。

到着して、階段上がってすぐの部屋。

色々入ってるビニール袋を持ったおばさんと一緒にその玄関前にいくと


なにかが腐ったような、変な匂いがしてきました。


顔をしかめているとおばさんが

「入るわよ」と、ドアを開けました。


ドアの向こうから一気に異臭が溢れてきて、吐き気がこみ上がりました。

これ本当に昨日と同じ部屋か?

思わず疑いたくなるほどの、鼻と胸を突き刺すような異臭。

動物が死んで下水が逆流してきてもまだ足りないような、今まで嗅いだことのない匂いに戸惑いました。

腕で鼻と口を覆いながら中に入ると、洋間は無残に荒らされていました。

整然とディスプレイされた神社風テーブルも盛り塩も、誰かが中で暴れたようにぐちゃぐちゃにされていました。


コップは粉々でした。

飛び散っているのは日本酒のはずなのに、黄色と緑が混じった泡立つ液体に変わっていました。

液体が入ったままコップを床に振り下ろしたように、天井から壁へとななめに飛び散り、床も天井から落ちる黄色いしずくで汚れていました。

茶碗も転がっていて、床に撒き散らされているお米は、どれも煤けたように真っ黒くなっています。

野菜は全部黄土色に腐ってて虫がたかってるし、三つの盛り塩はお皿ごと蹴り飛ばされたように吹き飛んでたり、あるいはそのまま塩が溶けて、不自然に割れたお皿の下に水たまりを作ったりしてました。

誰かのいたずらにしても、酒が変色するとか塩が溶けるとか、暖かくなってきたとはいえこの季節に1日で野菜が腐るとか、とにかくありえないことばかりで。

何か、異常なことが起こっているのがわかって来ました。


そういえば、ぬいぐるみは?


テーブルの上にはウサギのぬいぐるみも置かれていたはず、と思っていると、浴室の方からおばさんが


「これ見て」


と呼んだので浴室に行くと、ウサギのぬいぐるみの首がありました。




と思ったのですが、違いました。




ぬいぐるみの首から下、体だけが、何重にも結ばれていました。




内側から破裂したように、ウサギの顔からお米がこぼれています。




ぬいぐるみの体だけをひも状にひき伸ばして、よく分からない複雑な結び方をする。

一体どれだけの圧力が加わっているのか。

人間の腕力でできることじゃないのは、俺でも分かります。

目の前のことが理解できず、ぼんやりとしているとおばさんが


「これで分かったでしょ。こういうところにあなたは住みたがっているのよ。ね、やめておきなさい」


厳しい目で俺をたしなめると、おばさんはビニール袋からぞうきんや劇落ちくんシートとかを取り出して、部屋を掃除し始めました。

俺も手伝いました。

窓と玄関を開け放って、しばらく黙って掃除してました。

何からどう聞いていいのか分からなかったんで、まずは綺麗にしようと思って。

モップで天井を拭いていたらおばさんが


「わたしにも分からないのよねぇ」


と、つぶやいたので、ここで何があったんすか?って聞いてみると


「分からないわ。最初のお客様は住み始めて1週間だったわね。すぐに退居されて。なんとなく気持ちが悪いというのが理由だったわね。その次の方はひどい寝汗をかいて起きることが増えた、体調も優れないからと言って引っ越された。その次の人は、このアパートを見ただけで断ったわ」


と、話してくれました。

そんなことがあったのか。

劇落ちくんシートを新しいのに変えて、天井と壁を拭きながら、おばさんの話を聞きました。


「それからは誰も寄り付かない晒しになっちゃったけど、このアパートではここだけなの、ヘンな事が起きるのは。だから、オーナーさんは家賃引き下げてでもやってくれって言ってくるの。私はホントは、紹介するのも嫌よ」


また、無言になり、黙々と掃除しました。

おばさんが塩の皿を片付けながら、水たまりを拭いてる時でした。

ふと、そういえばまだ質問に答えてもらってないな、と思ったんで改めて、それでここでは何があったんですか?って聞いてみたんです。


そしたら


「分からないのよ」って、返されたんです。


ん?と思ってたら、おばさんは




「だから、何にもないのよ。最初お店に来た時にも、事故物件はないって言われなかった?」って、言われて。




え、何もない?

これだけのことが起こってて?

混乱してる俺に、おばさんが説明してくれました。


「築3年よ。いきなり誰かが死んだりしないわよ。それにさっきも言ったように、来た人はすぐ引っ越しちゃうんだから。アパートが建ってからこの部屋にちゃんと住んだ人が、そもそもいないのよ」


壁を拭く手が止まりました。

じゃあ、これはいったい?

そんなことを思っているとおばさんが




「誰かの仕業でしょうね。言いたくないけど」




ふう、とため息をつきながら、おばさんは言い放ちました。




思わずモップを胸元に抱えながら俺は、呪いとかそういうのですか?と聞くと




「呪いとかそういうのね」




と言って、俺に続きを拭くよう促しました。

呪い?と思って。

平成が終わろうとしてた時ですよ?

この現代に呪いって、って思って。

でもそういうんだったらとっととお祓いとかなんかして、住めるようにしたらいいのにって思ってたら、パンっておばさんに肩叩かれて




「いままで何見てたのよっ?したじゃない、お祓い」




って、言われてほんとびっくりして。

ええっ!? これがっ!?って思わず声をあげました。

そんなんをおばさんができるとも思わなかったし、お祓いというよりかはなんか、神様をお迎えする儀式的なものに見えてたんで。

驚いているとおばさんが


「人の匂いをつけた人形にお米を入れるとね、本物の人の何かと勘違いされやすいの。そういうのを捧げるふりをして、寄って来た悪いものがお札にびっくりして逃げるっていう、罠みたいなものよ」と、説明してくれました。


おばさんは続けます。


「南西の方角、ここの場合は玄関がある方だけど、玄関側以外を盛り塩で塞いじゃって、そっちに逃げさせるってことなんだけど。これだけじゃだめね」


と、またため息をついて、ある程度片付いてきた部屋を眺めました。

南西…あれ、なんかそういうのって北東じゃなかったっけ?って思ってると


「それは表。南西は裏」と玄関を指差しながら答えてくれました。


それにね、と付け加えながらおばさんが


「洗面所を見てみて」


と促すので見てみると、洗面台の上で何かが燃やされた跡がありました。

これなんですか?って聞くと、おばさんが


「お札を燃やしたんでしょうね。ぬいぐるみの下に敷いておいたのよ」


と、答えてくれたんですけど、ちょっと変だなって思って。

何かを燃やす時に、ちゃんと火事を気にしてんの?ユーレイが?とか思っちゃって。

ちょっとにやけてたかもしれないですけど、そんなん考えてたら


「そんなわけないでしょ。それは誰かがやったのよ」とおばさんが言うので、また驚きました。




「誰かがここに来て、ご丁寧にお札を燃やしてから、悪さをした…というよりは、させたのね」




というおばさんの言葉に、すごい悪意を感じました。




人間の仕業、呪い、お札を燃やすという準備…

何か怖いものを、意図的に持ち込んでいるということが、にぶい俺にも伝わって来てゾワッてなりました。

でも、何のために?


おばさんが説明してくれました。


「事故物件って、賃貸経営を大きく傾かせかねないリスクなの。だってそうでしょう。気にする人がほとんどで、あなたみたいな人は珍しいほうよ。万が一、お部屋の中で亡くなられたらその後の修繕費は全部オーナー持ちになるし、告知義務が発生すれば広告に載せることも考えなくちゃならないし、それだけ人は集まりにくくなる。火のないところに立つ噂も出てくる。オーナーにとっては悩みのタネになるのが、事故物件なの」


でも、最近では事故物件を専門にあつかう業者もいるみたいで、そのおかげでフツーの事故物件なら、オーナーにとってあまり経営的なダメージにならないケースも出てきているそうです。

実際、何事もなく住めてしまう人たちも増えてきている。

俺みたいにこうして、何事もなく部屋を行き来できる人もいれば、アパートを見ただけで引き返す人もいるわけで、事故物件があって、その影響があるとしても、その影響の受け方は個人差があるらしいんです。

だから、俺みたいなヤツが安い家賃で良い部屋に住んでいるなんてことも、あるにはある。


でも、ここは違う。

住めば確実に、何かが起こる。


「人が亡くなったり恨みを抱えて自殺されたりして、穢れが残ったとしたら、本来その影響は他の住人にも影響が出るはずなの、少なからずね。もちろんその影響のされ方も個人差があるけど、ここみたいに部屋に住む人だけに影響がとどまるなんてことは普通ありえないわよ。土地にまつわるものなら尚更ね」


怖い話で良くあるじゃないですか。

隣がうるさいってクレームいれたら、誰も住んでなかったみたいな。

ああゆう感じで、隣接する部屋にその影響が出ることがほとんどなんだそうです。

でも、このアパートではそういったことはなかったと聞いています。

実際、この部屋以外は全て埋まっていて、クレームとかもなくて、特に問題はなかったそうなんです。



「穢れがコントロールされているの。建物の一部にだけ穢れを残すなんてことは、自然発生的な事故物件では、まず起こらないことよ」



それに、掃除の時おばさんが説明してくれたように、この部屋で「事故」は起こっていないんです。

でも、事故物件のように、何かが起こるという矛盾。

まさか、とは思ったんですけど、そのまさかでした。




「そう。だから、オーナーさんへの嫌がらせなんじゃないかなって、お姉さんは、思ってるの」




ここのオーナーさんは他にも賃貸物件を持っているらしいのですが、こうした”ヘンな事”は、そのオーナーさんの所有する物件でだけ頻発しているそうで、実際、経営的に追い詰めることに成功しているそうなんです。

事故物件じゃないんで、専門の業者にも頼れないから、余計に傷口が広がっているみたいなんですね。




「呪い屋、みたいなものかしらね。そういうのは昔からいたらしいけど、呪い屋さんも時代のニーズに合わせているのね」




お姉さんはそう言うとため息をついて部屋の鍵を閉め、お店に報告を入れました。

俺がもしそういう物件に住んだら、体調を崩したりして人生を踏み外してしまうかもしれない。

そういうことが現実に起こり得ることを知っているお姉さん達は、必死に止めてくれたんだなと、ありがたい気持ちになりました。

報告を終えたお姉さんは、俺を不動産屋まで送りながら、また話をしてくれました。


「そういうわけだから、そんな物件に住むなんてことを、軽々しくやってほしくないの。あなたは相当にぶいか……もしかしたら立派なお守り様がついてくださっているのかもしれないけど、住まないに越したことはないから。他にも色々な物件があるし、ちゃんとイチから考えましょう。それでいい?」


俺は、分かりました、よろしくお願いしますと言って、また明日来ることを約束しました。


翌日、その不動産屋さんでいろいろ物件を探してもらって、たまたま近いうちに空く物件があるという情報が入り、そこを紹介してもらって決めました。

まあまあ大学近いんですけど盛り場も近くて、しかも信号機の明かりががっちり入っちゃうということで人気がない物件らしいんですが、家賃4万8000円(不動産屋の顔割引)、敷金礼金なしというありがたい条件でアパートに住むことができました。

先輩から割りの良いバイトも紹介してもらって、なんとか卒業できました。


今、仕事している所は不動産にも明るい所で、そういう”ヘンな事”が起こる物件に関する情報を耳にすることが、たまにですがあります。


築年数に関係なく、場所柄や住人に関係なく、「事故」が起きたわけでもないのに、人が寄り付かない




何かが起こる物件。




そんな格安の物件っていうのが、世の中にはまだあるみたいなんで、紹介するときは気をつけるようにしています。







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