気付かれなかったチョコレート

南雲 皋

 バレンタイン前日、昼休みに自動販売機でコーラを買ったカナメは、クラスメイトのマリに声をかけられた。



「あー、カナメ、ちょっといい?」


「ん?」


「明日さ、放課後、教室に残っててくれないかな……」



 それは、そういうことだろうか。

 カナメは精一杯冷静さを保ちながら、いいけど、とそっけなく返事をした。



「じゃあ、明日、約束ね」


「お、おう」



 ぱたぱたと走り去るマリの後ろ姿を見送りながら、カナメは声を上げて喜びそうになるのを必死にこらえた。

 マリは、カナメの学年で一、二を争う美少女だ。

 そのマリが。

 バレンタインに。



「なーにニヤついてんの!」


「うわっ!」



 自販機の前で棒立ちになっていたカナメに、隣のクラスのエリが体当たりをした。

 エリの顔はマリに瓜二つだ。

 学年で一、二を争うのは他でもない、この双子の姉妹なのである。


 ただ、校則の範囲を超えたオシャレをしないマリに対して、エリは堂々と校則違反をする。

 スカートは短いし、化粧もバッチリ。

 度々教師に指導されるが、エリは断固として譲らなかった。

 自分が一番可愛く見えるのはこうだから、と。


 一年の時に同じクラスだったこともあり、たまにこうやって絡んでくる。

 嬉しくないといえば嘘になるが、カナメはエリよりも、マリの方が好きだった。



「なんでもねーよ!」


「はっはーん、明日を期待してんだな?」


「う、うるせー」


「誰にも貰えそうになかったら、私があげよっか」



 そんなことを言うエリの顔は、暗がりに隠れてカナメからは良く見えなかった。

 そういえば、とカナメは去年、エリがクラス全員にチョコを配っていたことを思い出す。


 残り物には福がありまーすなどと言いながらエリが渡してきたチョコは確かに美味しかった。

 だが、明らかに義理だと分かるチョコよりも魅力的な、恐らく本命のチョコが待っているカナメは今、最強だった。

 


「間に合ってます」


「はーーー!? 失礼なっ! カナメなんかチョコ食べ過ぎて鼻血出して出血多量で死んじゃえー!」


「小学生かよ!」



 大きな足音を立てて走り去るエリを見送り、カナメは教室に戻った。

 既に教室で友達とお弁当を食べていたマリと目が合い、パッと顔を逸らされる。


 些細なことだけでニヤけそうになる顔を抑えながら、カナメは午後の授業をこなすのだった。






放課後、帰宅したエリは台所から甘い匂いがすることに気付いた。

 色々なものの散乱した台所の中央で、マリが必死に銀のハート型を取り外している。



「マリ、それカナメにあげるやつ?」


「えっ!? あ、えーと……そう」



 双子であるエリに隠し事などできないと思ったのだろう。

 マリは顔を赤らめながら頷いた。

 キッチンペーパーの上で固まるハート型のチョコは、とても綺麗だった。



「私もパパに作ろっかな〜」


「それがいいよ、材料余ってるから使って?」


「ありがと。着替えて手洗ってくる〜」


「はーい」



 エリは制服から上下揃いのジャージに着替えるとエプロンを付けて洗面所に向かった。

 手を洗って、台所へ。


 失敗した時のために多めに買い込んでいたらしい余りのチョコレートを湯せんで溶かし、借りたハートの型にゆっくりと流し込む。


 マリが右手にピンクのチョコペンを握りしめ、一生懸命文字を書く中、エリはチョコに隠し味と言いながらブランデーなどを仕込んでいた。

 


「上手くいくといいね」


「うん……今日ね、約束したんだ」


「約束?」


「そう。明日の放課後、教室に一人で残っててくれるって」


「へぇ、じゃあもう成功してるようなもんじゃん」


「そう、なのかな」


「そうだよ、自信持ちなって〜」


「ありがと、エリ」



 いそいそとラッピングの準備をするマリは、エリの瞳が笑っていないことに、気付かなかった。





 バレンタイン当日の朝早く、エリはシャワーを浴びて汗を流し、台所でチョコにペンでメッセージを書いていた。

 普段はあまり気にしない左利きも、乾ききらないチョコを擦るかもしれないとなると死活問題だ。

 失敗しないように慎重に書き上げ、乾くのを待って丁寧にラッピングを施した。

 出来上がりに満足して冷たい牛乳を飲んでいると、母親がリビングへとやってきた。



「もう起きてたの、早いわね」


「うん、お父さんにあげるチョコ、できたよ」


「あら、それ母さんも連名にしてくれる?」



 エリはけらけらと笑い、それを承諾した。



「そういえば、マリは先に学校行ったよ」


「あら、それはそれは」



 母親はにこにこしながら朝食の支度を始めた。

 ウインナーやトーストの焼ける匂い、コーヒーの匂い。

 朝食の匂いがリビングを埋め尽くす頃、父親が部屋から出てきた。



「ハッピーバレンタイン、パパ」


「おっ、嬉しいな〜」


「うちの女性陣全員の連名ですので、あしからず」


「はいはい」



 エリは父親にチョコを渡した。

 ラッピングを解けば、綺麗なハート型のチョコレート。

 全体に白くチョコレートが塗布され、その上に茶色い“パパ大好き” の文字がある。

 それを見て、父親は端から見てもわかるほどに破顔した。


 嬉しそうにチョコを眺める父親を置いて、朝食を食べ終わったエリはカバンを持ち、学校へと向かうのだった。





 バレンタインデー当日。

 カナメは放課後を想像してはニヤけそうになる顔を整えることに注力した。

 まだ告白されると決まったわけではない。

 ない、のだが。

 どうしたって期待してしまうのが年頃の男子というものである。


 カナメは前方にマリの姿を見つけた。

 いつもは二人で登校しているのに、今日はエリの姿がない。

 告白されるかもしれないと思っているマリに対して、いつも通りでいられるか不安だったカナメとしては、エリがいないのは好都合でもあったのだが。


「マリ、おはよ」


「あっ、カナメ、おはよう」


「今日はエリと一緒じゃないんだな」


「絶対からかわれるから、今日は先に出てきたの」


「そっか」



 普段なら弾む会話も、今はどうにも続かなかった。

 けれど、沈黙も嫌ではない。

 カナメはマリと並んで、学校へと向かった。





 昼休み、エリのクラスメイトがマリを訪ねて教室に来た。

 どうやらこの時間になってもエリが登校してこないらしい。

 マリは自分のスマホを確認していたが、特に連絡は入っていないようだ。

 エリは時々サボることがあったので、今日もそうなのではないかと答えていた。


 何もこんな日にサボらなくても〜とエリのクラスメイトは嘆いていたが、カナメは、こんな日だからこそサボったのではないかと思った。

 マリがカナメに告白することを知っていたからこそ、サボったのではないかと。


 自意識過剰だとカナメは首を振り、食後のデザートに召し上がれとクラスの女子全員の連名でもらったチロルチョコを口に放り込んだ。





 放課後、カナメは高鳴る心臓を必死に落ち着かせながら教室に残っていた。

 日直だったマリは、黒板の左上の角を綺麗にしようと必死に左手を伸ばしている。

 俺は黒板消しを奪い取り、残っていたチョークの跡を綺麗にした。



「ありがと」


「おう」



 また、沈黙が二人の間に流れた。

 マリは意を決したように自分の席に向かうと、カバンの中から可愛らしくラッピングされたものをカナメに向かって差し出した。

 そして、真っ赤な顔をして。



「カナメ、受け取ってくれる?」



 そう、言った。



「も、もちろん!」



 カナメはそれを受け取り、開けてもいいかと目で尋ねた。

 マリが頷いたので、ラッピングを解き、箱を開ける。

 中にはハート型のチョコレートが入っていて、そこには白いチョコで”I Love You”と書かれていた。



「お、俺、マリのこと、好きだよ」


「私も、好きだよ、カナメ」


「付き合ってください」


「うん、よろこんで」


「よっしゃあぁ!」


「ふふふ、喜びすぎ」


「食べてもいい?」


「どうぞどうぞ」



 カナメはチョコを齧り、香るブランデーの風味に酔いしれた。

 ふわふわと意識が浮かび上がるような心地がして、にこにこと自分を見つめるマリに手を伸ばす。

 呼ばれるがままに近付いてきたマリは、まだカナメの手に握られている食べかけのチョコレートをさらに口へと運んだ。

 チョコレートを食べ終わると、カナメは一気に気分が悪くなるのを感じていた。

 先ほどまでの心地よい酩酊感は吹き飛び、込み上げる吐き気と頭痛がカナメの目から涙を零させた。



「う、おぇ……っ、マ、リ……?」


「許してもらえるなら、天国で、お幸せにね」



 カナメが最期に見たのは、心からの笑顔だった。


 マリはカナメが事切れたのを確認すると、スカートをいつもの長さに戻した。

 そしてトイレに行って化粧を直し、スマホで友人に電話をかける。



「もしもしー、今どこー? カラオケ? いくいく! え? いいじゃんサボったって。バレンタインとかめんどいし。はいはーい、じゃあ向かいまーす」



 は電話を切ると、軽い足取りで校舎を後にした。

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