太陽が旅立つ日

小泉毬藻

西日、机上へ滴っている

いつから彼がうちにいるのか誰も知らない。少なくとも、おととし死んだ曾祖母が、お嫁に来た時には今と変わらない姿で居たそうだ。 

 学校の課題を解いている私の傍らで、切り紙遊びで暇をつぶしている彼がそんな年だと聞いたら、大方の人は冗談だと思うだろう。どうみてもせいぜい12、3歳といったところだ。退屈そうに頬杖をついている所は、ラファエロの描いた目つきの悪い天使にちょっと似ている。


時々、古い家には座敷童なんてものが居ると聞く。彼はそういう存在だった。彼が機嫌良く毎日過ごしていると、家は安泰で戦乱だろうが疫病だろうが避けて通るらしい。

 座敷童と違う所もある。彼は私達一族の血を吸って生き永らえている所と、お日様を嫌う所だ。

 

「ねえ、あとどのくらい?」

 赤い折り紙に細かく切り込みを入れながら彼が言った。少しの濁りもない高い声が何となく苛立っている感じがする。

「うん、ごめん、もうちょっとかかる」

「ええー。もう日が暮れるじゃないか」

「わかったわかった。じゃあ先にしようね」

 弟をなだめるような調子で言って、私は机を片付け始めた。彼は切りくずを屑籠に叩き落とし、ハサミを丁寧にケースへ収めると、机の真ん中に大事そうに置いていたトネリコの箱からホーローのマグカップを取り出した。

 なんでもないフリをしているが、その実かなりそわそわしているのが、綻びそうな唇の端から駄々洩れている。

 

 私は彼と向い合せに座って、左腕を捲り上げて手首を消毒液で拭いた。相変わらず「なんでもないフリ」をしながら彼はそれを食い入るように見ている。

 はい、どうぞ、と目の前に差し出すと、彼はいそいそと私の手首を取った。幼い容貌と不釣り合いな、細く長い指が脈打つ所を探りあて、かぎ状に尖った爪を突き立てる。

 

 今度は私が「なんでもないフリ」をする番だ。

 内心、この瞬間いつもかなり緊張している。時折、妙にぎらついた目でじっと見られると、背中を指でなぞられた時のような変な気持ちになる。でも悔しいからなんでもないフリをする。

 

 鉤爪が薄い皮膚に喰いこみ、ぷつり、と切った。

 はたはた、と、柔らかい音を立て、カップの艶やかな白い底に血が滴っていく。

 

「……今日は何の勉強してたの?」

「理科だよ。太陽とか月とかについての事」

「ふーん。ヒトはそんなことまで学ぶんだねぇ。眺める事しかできないのに」

 血がカップに溜まるまでの待ち時間、たわいない話をするのが私達のルールである。彼曰く、血を黙って見ていると気がたかぶって直接貪りたくなるそうだ。

「太陽は寿命が来ると、地球を呑み込みながら爆発するんだって」

 そうなんだ。と、彼は不意に低い声で言った。日光を避けて座っている、陰になった顔が急にひどく老け込んで見えた。

 

「太陽が死ぬ時は、流石に僕も死ぬかな」

 カップへ差し込む西日を見つめて彼が呟く。

「うん、みんな一緒だよ」


今日はそんな話をした。

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太陽が旅立つ日 小泉毬藻 @nunu_k

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