第19話


「ともこちゃん、あれ?ともこちゃん、こっちにいるのー?」

 コンコンと洋間のドアがノックされ、答えを聞く前にドアがぱかりと開いた。

「え?」

 入ってきた保育園児と高杉が対峙して、二人の動きが止まった。

「お帰り、春人。今着替えているから」

「はい」

「高杉さんは、東京の会社で一緒に働いている人なの。春人、ご挨拶できるよね?」

 障子の向こうからの声に、しかし春人は素直に従う。

「梅沢春人です」

「高杉です。お邪魔しています」

「ともこ?お客様なの?春人、こっちにいらっしゃい」

「真美、ちょうど良いところへ」

 部屋に来たのは、まさに作業着と言えるほど作務衣の上下を着こなした女性が入ってきた。

「高杉さんだって。ともこちゃんの会社の人」

「息子が失礼しました、梅沢真美です」

「高杉健介です」

 二人が頭を下げあっているところに、障子が少し開いて智子が姿を現した。

「出かけるの?」

「ごめん、加賀美の兄さんのホテルまで。ねぇ、青と赤とどっちが良いかな」

 高杉は息をのんだ。

「赤の方が映えるわよ。青は沈んじゃうわね。まぁた、利休鼠を着るのね」

「縮緬の方が良かった?」

「絽の方が良いと思う」

「透けるのは嫌よ」

「そういうところ、綾子さんとそっくり」

「私の着物の先生はおばぁちゃんですからね」

 智子は青みがかった瑪瑙から、鮮やかな赤のガラス玉に替えて帯留めを締めると、奥の鏡台でもう一度姿を見てから出てきた。

「智子ちゃんきれい」

「ありがとう、春人」

「びっくりしたな」

「真美が時々着物に風を通してくれるからですよ。そうじゃなかったら急には着られません」

 見た目がきれいに変わっているし、化粧も違っているような気がするが、高杉にはその違いが判らない。

「頼まれていた買い物の分は冷蔵庫に入っているからね。それから常備菜もいくつか作っておいたから」

「うわぁ、助かる」

「帰りは早めに帰るから。鍵は持って出るから心配しないでね」

「了解」

 智子は支度をすると、真美と春人に見送られて外に出た。

「綺麗だからびっくりした」

「ありがとう」

 二人並んでまずは表通りに出ることにする。バスを乗り継げば40分くらいでホテルにつけるだろうが、それほど時間の余裕はないのでタクシーを捕まえるためだ。

 表通りに出ると、難なくタクシーが捕まって行き先を告げると車は走り出した。


 途中、混雑した道路もあったが時間前にはホテルに到着した。

「ビジネスホテルで良かったのにな」

「系列のビジネスホテルに空きがなかったんでしょうね。いつもなら、香川さんはここには泊まらないから」

「そうなのか?」

「いつもは旅館の方だし」

 和モダンで彩られたホテルは、落ち着いたシックなロビーで、観光客や会合にやってきた人で込み合っていた。

 智子がフロントで問い合わせると、三階にある料亭の名前を告げられた。二人はそこへ足を向ける。

 きりりとした智子の姿を見て、高杉は改めて自覚する。

「やはり、いつもの姿に戻ったな」

「え?」

「ちゃんとリセットできたみたいで安心した。まだふにゃふにゃしていたら強引にでも口説き倒して結婚に持ち込もう、って思っていた。でも、ちゃんとリセットできているなら、口説けるから。今は、知っておいてほしい。好きだ、愛している」

 ホテルのエスカレーターで、先に立つ智子を目の前にしての告白だった。

「はい?唐突でしょ」

「共有が必要かと思って」

 その言葉に智子が笑う。

「今すぐ抱きしめたいんだが。それから、今週末、時間くれないか?」

「え?」

「海までドライブ。京都では、ちょっと俺には分が悪いな」

 くすくす笑う智子とエスカレーターを降りる。

「驚かされてばかりだ」

「私の方こそ」

 エスカレーターを降りるとすぐ目の前は店で、高杉が香川の名前を告げると、そのまま横のドアから中庭に通された。中を通るよりも、一度中庭から行った方が早いと説明してくれたが、他の客と顔を合わせないための配慮であることは言うまでもない。

「YK商事の鈴木常務は、きちんと話せば、分かってくれる人だよ」

「え?」

「京都は、ホームグラウンドなんだろう?しかも、自分に恥じることがないなら、まっすぐ前を向いていた方が良い」

「ありがとうございます」

「これで彼とのことは忘れてしまえよ」

「そうですね。終わりにします。そのための、一歩にしたいです。チーフ、ありがとうございます」

「チーフ、か。まぁ、そこからだな」

 高杉は苦笑した。

 空から、ぽつりと雨が落ちてきた。

                       了

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もう一つの土曜日 藤原 忍 @umimado1

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