第6話 ダブルタイム、魔王城へ



   §



 一夜が明け、もう一夜が明け。黒須はなんだかんだ、もうたっぷり5日はヒネキアにとどまっていた。


「『驚くべきことに、岩肌の見え隠れする高山地帯にも関わらず、この地では農業が盛んである。輪作に次ぐ輪作を繰り返して尚あまりある滋養は、現地人をして”仙丹せんたん土壌”と呼びならわされており、その源泉は秘境として、固く立ち入りが禁止されている』……と。こんなところか」


 ここヒネキアの村落では、黒須は『やたらと農業に興味を示す旅人』として、瞬く間に噂のタネとなっていた。


「私は、各地に伝わる民間伝承を蒐集しゅうしゅうしていまして。それらの中にこそ、社会の大勢と、それぞれの地の人々が紡いできた歴史とを結びつける、鍵があるのではないかと」


 咄嗟に出た言い訳は完全無欠にかの民俗学者・柳田国男のパクリであったが、ヒネキアの人々はこのでまかせに大層関心を示していた。


 一般的に、土地柄というのはその地の人々の人柄に大きく影響を与えていると言われている。肥沃な亜熱帯の地であれば、人々はおおらかに、極寒や猛暑の厳しい大地であれば、人々はその身を守るべくして厳格さを身に着ける。


 峻厳しゅんげんたる谷間に肩を寄せ合って住まいながらも、明日の糧を心配することもない暮らしを営んでいるヒネキアの人々はといえば、それはもうおおらかだった。


 そして、彼らは揃いも揃って大変なおしゃべり好きであった。魔王領でも辺境に位置するヒネキアは、わざわざ有料道路の中腹で降りなければ辿り着けないという事情もあってなのか、外部の人間の出入りに乏しい。一見すれば閉鎖的なように見えてその実、彼らは常に新鮮な話し相手に飢えているようだった。


「ウチも、ちょうど去年だよ。孫が、魔王城下の学校に進学してねえ……おかげでどたばた騒がしいのはなくなったけど、静かったらありゃしない」


 黒須が果樹園を見せてもらった老婆は、そんなことをボヤいていた。お手本のような三ちゃん農業であった。


「しかし、人間のお客さんなんて、いつぶりだろう。あの頃はアタシも、『ヒネキアの三日月』なんて言われてちやほやされてたんだけどねえ」


 老婆は、シワだらけのをさすりながら、過日に思いを馳せるように言った。


 ……今更になるが、ヒネキアの人々は、人間ではなかった。その頭には、二本の立派な角──形状としては、ヒツジのものに近い──を拵え、足先には、一様に蹄を履いていた。


 ナルニア国物語かなんかでいたよな、こんなの。


 ともあれ、この程度は黒須も覚悟はしていた。エルフがいるんだったら、洞窟の小人ドワーフだっているかもしれないし、人狼だっているだろう。そしたら、ヒツジ人間だって、きっといるのだ。なんなら、黒須の目の前にいる。


 結局その日は午前中まるまる老婆の農作業を手伝って、桃を一抱えお裾分けしてもらった。


 なんか、別にこれだけで生きてけるかもな、なんて思ったのは秘密だ。



   §



 事態が急変したのは、その日の午後であった。


『魔渓谷スカイライン』へと続く道路の向こうから、なにやら轟轟ごうごうと、大きな物音が近づいてくる。


 偶然黒須は村落の入口の広場に居て、間に遮蔽も何もないものだから、その様子がよく見えた。


 トラックだった。水上バスのように平たいフォルムは、その素性が第五世界由来のものであることを物語っている。しかし、黒須が今まで目にしてきたトラックとは、明確な違いがあった。


 モノトーンを基調にところどころ差し色めいたクロームメッキ塗装(本当にクロームメッキかはわからないが)が施され、車体には所狭しとランタンがぶら下がっている。さらに距離が縮まれば、モノトーンがどうやらしつこいくらいに並ばった髑髏の意匠であることも確認できた。間違いない。アントニオ猪木の顎より鋭いバンパーはついてないし、鯉は登らないし風神雷神もいないし、なんならピックアップだが、あれは──


 デコトラだぁ……。


 村民たちと共に、その行く末を固唾をのんで見守る。果たしてデコトラは、広場の横の駐車場に乱雑に停まり、運転席から、人が転がるように飛び出してきた。


 否。人ではない。……あれは、骸骨スケルトンだ。衣服を身に着けてはいるものの、頭蓋と手足は見事なまでに骨剥き出しだった。


 やおら、骸骨スケルトンが叫ぶ。


「トイレ! トイレ、どこ!?」



   §



「いやあ、助かった。危うく死ぬところだったぜ」


「そ、そうですか……」


 晴れやかに笑う骸骨を相手取っているのは、なぜか黒須だった。黒須はさっきから突っ込みたい衝動を押さえつけるのに必死であった。


 一つ、骸骨は排泄するのか。


 一つ、骸骨は死ぬのか。


 一つ、骸骨はどうやって笑っているのか。


「……ん? お前、もしかして人間か? 珍しいな、なんでこんなところに……いや。そうか」


 骸骨は一人でぶつぶつ呟くと、何か納得したように頷いた。


「その、自然体でいて隙のない構え……ただもんじゃねえ。さてはお前、"試験組"だな」


 あらぬ方向へ勝手に進んでいく話に黒須がただただ戸惑っていると、骸骨は、にやりと口角をあげて(だからどうやってんだよそれ!)続ける。


「すっとぼけんなって。"魔王城幹部候補採用試験"、後期日程の開始はもうすぐだ。しかし、この時期魔王城下じゃ、"試験組"同士のつぶしあいなんざしてると来たもんだ。大方、高見の見物を決め込んで、同士討ちが終わった頃合いを見計らって入城しようって魂胆だろ」


 おそらく、これは岐路だ。今この空中戦において、穂波の指示を仰いでいる時間などない。


 だからこそ、黒須は。飛び込んでみることにした。穂波だって、奴隷購入を事後報告したのだ。黒須の独断専行も、この際事後報告だ。


「確かにそうだ。……まあ、君には、全てお見通しだったようだけど。敵わないな」


 ことここに及んで、黒須は役者だった。両手を軽く挙げて降参の姿勢を取りながらも、あくまで相手を見定めるように。


 そうして、両者の間に沈黙が流れる。


 永遠とも思える一瞬を破ったのは、骸骨スケルトンのほうからだった。


 彼の骨ばった……というか、骨そのものの右手が、黒須の前へと差し出される。黒須はほぼ反射的に、これを握り返した。


「ファリオ。ファリオ・ルーディアリだ」


「黒須樂」


「クロス・ガーク……覚えたぜ」


 ……なんかちょっと違くないか。



   §



「おいおい、クロス。こんな装備で魔王城に行こうとしてたってか!」


 黒須のバイクを見て、ファリオは呆れたように言った。


「いや、これでも結構走るんだが」


「かーっ、そういう問題じゃねぇって! 狙撃とかされたらどーすんだよ、狙撃とか!」


「……そういうのもあるのか」


「 まったく、胆力があるのか、それとも単なるバカなのか……」


 平然と答えながらも、内心で黒須はビビり散らしていた。


 狙撃。狙撃っつったかこいつ。魔王城幹部ってのはつまり……四天王的な何かなのか?


「まあ、僕は文官志望だからな……」


「それも関係ねえよ!」


 関係ないのか……。


「わかったわかった、お前はたぶん、いや絶対に大物だ。これもなんかの縁だし、載せてっちゃるよ、そのちっこいバイクごと!」


「……いいのか?」


「おうよ! そうと決まったら早速、荷台に──」


「ちょっと待ってくれ」


 なにかと急かすファリオを片手で制して、黒須は落ち着いた調子で言った。


「ホテルのチェックアウトをしてくる」



   §



 その外見からは想像できないほどに、ファリオの操るデコトラの車内はすこぶる快適であった。滑るように、という形容がしっくりくるような挙動で、高架の上をすいすいと進んでいく。


「するとクロスは、東の果ての島国からはるばるやってきたってのか」


「やってきたというか、いつの間にかここにいたというか……」


 煮え切らない返答に、しかしファリオは快活に歯を見せて笑いながら応える。もとより歯は丸見えだったが、もう黒須はそんな些事を気にしている場合ではなかった。


「わかるぜ。幹部の素質がある者は、決まって魔王領ここに惹かれてくるんだ」


 黒須には、血で血を洗うバトルロワイアルが開催される未来しか想像できていなかったのである。


 ──これは、なにかと理由をつけて途中で抜け出すべきかもしれない。


「でも、そういう事情ならその珍妙なバイクも納得がいく。極東には、腕っこきの集まる機甲師クランがあるって噂はマジだったんだな」


 果たして川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニーの従業員たちを指して『機甲師』と呼んでいいかは甚だ疑問であったが、黒須は大仰に頷いてみせた。


「しかし、流石の俺も、履歴書を書く時は手が震えたぜ。いや……これはきっと武者震い、なんて自分になんべんも言い聞かしてさ……結局しまいにゃ左手で──」


「ファリオ。ちょっと待ってくれ。君は今、なんて言った?」


「あん? いや、左手でこう、右手を押さえつけながらな……」


「もしかして、履歴書が必要なのか」


 ファリオは存在しないはずの目を剥いて叫んだ。


「お前まさか、マジモンのバカのほうだったのか!!」


 唖然とするファリオの手前、黒須は静かに拳を握っていた。


 ──ずらかるなら、ここしかないぞ。

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エージェント・クロス ~外務省直轄第五世界特別捜査官~ 手島トシハル @tejitoshi

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