第5話 ベルフレ、不本意ながら
§
「……これは、
しとしとと雨が降り続くなか、小さなオフローダーを北へ北へと走らせる黒須は、ひとり呟いた。都市国家メザーラスを出立してこの方、幾筋かの
言いながらも、黒須にはそれが無いものねだりだということはわかっていた。だいいち、地球の車は、やたらと平板な形状の
イマイチと信用しきれないが、メザーラスから魔王領までの距離は、概算で300km程度らしい。東京─名古屋間よりはやや短い程度だ。魔王領、存外に近い。
ただ、300kmと言っても、まさか東名高速が走っているわけでもない。というか、今のところ道らしき道自体が無かった。当然、村落はおろか建物すらも見当たらない。見渡す限りの平原と、その向こうには峻厳たる山脈。それが今、黒須の視界に映る全てだった。
「まだ二時間も走っていないけど……。魔王領は山向こうってことか……」
物資のみならず、
何の覚悟も無かったわけじゃないが、しかし。想定よりも、骨の折れる旅になりそうだ。黒須は嘆息した。
§
『魔王領
↑
40km 』
山の麓に、標識が立っていた。
「えぇ……」
矢印の先には、巨大なトンネル。呆然と立ち尽くす黒須のすぐ横を、トンネルから姿を現したトラックが走り去っていった。
§
『魔渓谷スカイライン 入口』
料金所があった。
トンネルを抜けてしばらくのところだった。
「……すみません、これ
「ああ、ウチはそういう制限はないよ! で、兄さん、どちらまで?」
「……いちばん近い宿場町は、どこで降りればいいんですか?」
「ほいだら、『ヒネキア』までだな! バイクは490円ね」
あっこはそろそろ桃の収穫時期だ、ちょっくら食べてくといいよ! なんて陽気に笑う料金所のおじさんに、黒須は曖昧に笑いながら銀貨を数枚手渡した。
§
『千尋橋SA』
サービスエリアがあった。
「……………………」
黒須は水洗トイレで用を足し、ホットドッグを一本買った。
バンズがやたらと甘かった。
§
『ヒネキア 出口
← 500m 』
そうして黒須は、何の感慨もなく魔王領へと突入した。所要時間は休憩込みで6時間程度。
彼の心はすっかりしらけきっていた。なんだ。なんなのだこれは。小旅行か。はたまた絶景ツーリングか。
もちろん、任務は楽であるに越したことはない。それは黒須とて、重々理解している。
しかし、こちとら野営の準備までして、予備のガソリンもぶらさげて、過積載一歩手前の状態でトコトコ走ってきたわけで。自分で言っといてなんだが、なにが宿場町だよ。困難はなくとも、もうちょっと緊張感というか、大任を仰せつかった空気感というか……。
黒須は心中穏やかでないままに、喫茶店で桃のタルトをぱくついていた。この男、なんだかんだで第五世界局メンバーに選出される程度の適応力は備えている。
「さて、普通に地図が売ってたわけだが……」
それどころか、ガイドブックまであった。魔王領、観光産業が盛んなのだろうか……。確かに、巨大な渓谷の間を縫うように這い回る高架道路からの眺めは、もうそれだけで名所と言っていいくらいの絶景ではあるが。
もしかして、この地図とガイド買って帰ったら任務達成なんじゃないかな……、なんて頭の片隅に浮かんだ雑念を、えいやと振り払う。ちなみにどちらも買った。
「ひとまずは、人々の暮らしぶり、か……」
魔王領が少なからず観光客を見込んでいる、というのは黒須にとって都合がいい。通行証の提示でも求められない限り、観光客ということで大概のことは説明できるだろう。
……と、その前にだ。
黒須は、出発の間際、穂波から授けられた七つ道具のうちの一つを、ぱんぱんのバックパックから取り出した。
~~~~~~~~~~
『これは、『逢瀬鏡』と言うらしくてね。貴族の魔法によりつくられた、
『……名前からして、我々が持つべきものではないと思うのですが』
『まー早い話、ポケベルだよ。黒須くん、ポケベルわかる?』
『……一応、どういうものかは。使ったことはありませんが』
『僕がドンピシャで世代だからね、そんなもんだよね……』
『ああ、要は通信機を持とうって話でしょう? ……つながるんですか、魔王領でも?』
『売り子さんの言うことがホントならね。しかも、この二機だけの
『なるほど。…………まさかとは思いますが、語呂合わせなんかするんじゃないでしょうね』
『……え? しないの?』
『後で五十音の対応表をつくります』
~~~~~~~~~~
ともかく、そんな代物であった。
送信可能なのは数字のみで、上限は30文字。二桁の数字に仮名をそれぞれ当て嵌めたために、実質は15文字だ。
しかし実際のところ、この手の短作文は下っ端外交官であれば、公電打ちで散々と経験している。それでも15文字なんて、俳句も詠めないほどの短さは類を見ないわけだが……淡々と数字を入力する黒須の手つきは淀みなかった。
『つきました(魔王領に到着しました。経過は良好です)』
『はやいね(え、300km先って言ってなかったっけ)』
『こうそくどうろがありました(まあ、最初からそんなあやふやな情報を完全に信用していたわけでもありませんし。この程度は誤差の範囲内では?)』
『がそりんののこりは(そんなこと言っちゃって、ぶっ飛ばしたんじゃないの? 黒須くん、ハンドル握ったら人格変わるタイプっぽいしさあ)』
『たんくないににりっとる(んなわけないでしょう)』
『よびはてつかずです(人を何だと思ってるんですか 。そもそもKLX125じゃ100km/hもでません)』
『ひきつづきほうこくよろしく(ま、それもそうか)』
『ももがおいしいです(……多少周囲を見回りましたが、報告はこの場で必要ですか)』
『そういういみではないよ(あーいいよ、後でまとめてで)』
『こんごゆうじのさいに(わざわざポケベルで起こすのも面倒でしょ。なんかホントに平和っぽそうだし、本チャンの報告書の構成でも考えといたら?)』
『すみませんりょうかいです(了解しました。ではまた)』
『ていじほうこくはしてね(ないとは思うけど)』
『せいぞんかくにんかねてるから(なんかあったらすぐ言ってね)』
黒須が無事上司との高度に政治的なやり取りを終えた頃には、辺りも暮れなずみ、俄かに夜の寒気が押し寄せていた。
黒須は、先ほど取った宿の露天浴場へと、足早に駆けていった。
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