第4話 アンダーカバー、始動
§
「いや、いろいろ訊きたいことはあるんですけども……まずひとつ」
黒須は困惑を隠そうともしないまま、穂波の隣へと視線を移した。
「誰ですか、その子」
穂波の隣で縮こまるように立っているのは、なんというか、少女だった。メザーラスの人々が着ているものとはまた違った意匠の、ゆったりとした
「パミアちゃん。……はい、挨拶して」
「……パミア、です…………」
少女は、何かに怯えるように、今にも消え入りそうな震え声で言う。
「……いや、名前を聞いたわけではなくてですね」
「うぅぅ……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい……」
「だいじょぶだいじょぶ、悪いのはこのお兄ちゃんだから」
うわごとのように謝罪を繰り返すパミアをなだめながら、穂波は黒須にこう言った。
「黒須くんが魔王領行くとなると、補充要員が必要だろ? 現地雇用さ」
だからその、魔王領というのは何なのだ。
「まあ、ざっくり言えば外国だね。もちろん、このオルゼトス神聖王国にとっての」
それにしても魔王という響きは不穏ではないか。だいたい、潜入というのはどういう……?
「魔王領なんだし、魔王が治めてるんじゃないの? そんで、
「んな無茶な……だいたい、お上がそんなこと許すとも」
「そりゃ、僕の独断だからね」
穂波は一切悪びれる風もなく言った。
「ああいや、一応、他4名にも了解はとってるよ。名目上は、第五世界実地調査ってことになってる。僕らはオルゼトス大使じゃなくて、第五世界局だからね。言ってみれば、この世界すべてが僕らの業務領域だ」
拡大解釈もいいところだった。どうやらこの上司は霞が関の文法作法に頭をやられているらしい。
「そんで、魔王領についてなんだけど……これがもう、ひどくてね」
「ひどい、とは……?」
「悪鬼羅刹の住まう場所、
「いやいやいやいや、なんてとこに部下飛ばそうとしてるんですか」
「面白いのはここからだぜ? なんと、ここメザーラスの商人たちは……魔王領とも取引してるらしい。密輸だよ、密輸」
「えぇ……」
「まあ、公然の秘密ってやつだよね。こうなると、コトは一気にきな臭くなってくる」
ここにきて黒須は、穂波の言わんとしていることをなんとなく掴みかけていた。
魔王領にまつわる
利権の匂いだ。それも、とんでもなく甘くて、ありえないほど巨大な。
「そこでこの、パミアちゃんの登場ってわけ」
「……はい?」
黒須は思わず、穂波の隣で背を畳むようにして存在感を消していた少女をじっと見た。
「ひぃっ」
黒須と目が合ったパミアが、小さく悲鳴をあげる。
「この子とそのことと、何の関係が……?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………ぶたないで……」
「こら、黒須くん、無駄に威圧しないの」
「いや、威圧って……」
「ごめんね、パミアちゃん。こいつはちょっと……気難しくてね」
「ううう……こわいです、旦那様……」
黒須は耳を疑った。この子今、『旦那様』と言ったか? 旦那様って…………穂波さん、だよな。少なくとも、鬼でも見るかのような瞳に映る黒須が"旦那様"であるはずがない。
「穂波さん……あんた、妻帯者でしょ……」
「違うってば! だいたい、そんなことしたら妻にバラバラに切り裂かれるよ……」
「じゃあ、これは?」
穂波の腕に縋りついて身を隠すパミアを──正確には、縋りつかれている穂波の腕を冷たい目で見ながら、黒須は訊いた。
「なんか、なつかれちゃってさ」
「まあ、それはそうなんでしょうけど……一体どっから連れてきたんですか。まさかナンパしたわけでもなし……」
「……これは、超秘密ね」
およそ高級官僚とは思えない日本語を使う穂波は、とんでもないことを、とんでもない小声で言った。
「奴隷なのよ、この子」
黒須は数瞬と言葉を失った。しかし、ここで黙るわけにはいかなかった。
「まさか、買ったんですか」
「……うん」
黒須は再度言葉を失った。穂波が慌てるように弁明する。
「でもほら、簡単な書類仕事やってもらうだけだよ?」
「実態はともかく、民主国家の公務員として大問題でしょうそれは……」
現地では合法だからと言って、カナダ大使が大麻に手を出すようなものだ。なんなら、相手が人なだけ、それよりずっとタチが悪い。
「いや、それがね……ここいらでも奴隷はグレーみたいなんだよね」
「うわぁ……」
本能レベルで上司に逆らわないよう仕込まれている黒須は、ここで追及の手を休めた。ヤバすぎて手に負えないと判断した、と言い換えてもいいかもしれない。
代わりに彼は、別の切り口で穂波に疑問を投げかける。
「……というか、いつ、どうやって買ったんですか。日本円も両替できないのに」
「いつってそりゃ、夜だよ。奴隷市場は夜しか空いてないからね」
果たしてこれが、なにかにつけて単独行動を避けていた人間のセリフだろうか。
「それで、購入費用を用立てるために、いろいろ質入れしてみたんだ。なかでも、
いわれてみれば、穂波の手首はすっきり裸になっていた。いつの間にかノータイだったのも、勝手に一人だけクールビズを実施しているというわけではなかったらしい。
「にしても、こんな年端もいかない、それも女の子を買うことないじゃないですか」
「あー、いやね、僕も最初はそんなつもりなかったんだけど」
穂波のなにげない言葉に反応して、パミアの肩がビクッと跳ねる。
「パミア、いらないこ……です、か……?」
「そんなことないよ! 今となっちゃパミアちゃんしかいなかったって、そう思ってる。これからそれを、そこの恐い顔のお兄ちゃんに説明しなきゃいけないんだ」
目を盛大に潤ませて震えるパミアと、それを必死になだめる穂波を見て、黒須は正直に思った。この人、家じゃペットより序列低そうだなあ……。
そして黒須は別に、恐い顔のお兄ちゃんではない。穂波の曲芸じみた施策により恐い顔をさせられているお兄ちゃんだった。
「まず第一に」
軽く咳払いすると、穂波は指を一本立てた。
「男性の奴隷は、なんというか……そろいもそろって、ムキムキでね。書類仕事、って感じではなかったかな」
そして二本目。
「第二に、読み書きできるっていう子が、この子ともう一人しかいなくてね。もうひとりは、…………ちょっとポリコレ外れる言い方するけど、いい?」
「奴隷買っといてポリコレもなにもないでしょう……」
「……エロかったんだ」
先ほど以上の小声だった。
「エロかった」
思わず黒須は復唱した。せっかく隠したのにパミアに丸聞こえである。
「そっち系の奴隷ですか」
「いやー、どうだろうね? 奴隷商の人も、そこらへんはぼかすからさあ」
でも最後の一個は、黒須くんも驚くんじゃないかな、と三本目の指を立てながら穂波は続ける。ちなみに黒須は驚きっぱなしだった。
「三つ目は……この子の生まれだ。……パミアちゃん、きみの出身は、どこだったっけ」
まさか自分に振られるとは思ってもいなかったのか、パミアはぎょっとしたように穂波を見た。
そして、伏し目がちながら。確かにその目に黒須を捉えて、パミアはゆっくりと、口を開いた。
「私は…………ま、魔王領で、うまれて、そだち、ました」
§
つまり、魔王領はその名の通りの魔境でもなんでもないのではないか、というのが穂波の読みだった。
「まだ会って数日だ。詳しく聞こうにも、なかなか心を開いてくれなくて」
パミアを寝室へと案内して、黒須はようやく穂波と一対一で話していた。というか、あれだけ懐かれていて、まだ伸びしろがあるのか……。
「だから、どうしても雰囲気の話になっちゃうけど……そんなにひどい暮らしをしていたわけじゃなさそうでさ」
それを実際に目で見て確かめたい、というのが穂波、ならびに他四名の意向であるらしい。
「でも、奴隷なんでしょう?」
「そんな、彼女だって生まれたときは奴隷でもなんでもなかったに決まってる。でもね、黒須くん。彼女には……戸籍はおろか、人権もないんだよ」
「それは……奴隷ってそういうものでしょう」
「違うんだ。彼女は……
エルフ。奴隷商は彼女を指してそう言っていたと、穂波は語った。
「エルフって……あの、耳がとんがってる?」
はたしてパミアの耳は長かっただろうか。プラチナブロンドの長髪にばかり目が行き、そこまでの記憶は黒須にはなかった。
「いや、黒須くん。この世界では、言葉は言葉であって言葉ではない。それを念頭に置いて考えてくれ」
理由は定かではないが、ここメザーラスでは日本語が通じる。……いや、それだけではない。メザーラスの人々は日本の慣用句ならびにことわざを使いこなし、尺度はメートル法、おまけに貨幣単位は円ときている。これに対し、自衛隊特務班はひとつの仮説を立てていた。
つまり、我々が聞いているのは、彼ら自身の肉声ではなく。我々の語彙の中で、本来の言葉に見合うものが検索され、そうして翻訳された言葉なのではないかと。
「だから、僕が『人に近しく、しかし人ではない』と認識している、"エルフ"という言葉が選ばれた……ってとこじゃないかな、おそらく」
「なかなかひっかかる表現ですね……」
「そりゃ、何が人で何が人じゃないかなんて、
だから、この場合の『エルフ』が、生物としてのなりたちから既に非人間なのか、それとも単に差別的なニュアンスを含むだけの言葉なのか、判断がつかない。
「それも含めての調査だ。場合によっては、僕らは"魔王領"サイドにつく可能性もある。そういった要件を鑑みれば……
決して穂波を侮っていたわけではないが、これを聞いて黒須は瞠目する思いだった。しかし、考えてみれば納得できる。穂波はなにも、保健所で情の移った犬猫を拾ってきたわけではないのだ。身銭をきって、大枚叩いて、それも奴隷を買うなんて一見社会的リスクしかない行動に踏み切ったのだから、それ相応の理由があったはずだった。
「幸いにも、僕らは現在、かなり身軽なポジションにある。本省から視察なんてまずこないだろうけど、それがいつまで続くかもわからない。もしかしたら、これが外況調査の、最初で最後のチャンスかもしれないんだぜ」
「しかし……それにしたって、その手の仕事はむしろ、特務班の方々のやるべきことのように思いますが」
「いやー、でもさ……見たろ、報告書」
黒須は言葉に詰まった。確かに、これまで特務班の者たちによって提出された調査報告書類には、……控えめに言って、多少のズレがあった感は否めない。
「聞いた話、諜報畑からの人員はほぼいないんだと。まあ、そもそも
それに、と穂波は努めて明るい調子でつづけた。
「潜入調査っていっても、そんな大したことじゃないよ。何か月か現地で暮らして、その様子を記録してくれればいいんだ。問題は、
「……そういうことでしたら」
「よしきた! それじゃ、黒須くん。最後にひとつだけ訊こうか」
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