第3話 ローマ、三日にして閑職



   §



 それからあれこれ準備期間があって、一か月後。黒須は遂に異世界の地に立っていた。いや、立っている、というと少し語弊があるだろうか。彼は──


「異世界でもトヨタ車はちゃんと走るんですね。さすがと言うべきか、なんというか」


 ──クラウンの後部座席に乗っていた。


「ははは……パジェロもラヴも、元気に走りますよ。ただ、乗りたかないでしょう? パジェロはともかく、装甲車なんて」


 苦笑するように応えたのは、ハンドルを握る自衛官であった。関西なまりで喋る彼は、例の特務班とやらの一員だ。


 黒須達が通ってきた"穴"は、街道から少し外れたところにそびえたつ岩山のふもとへと通じていた。特務班が拠点としている近隣の都市へはおよそ50kmの距離があるらしく、こうして車で迎えが来たというわけである。


「しかし、"穴"なんていうからどんなものかと思ったら……本当に穴だとは」


 しかも縦穴だった。ごうんごうんと轟音を響かせる立坑エレベーターで上へと昇っていった先が別の世界の地下層だったなんて、誰が想像しようものか。


「いやあ、ベーター通ってからは車両も乗り入れられるようになって、大分便利になったんですわ」


 聞けば、最初の『偵察』に際しては、ほぼほぼ人力での登壁であったのだという。気の遠くなる話だ。 


「とはいえ、主要幹線以外はロクに舗装もされていませんがね。それでも、アシはあるに越したことはない」


 地形に沿ってうねるように伸びる街道は、見たところアスファルトというよりコンクリートに近い色合いであった。時折すれ違う対向車──おそらく現地のものだろう──は、トラックのような、大型の貨物車と思しきものばかり。


「あまり、人の往来は盛んではないんですか? 乗用車の類はあまり走っていないようですが──」


 黒須は、資料の委細まで目を通したつもりではあったが、それでも現地に長いこといる人間からの情報のほうが鮮度が高いには違いない。矢継ぎ早にならぬよう気をつけながらも、彼は多くのことを今ここですらも吸収するつもりだった。


 しかし、横合いからそれを拒んだのは、やはり黒須と同じ立場にあるはずの、彼の新しい上司、穂波であった。


「黒須くん見てあれ、水平線が真っ直ぐだよ。ここが平盤の世界ってのはホントなのかもしれないね」


 車窓の果てに広がる大海を食い入るように眺める穂波の声色は明るい。背中越しゆえ、その表情はうかがい知れないが、少年のように目を輝かせているだろうことは容易に想像できた。


「穂波さん……」


 話を遮られる形となった黒須は、バックミラー越しに自衛官に目礼を送った。気を悪くするふうでもなく苦笑でもって応える彼を横目に、呆れるような視線でもって穂波を見る。


「どしたの?」


「……いえ。なんでも」


 きょとんとして振り返る穂波は、童顔といって差し支えないほどの若々しさだったが、これでも40代は半ば、二児の父であるらしい。


 この穂波こそが、先の説明会、張り詰めた空気の中『我々でも魔法が使えるのか』なんて場違いな問いを投げかけた張本人であり、しばらく共に行動していた黒須としても、まあ、きっとあんま空気とか読めないタイプなんだろうな、と思う次第であった。


『一応僕ん家も、元華族らしいんだけど……ダメかな? 貴族だったら魔法使えるんでしょ?』


 そういう問題ではないだろう。しかし、場の緊張を収めるためにあんなとんちんかんな質問をしたのだとすれば、それは大したものだった。黒須は努めてそう思うことにしていた。


 だって……上司だぞ?


 黒須の認識のうちでは、上司は『少なくとも自分よりは有能な者』と同義であった。優秀かどうかはさておき……業務への知識は、ぺーぺーもいいところの黒須よりは確実に深いはずだ。


 この第五世界に派遣された黒須たち6人の外交官は、2人1組ツーマンセルで役割が与えられていた。……与えられたというより、自分らで決めたのだが。


 1組は、現地での交渉を。


 1組は、日本政府との連絡を。


 もう1組──すなわち、穂波と黒須は……その他の業務を。


 …………その他とは一体。


『その他はその他だよ、黒須くん。まさか、一般パン職の子たち連れてくるわけにもいかないでしょ、異世界なんだから』


 妙なところで常識的な穂波に、黒須は少なからずイラッとしたものだった。


「そういえば穂波さん、ご家族にはなんて言って来たんですか」


 当局においては秘密保持の観点から、当面の人事異動は予定されていないとのことだった。こういう時、当面という言葉は実にフレキシブルだ。1年、3年、あるいは10年か……。


「そんな、普通だよ? 『お父さん、なんか異世界いくことになったわ』って」


「守秘義務!」


 黒須は思わず叫んだ。


「あっはっは、そんな、信じてもらえるわけないじゃん! まったく、黒須くんはマジメだなあ」


 まぁ、妻にはだいぶ白い目で見られたけどね……、と穂波は遠くを見つめながらぼやいた。なんとなく彼の家庭内のパワーバランスが垣間見られる。というか、こんな人でも結婚とかできるんだなあ……。


「でも、ちゃんと有休も特休も、健休だって出るんだろ? なに、うまくやれば年に二回くらいは帰れるんじゃないかな。下手したら本省勤務だったころより、ずっと待遇いいんじゃない? なんたって秘密の任務なんだ、国会対応なんて無いでしょ、きっと。……無いよね?」


 如何とも言い難い疑問に黒須が答えあぐねていると、機を見計らったように運転席の自衛官が言葉を発した。


「そろそろ着きますよ、おふた方。あれが、我々が拠点とする……都市国家、メザーラスです」


 ……ん? ……都市国家?



   §



欧州E連合U、というより……神聖ローマ帝国に近いな、これは」


 三日後、特務班駐屯地内。定例ミーティングにて口火を切ったのは、渉外担当の一人、長津田であった。彼が便宜上の全権である。


「ここいら一帯の諸国を治める、……なんというべきか……宗主国のようなものが存在するらしい。そしてそれは、ここメザーラスではない」


 そこまでひっくるめての『オルゼトス神聖王国』なのだという。長津田は続ける。


「始末の悪いことに、現在の宗主と、ここメザーラスの元首はなかなかどうして折り合いが悪そうだ。神聖王への謁見をとりつけるには難儀するやもしれん」


 引き続きメザーラス元首との調整にあたる。しかめっ面のままで長津田は話を〆た。


 その他、細々とした事務連絡を終え、ミーティングはお開きに。黒須は穂波と顔を見合わせる。


「……ということは」


「…………今日も暇だろうね」


 大きな動きの無い現状、庶務担当とも言える彼ら二人には帳簿をつける程度の仕事しかなかった。自衛隊は自衛隊で別に経理担当を抱えているし、業務自体はどんなにゆっくりやっても一時間とかからない。赴任三日目にして、彼らの主業務は査察という名の街ぶらと化していた。


「本省の連中に知れたら、四方からメッタ刺しにされかねないね、こりゃ」


 昼下がりの繁華街をあてどなくさまよいながら、穂波がごちる。


「まあ……確かに、散歩が仕事の中央官僚なんて前代未聞ではありますね……というか、なんで僕まで付き合わされてるんですかね……」


「えー、だってほら、単独行動はやめとけって言われたじゃん。僕だけふらふら歩いてて、暴漢にでも襲われたらどうすんのさ」


「僕がいても特段状況が変わるとも思えませんが……」


「あーあ、なーんか面白いことないかなあ……あ、黒須くん、あの屋台のやつ、なんかおいしそうじゃない? なんの肉なんだろうね、あれ」


「…………」


 黒須はもはや、反駁はんばくする気力すら失っていた。


   §


 さらに三日後。


「というわけで、黒須くんに特別任務を与えよう!」


「えっと……はい?」


「『魔王領』への潜入だ! 期待してるよ、黒須捜査官エージェント・クロス!」


 …………は?

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