第2話 レク、それも楽しくないほうの



   §



 黒須樂、25歳。外務省勤務3年目。


 いわゆるキャリア官僚であるところの彼は、在外研修という名の語学留学を目前に控えていた。


 だから黒須は、突然上司から呼び出しを食らっても、作成した報告書に不備があったのだろうか、くらいのことに思っていたのだが。


「……異動、ですか?」


「正直、私も突然のことで困惑している。だが、内々での連絡に留めよ、とのことだったんでな」


 正式に通達が出るのは20日ほど経ってからなのだという。それにしたって急な話だ。


「この場合、僕の留学って……」


『語学留学』が『海外旅行』とニアリーイコールで結ばれる学生の留学とは異なり、外交官にとっての『語学留学』の言葉は相応に重い意味を持つ。


 彼らに求められる語学力は、政府高官の通訳を務められるほどのレベルなのだ。つまり、この場合の"語学力"は、現地の文化や慣習、司法や行政への理解までもをひっくるめた意味となる。


 この留学は、キャリア外交官であれば誰しもが通る道である。仮に今回の異動で留学がナシになるのであれば、それはそれは厄介な事に巻き込まれるだろうことは火をみるより明らかであった。


「……わからない」


 黒須の上司はかぶりを振った。


「それを含めて、説明会のようなものがあるそうだ」


 そんな言葉と共に黒須に手渡されたのは、1封の封書だった。


『黒須樂殿』


 宛名のみが書かれた簡素なものだったが、それゆえの不気味さが感じられる。


 果たしてその内容は上司の言葉通り、集会の知らせであった。場所と日時のみ記載された文面は、一体どのような面倒事なのかと推察する隙を一切与えない。


「なに、君は新人で、ここは日本だ。どれだけ無茶な人事であっても、いきなり戦地に赴け、などとはならないだろう。……通常のキャリアパスから外れることにはなろうが、君の健闘を祈っている」



   §



「現地にはすでに、先遣として自衛隊より選抜した特務班を配備しています。単独行動をしない限りにおいて、同国領内では一定の安全が保障されていると言えましょう」


 ……どう考えても戦地だろ、それ。



   §



 突然にはなるが、"第四世界"という言葉を聞いたことはあるだろうか。


 "第三世界"が発展途上国を指す言葉であればこそ、第四世界は、国際社会から排除され、取り残された共同体を指す。具体的に言えば、少数民族の住まう秘境であったり、経済循環から爪弾きにされた貧民街であったり。


 では、"第五世界"は?


 我々はこれを、遙か地平の先、その果てにすら無い未踏領域と定義した。


 すなわち、異世界。


「それが、皆さんの次の赴任先です。……在外公館があるわけではありませんので、先述した自衛隊の特務班と共同で行動していただくことになります」


 説明会と呼ぶにはドラマチック過ぎる導入だった。


『質疑応答の時間は別途設けておりますので』なんて言って淡々と話を続ける司会の話を要約すると、こうだ。


 日本国内某所にて、異世界へと繋がる"穴"が発見された。


 調査を続けたところ、"穴"の向こうの世界にて"国"の存在が認められた。


 そこには、我々とは似て非なる"ヒト"が、我々とは似て非なる暮らしを営んでいるのだという。


 彼らとの友好を築くためにも、外交官の諸君には鋭意努力願いたい。


「それでは、質疑に移りたいと思います」


 ここに集められた6人全員が手を挙げた。当然のことであった。


「それでは、左から順に。質問は一回につき1つずつでお願いします」


 司会の促しに応じて、いちばん端に座っていた神経質そうなメガネの壮年男性が訊いた。


「まず、なによりも。人員の選抜基準をお教え頂きたい」  


「……年度始めに、省内でアンケートを取りました。その結果に基づいて総合的に判断したまでです」


「そのようなモノに答えた覚えは…………いや、まさか」


「はい、人事考課表およびストレスチェックの項目を差し替えました。新環境への耐性および秘密保持等、本任務への適性を測るものになっています」


 こともなげにとんでもないことを言う司会に対し、質問者の隣の男が畳みかけるように問う。


「秘密保持っていうけどさ、イマイチ本件を秘匿する意味がわからないかな。いや、異議を唱えてるわけじゃないよ? いつやったかは知らんが、どうせ閣議通ってるんでしょ、官僚われわれにゃどうしようもないわな。ただ……隠すだけの理由が、そこには確かにあるってわけだ。それは、なんなの?」


「……直截に申しまして、当該国家──オルゼトス神聖王国は現在、隣国に侵略戦争を仕掛けています」


 誰もがわかるほどの大問題だった。質問は黒須の番である。


「……そんな国と国交を結ぼうってのもどうかと思いますけど……そもそも安全なんですか、それ」


「彼らの言う"戦争"は、軍隊を用いません。とはいえ、暴力を手段とする外交であることには変わりないのですが……そうですね。貴族同士による国際的な決闘、とでも言いましょうか。故に、戦渦はあれど、戦火はなく……、といったところです」


 黒須の右隣の男性が目を剥いた。


「軍事貴族か! いやに前時代的じゃあないか、なあ。……まあいい、この際イデオロギーの如何は置いておこう。文化水準はどうなってる」 


「なんせ別の世界ですから、一口には表現しかねますが……。我々の世界でいう、産業革命は経ていると見て間違いないでしょう。物品の大量生産およびそれに耐えうる物流網の敷設はもちろんのこと、無線通信の技術が存在することも確認されています。詳しくは資料を参照いただければ幸いです」


 さらに右隣の女性が、窺うように声をあげる。


「そうした社会構造の中にあって、武家による少数支配アリストクラシーが罷り通るのはなぜなのでしょう? お話では、祭政一致の宗教国家ということでしたが……サウジやイランみたく、石油のようなもの外交上の切札でも抱えているのですか?」


「それに関してはまず一点。イスラム諸国がしばしば国際社会で批判の対象に置かれるのは、この世界・・・・で支配的な人権思想に相反しているからに他なりません。第五世界においては、民主的な統治はむしろマイノリティなのでしょう」


 そしてもう一点、と司会は流暢に言葉を繋ぐ。


「かの世界における"貴族"という言葉は、我々の思い描くそれとは少々事情が異なります。……古くは領事権をもち、やがて国政を司るようになったという点では同じですが……第五世界における貴族は、文字通り、"貴い"存在なのです」


「"貴い"……とは?」


 誰ともない疑問に、司会は初めて言い澱むような様子を見せたが、やがて意を決したように口を開いた。


「第五世界での、貴族とは。いと高き神々より権能の一部を受託し、その力の一端を振るう存在。……平たく言えば、"魔法使い"です。字義通りの意味での」


 他全員が絶句する中、いちばん右端に座っていた男が、居心地悪そうに手を挙げながら、しかしのんびりと言った。


「その、"魔法"ってさ。僕たちでも使えたりするの?」

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