視える先輩の話

白木錘角

昔の話

 僕の大学の先輩は、いわゆる”視える人”でした。なんでも幽霊や妖怪といったこの世ならざるものが視えるらしく、本人がそれを公言して憚らなかったため、僕と知り合う前から大学ではちょっとした有名人だったそうです。

 ですが、その1点を除けば人付き合いも良く、裏表のない性格の持ち主でもあったので、大学内で孤立していたというわけでもなく、彼女の周りにはいつも人がいました。

 だから彼女にとって僕は特別な人でも何でもなく、同じサークルの後輩、くらいの認識だったはずです。

 とはいえ当時僕がいた風土民俗サークルはよく言えば少数精鋭、悪く言えばサークルとして存続できるギリギリの人数によって構成されており、僕はサークル内で唯一の1年生という事もあって、必然先輩と話す機会は他の人たちより多かったと思います。




 いきなり視える人とか言われても混乱するでしょうし、先輩がどういう人だったのかを端的に示す話でもしましょうか。


「いいかい? 幽霊っていうのは実は怖くないんだ。幽霊、というか怪異一般に言える話なんだけど、彼らは悪意を隠そうとしない。たとえば特定の場所にきた人を呪う怪異がいたとして、その場所の近くまで行くと、その怪異の呪ってやる、殺してやるって悪意がビンビン感じ取れるんだよ。もし危ない目に遭いたくないなら、悪意を感じる場所に近づかなければいい。動いている奴も同じ。要するに、立ち振る舞いに気を付けていれば、怪異に危害を加えられることはほとんどないって事だ。神様クラスになれば話は別だけど、そんなヤバい奴はそうそういないし」


 とは先輩の言葉で、徹底的に霊と関わる要因を排除すれば霊によって害されることはないというのが先輩の持論でした。

 その持論の通り、先輩は今まで霊関係で危ない目にあった事が1度もないのが自慢らしく、一緒にいる時にはよく「あそこには近づかない方がいい」「あの道には変なのがいるから通っちゃダメ」と僕に忠告してくれました。

 先輩の忠告を信じている人は意外と多く、幽霊を信じている知り合いの1人などは、近所一帯を先輩と回り、霊害マップなるものまで作ったとか。

 先輩曰く、そのような頼みは珍しくないようで、まぁ本気で幽霊を信じてはいなくても、自分の周りにそういう場所がないかを確かめたくなる気持ちは分かります。

 僕ですか? 僕は全然気にしませんでしたよ。先輩の忠告も話半分で聞いていました。まぁ幽霊を信じていなかったわけでは無いんですけどね。




 さて、僕と先輩が所属していた風土民俗サークルには、夏休みの研究旅行という毎年恒例の行事がありました。研究と言っても活動費用をねん出するための方便のようなもので、実際はただサークルメンバーで遠出して親交を深めようという趣旨の緩いイベントでしたが。

 その年は東北地方を巡ろうという計画になっていたのですが、いざ旅行ルートを決めようとした時になって部長がこんな提案をしてきたのです。


「衛星写真を見てたら面白そうな場所を見つけたんだけどさ。せっかく夏に行くんだし、ここで肝試しをするってのはどうだ?」


 部長のPCを覗き込むと、山の中でしょうか、一面緑の景色の真ん中に、少しだけ地肌が見える場所があり、そこに朽ち果てた建物が一軒ポツンと建っています。

 ただの建物ではありません。巨大な何かを納めていたであろうその空っぽの建物は――。


「気になって調べてみたら、数百年以上昔、ここら辺に村があったっていう記録が見つかった。多分これは、その村の近くにあった神社だな。その村自体はもう無くなっていて写真じゃ見つからなかったけど」


 えー、嫌ですよそんなとこ行くなんて! と複数のメンバーが騒ぎ出します。が、その程度の反発は織り込み済みだったのか、部長は写真をジッと見つめている先輩に話を振りました。


「大丈夫だって。うちには霊の気配を察知できる守護神がいるからな! どうだ、その写真から何かヤバい雰囲気とか感じるか?」


「うーん、写真だけじゃなんとも言えないけど……もう神様もいなさそうだし、行くだけなら大丈夫だと思う」


 先輩の返答に部長は満足げに頷きます。


「だそうだ。風土民俗サークルとして、歴史の遺物であるこの神社にぜひ訪れたいと思うのだがまだ反論はあるか?」


 ”視える人”である先輩の言葉は十分信頼に値するものだったようで、それ以上反対する人はいませんでした。

 ただ夜遅くに山奥で肝試しというのは霊的な意味以外でも色々と問題だという事で、訪れるのは日中という事で話がまとまり、そうして僕らはその神社に行く事になったのです。

 ……正直なところ、僕はこの旅行にあまり乗り気ではありませんでした。先輩はもっと考えるべきだったのでしょう。村はとっくに無くなっているのに、神社だけが数百年以上残っている理由を。

 




 5泊6日の研究旅行の3日目。国道から外れ、部長の地図だけを頼りに山道を歩いていた僕らの前に、ようやく件の神社がその姿を現しました。

 直に見るそれは写真で見たものよりさらにボロボロに見え、建物の形を保っているのが不思議なほどです。そこだけでなく他の場所も同じような有様で、鳥居は根元から折れ、手水舎の屋根だったであろうものは粉々になって地面に散らばり、ひび割れた狛犬が2頭、虚ろな目で山の向こう側を見つめています。成長したご神木に侵食された社を見ていると、恐怖よりも先になぜか憐憫の情が湧いてきました。


「な、何か感じるか?」


 部長が恐る恐ると言った様子で先輩に聞きます。


「えーっとね、悪意を持った霊はいないかな。本殿から少し変な気配がするけど、こちらには気づいてなさそう。あまり近づきすぎなければ問題ないはず」


 そう言って先輩は本殿を指さしました。

 先輩の動きにつられて僕も目を本殿に向けましたが、特に何かがいるような気配はしません。まるで誰も座っていない豪奢な玉座のような、そんな空々しさしかその場所からは感じませんでした。


「そ、そうか。ならここで昼食にするぞ」


 部長は本殿をちらちらと見ながら近くの木の根っこに腰掛けました。他のメンバーも思い思いの場所に座って持ってきた昼食を広げています。


「じゃあ私たちも食べよっか」


 先輩はそう言うと、地面から飛び出した奇妙な形の石に座ります。僕に気を遣ってくれたのか、先輩は石の端の方に座ったのですが、僕はそれに気が付かないふりをして、先輩からなるべく距離を取って地面に座り込みました。

 先輩はよくこうした場所に連れてこられるから慣れているのでしょうか、周りを気にする様子もなくおにぎりを頬張っています。一方の僕と言えば、その場から一刻も早く離れたい一心で、味わいもせずに持ってきたサンドイッチを口の中に詰め込んでいました。

 正直、皆(先輩と僕以外)は何か起こることを期待していたと思います。初めは反対していたメンバーたちも、言い出しっぺなのになぜか不安げな部長も。

 しかし、そんな期待に反して、全員が昼食を食べ終わっても、境内は依然静寂に包まれたままでした。

 ですが本殿に入って、中にいるという謎の気配にちょっかいをかける度胸がある人は僕たちの中にはおらず、昼食を食べ終わった僕たちは手早く荷物をまとめると何か拍子抜けした気持ちで山を下りました。

 その後の旅行も特に変な事は起こらず、適度に旅行を楽しみ適度に親交を深めた僕らは、山奥の廃神社の事なんてすぐに忘れ、夏休みの終わりと共にそれぞれのいつもの生活に戻っていきました。




 それから2か月後。先輩が死にました。

 住んでいたマンションの屋上から飛び降りたらしいです。警察はすぐに自殺だと判断したそうですが、単なる自殺にしては腑に落ちない点があったと、後に部長から聞きました。

 何でも第一発見者の学生曰く、先輩はマンションのすぐ下ではなく少し離れたところで死んでいて、助走をつけて勢いよく跳ばないとあんなところには落ちないだろうという話でした。先輩の死に顔は焦りと恐怖に満たされ、まるで何かから逃げているようだったと。

 先輩の普段の言動から、幽霊に殺されたなんて噂も一時期は流れましたが、それもすぐに無くなりました。みんな、本気で幽霊の存在なんて信じてはいませんでしたから。








 これが先輩と僕の思い出です。

 ……もう10年です。先輩が死んでから10年が経ちました。当時のメンバーはみんな社会人になり、先輩が飛び降りたマンションは取り壊され、大学の周りの景色も様変わりしました。

 今からするのは10年前の懺悔です。いえ、懺悔というのは少し違いますね。

 これは告白です。こんな話に時効があるとも思いませんが、10年前の話なんてフィクションと変わらないと信じて、告白します。


 僕は、先輩が嘘をついている事に気づいていました。それも最初の頃からです。

 先輩には幽霊なんて視えていませんでした。注目を集めるためだけに、幽霊が視えるだなんて嘘をついていたんです。

 なんで気づいたのか? 簡単な話ですよ。先輩が、あそこにいるね、と言って指さした場所には、大抵何もいなかったんですから。

 告白はこれだけではありません。

 先輩と行った最初で最後の研究旅行、先輩が座ったのは、ただの石じゃありませんでした。なにかの石碑か石像が倒れて、長い年月のうちに1部が地面に沈んでしまったのだと思います。おそらく、かつて本殿に祀られていた物が、ふとした拍子に(野盗が盗もうとしたのか、地震や台風のような自然現象によってかは分かりませんが)外に転がり出てしまったのでしょう。だから、僕は本殿から何の気配も感じなかったんです。

 先輩はそれに座ってしまった。

 異変に気付いた後、先輩がどのように行動したのかは分かりません。ですが普通の神社やお寺ではどうにもならなかったはずです。あれから感じた邪悪な気配は、到底祓いきれるものではありませんでしたから。

 もしあの時、僕が先輩をあの石から遠ざけていれば、先輩は死ななかったと思います。けど僕は何も言わず、先輩が座るのを黙って見ていた。

 正直に言います。僕は先輩が嫌いでした。霊が視えるだなんて非常識な事を公言していて、なのにいじめられたり無視されたりしないで、それどころか慕われている先輩に嫉妬していたのかもしれません。もう嘘つきと呼ばれないよう、変な奴だと思われないよう、必死でみんなと同じように振舞って、視えないふりをして……。そんな僕の努力が無駄だったと言われた気がしました。

 黒い感情を押し殺して何とか笑顔で振舞ってはいましたが、それも限界でした。そんな時にあの一件があったんです。

 そのくらいの事で先輩を見殺しにするなんて。そういう人もいるかもしれません。その通りです。他人からしてみればひどく幼稚な理由でしょう。先輩は優しくて明るくい、いい人でした。小さな嘘をついていた事を差し引いても十分おつりがくるほどに。

 でも僕の中では、それがどうしても許せなかった。

 だから僕は先輩を助けなかった。




 ……そう言えば、最初に話した先輩の言葉。あれ、実は僕がした質問に対する答えなんですよ。


 ―—幽霊と生きている人間ならどちらが怖いですか? 

 

 その質問に答えた後、先輩はこう続けました。


「考えてもみてくれ。もし私を傷つけたいって考えている人間がいて、そいつが近づいてきても、私にはそれが分からない。人間は悪意を隠す事ができるから。おまけに、怪異と違って人はどこにでもいる。私達は常に、今自分に向かって歩いてきている人、自分の傍にいる人がナイフを取り出していきなり襲い掛かってくるかもしれないというリスクを抱えているわけだ。そう考えると生きている人間の方がよっぽど怖いだろ?」




 これで僕の話は終わりです。

 もしまたご縁があれば、その時はどうぞよろしく。


 


 




 

 

 

 

 

 

 

 

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