後編

 


 翌日の土曜日。朝食を済ますと、コーヒーを淹れた。居間のソファでテレビを観ている弘毅の前にコーヒーカップを置くと、横に座った。


「ね。お義母かあ様に会いに行かない?」


「ぷっ」


 口に含んだコーヒーを吹き出した。


「えっ?」


 目を丸くしてこっちを見た。


「新婚旅行から帰って以来お会いしてないじゃない。今日行かない?」


「……あぁ、そうだな」


 平静を装った横顔を見せた。




 花が好きだという暁子に、カサブランカの花束を手土産にすると、チャイムを押した。ドアを開けたのは家政婦ではなく、暁子だった。


「まぁー、お揃いでいらっしゃい」


 暁子が満面の笑みで迎えた。


「これ、ご挨拶代わりに」


 花束を手渡した。


「まぁー、綺麗。ありがとう」


 柔らかな笑顔を向けた。


「さあさあ、どうぞ入って」


 スリッパを揃えた。



 案内された居間で待っていると、暁子がカサブランカを生けた白い花瓶を抱えてきた。サイドボードの上に置くと、


「……ほんとに綺麗」


 暁子がつくづくと言った。そして、


「ありがとう」


 と言って、微笑んだ。


「あ、いいえ」


「今、お茶を淹れるわね」


「あ、お手伝いします」


「そう? お願いするわ」


「はい」


 腰を上げた。


「家政婦さんに辞められて、大変」


 廊下を歩きながら言った。


「辞められたんですか? 家政婦さん」


「そうなの。お孫さんの面倒を見ることになったらしくて。通いで来てくださって助かってたんだけど」


 キッチンの食器棚からティーポットを出した。


「それじゃ、ご不便ですね、家事とか」


「そうなの。特に料理が。家政婦さんに任せっぱなしだったから」


「じゃ、ご自分で?」


「ええ。でも、作れないから、お惣菜やレトルトを買ってきて、レンジでチン。ふふふ」


「……そうだったんですか」


 そんな生活をしていたとは想像もしていなかった。――ポットやカップをトレイに載せると、居間に運んだ。弘毅は、革のソファに背もたれしてテレビを観ていた


「おまちどおさま」


 ティーカップを置いた。


「おう」


 カップにレモンスライスを入れると、スプーンでかき回した。弘毅の横に座ると、コーヒーカップにミルクを入れた。


「さあ、召し上がれ」


 暁子がマドレーヌやチーズケーキを置いた。


「いただきます」


 チーズケーキを取ると、フォークを手にした。


「ね、あなた。お義母様と暮らさない?」


「ぷっ」


 弘毅が、飲もうとした紅茶を吹き出した。


「えっ?」


 目を丸くしていた。


「家政婦さん、辞めたんですって。お義母様、ご苦労なさってるからお役に立ちたいの」


「一緒に暮らしてくださるの?」


 暁子が感謝する目を向けた。


「はい。お食事を作らせてください」


「わあ、嬉しい」


「ね? いいでしょ」


「君がいいなら、僕は構わないけど……」


 弘毅は浮かない顔だった。


(……本当は嬉しいくせに)



 ――1ヶ月後、新居を引き払うと暁子と同居した。その間も、“金曜日の麻雀”は続いていた。そのままにしていた弘毅の部屋が私達の寝室になったが、廊下を挟んだ真向かいは暁子の寝室だった。


 ……なるほど。そのほうが都合がいいものね。


 私は納得すると、“金曜日の麻雀”は断ることができない甘い誘惑だったことを確信した。



 暁子は掃除を担当し、私は洗濯と炊事を担当した。得意な料理を美味しそうに食べてくれる暁子を愛しくも思った。一回り違う暁子だが、一緒に歩いているとまるで姉と妹のようにも見えた。そんな暁子を義母に持って、私は幸せだと思った。



 それは、開いた窓からそよぐ風がレースのカーテンを揺らしている午後だった。暁子は居間のソファでファッション雑誌を捲っていた。


「アイスコーヒー、作りました」


 暁子の前に置いた。


「あら、ありがとう」


 微笑びしょうを浮かべながら、白い陶器のミルクピッチャーを傾けた。前屈みでストローに口をつけた暁子の胸元がVネックのワンピースから覗いていた。私は、張りのある2つのふくよかなものに見とれた。


「うーん、美味しい」


 そう言って少女のような笑顔を向けた。


「ありがとうございます」


「ね、横に座らない?」


「えっ?」


「素敵なワンピースがあるの。一緒に見ましょう」


 そう言って、ページを捲った。


「……はい」


 横に座ると、雑誌を見た。暁子の汗ばんだ腕が、私の腕に触れた。


「これなんかどう? 真美まみちゃんに似合いそう」


 私の名前を言いながら、白いノースリーブのワンピースを指差した。


「わぁ、素敵」


「でしょ? 今度、ショッピングに行かない?」


「ええ」


「うふっ。楽しみ」


 小さく笑って、私の顔を覗き込んだ。


「なんか、汗かいちゃった。シャワーでも浴びようかしら。ね、一緒にシャワー浴びない?」


「えっ?」


「いいでしょ? 女同士だもの」


 暁子はそう言って、私の手を引っ張った。――



 弘毅は、私が寝付いた頃を見計らって、時々ベッドを抜け出す。私は寝た振りをして、ドアの閉まる音と足音を聴いている。


 ……あれだけ色気があるんだもの、弘毅がとりこになって当然だ。


 ――弘毅を尾行したあの時、弘毅は自宅を通り過ぎると坂を上がった。坂の先にあるのは、弘毅の実家だ。そして、鍵を使って入った。


 麻雀を口実にして会っていたのは暁子だった。だが、私の中にそんな予感がなかったわけではない。同居を拒んだのもそんな予感があったからに違いない。私と結婚したのも、ふたりの関係を悟られないように、隣近所の目をあざむくためのカモフラージュだったに違いない。


 だが、それでもいい。この家の家風に染まろう。そうすれば、私の将来は安泰だ。“郷に入っては郷に従え”そんなことわざが頭を過った。




 今日も、暁子とのふたりだけの時間が流れる。花の香りに包まれた、とろけるように甘い淫靡いんびな時間が……




 完

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朱に交わる刻 紫 李鳥 @shiritori

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