第37話 幼馴染が妹になった理由

「あはっ! ははっ! あはははははははははははははははははははははははっ‼」


 あまりにも巨大な怪物が、わたしの――塩峰空留の前で、事他芽汰を飲み込んでから間もなくのこと。

 不快極まりない哄笑が、広すぎるセカイに響き渡ります。壊れたスピーカーにも似た怪物の喉から、ノイズが溢れて止まりません。

 この場で聞こえてくるまともな音は、事他芽兎さんの呟きのみです。


「お兄ちゃん、どうして……わたしに、黙って……」

「離れてください‼ 今すぐに!」

「でも、芽汰が、芽汰が――」

「危ないですから、はやく! わたしからすればどこを見ても、危険です!」


 間に合わなかった芽兎さんに向かって、とにかく叫びます。伝わるよう、全力で。

 聡い童女はすぐに気づいて、それでも迷って、言葉を絞り出しました。


「――っ、芽汰を、お兄ちゃんを、よろしく、お願いします……っ‼」


 やりきれなさを、四方八方に叩きつけるような声。苦し気な決断があった後、鈍い蝶番の摩擦音が奏でられました。遠ざかっていく足音を分厚い扉が消し去ります。

 なんとか、無事に離れられましたか。

 わたしはこの化け物を監視するのに精一杯で、芽兎さんの様子を確認できませんでしたが――彼女に何もないのであれば、何よりです。

 あとはこの怪物がさえいなくなれば解決なのですが、未だアレは健在のようで。


「おやおや、お優しいことで。しかしその優しさは無意味だよ。キミたちはもう安全だ。ワタシはもう悲願を叶えた、ようやくカレとひとつに、もはや大好きなカレになったと言ってもいいか! 些事に構っている暇はない! 有象無象を消す暇があったら、その時間でカレと楽しく話しているさ! はは、はは、あはははははははぁ‼」


 幼子はそう言って喜悦を隠さず、自らの同類に相対します。

 大きな黒球がある程度の雑音を吸い取ると、自己を圧縮し体積の縮小を始めました。

 みるみるうちにボリュームがなくなって、球形はやがて人型に。

 丸みを持つシルエットで、『再生産』されたのが女性だと分かります。消費される前のセンパイが望んだ異性など、一人だけでしょう。


 わたしたちはいつだって何度だって、失って初めて、かけがえなさに気付くのです。

 繰り返しても忘れ、忘却を後悔し、その悔やみすらも薄らいでしまいます。

 目の前ではヒトが宙からふわりと落ちて、意識を失ったまま屋上に伏していきます。


 姉村癒。

 たった数分前に消え去って、今この時生まれ落ちた人。

 人間が生まれ変わるまでに、最低でも四十九日は必要と言いますが――とんだデマです。

 四十九日どころか、四十九分も要りません。


 まあこの場合は、まったく同じ個体で再生産されているので――黄泉帰りですか。

 命とは何なのか、考え直した方が良いかもしれません。

 尊いもの、大切なもの、大事にすべきもの、一つしか存在しえないモノ。

 わたしたちにとって命は――恋にまるで及ばない程度の、かけがえのない宝物。


「おやおや、黙りこくって睨んでどうしたんだい? 愛しの『センパイ』が消え去ったことに、ようやく実感が出てきたかい? ショックで悲しくて声が出ないかい?」


 見る者の気分を悪くする笑みを浮かべて、化け物がわたしに詰め寄ります。まるで一世一代の勝負にでも勝利したかのように、スキップまでしています。

 幼女の姿をしたそれが、足を地につけているはずがないので――一見するとその挙措は、妖精の舞踏にさえ見えてしまいます。

 性質の悪い喜色を浮かべる――気色悪い笑みさえなければ、ですが。


「キミたちが悲しむ分も、ワタシが楽しんでおくから安心してくれ! ああ、この身体の中にはカレがいる、大好きなカレがいる! あともう少しで、誰からも見えないところで、ワタシはカレと無限に過ごすことができる――ああ、なんて素晴らしい未来なのだろう‼」


 異形は目的の達成に気分を良くしたのか、どうでもいいことをペラペラペラペラと喋り始めます。うるさく、邪魔ですね。

 わたしたちと怪物はある意味同じだ――と言いましたが、このような愚かさまで同一だとは思いませんでした。


 いつになったら、愚かなわたしたちは賢くなれるのでしょう?

 いつまでも消えて生まれてを繰り返して、そのたびに業を背負わされた一人の男の子が苦しんで。

 自分の残した恋文も、自分に繋がるアドレスも――自分の痕跡を全部消されて、生まれてはまた作り直して。

 それから、自分の命を使ってまでわたしたちを救おうとする『彼』を、もっともっと好きになってしまう。


 そして、前回も前々回も彼は命を費やしたのだと――誰かに語ってしまいます。好きな人のかっこいいところは、人に聞いてほしいのが乙女心ですから。

 ひとり占めしたいけど、自慢したいのです。

 きっとわたしはこれから会長さんに話すでしょう。芽兎さんも同じように、センパイのことを誰かに語り聞かせるはずです。


 ――話さなければ、語り続けなければ、その事実を忘れてしまうから。

 忘れないようあの献身を音にして、幾度もリピートできるように。


「ああ、ほんとに、愚かです……」


 この繰り返しの地獄に、一体何が出来るのでしょうか?

 今のわたしにできることと言えば、過去から学ぶことぐらいです。今この場における失敗をすぐに過去にして、そこから反省を得ることぐらいです。

 ――告白それ自体が、失敗でした。タイミングや好感度の問題ではありません。


 告白自体やめにしましょう。なし崩しで関係を構築して、いつの間にか関係を発展させましょう。そうやってセカイの秩序を維持しましょう。

 それがいいと思います。

 だって、観測者に嫌われば世界から消える、なんてことは嘘ですから。

 まったく信頼できないのは誰ですか。やはり、化け物を信じるものではありませんね。


 天賦つんでさんも姉村癒さんも、そしてこのわたしも、完全に騙されました。この身が真実に気づけたのは、運がよかったからです。

 この好機を、逃してはなりません。

 さてあとはセンパイを取り戻さなければ、姉村さんとつんでさんが再生産されたように、センパイをもう一度呼び戻すのです。

 作業の基本は確認から。憎たらしい相手でも、とことん利用します。


「単純な疑問なのですが――センパイが完璧に消えている可能性と言うのは、まったくないのですか?」

「ないね。ワタシの――蒔苗柊羽に残りがあったように、カレの残滓もきっとある。そうでなければ――同じ人物の再生産など出来るはずもない」


 センパイの呼び方には目を瞑って、わたしは次なる問いを与えます。騙されたふりで。センパイのように芝居を打ちます。


「センパイは観測者ですから、他の人とは違って特別に完全消去される――なんてことはないんですか?」

「ないよ。観測者はあのままだ。何せ事他芽汰は特別なんだから、変わるはずもない。それに、ワタシの中にはカレが在ることが分かる――何せ、ワタシとカレは繋がっているからね。キミには不可能だろう?」


 自慢げに喋るロリモドキへの苛立ちは置いといて、演技をもうひとつ。


「ええ、不可能です。残念ながら、ほんっとうに、残念ながら」

「ふふ、それを聞けて満足だ。ああ、お腹いっぱいだよ。キミたちはそうやって悔しがりながら、カレのいない世界で一生すごせばいい。さようなら」


 そう言い残して化け物は、黒霧と化して消えようとします。


「ちょっと待ってください。最後に――一つだけ」

「なにかな? まだ負け犬は吼えたりないとでも?」

「いえ。あなたの中のセンパイは、何と言っているのかなと」

「ん? それは、秘密に決まっているだろう」

「告白はされましたか? ずっと好きだったのですよね、センパイのことが」

「………………」


 黙り込みます。怪物が、乙女のように。

 そんなこと、わたしは許しません。


「できないのですか? 怯えているのですか? 可愛らしい子犬のように、震えて吼えることすら出来ないと?」

「そんなわけあるものか。毎秒告白しているよ。好きだ好きだと、ワタシはカレに囁き続けているさ」

「ふむ。それで、センパイのお返事はどうでしょう?」

「それは――」


 化け物の顔が青ざめます。見目だけは良いのに、それすらも崩れていきます。

 当然です。彼女は、蒔苗柊羽は真実を知っているのですから。

 観測者に嫌われると消えるなんて、真っ黒な嘘。


 ――わたしたちは、


 例えば、告白して、手ごたえが悪くて、勝手に失恋を悟って、どうしようもなく心が擦り切れてしまったとき。

 違うわたしだったらいいのにと、彼に好かれるわたしだったら、彼が求める女の子だったらいいのにと。


 そうやって消えて、作り変えられるのです。

 天賦つんでも、姉村癒も、きっとそう。

 わたしも危ないところでした。告白した直後は不安と恐怖でいっぱいで、自分の心から湧きあがってくる靄に襲われました。


 もし、センパイを救うという気持ちがなかったら。

 もし、センパイがいつかのお昼休みに「後輩は僕を裏切ってない」と言ってくれていなかったら。

 ここにわたしはいなかったはずです。


 些細な言葉が、わたしが『再生産』されない理由でした。

 この恩を返すためにも、センパイは絶対に取り返さなくては。

 彼が消えたのは、悪意ある者に騙され、責任を感じて、自分を消し去ることで姉村先輩を取り戻したいと願ったからです。


 本当に、優しい人。だから、大好きなんですけど。

 さて、そんなセンパイがあの化け物の中にいるのなら、なにを言うかは決まっています。わたしの頭の中のセンパイは、とっても怒っていますし。

 性根の曲がった女の告白なんて成功するはずなく、たっぷり糾弾されているはずです。


「ああ、なんで、キミは、どうして、ワタシじゃ、ダメなのかい……?」


 失恋した乙女の気持ちなんて、いつも一つ。消えたくなるにきまってます。

 この世界に、例外なんてありません。

 故に現れます。

 黒霧が、それを圧縮した化け物が。


「わたし、よくよく考えると、あなたのことが少し好きだったかもしれません。よく見れば、少し話せば――センパイに似ているところも、ありますから」


 異形には異形をぶつける――ああ、なんて素晴らしい光景でしょう。

 自らの背後に迫る脅威に気付いたのか、幼女がこちらを睨んできます。トラウマでも蘇ったのか、その攻撃的な表情は瞬時に無様な恐怖と、わずかな安心へと転じて――そこから先は、分かりません。


 音もなく、怪物は消失しました。

 何も残さず、一度は名前すらも失った幼女は、再び『消費』されました。

 黒々とした球体が、すぐに纏まって人型を作り上げます。

 怪物が怪物を『消費』して、誰かを『再生産』します。


 男の子がひとり、学校の屋上で眠りこけていました。

 屋上ですやすやと眠る少年に向かって、わたしは声をかけます。



「センパイ、いい加減起きてください! 授業に遅刻しますよっ!」

「……ん、こう、はい……?」

「はい、センパイの後輩です。いい夢は見られましたか?」

「いや、悪い夢だった。とんでもない悪夢だった、けど」


「けど?」

「いい朝だと、思う」

「――それは、大変、よかったです」

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