第36話 コウハイの告白ともうひとつ
「こく、はくで……?」
たった五文字。
されど五文字。
無理矢理文字列を飲み下すと、遅れて意味がやってくる。
告白をした人間がその後どうなったか――想起した後、言わなきゃいけないことは一つだ。
「危険だ! リスクが、大きすぎる……」
「なにも危険なことは全然ありませんよ。ノーリスクかつノーコストで、更にはハイリターンです」
この手以外にありません――と、塩峰は何の不安もなく笑う。
「センパイは、わたしのことがお嫌いですか?」
「そんなことない! でも……」
「わたしが聞きたいのは――わたしたちが耳にしたいのは――消えていった人たちが欲しかった言葉は、その先です」
区切りをいれて、吸った息も添えて、
「センパイは、わたしのことが好きですか?」
言葉全体を待たずして、黒霧が湧き出してくる。粒子の海は僕らの足首を浸す高さで留まって、そこから上昇する気配を見せない。
「すきだけど、それは、それは……」
「友達として、ですか……?」
押し黙る。口が開かない。喉が震えない。ここで何を言えば命取りになるか、まったく分からない。
「そんなわけ、ないですよね? わたし分かるんですよ、センパイの気持ちが。なにしろ――ずっとずっとずうっと、見ていたので」
「ふっ、あまりワタシを笑わせるな。告白は告白でも、犯罪行為の告白じゃないか」
「あなたと違って、わたしは不法な観察を何もしていません。合法的に見える範囲で、法に触れるか触れないかの範囲で、ただ目を開いて、耳を傾けていただけですから」
柊羽魔と塩峰が軽口を叩くと、足首まで満たしていた黒霧の高さが下がっていく。引き潮のようにすっと変化して、今や足の甲にも届かない。
「わたしの見込みでは、確実に親友は越している――あわよくば恋人未満、それも到達寸前かななんて、思い込んでいたのですが」
「…………」
「黙っていては、わたしには伝わりませんよ……? まあ、センパイの心を推測しながら、憶測で語ってしまっても良いのですけど」
「ワタシがキミの心を強引に読み取って、この空間に音という形で強引にぶちまけても構わないぞ? まあ、ワタシという異形を介してしまう分、意味の歪曲は避けられないと思うが」
命知らずすぎる後輩の申し出と、怪しすぎる幼女の警告。
はっきりと言葉にする以外に、僕に残された選択肢は存在しない。
「――すきだよ。少なくとも、とっくに親友に対する感情なんて越してる……かも……」
「そうですか。それは何よりです」
一気に黒々とした潮高が引きあがって、僕らの腰あたりまでをも容易く浸す。感触は存在しないにもかかわらず、視覚的な訴えが触覚にまで強引に作用して、まとわりつくような気色悪さが離れない。
「ああ――本当に良かったです。これでも、実は不安なんですよ? 心臓バックバクです。ともかく、仲良しだと思ってる相手から、好意を確認出来て嬉しくない人はいませんからね。相手が同性でも異性でも関係はありません、年上でも同い年でも年下でも同じように、です」
黒霧の高さにちらりと意識をやって、塩峰は言葉を紡ぎ続ける。
意味を持つ音が空間に響くたびに、迫り来ていた黒潮の高さは落ち着きを見せ始めた。それどころか現状維持すらできず、徐々に元の方向へと戻っていく。
塩峰の口から音が止んだ時には、太ももよりも下に黒い水面が位置していた。
にこりと笑う後輩。
コトが彼女の想定通りに進んでいるのだと、僕にも簡単に分かってしまった。理解してはいけないのに、理解をしてしまった。
これは言い訳だ。
セカイに対する言い分で、
デッドラインをあやふやにして、『消費』を避けるための言葉遊び。
僕の意識ではコントロールができず、ただ無意識のみが人の存在を左右しているのだとするのなら――その制御機構を騙してしまおうという試み。
確かに、それが実行可能なのはこの世に塩峰空留だけだ。
僕を意識的にからかい続けられるのは、彼女しか存在しないのだから。
しかし、その理屈と目的を
ぶわりと黒霧が間欠泉のように湧き出して、たちまち空間に広がって満たしていく。不定形の穢れは屋上に収まりきらずに零れ落ちるなんてことはなくて、きちんと僕たちを基準に深さを増している。
とっくに腰の高さを越した黒霧。僕らを飲み込もうとしていた。
瞬時に柵に手をかけた僕を、穢れのない手が制止する。
「あはは……これは……失敗してしまった、かもしれません」
「早く手を放してっ! 僕が死ねばまだ――」
「いえ、まだ望みはありますよ」
悪魔のような、天使の囁きが僕の耳を掠めた。
飛び降りのために蓄えていた覚悟が散って、それと同時に力も霧散していく。
しかしそれは、何度も繰り返されてきた希望と失望で。
「告白をしましょう。意味ありげな咳払いなしの、人を騙すような小手先抜きの、本物を言いましょう」
「命をかけてやることじゃないよ、そんなことっ――」
「『そんなこと』では、ないのです‼」
聞いたこともないような、塩峰空留の叫びがあった。
それは、声と呼ぶには衝撃に近くて。
音という名前が付いた、物理的な干渉だ。
空気が鳴いて、その残響がいつまでも残る。
受け取った耳朶が震えて、そのまま胸の奥底まで揺るがす。
「わたしたちにとっては、
苦しそうに途切れ途切れの息が、黒霧に溶けていく。
命そのものが、塩峰空留から抜け出していくみたいに。
言葉を繋ぐための呼吸がなされていくたび、黒い粒子の集合体は嵩を増し続ける。
黒い波はすでに、僕の肩を越していた。
だというのに、小さなコウハイは懸命に口を開き、ありったけの言葉をぶつける。
「誰だって一緒です――塩峰空留も、天賦つんでも、姉村癒も、きっと、事他芽兎も。この化け物だって例外でなく、むしろ全力だったからこそ――化け物にまで、成ってしまったのです、堕ちてしまったのです」
全身全霊の言葉を受けて、柊羽魔が不機嫌そうな顔をして塩峰から離れていく。告白しようとする少女から離れて、僕の側まで寄ってくる。
幼女は俯いて観測者の右腕をそっと抱き寄せ、塩峰の言葉に備えた。
「だから、わたしも言いましょう。望みにかけて、希望に託して、心からの気持ちを吐露しましょう。いつかどこかの誰かと同じように、名前すらも消えてしまった方への敬意と共に、わたしは心に正直でいましょう」
発生の止まらない穢れが、とうとう顔にまで触れ始める。
物理的に呼吸が不可能なわけではなく、しかしプレッシャーで息が詰まる。
なんて、最悪な視界なんだろう。
視覚の全ては黒い靄で穢されて、両の目は世界を薄暗く映し出していた。
「――信じていますよ、センパイ」
つま先から頭まで、僕らは黒霧に呑まれきった。途端に全身が重くなったと思えば、その重力が急速に消失する。
栓を抜いたように二人を包む流体は去り――消えた粒子は上方にて集結していた。
とぐろを巻いて収束する。
円環を作ったのちに、瞬く間もなく上下方向への厚みを増していく。
瞬き一つ。
それだけの時間で物体の凹凸は衝突し、この世のものとは思えない球体が顕現した。
かつてないほど巨大な怪物。
太陽すら一飲みしかねないと思わせる、異形中の異形。
スケールだけで、抗うことが不可能だと分かってしまう。
観測者であるけれど、観測者だからこそだ。
後輩は背後に浮かぶ化け物に意識すら向けずに、そっと口を開いた。
「わたしは、センパイのことが好きです。恋人になって、くれませんか?」
――僕に覚悟を決めさせる、音がした。
迫る球体。大きさのせいか互いの距離感が全くつかめない。それならば僕はすぐに走り出すしかない。
屋上から飛び降りる方向とは真逆――愛すべき後輩の方へと。
観測者視点での判断・評価で、人の存在は左右される。
この世界にあるモノはすべて、そのルールから逃れられない。
例外はないのだ。
いつだって、どこだって――誰だって。
ならば、ここで消えるべきは塩峰空留なんかじゃない。再生産の末に意識を失って倒れ伏している天賦つんででもなければ、今頃小学校にいる事他芽兎でもなく、僕を嘲笑う柊羽魔でもないのだ。
では、誰が残っているのか。
そんなものは決まっている。
事他芽汰なんていう、愚かで信頼できない観測者だけだ。
僕は人生で一番の力を振り絞り、塩峰の方向へと走る。彼女を通り越して、その先の怪物へと向かう。
覚悟を原動力に突き進んでいると、屋上のドアが開け放たれた。
「おにーちゃん! なんで、飛び降りなんて――」
見覚えのあるツインテールを揺らして、飛び込んでくるのは僕の愛すべき妹だ。
よかった。彼女の周りに鬱蒼とした黒霧はない。
彼女の世界はくすまず、輝いている。
だけど、この先事他芽兎が無事である保証もない。
守るために急ごう。
目と鼻の先に、黒い球体が迫った瞬間――僕は振り返り、言った。
「――ぁっ⁉ 真実は違います! 『消費』はセンパイの、せいなんかじゃ――」
その瞬間、ハッとした顔の塩峰が見えた。
彼女に、僕も言う。
「――僕もす
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