第35話 コウハイ vs 幼なじみ

「センパイ、なに、してたんですか……」

「おいおい、今更何を言うか、愚かなワタシのコウハイ。そんなこと問うまでもないだろう。突っ立っていたか、何も成果を挙げずにもがいていたか――二つに一つだ」

「あなたには聞いていません、今わたしが言葉を向けている先は、センパイだけです。あなたにセンパイの時間を分けた恩、忘れたとは言わせませんよ」

「はっ、笑わせる。分けたもなにも、お前がずうっとワタシの芽汰をストーカーしていただけのことだろう。中々に態度が大きいぞ、空き巣魔の変質者。ワタシがいない間に無茶苦茶やっておきながら、恋愛のセンパイに対する態度がそれか。もっと考えるべきではないのかい?」

「空き巣? わたしはあなたのことをそれほど知りませんが――勝手に消え去って、家を空けたことぐらいは知っていますよ。それと、あなたをセンパイとは呼べませんね。今やあなたは人ではないでしょう」


 なんだ、これは。

 塩峰の敵意に満ちた目線は、一ミリのブレもなく怪物の双眸に注がれている。

 ショックに震える口を抑えきる前に、僕は問うてしまう。


「塩峰は、それが、見えるの……?」

「ええ、見えます。はっきりと、しっかりと憎たらしい顔が。そしてあの、黒霧までも」


 と、いうことは。

 視界が揺れて、焦点がまるで合わなくなる。眼球がぎゅるぎゅると動いてあてもなく彷徨うけれど、世界は無慈悲にぼやけていく。


「それに、全部知っています。センパイが隠していたこと、全部。センパイが知らないことさえも、存じているかもしれません」


 まるでデートに出かけるみたいな弾む口調で、


「センパイが知らないセンパイのことを、わたしが――今となってはわたしだけが知っていると思うと――かなり気分がいいですね。不謹慎ですが、この気持ちは抑えがたいです」


 塩峰は僕に向けて言った。


「でも、怪物についてはあまり詳しくありません。センパイよりは知っていますけど、それぐらいです。時期から考えて一番詳しいのは――妹さんですか」

「あの子の前には、姿を現さないように気を付けていたさ。意外と気を使うんだよ、ワタシもね。何せ残滓を――システムの消し残し、バグと言ってもいいか――あの写真を見ただけで、ワタシの名を口にするんだ。この姿を目撃されたら、何をバラされるか知れたものじゃない」


 一昨日の夜、芽兎が口にしていた昔話。

 ――事他芽汰の、昔の友達。

 ――やきもち焼きを煮詰めたような、そんな子供。

 ――僕を独占しようとしてどこかに消えた、過去の人。

 ――思い出だけが残されていて、名前だけ思い出せない不思議。


「思い出したかい? いや、思い出せないだろうな。そういう風にできているから。セカイは、そういう風にキミに背負わせたから。いっそ忘れるのならば、何度でも聞かせて反応を楽しむとでもしようか――」


 抑えきれそうにない喜悦が、大笑のカタチをとって幼女の口から溢れ出る。



「ワタシは、柊羽魔は――昔の名で言えば、まきなえ柊羽しゅうは――キミの幼馴染だった。天賦つんでよりも古い、ね」


「――う、嘘を、つくな……っ‼」

「嘘じゃないことは、キミが一番知っているはずだよ。盲目の我らが創造主、信頼できない観測者様」

「っ―――――――――‼」


 死ぬ。

 心臓が見えない手で絞られ全身に激痛が走る。音のない絶叫が、体中を駆け巡った。

 この痛みはきっと罰。けたたましい無音の叫びは、残された最後の良心かもしれない。


 ――瞼を閉じるな! ちゃんと世界を目にしろっ‼ 耳を塞ぐな! 無意識のおまえ次第で消え去ってしまう声に、耳を傾けろっ‼


「健気だね、ほんとうに。キミが観測者という厄を背負う因果なんてないのに、責任なんて微塵もないのに、ただ選ばれたというそれだけでここまで苛まれて、抗って――そんなことだから、かつてのワタシは消えてしまったんだ」


 棘にあしらわれた言葉が、全てをぐしゃぐしゃにしていく。いたぶりを拒否する権利なんて、僕にはないのだ。

 この怪物は、僕が生んでしまったもので。この子さえも、むごすぎるシステムの犠牲者なのだから。

 故に、聞かなくては。


「無茶苦茶な力を、理不尽な役目を押し付けられて、それでも懸命に普通に生きようとしたキミが興味深くて、どうしても独り占めしたくなった。独占したくなった。いやあ失敗だったな、あれは。監禁という手段まで用いて、キミの生活を侵害すべきではなかったね。あんなことをして告白したから、負けた。すぐに怖い霧にさらわれてしまったんだ。ああ、あの時は悔しかった――さて、これでどうかな? あの時のこと思い出したかい?」


 まるで、小さな時の思い出を語る高校生のように、彼女は笑った。

 幼女モドキの行動と容姿がまるっきりかみ合わず、この光景の受け取りを僕の脳は拒否していく。言うことを、聞いてはくれない。


「霧に飲み込まれたくせに、随分としぶといものですね。それも執着の賜物ですか」

「執着? 言葉が悪いな、この気持ちは恋心だよ。実のところ、事他芽汰に対して一番一途なのはワタシだと思っていてね。システムに残された蒔苗柊羽の搾りカスを核に、『再生産』の余り物で補強して、とうとうここまでになったんだ。好きな人とずうっと一緒に居られる存在になったんだ。しかも、消えることがない。ああ、これを最高と言わずして、なんと言ったらいいんだろうか‼」

「最上級に性質の悪いストーカーさんですね、センパイも大変です」

「塩峰空留、お前も同様だろう」

「怪物と一緒にしないでください」


 言葉を区切り、塩峰は深く息を吸い込んで、


「わたしのことを、わたしの恋心を、わたしたちの思いを――化け物のそれと同一にするなんてありえません。冒涜であり、侮辱です」


 圧をまとった鋭い視線は僕の方にも向けられて、


「わたしたちの――姉村癒という人間の心を軽んじたのは、センパイも同様です。会長さんが消える前、センパイは何をしようとしていましたか」

「死のうとして――死ねなかった」


 死に損なった。ひどく惨めに。

 彼女の全てを消しさっておきながら。生きながらえてしまった。


「まったくお笑いだね。ほんと傑作だよ、喜劇のね」

「人間でないモノに、出る幕なんてありません。黙って口を閉じていてください」

「おお怖い、その眼光だけで心臓が止まってしまいそうだ」


 柊羽魔に一瞥をくれた塩峰は仕切り直し、


「まずやることが自殺、ですか……会長さんの言葉を聞こうともせずに、まずやることがそれですか?」

「それしかないよ! 僕があの言葉を聞いたら、会長は消えてしまうからっ!」


 誰かが僕に向けた告白を聞けば、その人は消えてなくなる。いなくなって、別のものへと作り変えられる。楽しい現状を維持するという願いに、都合が悪いから。


「センパイは、姉村癒の告白を静かに聞くべきでした。黒煙が彼女に迫らないうちに、決死の言葉を受け止めるべきでした」

「それじゃあ、ただ消えるのを肯定するだけで!」

「黙って消失を肯定することにはなりません。だって、そこには――告白が成功する可能性があるのです」

「成功したからって、一体……」

「観測者の視点に、事他芽汰に嫌われれば消えてしまう。では逆に、好かれればどうなるか――生存するに決まっています」

「じゃあ、僕は……」

「センパイはセンパイなりに会長さんを救おうと必死に引き延ばして、その末にわずかな希望さえ奪ったのですよ。恋の成就という、大事な大事な希望を」

「そん、な……」


 僕は、失敗したのか。

 彼女の命を守ろうとして失敗し、望みすら奪ったというのか。

 告白が命に相当するものなのか、分からない。恋慕の吐露と命は全く等価じゃなくて、僕にとっては姉村先輩の命がずっと大事で、僕の命よりも遥かに重くて、それで――。

 ――なんて、考えが巡る。言い訳と呼ぶにも値しない断片が脳内で流転し続ける。


 そもそも、僕が好いても生き残るとは思えない。

 怪物の言葉が真実だとしても、僕に対して危害が――もっと範囲を広げると、僕にとって損となるようなことをすれば、それだけでデリートの対象になりかねない。

 世界は広いが、世界のシステムは不寛容だ。


 僕が見もしなければ聞きもしない場所で、人が『消費』されて『再生産』されているかもしれない。悪意なく行った些細な行動が、巡り巡って僕を害することになり、行動者の存在を左右しかねない。

 僕が不都合だと思わなくとも、システムに不都合だと判断されてしまえば、それで終わりになってしまう。

 だから、だから。


「それはないな。ワタシは常々言っただろう? 観測者に嫌われれば、そのキャラは別のものに作り変えられると。つまり、すべてはキミに左右される。キミの視界内で評価が行われ、キミの視界内で誰かが消える」


 僕の思考を読み取って、観測者の被造物が――事他芽汰のある種の分身が、事実を正確に突きつける。

 この幼女モドキは以前、自らの起源は僕と同じだと言った。それは創造主が共通しているということではなく、僕と彼女が親と子の関係にあるという意味で。

 故に彼女の発言には――過去、柊羽という名だった魔物の言葉には、僕が認知している以上に僕の真実が含まれている。

 事他芽汰が信頼できない人間であると同時に、柊羽魔も信頼できない可能性があるけれど――僕なんかよりはよっぽど、現実に近いモノを見ている。


 でも、それでも!

 僕なんかの意思で、それも表には現れることのない深層の無意識で、個人の存在が左右されるなんて思えなかった。

 変化を望むなんて、変われないなら死にたいなんて口だけ。本当は現状を変える勇気もない僕の臆病さがが、人を消し去るなんて思えなかった。

 そんな普遍的な望みが、生命はおろか存在すらも奪うなんて信じられなかった。

 弱かった。僕はどうしようもなく、弱かった。


「僕はどうすればよかった……? 屋上から飛び降りようとしたのが失敗だった? この下の三階からでも死ぬには十分な高さだった? それとも、もっと別の手段で――」


 言葉と思考が断絶する。

 撃ち込まれる衝撃。

 頬を張られたらしい。知覚するまでに何秒か、僕の時は止まったまま。


「何も死ぬことだけが、解決方法じゃありませんっ!」

「他に何が⁉ 人とまるで接しない場所に行けばいいの⁉ そんな場所なんて、一体どこに⁉ 例えあるにしても、たどり着くまでに僕は何人を消すかも――っ」


 もう一度ぶたれる。 

 ビンタの痛みは鋭く、凝り固まってしまった僕の思考を突き崩す。  


「前提が間違っているのです! センパイが告白を受ければ、絶対に人が消えることはありません! 都合のいい誰かにすり替えられることもありません!」


 僕の両肩を両の手で揺らして、塩峰は大音声で訴える。

 ――本当に? 

 純粋な疑問と共に 都合のいい希望が湧き上がってくる。

 それは僕なんかが決して抱いてはいけないもので、救いの手は差し伸べられてはいけないはずだ。

 それでも、自然と言葉が零れ落ちる。


「ほんとう、に?」

「ええ、本当です」

「誰の命を捨てなくとも、犠牲にしなくても、済む……?」

「済みます。きっと、コストなしで終わります」


 真剣そのものの面持ちで語る塩峰の背後で、不愉快そうに口を結ぶ柊羽魔。一瞬だけ僕と眼が合うと、愚かなモノを見る視線で返答が返ってくる。


「あの化け物は気にせずに、ただ信じてください。わたしを、塩峰空留を」

「――――わかった」


 躊躇う寸暇すら惜しんで頷くと、塩峰は満足そうに首肯を返した。


「センパイ一人に人の消滅と再生産が左右されるのであれば――その基準が、現状を変えようとするか否かならば」


 塩峰は深呼吸をして、双眸に覚悟を灯す。 

 それはさっき見た姉村癒の瞳と全く同一の色で。

 決死と呼ぶには相応しすぎた。


「わたしがセンパイの基準を変えましょう。今を持続させるよりも、未来にもっと良いものがあると思い知らせましょう。危うい今よりも、安定して揺るがない未来を容易に紡いでしまいましょう」


 僕に一歩踏み出して、塩峰空留は高らかに言い放つ。

 それは、宣誓にも似ていた。


「わたしの――告白で」

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