その日、家に帰ってベッドにごろんとなって思ったのは、あっという間の勝負で負けちゃったけど、なんかとてもすっきりして清々しいっていうの?達成感?自分でも良くわからない、でも幸せな気持ちを感じた。何かに一生懸命になるってこういうことなのかなぁ。全力を出し切れば負けてもくやしくない、みたいな?なんか私じゃないみたい・・・

あれ?これって前にも感じたことがある記憶?デジャブー?夢だったっけ?ふふ、なんかわかんないけど嬉しい、不思議。眠くなってきちゃった・・・

にやにやしながら、パジャマに着替えもしないで寝入ってしまった。


 翌日の土曜日、私は自転車屋のおじさんとの約束をはたすべく家を出た。休みの日に通学路を自転車で走るのって大好きだ。なんか余裕があって風景の見え方がやわらかい。すれ違う人たちも、もちろんいつもと全然違うし、いつもは学校に向かわなきゃならないのに、今はその気になればどこにだって行けるんだぞっていう自由感がなんとも言えない。


 自転車屋さんに着くと、おじさんはお店に並んでいる自転車の掃除をしていた。相変わらず開店休業みたいでお客はいない。お店の前で自転車を止めてスタンドをかけるとその音でおじさんは私に気付いた。最初は制服を着ていなかったせいかわからなかった風だったが、自転車を見てすぐ思い出したようだった。おじさんはお店のガラス戸を開けて話しかけてきた。

「やぁ、よく来たね。自転車の調子はどうだい?」

「おかげさまで、とても調子が良いです」

「自転車の調子は良さそうだけど、勝負には負けちゃったようだね」

「えっ!?」

なんでおじさんは知っているんだろう。

「ちょうど良い、今日は部活もなくって今家にいるよ。おーい、瑞希、お前のライバルが来てるぞ!」

おじさんが店の奥に向かって声をかけてしばらくすると、奥の階段をとんとんとんと降りてくる音がして、なんとあの黒チャリが現れた。陸上部のジャージを着ている。小さな声でオスとかオゥみたいなあいさつをした。

「お譲ちゃん、ごめんね、黙ってて。最初に話を聞いた時にその黒い自転車に乗っている子ってたぶんうちの瑞希のことだなって、ピンときたんだよ。瑞希に話したら思い当たることがあるっていうし、昨日のレースの話も聞いたよ。残念だったね」

 なんと黒チャリはこの自転車屋さんの娘だったらしい。それでジョギングコースで待ち伏せしていても不思議な顔ひとつしなかったのか・・・。


 今日は初夏ではあるけれど風が少し冷たい陽気で、川原は少し寒い感じだった。それでも川面はお陽さまを受けてきらきらしていてとっても気持ちが良かった。私は川原で黒チャリとならんでひざをかかえて座っていた。黒チャリが少し話そうよ、と言ってきたのだ。

「武井さん、帰宅部のわりには速かったじゃん」

私はなんと答えていいかわからなかったので黙っていた。

「それにしてもうちに頼みに来るほど、私に勝ちたかったんだね」

セリフは厭味だったが、表情も言い方も全然いやらしくなく、私は素直に受け答えできた。

「自転車通学は私にとって唯一真剣になってることだったんだ。だから絶対負けたくなかったの。通学路であなたに抜かれた時からどうにかして抜き返したい、川原のジョギングコースのあなたのスピードに負けたくないってそれだけを考えてたんだ」

「それで自転車置き場で待ち伏せして私の後をつけたり、うちのお父さんに自転車の相談に来たってわけか」

全部黒チャリに見抜かれていたことを知って、私は顔が真っ赤になった。でも不思議と気持ちはとても正直になっていた。

「飯田さんは、どうしてジョギングコースであんなにスピードを出して走っているの?」

「うん?」

黒チャリは座ったまま振り返ってジョギングコースに目をやり、土手のほうを眺めてまた向きを前に直して石をひとつ川に投げ込んで答えた。

「私は家が自転車屋という影響もあって、自転車競技をやりたいんだ。うん、高校に入ったらやるつもり。S高校ってあるでしょ。そこに自転車部があるからそこに入るんだ。今陸上をやっているのもそのため」

 S高校はランクも結構上の学校だ。クラブ活動も活発なのは知っていたけど、自転車競技のクラブまであるなんて知らなかった。

「武井さんは高校どうするの?そんなに自転車で走るのが好きだったら、一緒に自転車競技をやらない?」

私はどうするんだろう。自転車は確かに嫌いではないけれど競技として考えたことは無い。誰にも話したことのない胸の内を初めて他人に話してみた。

「自転車で走るのは好きだけど、スポーツの対象として考えたことは今までなかったなぁ。それに将来やりたいことも決まっていないから、高校もどこでも良いと思ってる。仲の良い友達が大体K高校に行くから、私もそうしようと考えているところ」

黒チャリは川面を見ながら私の話を聞いてじっと考えているようだった。

「私の考えを言っても良い?」

黒チャリは言おうかやめようか迷っていたことを、言うことに決めたというような表情でしゃべり出した。私は小さくうなずいた。

「私だって将来やりたいことなんて決まっていないよ。自転車競技をやるって言ったけど、それで食べていけるなんて思っていないし。でもさ、今やりたいことをとりあえず頑張るって言うんじゃダメなのかな。そうしないと、なんにも頑張れないし」

私は自分のぼやっとしたあえて考えないようにしていた部分をえぐられたような気がした。まさしくその通りだった。将来やりたいことが決まっていないことを言い訳に、何に対しても本気にならない態度を取っている。情けないな、と思った。

「それに」

黒チャリが石をひとつ川に投げ込んで話を続けた。ぽちゃんと音がして丸い輪っかがいくつもゆっくり広がった。

「みんなが行くからその高校に行くなんておかしいよ。今の友達たちと一生一緒に暮らしていく事なんか出来ないんだから。中学時代の友達は中学時代の友達として大事にすれば良いんじゃないのかな。高校は高校で新しい友達を作って世界を広げていったほうが楽しいよ」

黒チャリは私のほうを向いて軽く笑った。

「同じ価値観を持っていれば、友達なんてすぐできるさ。こんなふうにね。私はまた武井さんと高校で勝負したいな。この間のはほとんど引き分けだったからね」

黒チャリはすっくと立ち上がって両腕を大空にのばして大きく背伸びをした。私よりちょっと背が高くすらっとしている。髪の毛がさらさら風に揺れてきれいだ。将来のことは決まっていないって言ってたけど、空に向けた手が将来をつかもうとしているみたいだ。ちょっとまぶしくって、うらやましかった。


 私は家に向かって自転車をこいでいる間、じっくり考えて決心を固めた。今までの自分では考えられないようなことだけど、気が変わらないうちに実行しようと思い、ハンドルをぎゅっと握りなおした。

 家に着くと休みの日のお昼前だったので、家族みんなが家でのんびりしていた。柚奈は自分の部屋でマンガを読んでいるようだった。パパとママは居間にいて、パパは新聞を読んでいてママは雑誌を読んでいた。

「ただいま」

「なっちゃん、どこに行ってたの?それに休みの日にでかけたのに午前中に帰ってきたりして珍しいわね」

「自転車屋さんに行って、その後友達と話をしてた」

いつもなら自分の行動については適当に話しているのだが、今日はちゃんと話した。

「なんだ、自転車、調子悪いのか?」

パパが聞いてきたが、それには答えなかった。

「パパ、ママ、私、S高校に行きたい。ちょっと頑張らないと入れないけど、これから頑張ってみる」

パパとママは顔を見合せて驚いていた。私が進路について自分がどうしたいなんていうことを、今まで一度も言ったことが無いからだ。

別に自分の考え方を変えるつもりじゃない。でも何かひとつくらい本気になって、自分に言い訳できない世界を持っても良いような気がした。S高校に行っても自転車競技をやるかどうかはわからない。でも可能性は広げておきたい、それが今の正直な気持ちだ。


 急にどうしたんだ、というパパの声を聞こえないふりして、大急ぎで階段をだだだだっと駆け上がった。柚奈がおねえちゃん、うるさーいなんて言ってるのが聞こえてきた気もするけど、構わずに一気に駆け上がって自分の部屋に飛び込んだ。今これ以上パパやママと話をしたら、恥ずかしいっていう感じもしたし、自転車競技をやりたいからなんて言ったらパパもママもひっくりかえっちゃうもんね。

自分の部屋に入ったら猫のシャープが窓際にいたので、一緒に窓から外を眺めた。

すっかり初夏の景色になっていて緑がとっても目に染みた。そのせいか何故かちょっと涙が出てきた。自分で自分の気持ちが良くわからないけど、自分がいとおしいような初めての、でも前にも感じたことがあるような不思議な気持ちだった。


                              終わり

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チャリガール 桐戸 @kiri_to

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