麻々子

   


 朝、ぼくが起きてキッチンに行くと、テーブルの上に紫色の風呂敷に包まれた二十センチぐらいの正方形の箱が置かれていた。

 何だろうと見てみると、その箱の前に、お母さんが書いた手紙があった。

『仕事に行ってきます。これは、おばあちゃんから頼まれたおはぎです。お友だちの集まりがあるから作ってくれと頼まれました。お昼前に届けてください。洋介の分は、お皿にのっています。よろしくね』

 ぼくの分というおはぎは、ラップがかけられ箱の横に置かれていた。

 ぼくは、時計代わりのテレビを付けた。

 もうお昼のニュースが始まっていた。

「お昼までにって、もうお昼じゃないか、もう間に合わないよ。ぼくに用事を頼むならちゃんときのうに言ってくれないと無理だよ」

 そう独り言をいいながら、待てよと思った。そういえば、きのうの夜、お母さんが「洋介、明日、学校、休みよね」とか何とか言ってたなぁ。

 今日は、昨日の日曜参観の代わりに学校が休みだった。だから、ぼくも気の済むまで寝ていたんだ。その時、おはぎのはなしなんかしていたかなぁ……?

 していたような……、していなかったような……。

 おばあちゃんの家までは、一時間は、かかる。駅まで歩いて行って15分。電車に乗って15分。それから歩いて十分。電車の時間を待つのにどれだけかかるんだ。

 そう考えながら、ぼくの頭はまだはっきりとはしていない。ボーッとテレビを見ていつと、突然テレビの中の画像が火を噴いた。

 何の映像だろうと思っていると、ニュースキャスターがどこかの国でテロがあったとか何とかいっていた。

「へー、爆弾が爆発したのか……、外国はあぶないねぇ」

 ぼくはテレビを消し、顔も洗わずにおはぎを一つほおばった。

「まあ、少しぐらい遅くなったっていいか」 

ぼくは、おばあちゃんの所へ届ける風呂敷包みを小脇に抱えた。


 ぼくがその箱を気にしだしたのは、チチチチチという音が聞こえたからだった。いや、その前から、大きな顔をして電車に乗っているその箱が気になっていた。箱のくせに大きな顔をしていると思ったぼくが、そもそもいけなかったのかもしれない。

 ぼくが電車に乗った時、その箱は、もう網棚の上に置かれていた。三十センチ四方の箱は紫色の風呂敷に包まれ、角張って偉そうに正座していた。ぼくの持っている箱と似ているのも気になっていた。

 箱の下の長いシートには、おじさんが一人座っていた。黒い背広を着たでっぷりしたおじさんは、こっくりこっくりと頭をゆらし眠っている。

 おじさんの前に座ったぼくは、箱とおじさんを交互に眺めながら、この箱の持ち主はこのおじさんだと、決めていた。

 次の駅に電車が止まった時、七、八人の人が立ち上がった。

 おじさんも目を開いた。箱を持っておりるのかなぁと見ていると、おじさんは、からだをゆさぶって、だまって電車をおりて行こうとした。

「お忘れ物ですよ」

 ドア近くに座っていたおばさんが、その箱を指さして、おじさんに声をかけた。

「ああ、あれは私の物ではありません」

 おじさんは、そう言って電車をおりてしまった。

「あら。じゃ、どなたの物かしら?」

 おばさんは、小首をかしげた。ぼくの顔を見て、あなたの物じゃないわねというようににっこりほほえんだた。

 ぼくも、うんとうなずいたあと、だれのものかとあたりを見回した。

 電車は、もうすぐ終着駅だからか、とても空いていた。箱の下のシートには、もうだれも座っていない。

 ぼくの座っているシートには、声をかけたおばさんと二人だけ。ドアをはさんだとなりのシートには、サラリーマン風の男がノートパソコンを開けてむずかしい顔をしていた。その向かいには、おじいさんとおばあさんが、ときどき話しをしながら仲良く座っていた。

 その箱がだれの持ち物なのか、持ち主らしい人は、いないように見える。

 次の駅で、出口の近くに座っていたおばさんもちらっと箱を見ただけで、おりてしまった。

「……、なお、座席や網棚に不審物がありましたら、係員までお申し付けください」

 車内放送が聞こえた。

 その時、チチチチという音が聞こえた。

 電車の走る音で気が付かなかったが、止まった一瞬の静けさの中で、ぼくはその音を聞いたんだ。

 確かに聞こえる。チチチチという時を刻む音が聞こえる。気になりだすと、電車の走る音よりもしっかりと聞こえてくるような気がする。

 あの箱はだれの物なんだろう。

 ぼくは、考えた。

 あれを不審物というのかもしれない。車掌さんに言わなきゃいけないのだろうか。

 いや、早まって、笑われたら困る。

 あのサラリーマンの物かもしれないじゃないか。

 うーん。違うような気もするけど……。

 でも、サラリーマンが紫の風呂敷に包まれた箱を持っていても別に不思議はないよな。

 あの箱の中には、時計が入っていて、あのサラリーマンが仕事をするのに時計の音がうるさくって、ちょっとはなれた網棚の上に置いただけかもしれない。

 ああ、そうだ。何だ、そうだったんだ。

 ぼくは、そう思うと肩の力がちょっとぬけた。持ち主のある箱は、もう不審物ではなくなっていた。

 しかし、次の駅で、そのサラリーマンも、何も忘れ物などないというように、さっさと電車をおりてしまった。

 あの箱は、サラリーマンの物ではなかったんだ。

 じゃ、おじいさんとおばあさんの物か。お年寄りが、こんなに空いている電車の中で、高い網棚の上に、荷物をあげるだろうか。おかしいとぼくは思った。

 やっぱり、不審物なのか。

 そう思うと、チチチチという音がまたぼくの頭の中に響き出した。

 いや、不審物ではない。

 あの二人が乗ってきた時は、電車は混んでいて、だれかがおじいさんの持っていた荷物を網棚に載せてあげたんだ。そのうちに電車は空いてきて、二人は今の席に座ったんだ。そうだ、そうにちがいない。

 だってあの箱は、今ここにいるぼくかあの二人の物に違いないんだもの。ぼくの物でなかったら、あの二人の物に決まってるじゃないか。

 ハハハ……、ぼくは、笑ってしまった。

 筋道を立てて考えるとちゃんと答えが出るのに、何をドキドキしてしているんだろうとちょっとおかしかった。

 この箱のふてぶてしさが、ぼくをドキドキさせるんだよな。まるで、オレは、何に見えるとぼくに聞いてるような感じがする。

 何物にも見えるもんか。お前は、ただの箱だよ。

 ぼくは、箱をにらみつけた。

 電車が止まった。

 おじいさんとおばあさんが、腰を上げる。

 そのまま歩いて、電車をおりようとしている。

「あ、あの。あれ、あれ」

 ぼくは言葉に詰まりながら箱を指さした。

「ああ、私たちの物じゃないよ」

 おじいさんとおばあさんは、にっこり笑っておりてしまった。

 ドアが閉まり、電車が終着駅を目指して走り出す。

 どうしておじいさんの物じゃないんだ?  といううことは、ぼくの物? 

 そんなわけはないだろう。

 ぼくの物じゃない箱。

 だれの物でもいない箱。

 持ち主のいない箱。

 時を刻む箱。

 不審物。

 ぼくが、じっと箱を見つめていると、突然箱がしゃべりだした。

「さあ、オレは、何だと思う?」

「お前は、箱だ」

 ぼくは、怒鳴った。

「ご名答。して、中身は何かな」

「そんなこと、わかるはずがないだろう」

「ほほー、では、ヒントをあげよう。時間をセットして使うんものさ。さあ、何だ」

「そんな物いっぱいある。目覚まし時計も、クーラーも、電子レンジも、トースターも、それから、それから」

「ブ、ブー。みんなはずれだ。時間が来たらバンバンバンだ。熱いぞ、熱いぞ。最後の決め手は塩化ナトリウムの調合だ。さあ、何か考えてみたまえ」

 ぼくは頭の中で、一つの結論を出しつつあった。

『時限爆弾』

「クククク……」

 ぼくの出した答えがわかったのか、箱が笑った。

「だれかが、わざとここにこの箱を置いていったのか?」

 ぼくは、箱に聞いた。

「フォフォフォ……」

 箱は、笑っただけだった。

「ぼくを消すため?」

「イヒヒヒ……」

「いつ、爆発するの?」

「ケケケケ……」

「この電車が、終着駅で止まると同時に爆発するように仕掛けられたのか?」

 箱は、笑って答えない。

 爆発は今から一分後かもしれない。

 爆発する!

 ぼくは、耳を手でふさいだ。

 車内はシーンとしていた。

 爆発しなかったんだ。

 ぼくはホッとして大きな息をはいた。

 でも、爆発はいつ来るかもしれない。

 二分後か。

 三分後か。

 なぜだ。なぜだ。

 なぜぼくを、ねらうんだ。

 いや、ぼくをねらったわけではなく、社会を不安に陥らせるための爆発か。

 ダメダ!

 こんなこと、考えていないで逃げなきゃいけない。

 そうだ。逃げるんだ!

 ぼくが、腰を浮かした瞬間、電車は終点の駅に止まった。

「ワーッ」

 ぼくは大声を出して、頭を抱えてしゃがみこんだ。

 電車のドアが開いて、

「何してんの、気分でもわるいの?」

と、乗りこんできた駅員さんが、ぼくにきいた。

「い、いえ、ちょっと」

(爆発しなかった……)

 ぼくは、胸をなで下ろし立ち上がった。

「あ、あったあった」

 駅員さんが、爆弾の箱をひょいっと持ち上げた。

「あ、それ……」

「何、これ、君の?」

 駅員さんがぼくの方に箱を差し出した。

「ち、ちがいます。ぼくのじゃありません」

「ああ、よかった。やっぱりこれでいいんだな。忘れ物の照会があってね。三両目の網棚に紫の風呂敷包みを忘れたんだって。うん。やっぱりこれだ。君も忘れ物には気をつけてね」

「それ、チチチチていう時計の音がしませんか?」

 ぼくは駅員さんに聞いた。

「いや、しないよ」

 駅員さんは、箱を耳に当てていった。

「ぼくには、聞こえたような気がしたんですが……」

「しないよ。ほら」

 駅員さんが、ぼくの方に箱を差し出した。

 ぼくは、びっくりして飛び退いた。

「何がはいってるんですか?」

「チチチチって……、爆弾だと思ったの?」

 駅員さんはニコッと笑った。

「中身は、結婚式の引き出物だということだったなぁ」

「引き出物って?」

「おみやげ、みたいなもんかな。ポップコーンを作る機械だって。引き出物もおもしろい物を選ぶ人がいるんだね」

 駅員さんは、カタカタと箱を振って、ひょいっと脇にかかえて電車をおりた。

「時間を合わせて、バンバンバン。ポップコーン……」

 ぼくは、つぶやいて頭をふった。

 最後に電車をおりたぼくは、ホームを歩く駅員さんの脇にはさまれた箱をグッとにらんだ。

「ハハハハ……、おもしろかったぜ。また、どこかでオレを見かけたら、声をかけろや。遊んでやるぜ。じゃあな……」

 箱が、ふてぶてしくぼくを笑った。

 冗談じゃない。もう二度と箱なんかに話しかけるもんか。

 ぼくは顔をしかめ、箱に「あかんべー」と舌をつきだし、おばあちゃんの所へ急いだ。

   了

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麻々子 @ryusi12

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