第5話

 答えを探して、私は記憶をたどった。異変が生じてからというもの、私の記憶は欠落したり順序が失われたりしていたが、いくつかの事象についてははっきりと覚えていた。まず、異変に気づいた時に夢を見ているような、テレビを見ているような現実感のなさを経験したこと。第2に、今もそうであるように、文字が読めなくなり言葉がわからなくなったこと。第3に、三角形について学ぶ意義について悩んだこと。これらについては容易に思い出すことができた。しかし、これらのことは、虫ばかりが見えるという現象のきっかけにはなっていないような気がした。多分、原因はもっと前に起きたことの中にあるのだろう。


 異変以前の記憶を辿るのは、さらに困難な作業だった。今まで気づかなかったが、記憶の破壊が進んでいるのはむしろこちらの方だった。学歴は記憶を辿る手がかりになるのではないか。淡い期待を込めて、幼稚園から高校に至るまでの歴史を振り返ることにした。


 幼稚園で、私は何をしていたか。思い出せない。いや、待て、カブを収穫した。だが、それだけだ。 


 次、小学校では何をした?ドッジボールをした。よくぶつけられた。教室に虫が入ってパニックになったことが3回ばかり。


 中学校では…中学校では…通信速度が遅い時の画像の読み込みのように、いつまでたってもはっきりとした映像が浮かばない。頭が熱くなってきて、再び体の中に油が流れ始めた。


 思い出したくないことがあった。そうだ。それだけだ。


 私は現在に意識を戻し、カウンセラーの方を見た。一瞬だけ、人間の姿が見え、すぐにキリギリスに戻った。


 思い出したくないことがある。それが答えではないか。私はそれを告白した。


 すぐにノートに返答が書かれた。『わかりました。また次回お話を聞きましょう。お疲れ様でした』



 それから私は3ヶ月ほど通院し、カウンセラーとの相談を重ねた。記憶の欠落と、人間が虫に見える現象は治らなかった。しかし、私は治らなくてもいいと思っている節もあった。一方、一瞬だけ人間が見える現象は、医院だけでなく家庭内、ごく稀に屋外で起きることもあった。人間が見えると同時に、頭痛や動悸を起こすため、この現象をありがたいとは思えなかった。


 ある日、体調がよく朝早く起きることに成功したため、私は登校することにした。久しぶりに通学路を通り、それがひどく奇妙な景色に映った。


 教室に入ると、最後に登校した日と同じように、スクリーンに投影された平面的な映像に取り巻かれているように感じた。相変わらず、生徒たちは虫の姿をしていた。その日の録画を見返しているようでもある。デジャヴュとでもいうべきか。私はここで永遠に同じ映画を見ることになるのか、と思うと、内臓が腹の底に沈み込むような気がした。


 以前と全く同様にして、私はプラナリアに気づいた。こいつを切断したらどうなるだろうか、と思案していたことも思い出された。それから次の行動を起こすまで、悩むことはなかった。


 私は席から立ち上がって、プラナリアを押さえつけ、ペンケースに入っていたハサミを突き立てた。プラナリアの粘膜に穴が開き、貫通したハサミを抜き取ると体液が漏れ出した。虫の体の中に硬いものが入っている感触はなかった。体長の半分ほどを切り裂いた時点で、最初に穴を開けた部分の体液の流れは収まっていた。私は腕が濡れるのも気にせずひたすらプラナリアを切り裂いた。正中線上に穴が連なると、私は虫の体を左右に引っ張った。ついに虫の体は真っ二つになった。


 作業が終わると鈴虫が現れて鳴き始めた。他の虫たちも声をあげていた。プラナリアの体は、他の虫達によって運び出された。私もムカデやらサソリに腕を掴まれ、職員室へ連れていかれた。


 職員室で耳が痺れるまでセミの爆音を聞かされたあと、私は教室に戻ることを許された。廊下を歩いていると、階段を這い登ってきたプラナリアに遭遇した。プラナリアは二匹になっていた。元気に、しかしゆっくりと這いながら、二匹の虫は私と目を合わせた。私は会釈した。


 私は勝利を感じた。私はプラナリアを切り裂き、それによって現実と私を切り離した。他者を傷つけてはいけないというルールは、もはや私には無関係のものとなった。なぜならば、私の行動が他者になんら実害を与えなかったからだ。それは立場を逆にしても同じことだ。今後私は他者の力により傷つくことはない。この達成感ないし悟りは、私と過去との関係をも変えた。欠けていた記憶が、足跡を辿るように一つずつ蘇っていった。中学生時代の記憶も復活を遂げた。


 中学時代、私は人間に囲まれて過ごしていた。私は周囲の人間に辟易した。勉強がどうの、社交性がどうの、容姿がどうのなどと、彼らは自分たちの勝手な価値判断を私に押し付けてきた。私はそれに抗戦せざるを得なかった。他者を取り除くことを望んだが、叶わなかった。それが今や、他者が存在するにせよ、それは無意味の中の雑音にすぎない。私の意思でそのように変えたのだ。数ヶ月の苦悩の末に、やっとそれに気づくことができた。



 数年経って、私はほぼ常に人間の姿が見えるようになっていた。それでも時々周りの人間を虫にする。これはちょっとした生活のコツだ。無意味と不条理を盾に、私は価値の攻撃から身を守ることができるのだ。

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虫の学校 都途回路 @totocaelo_19

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