恋文というもの

夏野 鈴

第1話


 確かに覚えていることがある。高校二年の春。

「次はこうやって投げてみよ。そうそう、そういう感じ!」

 校門をくぐった先で、グラウンドから聞こえてきた声。彼の姿があった。クラスメイト。そう、それだけの人。

 空の下に立つ、小さく見える彼は、堂々と立ち、顔を上げ、前を向き、後輩に向き合っていた。

 やけにその姿が頭に残っていた。何故だろう。

 何だか清々しい朝、私は朝練に向かった。

 

 廊下で列になり、窓の外に向かって楽器を吹いている。一年生も含め、運動会に向けての練習だ。

 一息つこうと、楽器から口を離すと、隣から声をかけられた。

「あの、先輩。ここのリズムがよく分からないくて……」

「え、あ、えーと」

 人に教えるのは苦手だ。言葉が詰まる。どうしよう。

 ふと、彼のあの声と姿が頭に浮かんだ。少し落ち着く。肩を落とし、背筋を伸ばした。

「ここは、」

 私は手拍子でリズムをとった。それに続いて、彼女が吹く。

「そうそう、そういう感じ!」

 彼女はお礼を言い、元の練習に戻った。私は気恥ずかしい気持ちで、体中が火照ってしまいそうだった。


「あー、推せるわ」

 三人で弁当を囲んでいた。その中の一人が呟く。お昼を食べ終わっているようだ。

「え、誰?」

 私は弁当の蓋を閉じる手を止めた。

「ほら、あの」

 視線の先には、男子達がわいわいと話しながらご飯を食べていた。

「奥側の左から、……四番目」

 視線を左から右に移していく。四番目には、朝のあの彼がいた。

「かっこいいよなぁ」

 少し小声だ。

「あ、でも」

 もう一人が食べる手を止めた。そして声を潜めて続ける。

「ずっと好きな人、いるらしいね。告白されても、好きな人がいるからって断ってるらしいよ」

「あー、そうらしいね」

 そう、なんだ。そっか。そっ、か。好きな人か。というか、告白とかされるんだ。確かに、かっこいいしな。何度か話したことがあるけど、良い人そうだし。いつも明るくて、人に好かれそうな雰囲気で。そっか。好きな人、か。そっか。


 それから、何てことない日々が過ぎていった。班活動で話したりはしたが、特に何も起きず。ちょっとだけ、彼のことを意識するようになったかもしれないけれど。でも、きっとそう、推しに近いものだ。

 で、今はその彼と一緒に歩いている。……どう、しよう。放課後、同じ先生に用事があり、教室に戻るときに一緒になった。

「水島さんは、日誌?」

 彼から話しかけてくれた。

「う、ん、そう。今日部活休養日で良かったよ」

「分かるわー。部活ある日に日誌は嫌だよな」

「練習時間、減っちゃうからね」

「吹部、大変そうだしな。あ、でもそれだけ、演奏すごいよな」

「そう、かな。そうだと嬉しいな」

「行事毎に演奏してるし。あ、前の体育祭の開会の時、水島さんファンファーレやってたよね。すごいよなぁ、大勢の前で。朝も放課後も良く吹部の音聞こえるし。一度ちらっと水島さんの楽譜見えた時、すっげぇ書き込みされてたし。すごいよ」

 朝練なんて、松川くんもやってるし、クラスで場を盛り上げてる方が、私にとってはすごいことだし。ていうか、そうやってすごいって真っ直ぐ言えるのが、本当に、すごい。

 あれ、なんか、変な感じがする。胸の中、もやもやするような、スースーするような。気持ち悪いのに、心地良い。ほめられ慣れてないからかな。いや、きっと。

「あ、ありがと」

 恋に落ちた、と良く言うけれど、私は、落とされた。でもきっと、あの朝の時から、この瞬間を待っていたのだと思った。

 落ちた先は、太陽の光も届かないような場所。紅い玉がパチパチと光る。この場所は、広いのようにも狭いようにも感じる。隣に誰か居るようにも、居ないようにも感じる。でも、不思議と孤独は感じない。紅い玉のおかげだろうか。でも、いつか玉は落ちる。落ちるまで、私はこの場所で、恋をゆっくりと味わう。



 気恥ずかしいので最初に書きますと、これは恋文というものです。手に取ったときに、もう気づいていたかもしれませんね。


 いつか、あなたと並んで話す機会がありました。もう一年以上も前のことですし、ほんの数分でしたが。

 どんな話をしたか、覚えていますか?

 恥ずかしいので、私からは言いません。秘密です。

 

 でも、あの時、きっと何気なく言ったあなたの言葉が、ずっと私を支えてきてくれていることを、知ってほしいです。


 以前から、あなたが真っ直ぐに陸上に励む様子を見てきました。それに勇気づけられてもいました。そんなあなたに言われたからこそ、とても私の心にすぅっと入ってきました。

 

 私は、あなたの真っ直ぐな言葉が好きです。


 これじゃ、何が言いたいのか、分からなくなってしまいますね。

 気持ちを伝えるのはやっぱり難しいです。


 なので。



 最後に。

 あなたが好きです。

 

 これだけは、伝わってほしいと思います。



 紅い玉は、ゆっくりと私の手の中に落ち、パチンと消えた。

 


 

 


 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋文というもの 夏野 鈴 @natu__no_oto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る