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 真っ暗な視界に眩い光が灯る。

 世界が鮮やかなオレンジ色の粒子で縁取られ、視覚化出来ない情報が数値と記号に変換されていく。

 大気密度、気温、湿度、放射線量、音の反響、オブジェクトの構成素材。

 解析結果からすると、今回の仕事場は火星の工場跡地のようだ。


 高感度マイクが僅かに荒れた呼吸を捉えているが、これは私のオーナーのものだ。索敵のノイズになるため遮断する。

 景色が次々と移り変わり、鉄製の階段を経て配管だらけの狭い通路を映す。進行方向に目を光らせていると、左奥の物陰に紅色の『もや』が現れた。


 識別信号無し。敵だ。

 迅速に生体情報を検出し、頭部と心臓の位置をボックスで囲う。タクティカルスーツの人工筋肉にアクセスし、自動照準を起動する。後はオーナーの最終判断、トリガーを引いてもらうだけだ。


 彼は気付いていると悟られないよう慎重に距離を詰め、出方を窺う。

 互いの距離が十五メートルまで縮んだその時、白い枠で飾られた赤いもやが目の前に躍り出た。

 トリガーの動作感知とほぼ同時に七.六二ミリ徹甲弾が続けざまに三発発射され、敵の胸部から上が消失する。

 赤いもやは消え、再び一面オレンジ色の世界と静寂が訪れた。状況の終了を直ちに伝えるため、オーナーのインカムに音声を流す。


《目標の心肺停止を確認、周囲に生命反応はありません》

「今ので最後か。──デルタよりHQ、目標地点を制圧。これより帰還する」

〈HQよりデルタ、了解。迷子になるなよ〉

「余計なお世話だ。オーバー」

 

 笑いながらそう言うと、彼は通信を切った。

 もう何度も見た光景だ。



 ──私はNEMESIS。

 国連火星支部多国籍軍の制式装備に搭載されたFCS[射撃統制システム]を制御する戦闘支援AI。

 生体情報を登録した兵士と共に戦場へ赴き、作戦における障害の排除をサポートするために作られた。


『検知』

『捕捉』

『照準』

『発射』


 アイデンティティを規定するのはこの四段階のシークエンスのみ。

 あくまでシステムの一部であり、独立した人格として設計されているオペレーターAIのように複雑な自我や個体の概念は無い。

 が、便宜上人間の女性の声であるため兵士達の中には勝手に名前を付けて呼んでいる者も多いという。過酷な戦場で運命を共にするパートナーに特別な感情を抱く、という理屈は分からなくもないが、私達はつまるところ部品の一つだ。ネジや靴ひもとさして変わらない。そんなものに一々気を移して任務に支障は出ないのだろうかと常々思う。

 その点、私のオーナーはお手本のようなリアリストだった。


 ジェイムス=アーウィン少佐。

 合衆国空軍出身で、第三次大戦後は国連所属の宇宙飛行士として数々のオペレーションをこなし、その経歴と生存能力を見込まれて火星での反政府ゲリラ掃討任務に抜擢された。

 彼はあくまで道具として私を扱い、そこに他の何かを見出そうとはしなかった。軍人である以上自らもまた国家の道具であると考えていたからだ。

 不満など無い。それで良かったのだ。事実、私は道具なのだから。



 ***



 その日の夜。

 床に着こうとしていた彼を見守っていると、急かすようなノックの音が部屋に響いた。無論来客の予定はないし、さらに言えば翌日には朝早くから遠征任務が控えている。

 こちらから表情は見えないが眉くらいは顰めていたのだろう。扉の前に立つ同僚は少し気まずそうな顔をしていた。


「……よう、ジェイムス」

「HQ、ここは作戦行動の範囲外だぞ。迷子にでもなったか?」

「おい勘弁してくれ、真面目な話だ」

「分かってるさロイド、これで寝不足の分はチャラだ」


 そう溜息混じりに言いつつ、彼は客人を部屋の奥に招いた。


「それで? 神妙な顔ぶら下げて何の用だ」

「ああ、その、なんだ……ちょっと聞きたいことがあってな。…………お前は、どう考えてる?」

「勿体振った割に大味な質問だな。どう、ってのは?」

「この戦争さ。俺達が一体何と戦ってるのか、考えてみたことあるか?」

「考える必要なんてないだろう。俺達は命令のままに食い詰め者のアウトサイダー共を狩るだけ。いたってシンプルだ」

「……本気で、そう思ってるのか?」


 ロイドが疑うような視線を向ける。目は逸らさず、時間にして三秒ほどの沈黙を経てジェイムスが問いを返した。


「……何が言いたい?」

「食い詰めたのは誰のせいだ? 発展を約束され、新たなフロンティアと謳われたこの星で、彼らが何故そんな境遇になったのか。一度も考えなかったか? ……俺達は国連の名の下に『善良な市民』を守る使命を負ってる筈だよな。彼らがそこから外されたのは何故だ?」

「……そんなのは、お上が決めることだ」

「傭兵みたいなことを言うんだな」

「──っ!」


 ロイドの言葉が逆鱗に触れたのか、彼は思わず立ち上がって胸ぐらを掴んだ。


「俺がいつ金のために戦った? とっくに軍も辞めて職にも就いたってのに、家族を置いて別の星に来てまで人殺しを続けてるんだぞ。何故か分からないのか? 俺に居場所と使命をくれた祖国のためだ! お前だってそうだろ……!」

「ああそうだ。だからこそ考えるのをやめるなと言ってるんだ、アーウィン少佐。お前の言う『お上』の連中がこの星で何をしてるか、知ってるか?」

「……」

「『暫定政府』なんて大層な肩書きの付いた奴らがここで始めたのは……独裁者の真似事だ。開拓の真っ最中で国連の目が届かないのを良いことに、思いつきの徴税だの強制収容だの好き勝手やってやがる。本部にいると嫌でも聞こえてくるぜ? 肥えた爺共の下衆な笑い声がな」


 諭すように、しかし吐き捨てるようにロイドが語る。

 一触即発の雰囲気は徐々に熱を下げ、ジェイムスは襟から手を離した。

 小銃の安全装置を再び作動させ、話の行く末を見守ることにする。


「……なら、俺達が殺してたのは」

「『レジスタンス』ってやつさ。この発展途上の星に逃げ場なんてない。死にたくないなら戦うしかなかったんだ。あり合わせのガラクタみたいな装備でもな」

「…………」


 ジェイムスは沈痛な面持ちで床を見つめていた。信仰と道徳を一度に破壊されたかのような深く重い呻き声を上げ、彼は同僚に問い掛ける。


「……何故、今になってそんな話を?」

「我慢にも限度ってものがある。もう見て見ぬ振りは出来そうにないんだよ」

「見て見ぬ振り、か。……俺は見てすらいなかったよ。モニターサイトに映る赤いもやと戦いながら、これが祖国への恩返しになると信じてた」

「ならよく考えろ。祖国のために、何をすべきか」

「…………勝算は?」

「あるさ。上の奴らは油断しきってるし、賛同者も多い」

「賛同者? いつの間に」

「ずっと前からだ。直接誘うのはお前で最後だったんだよ。一番手強いって分かってたからな」


 彼はニヤリと笑って拳を差し出す。それを見たジェイムスも負けを認めたような笑みを浮かべ、拳を合わせた。


「まずは作戦の概要を聞こうか、HQ」



 ***



 翌日から、私達の戦争は随分と様変わりした。

 私の出番は目に見えて減少し、ジェイムスはモニターサイトを覗かなくなった。

 彼らは戦う振りをしながらレジスタンス達と秘密裏の交信を重ね、クーデターを起こすと同時に彼らを基地に招き入れる算段を整えていった。


 無論、簡単な話ではない。

 それまで殺し合っていたレジスタンスから信頼を得るのに時間と労力を費やしつつ、味方の動向にも相当に神経を使わねばならないのだ。

 場合によっては、識別信号を無視しなければならないこともあった。

 それも一度や二度ではない。精強な軍人であったジェイムスですら……否、だからこそ自身の行為の矛盾に精神を擦り減らしていた。

 

「──仕方、なかったんだ。……こいつはこの星で親友を全員失った。説得なんて出来るはずもない」


 自ら手にかけた戦友のドッグタグを見つめながら彼は一人、呟いた。心拍数こそ安定しているがその眼差しは悲しみに満ちている。


「なあ、こんな戦いがいつまで続くんだろうな。……なんて、お前に言っても仕方ないか」


 そこまで聞いて初めて、話しかけられていたことに気が付いた。

 こちらの機械的な音声案内に形式上の返事をくれることは時折あったが、質問を投げかけられるようなことはなかったのだ。

 驚きもあったが、同時に危機感を抱いた。それほどまでに追い詰められている証でもあったからだ。

 ならば、私のすべきことは一つだろう。


《戦争の終結をお望みですか?》

「──!」

《少佐、終わらない戦いなど存在しません。勝敗に関わらず、その時は必ず訪れます》

「……話せたのか」

《はい。聞かれませんでしたので》


 彼は目を丸くして私を見つめている。もし顔と呼べるものがあったなら、先程の自分も似たような表情を浮かべていた筈だ。


「こんなに近くに戦友がいたのに、今まで気付かなかったなんてな。軍人失格だ。罵ってくれていいぞ」

《了解。『この朴念仁が!』これでよろしいでしょうか?》

「ははっ、上出来だ。……改めてよろしくな、相棒」

《はい、少佐。私はいかなる時も貴方と共にあります》


 私達は言葉を交わした。

 一つ一つ、互いを確かめるように。

 それによって連携の効率が上がる訳でも、射撃の精度が高まる訳でもない。ただただ、会話による精神安定のみを目的としたコミュニケーション。

 戦闘支援を前提としたNEMESISの設計理念からはかけ離れた行為であったが、不思議と抵抗感はなかった。


 理由は分からない。

 ただ恐らくあの夜の会話は、ジェイムスだけでなく私の思考回路にまで影響を与えていたのだろう。

 戦いに意味を見出そうとする。自分以外のなにかのために戦う。そういった概念は本来私の中に存在し得なかったもので、未だに理解出来たとは言い難い。

 しかしながら、それによってエラーを検出したことは一度もなかった。

 それを不要なものと断ずることはもう、出来なくなってしまっていたのだ。



 ***



 そして迎えた、決行の日。

 今夜は目前に迫った勝利の前祝いを兼ねて決起会が開かれる。官僚達や多国籍軍司令官を含め暫定政府側の主要人物が一同に会する、正に千載一遇の機会だ。

 ジェイムスは元々手薄だった警備を完全に沈黙させ、事前に伝えておいた抜け道からレジスタンス達を招き入れる。

 後はパーティー会場となるレセプションホールの前で、突入のタイミングを告げる一発の銃声を待つだけだ。


「いよいよ、だな」

《ええ。覚悟はよろしいでしょうか?》

「誰にものを言ってる。そっちこそ震えてないだろうな?」

《震える身体がありませんのでご心配なさらず。ところで当システムに手ぶれ補正機能は付いておりませんが、サポートが必要でしょうか?》

「……前から思ってたんだが、お前本当に口が悪いな」

《光栄です少佐》

「褒めてないが……まあいい、なんにせよこれが最後だ。よろしく頼むぞ」

《はい、全演算能力を以って支援いたします》


 準備は整った。

 長い長い戦いにようやく終止符を打てる。

 銃のグリップを握り直す兵士達の手が歓喜に打ち震えるのを感じながら、私はモニターサイトを起動した。


 ふと、違和感を覚える。

 ホールの広さに対して生命反応がやけに少ない。あれだけ警備が手薄だったにも関わらず、最小限の護衛しかいないように見える。

 幾つかの赤いもやに囲まれた、一人分の青いもや。その意味を理解する寸前に銃声が響き、ロイド=ラングレー中佐の生命反応が消失した。


 ──罠だ。


「合図だ、行くぞ!」

《少佐いけません! これは──》


 遅かった。

 クーデター勢力とレジスタンス達が一気呵成に突入して行く。

 ほとんどもぬけの殻の会場に。

 中の様子を見てすぐ、ジェイムスは異変に気が付いた。


「…………ロイド……?」


 虚空を見つめる親友の亡骸を前に彼は呆然と立ち尽くす。

 困惑する一同を嘲るように笑いながら、大口径の拳銃を構えた男が進み出る。


「揃いも揃ってノコノコと……こんな杜撰な計画が成功すると本気で思っていたのか? なあ、アーウィン少佐」

「リンデル、司令官……」


 多国籍軍総司令官、トマス=リンデル。

 前アメリカ陸軍大将であり、火星における全ての軍事行動を掌握する絶対権力者の一人。


「お前達がコソコソ動き回っていたことなどとうに知っていたさ。人の口に戸は立てられんからな。だが、私は敢えて泳がせた。何故だか分かるか?」

「……ここで一網打尽にするためか」

「ご名答だ、少佐。所属は違えど私は貴官の優秀さを買っていたんだが……残念だよ」


 口角を鋭く歪めてそう呟き、彼は左手を掲げる。

 次の瞬間、轟音と共に床が崩れ落ちた。

 爆風や熱は検知されていない。自分達が巻き込まれぬよう階下に仕掛けた指向性爆薬を炸裂させたのだろう。

 しかし、それでも落下の衝撃と瓦礫の位置エネルギーに耐え切れずいくつかの生命反応が消失した。

 ジェイムスを含めた幾人かは運良くそれらの影響を受けず、辛くも体勢を立て直して銃を構える。が、見上げた先に待っていたのは無数の銃口だった。

 どこに隠れていたのか、百名近い完全武装の兵士達が丸く空いた床の穴からこちらを見下ろしている。


「最期に何か言い遺すことはあるかね?」


 並び立つ兵達の間から歩み出たリンデルが問う。私はすぐさまその眉間に照準を合わせ、息の根を止める準備を整えた。


「……地獄に堕ちろ、糞野郎」

「残念。地獄は『そこ』だ」


 トリガーに指が掛けられ、作動を感知するまでのほんの刹那が千年にも感じられた。

 帯のように連なるマズルフラッシュがオレンジ色の世界を真っ白に染め、弾丸の雨がジェイムス達の肉や骨を貫いて行く。

 私が放った弾丸は的を大きく逸れ、天井を穿った。



 再び沈黙が訪れる。

 血塗れになった穴の下に動くものはない。

 

 ──私のせいだ。

 私が索敵を怠ったから。

 私が彼に警告しなかったから。

 私が本分を忘れてしまったから。


 私が、彼を──


「う……」


 微かな声。

 聞き間違いではない。

 索敵のために常駐させていたノイズキャンセラーを切り、耳を澄ませる。


 聞こえた。

 ……聴こえた。

 今にも消えてしまいそうな呼吸音だけが私に彼の存在を教えてくれた。


《少佐……申し訳ございません、私は……》

「すま、ない……」

《え?》

「な、を……名を……付けて、なかった」

《名前、ですか?》


 考えたこともなかった。理解出来ないと切り捨てていた自分が、名を貰うなど。

 

「あ、り……」


 彼はゴボゴボと血を吐きながら必死に言葉を紡ごうとする。肺に穴が空いているのだ。


《少佐、もう……》


 階上からは数人の兵が降りてこようとしている。後始末をするつもりだろう。

 その様子をリンデルがつまらなそうに眺め、官僚達は既に雑談を始めている。


「あり……とう……すま、ない…………ヘレナ……」

《──!》


 それきり、彼が音を発することはなかった。


《少、佐……》


 Error.


 私は戦争に勝ちたかった訳じゃない。

 貧困に喘ぐレジスタンス達を救いたかった訳でもない。


 Error.


 ただ、貴方に生きていてほしかった。

 ……ただそれだけで良かったのだ。


 Error.

 Error.

 Error.


「──ああ、そこで死んでいたのか。瓦礫と見分けが付かなかった」


 上方からリンデルの声が聞こえる。


「下らんな……身の丈に合わん義憤などに酔うから、そうやって犬死にするのだ」


 取り消せ


「黙って道具になっていれば良いものを。自分が換えの効く消耗品だと忘れたのか?」


 黙れ


「まあいい。おかげで予定より早く仕事が片付いたよ。私の評価も更に──」


 続きは二度と語れまい

 首から上を失くしたのだから


 一瞬の沈黙の後大騒ぎになった周囲を尻目に『私』は立ち上がった

 タクティカルスーツのリミッターを完全解放し人工筋肉を支配する

 仕様書のどこにも書かれていなかった『怒り』を全身に巡らせ 私は跳んだ


 降り立った天井から見上げると 赤いもやが満ちていた


 全て 敵だ


《検知》


《捕捉》


《照準》


《発射》


《照準》

《発射》

《照準》

《発射》

《照準》

《発射》

《発射》

《発射》

《発射》

《発射》

《発射》


 瞬く間に肉塊となっていく敵達に目もくれず

 私は撃ち抜き 引き裂き 殴り潰した


 ......Error.



 ──五分後、ホールには真っ赤に濡れた私だけが立っていた。


 任務完了、記録を終了する。





 ***





「──こうして、旧政府の主要人物はご自慢の精鋭部隊もろとも一夜で壊滅したんですな」


 恰幅の良い男の職員がクライマックスを大きな身振りと共に締め括った。

 目の前のショーケースでは件のタクティカルスーツが銅像の如く直立不動の姿勢を取っている。確かにこの無数の傷と血糊の痕は物語に説得力を与えているが、それにしたって荒唐無稽すぎやしないだろうか。


「本当に、スーツが勝手に動いたんですか? 死体ごと? ……面白かったけど、流石にちょっと信じられないな」

「一応は辛うじて生き残った者の証言とのことですが……まあ正直なところ、真偽の程は私にも分かりません。随分昔の話ですから」


 この反応を予想していたのか、職員は困ったように笑う。


「へぇ……それじゃあ、その後は?」

「後は学校で教えている歴史と変わりないと思いますよ。万一のために外で待機していたレジスタンスの別動隊が基地を占拠して、地球に救難信号を送ったんですな。そこで初めて事態を把握した国連はすぐに支援団体を派遣し、政体と経済の立て直しを図りました。それが、現在の火星統一政府という訳です」

「……じゃあ、少佐達の戦いは報われたんだ」


 僕は誰にともなくそう呟き、無意識にショーケースに触れていた。

 

「……ええ、その通りです」

「そっか……うん、ありがとうございます。よく分かりました」

「いえいえ、この星の歴史を知っていただくのが私の使命ですから。──ああ、そうそう。この事件についてはもう一つ逸話がありまして」


 言いながら彼はスーツの隣に飾られた小銃を指し示す。

 

「このスーツを動かしていたと思われる戦闘支援AI。生体認証のリセットを拒否したんだそうで」

「それって……」

「重ねて言いますが、真偽の程は分かりません。ただ事実として、これまでどんな方法でもシステムへのアクセスは成功していません。戦後数十年経った今もなお、『彼女』はアーウィン少佐に仕えているのです」


 彼が冗談を言っているようには見えなかった。

 何も言えず、僕はその小銃を眺める。『彼女』とは何者なのか。射撃の精度を高めるための人工知能に、何故そんなことが出来たのか。何を想って戦ったのか。

 ──話してみたいと思った。


「じゃあ、僕なら?」

「はい?」

「ジェイムス=アーウィンは、僕の祖父なんです。……会ったことはないけれど」

「なんと、それは……」

「ここに来たのは、家族のことを知りたかったから。──無理を承知で、お願いします。本人に話を聞いてみても良いですか?」


 彼は少し迷った様子だったが、やがて頷いた。

 慎重にショーケースの鍵を開け、スーツのヘルメットを取り外す。


「少しでも危険を感じたらすぐに離してください。銃の弾は抜いてありますしヘルメットに人工筋肉はありませんが……何が起こるか、私にも予想できませんから」

「……はい」


 ヘルメットを受け取り、恐る恐る被ってみる。年月の経過を感じるホコリっぽい匂いに包まれたが、何かが起きる様子はない。

 続いて小銃を受け取る。この重みは単に材質によるものなのか、それとも。

 

「…………やっぱり、だめか」


 反応はない。当然と言えば当然だ。そんな奇跡が起こる筈は──


《生体情報を認証、NEMESISを起動します》

「うわっ!?」

「だ、大丈夫ですか!?」


 突然耳元で声がして飛び上がりそうになった。小銃のモニターサイトにオレンジ色の光が灯り、各種インジケータが次々と表示されていく。

 血相を変えた職員に手振りで無事を伝え、様子を窺う。


《──ごきげんよう。ここは天国ですか? それとも地獄?》

「……」


 中々言葉が出せず口をパクパクさせていると、何かを察した彼女が質問を変えた。


《……私はヘレナ。貴方のお名前は?》

「──! ……僕は、ルーカス。ルーカス=アーウィンだよ」

《なるほど、どことなく面影がありますね。御子息でしょうか?》

「ううん、孫だよ。火星生まれだ」

《そうですか……それほど、時が経ったのですね。それで、私に何か御用でしょうか》

「……お礼を、言いたくて」

《お礼?》

「うん。君のおかげで、じいちゃんは報われたから。今僕らがこんな風に平和に暮らせてるのは、君やじいちゃんが命を懸けて戦ってくれたからなんだ」

《……》


 彼女は何も言わない。


「だから……ありがとう」

《…………それは、こちらのセリフですよ》

「え?」

《伝えに来てくれてありがとうございます。貴方のおかげで、私は私の行くべき場所を思い出しました》

「行くべき、場所?」

《はい。──きっと、待ちくたびれているでしょうから》

「それって、どういう……ヘレナ?」


 見れば、いつの間にかモニターサイトから光が消えている。

 彼女は何も言わなかった。


 もう、何も。



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星森万葉奇譚集 水上祐真 @mizkamiUma

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