Hidden Notes

棗颯介

Hidden Notes

「あ、浩平こうへい。おはよう」

「……うん」


 隣の家に最近引っ越してきた男の子は、消え入りそうな声でそう言うと逃げるように家の玄関に吸い込まれていった。

 最初に浩平と会ってからもうすぐ一ヵ月になるけど、私がどれだけ声をかけても、遊びに行こうと誘っても、あの子はまるで聞く耳を持ってくれなかった。私と同い年で、同じ小学校に通っているからいくらでも誘うチャンスも遊ぶ時間もあるのに。いつでもずっとあの調子。誰とも目を合わせずに俯いて、誰かから声をかけられても無視するか曖昧な返事をしてばかり。そのせいで今の学校でも全然友達はできていないみたい。

 前に一度だけ、ママに浩平のことを聞いたことがある。お父さんとお母さんを交通事故で亡くして、親戚のおばさんが住んでいる隣の家に引き取られたらしい。だから優しくしてあげてねってママに言われたから、私は今もめげずに浩平に話しかけているんだけど。


「う~ん、どうしたら心を開いてくれるんだろう」


 浩平との仲は一向に縮まらなかった。何か作戦を立てた方がいいのかな?

 その日の学校の帰り道、私は親友の紗友里さゆりに思い切って相談してみた。


「うーん、なるほどね~……」

「何か、浩平くんと仲良くなれる方法ないかな?」

「贈り物をしてみるっていうのは?」

「贈り物?」

「ほら、もうすぐバレンタインデーでしょ?今週の日曜日」

「あっ」


 そうだ、今週の日曜日は二月十四日。バレンタインだ。


「でもあんまり仲良くない相手にチョコ贈るのってどうなのかな。バレンタインって相手に感謝を伝える日だよね」

「う~ん、華澄かすみ、何かその子にお世話になったこととかないの?」

「そもそも話もろくにしてくれないんだし———、ってそういえば」


 一度だけ。一度だけ浩平に助けてもらったことがあった。最初に浩平と会ったとき。


▼▼▼


「だ、誰か……」


 それは、夜に大雪が降った日の翌日の学校の帰り道。一人で帰っていた私は、近所の人たちが除雪して空き地に寄せ集めた雪の山に足が嵌まって抜け出せなくなった。目の前に大きな雪山があれば、子供なら誰だって登りたくなるでしょう?

 本当に、冷たくて寒くて。近所の人に助けを求めたいと思ったけど、どこか気恥かしさを感じた私は大きな声も出せなくて。人気のない空き地の雪山に足を捕まえられたまま、どれくらいそうしていただろう。どうしようもなく寒くて怖くて、目に涙を浮かべていたその時に、その子が来たんだ。


「ど、どうしたの?」


 見ると、私が嵌まっていた雪山の麓に、少し背中を丸くした男の子の姿があった。背負っているランドセルを見て、私と同じ学校の子だってすぐに分かった。


「あ、足が嵌まって抜けられなくなったの」

「大変だ。すぐに引っ張ってあげるから」


 男の子が私の手を思いっきり引っ張ってくれて、私はようやく雪山から降りることができた。


「ありがとう。このまま死んじゃうかと思った」

「じゃあ、僕はこれで」

「ねぇ、君名前は?」

「……」


 男の子は何も言わずに去っていった。その子が私の隣の家に住んでいて、名前を浩平というのを私はすぐ後に知った。


▲▲▲


「そうだ、そういえばあの時のお礼、まだちゃんとできてない」

「よく分からないけど、お礼の口実があるならそれでいいんじゃないかな?」

「うん、やってみる。紗友里、ありがとう!」

「私のことはいいから、贈り物をどうするか気にしなよ。今日が十一日だからあと三日しかないよ?」

「うわっ、そうだった!」


 私は家に帰ると、すぐにママにチョコの作り方を教えてもらった。誰かイイ人ができたの?なんてママにはからかわれたのが恥ずかしかったけど、とにかくバレンタインの前日の夜には綺麗な袋に包まれたプレゼントのチョコが完成した。味はともかく、見た目はどこからどう見ても立派な贈り物にしか見えない。うん、ママありがとう。

 そして迎えた当日の午後。私は浩平の家のインターホンを鳴らす。どうしよう、別に告白するわけでもないのに緊張する。


『はい?』


 スピーカーから聞こえたのは、多分浩平のおばさんの声だった。


「あの、隣の家に住んでる華澄です」

『あぁ、華澄ちゃん?どうしたの?』

「あの、浩平君いますか?」

『浩平なら、さっき公園に行くって出ていったよ?』

「あ、そうですか。分かりました」

『ごめんね。華澄ちゃんが浩平のこと気にかけてくれてるの、おばさんすごく嬉しく思ってるよ』


 おばさん知ってたんだ。浩平が言ったのかな。それともうちのママ?ご近所さんのネットワークってすごい。


「気にしないでください。それじゃ、行ってきます」

『うん、ありがとう』


 私はそのまま公園へと走った。どこの公園かは言われなかったけど、ここから一番近い場所ならきっとあそこだ。

 予感は的中。浩平は私達の家からほど近い、広い割には遊具が少ない寂れた公園の滑り台に座っていた。遊ぶでもなくボーっと空を見つめちゃって。クラスの他の男の子もそうだけど、どうして男の子ってカッコつけたがるのかな。


「浩平」

「っ、何?」


 浩平は私を見てビクッと身体を震わせた。失礼しちゃう。


「あのね浩平、ちょっとこっち来て」

「なんで」


 そんなとこに居たらチョコが渡しにくいじゃない。でも、サプライズなんだからそんなことを言うわけにもいかない。


「えぇっと、話したいことがあるからとにかく降りてきて」

「話すだけなら別にここでも———」

「あぁもう!いいから降りてくるの!!」

「わ、分かったよ」


 私はやや強引に浩平を滑り台から降ろさせた。私と浩平の距離が五十センチほどまで狭まる。手を伸ばせば届くほどの距離。


「それで、なに?」

「えっとね、浩平、その……これ!」


 うまく言葉が浮かばなかった私は、勢いに任せて背中に隠していたチョコを浩平の前に差し出した。

 

「これは?」

「その、今日ってバレンタインでしょ?だから、チョコ作ってきたの。ほら、浩平って前に雪に足が嵌まった私を助けてくれたでしょ?だからそのお礼———」

「こんなの、いらない!!!」


 浩平は突然声を荒げ、乱暴に私の差し出したチョコの包みを払いのけた。チョコの袋はそのまま地面に落下する。こころなしか、その形が崩れてしまったように見えた。


「ひどい、ひどいよ。どうしてこんなことするの……?」

「うるさい!そんなの、そんなもの……」


 驚いた私が泣くよりも先に、浩平が大粒の涙を流してその場に膝をついた。おかげで私は完全に泣くタイミングを見失ってしまって、ただどういうことなのか理解できず困惑するしかなかった。


「ね、ねぇ浩平?どうしたの?私、何かいけないことしちゃった?もし気分悪くしちゃったなら謝るから。だからその、話して、みてくれない?私、浩平のこと、知りたいの」

「ひっぐ、う、うぅぅぅ………」


 浩平は、ただただ泣き続けた。

 私は浩平の傍にいて、その背中を優しく抱きしめてあげることしかできなかった。

 

「……父さんと母さんが死んだんだ」


 浩平がやっと言葉を発してくれたのは、もう空が茜色に染まり始めた頃だった。


「うん、ママに聞いたよ」

「……僕のせいで死んだんだ」

「え?」

「一ヵ月ほど前の僕の誕生日のケーキ、チョコレートのケーキが食べたいって言ったんだ」

「……」

「二人は僕のケーキを買いに行った帰り道、交通事故に遭って……事故の現場に、僕に贈るはずだったケーキが潰れてたんだって」

「そう、だったんだ」


 だから、私のチョコを見て、その時のことを思い出しちゃったんだ。


「僕のせいで、僕のせいで二人は……」

「……」


 私は何も言えなかった。私達みたいなまだ十歳にもならない子供が背負うにはあまりに重い十字架だっていうことは、子供の私にも理解できた。自分のせいで両親が死んでしまったと理解できるだけの聡明さを持っていたのが、浩平にとって一番の不幸なことだったのかもしれない。

 どうしよう、なんて言ってあげればいいんだろう。浩平がいま一番望んでいる言葉はなんなんだろう。


「———それでいいんじゃないかな」

「……え?」

「ずっと、自分を責め続けてもいいと思う。それが、お父さんとお母さんを忘れないことになるなら」

「……」

「でも、でもね、自分が生きることまで責めたりしちゃ、ダメだよ。もし本当にお父さんとお母さんに悪いことをしたと思うなら、その償い方はきっと生きていかないと見つからない」

「……」

「だから、さ」


 私は俯いていた浩平の顔を両手で無理やり持ち上げ、彼と強引に目を合わせた。


「どうしようもない時は、私を呼んで?私が浩平のそばにいてあげるから」

「え……?」

「やっと、私の顔、見てくれたね」

「っ、う、うぅ……」


 浩平は、また泣いた。今度はさっきよりも長かった。だから私は、さっきよりも長く、さっきよりも強く、浩平を抱き締め続けた。


***


「———あのさ」

「うん、なに?」


 浩平がようやく泣き止んだのは、もうすっかり夜になる頃。きっと、帰ったら二人とも家の人に怒られちゃうだろうなぁ。


「さっきは、ごめん。チョコ」

「ううん、もういいよ」

「あの、さ。華澄さん」

「華澄でいいよ。なに?」

「地面に落ちちゃったけど、チョコ、一緒に食べない?」

「うん、いいよ。袋に入ってるから中身は大丈夫だろうし」


 私たちは足元に転がっていたチョコを拾い上げ、封を解いて二人で食べた。

 いざ食べるとなると、やっぱり緊張しちゃう。ちゃんと美味しくできたかな。味見はしたけど……。


「いただきます」

「う、うん。どうかな?」


 浩平は私の作ったチョコの一つを口に運び、ゆっくりと舌で味わうように口を動かす。


「うん、美味しい」

「本当?良かったぁ……」

「ねぇ、華澄」

「ん?なに?」


 夜の暗闇の中だったけど、浩平は確かに私の目を見て言った。


「ありがとう。ホワイトデー、楽しみにしててね」

「うん、楽しみにしてる。あぁ、そうだ。私からも」

「え?」

「あの日、私のこと助けてくれてありがとう」

「———うん、どういたしまして」


 少しだけ、私と浩平の距離は縮まったみたい。

 ハッピーバレンタイン。浩平。

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