彫像

@rarara_brahmin

彫像

「なに、あれは眉(まみえ)や鼻を鑿(のみ)で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出す様なものだから決して間違う筈はない」

                      夏目漱石「夢十夜」より



 天保の年間、ある仏師が仏像を彫ろうと問屋に木材を買い付けに訪れた。

 店主にお薦めを聞いたところ、信州の古寺から切り出したという立派な木を薦められた。

 今はもう荒れ寺だが昔はそれなりに賑わっていたそうで、そこの木を仏像にしてやれば、お寺も本望だろうとのことだった。


 仏師は仕事場に木材を運んでもらい、さて仕事に取り掛かろうとして、木をしげしげと眺めた。

 そして粗く身体と頭を削り出し、はたと眺めて、しまった……と思った。

 まだまだ目鼻もはっきりしていないお顔だが、既にどことなく悲しそうなのだ。

 彫ろうとしているのは観音菩薩である。救いを求める衆生を拾い上げ、苦しみを取り除くありがたい仏様だ。当然ながらそのお顔は慈しみに溢れた優しい表情でなければならない。

 しかし目の前にある仏様は、どう見ても深い悲しみをたたえたお顔にしか見えなかった。

 これはまずいと思った仏師は「南無観世音菩薩……南無観世音菩薩……南無観世音菩薩……」と3回唱えた後、優しいお顔になるように慎重に続きを彫っていった。

 それでも困ったことに、どうやっても優しいお顔にならないのであった。


 ついにもうすぐ最後の鑿を入れ終わるという段になっても、観音様のお顔は優しいどころか、深い悲しみと恨みを抱えて、今にも仏師を呪い殺しそうな形相になっていた。

 仏師はどうしたものかと頭を抱えたが、このまま止めるのも罰当たりなので、ひとまず完成させてしまおうと鑿を入れた。

 するとガッという音と共に、鑿を持つ手に鈍い衝撃がはしった。

 よく見ると木に釘が埋まっている。しかもどうやら観音様のお顔のあたりに他にもびっしりと釘が埋まっているようなのだ。


 これはいったいどういうことかと木材屋を呼びつけて問いただすと、木材を切り出した古寺は丑の刻参りで有名だったそうだ。

 藁人形を打ち付けた釘がそのまま放置されて、木に取り込まれてしまったのだろうということだった。


 仏師は急いで近くの寺へ坊さんを呼んできて、観音経をあげてもらった。

 そうすると観音様のお顔が少し和らいだように見えた。

 坊さんが経を唱える前で、仏師は観音様に埋まっている釘を一本ずつ抜いていった。そして抜き終わると観音様に手を合わせ、最後の鑿を入れていった。

 槌が鑿を打つカッ……カッ……カッ……という音が響く度に、観音様のお顔が優しくなっていくようだった。


 仏師は観音様を完成させると、その古寺へと運び入れて、その昔に丑の刻参りに来た人々の魂の安寧を祈ったとのことだ。

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