終幕

エピローグ シエンの果て

 春先の木漏れ日が、静かな――古風な様式で、けれど真新しい建物の並ぶその場所を温く、包み込んでいる――。


 元、交戦区域。

 現、大和共和国の、首都を外れた片田舎。

 そこを、一人の女が、ゆったりと歩んでいた。


『こうして、1年半前に、稀代の英雄クサカベスイレン准尉によって、最期の“ゲート”が破壊され――』


 街角には幾つかの液晶画面――戦争が終わった結果、民間に技術が下りてきて、近頃普及し出したその映像放送テレビジョンが踊っている。


 流れているのは、ほとんどニュースだ。


『大和帝国皇帝、大和紫遠と、大和共和国代表兼大和連合下院議員、東乃守殊洛の会談によって――』


『――実録、激動の時代!今回は戦時下に種族を越えたラブロマンスを演じた月宮さんのお宅に――』


『ゲートの破壊から1年半。戦争の集結宣言――帝国連合共和国、3国が署名した停戦合意からちょうど1年。本日は大和同盟発足の、終戦記念日として――』


 流れていくニュースを横に、歩いているのは平和な人々。ヒトもいて、オニもいる。3人に1人くらいの割合でやたら隙の無い完全に場慣れした歴戦の猛者が居るのは、結局この共和国の市民は基本的に軍関係者だったからだろう。今は、他からも流れて来てるが……。


 そんな最中を、一人の女は気楽な調子で歩んでいた。


 和装だ。浴衣に近い、薄手の、暗めの和装。袴姿でもなく、戦時中常に着ていた紅羽織ももう、着る必要性がなく、太刀の代わりに小物入れだろう、巾着を下げ……。


 何所かお淑やかに静かに、女は歩き、テレビのニュースに笑みを零している。

 その姿に、道行く男たちはチラリと振り返り――振り返ったと思えば二度見する。


 派手にしなければお淑やかな美女。袴姿でもなく、極まった武道の所作は流麗で、静かに華やかで……静かに華やかにお淑やかに歩いてるのに、その手に巾着と一緒に、どう見ても一升瓶を握っている。


 そんな酒好きな女。オニの女は、1人、気を抜き切っているような緩やかな雰囲気で歩んでいき――やがて、その平和な世界の一角。


 ある定食屋を前に、立ち止まった。


 *


「あ、扇奈さん!いらっしゃい!」


 暖簾をくぐると、すぐさま、そんな明るい声が投げられた。


 食事時を外してきたからか、客足のないその店の中を見回して……それから扇奈は店の奥のカウンターに腰かけ、そこに一升瓶を乗せて、言った。


「ああ、久しぶりだねぇ、桜。ほら、これ。開店祝い」

「あ、ありがとうございます!」


 明るい声が返ってきて――細腕が一升瓶を手に取る。


 目の前には、美女がいた。もう少女ではなく女、……そんな8年前から知っていて、そしてその8年前に戻ったように、明るい笑みを零す美女。


 桜花様によく似ている、ともっぱら評判の看板娘。

 淡い色合いの、動きやすそうな服に、エプロン。何処か活発そうに髪を纏めている彼女――藤宮桜は一升瓶を手に、店の奥へと声を投げる。


「コウヤ!扇奈さんが来たよ、」


 そのサクラの声に、奥から「……ああ、」とぶっきらぼうな声が返ってきて、のっそりと、厨房に立っていたらしい男が、表へ出てくる。


 眼帯の男だ。プロパガンダにも使われていた英雄、スルガコウヤによく似ているともっぱら評判で、それを指摘した相手に「……気のせいだ、」と言い続ける男。


 藤宮鋼也は、扇奈を前に笑みを零して、言った。


「久しぶりだな、扇奈」

「ああ。元気そうで何よりだよ、クソガキ」


 そんな風に答えて、カウンターに頬杖を付き、扇奈はまた、店の中を見回す。


 和洋折衷――そんな感じの定食屋らしい。奥に座敷、手前にテーブル、そしてカウンター席。内装は落ち着いていて、そして、目の前にいる二人は、そろいのエプロンを付けていた。


 エプロンにはこんな文字、店名が載っている。それを眺めて、扇奈は言った。


「しっかし……ふじみ屋、ねぇ」


 呟いた扇奈を前に、二人は口々に言う。


「……嫁の苗字だ」

「旦那が不死身なんです!ああ、じゃなくて。不死身のヒトに似てるんです!」


 嫁に旦那と、息を合わせて、口々に二人は言っている。

 そのなんとも気の抜けるような惚気に、扇奈は眩しいモノでも見るような気分で、笑みを零し……。


「なんか、やたら上手い事になってんねぇ。誤魔化せてんのか、あんたら」

「ああ。問題なく誤魔化せてる」


 戦場がなくなって、いよいよぼんやりした雰囲気ばかり残っている鋼也はそう頷き、それを横に、桜はにっこりと笑って、言った。


「大丈夫です。……勘の良い方とはしますし」


 ぼそっと、何か付け加えられていた。そしてそれを誤魔化すように桜はまたにこっと笑う。

 明るい表情だが、見ていると何か背筋が凍るような気がする。


 そんな、大和全部掌の上で踊らせた上で最終目的が家庭に入る事だった元皇女を前に、また扇奈は呆れたように笑って、鋼也に言う。


「まったく……。鋼也、あんた尻に敷かれてんじゃないのかい?」

「ああ」

「……ああ、じゃないよ、まったく」


 そう、やっぱり呆れて笑って、それから、世間話がゆっくり続く……。


 *


 別段何か約束をして、この店を訪れた、と言う訳ではない。

 終戦記念日、と聞いて、思い出して顔を覗かせてみただけだ。


 今日はもう商売しようって気分じゃなくなったのか、いつの間にやら鋼也はのっそり、日がある内から暖簾を下げて……けれど、暖簾の下がったこの店に、ツラツラ、やってくる者達がいた。


『姐さん!やっぱここだったんすね。お久しぶりっす』


 そんな風にオニが1人、いや1人ではないらしい。すぐそこであったと何人も――全員開店祝いとか言いながら酒瓶を手にやってきて、緩やかな舞台に賑わいが増していく……。


『お前まだ軍属なのか?』

『ああ。まあ、復興支援っつうか、やってることはほぼ大工だけどな』

『ああ、あの斡旋の……』


 そこら中で好き勝手気ままに、気付けば開店祝い、と称して持って来ていた酒瓶が開いていて……そのなんだか懐かしい気のする光景の隅で、桜が鋼也に何か耳打ちし、厨房の奥へと消えていく……。


 鋼也が作ったのだろうか?つまみらしい、様々な料理――それこそお良ければなんでも良いとばかりに、頼めばなんでも出てくる厨房で、オニ達――部下達は話している。


『そういや一鉄の奴……』

『……ああ。見た。ニュースだろ?鈴音も元気そうだったな』

『あいつも帝国軍のままか?』

『そのまま出世らしい。大和の外にはまだ竜がいる。軍備を完全に捨てる事は、大和紫遠もしないだろう』


 オニ達のその声に、扇奈は耳を傾け……やがて、やはり示し合わせたように、また戸が開く。


『おお?……なんだよ、ずいぶん集まってんな。おお、なんか懐かしい』

『…………知り合いなの?』

『まあな、』


 帝国の制服を着た男女がそう、入ってすぐに声を上げ、もう出来上がってきているオニ達に歓迎を受け、オールバックの男が駆けつけ一杯、その横で小柄な、肩口で髪を切り揃えた女が、ため息をついている。


 そんな二人の元へ、鋼也は歩み寄り、話し始め……。

 そしてそんな二人の奥に、やたら姿勢の良い――それこそ給仕でもしていたのか、生真面目そうな女性の姿があって、そちらへは桜が声を掛けている。


 だんだんと、場の音量が増していく。酒で出来上がっていく、空間。

 扇奈はそれをゆっくり眺め、呼びかけられたら豪胆に笑い、それからまた平和を眺め……。


 そしてまた、人が増える。

 がらりと開いた戸の向こうに立っていたのは、金髪に青い目の、ハーフエルフ。

 傍には……どうも秘書官として雇い始めたらしい、ショートカットのヒトの少女の姿があった。


 目の前にある見慣れた酒場に、ハーフエルフは眉を顰め。


『昼間っからこの惨状?』


 それを横に、ショートカットの少女は言う。


『……あの、やっぱり私、ここに混じっても』

『良いのよ、気にしないで。場違いだとか言う奴いないわ。呑めりゃなんでも良いんだし』

『いえ、そういう意味ではなく……そもそも私未成年で、』


 とか言っている少女を横に、ハーフエルフもまた当然のように酒持参で、その酒宴に混じる。


 騒ぎが深まっていく……。


 *


 夕暮れになる頃にはもう、どんちゃん騒ぎだ。

 そこら中でオニが笑って、大声で下世話な話をし、そこで一番派手に盛り上がってるのはオールバックの男。

 

 隅っこではヒトの女達が集まり、何かやたら真面目そうに話し合っている。結局きっちり酒を手にして。


 店の奥では、料理を一通り出し終わったのだろう。鋼也が椅子に座り込み、その前で桜が酒を注いでいる。


『……待て、桜。それアイリスが持ち込んだ……割らず呑む度じゃ、』

『まあまあ、』

『まあまあじゃないだろ……』

『まあまあ、』

『……酔ってるのか?いつ吞んだ?』

『まあまあ、』


 そんな風に、英雄が押し負ける……いつもそんな何だろうやり取りが聞こえる。


 それを遠目に、扇奈は眺め……と、だ。


「珍しいじゃない、扇奈。騒いでないなんて」


 そんな声と共に、扇奈の横にハーフエルフ……アイリスが腰かけた。

 そしてアイリスは、扇奈の視線を追い……その先を眺めて、言う。


「まだ引き摺ってる?」

「そんな訳ねえだろ……。なんか、気が抜けただけだ」

「ふ~ん。なんか、そのまま老け込みそうね。……まだ軍だっけ?」

「あんたもだろ?」

「まあね。って言っても、あたしは半分官僚だけど」


 共和国の母胎は根底が軍だ。終戦直後の社会組織の基盤も、戦争が終わって働き口が減った軍関係者が事務に回っている。


「あんたも来たら良いじゃない。ポストあるわよ」

「いや。……今が性に合ってるよ」

「教官だっけ?」

「まだガキの世話だ。……あんたの兄貴は?来ないのか?」

「来ないわね。忙しいし……まあ、暇でも来ないわね、兄さんは。私が表、兄さんが裏。前から今も一貫してね」

「なんだか懐かしいねぇ……」

「やっぱあんた老け込んでない?……男は?いないの?」

「……ほっとけ」

「あんたが言い寄られないってないでしょ。本当はなんかあるんじゃないの?」

「言い寄られてるのか?……気付いたら舎弟になってんだよな、」

「…………何してんのよ、あんた」


 呆れた様子のアイリスを横に、扇奈は頬杖を付き、呟いた。


「……何してんだろうね、」


 *


 流れる。流れて往く……。


 日の落ちた街角。騒ぎと混沌が深まっていく”ふじみ屋”の戸を背後で締めて、夜風に流れる春の夜の温く涼しい空気に、僅かに髪を撫でさせ。


 そして、扇奈は夜道を一人、歩み出した。


 平和な夜道には、帰路を急ぐ人々、あるいは飲み歩いているらしい人々の姿。


 明かり代わりに街頭を照らす映像放送テレビジョン

 そこに流れる映像は、昼間と違って一つの景色。


 川を、幾つもの明かりが、灯が、流れている……。

 終戦から、1年。灯篭が流れ、悼みを露わに、平和の最中酔いは回り、宵が深まり……。


 最中を1人、静かに、扇奈は歩んでいた。

 夜に溶けるような暗い装束で、ゆったり、1人、女は歩み……。


 やがて、目当ての場所で、立ち止まった。


 周囲には数人、誰しも神妙な顔をした人々がいる。それらと声を交わす事もなく、扇奈は歩み寄る……寄った先にあるのは、慰霊碑だ。


 大きな墓標。欠かさず手入れをされて、供えられた花やら酒やら、そんなあれこれが月光の最中墓標に華やぎを添えている。


 そんな墓標を前に、扇奈はふとしゃがみ込み……封の切られていない煙草をひと箱、そこに供えた。


 そしてそのまま、扇奈は言葉を探すように、暫し口を閉ざして……やがて、呟いた。


「……まだ、死にそびれてるよ。くだらない話はたくさんある。これからも増える。また会った時……愚痴でも零すさ、」


 少し寂し気な笑みを口元に、それだけ言って、扇奈は立ち上がり掛けて……。


 ふと、だ。その視界に、白い煙が流れた。


 同時に、良く知った――大層ヘビースモーカーだったせいでいつの間にか嗅ぎなれていて、そして今となっては少し懐かしい気もする、そんな匂いが鼻をくすぐる。


 それに、扇奈は動きを止めて――かと思えばふと、小さく、笑みを零し……やがて夜の最中囁くように、呟いた。


「来てたのかい。……まったく、」


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