50話 煉獄に悟りを

 紫遠おじさんは、たまにしか遊びに来ない。


 遊びに来る時は、僕にはすぐわかる。サユリがいつもより念入りに掃除をするし、料理の材料を揃えるし、ちょっとだけお化粧をするし……。


 振り返ればサユリも、いわゆる年頃の女の子だったんだろう。

 そうやって、いつもより小奇麗になったあの離宮で、訪れて来た紫遠おじさんに、僕は聞いてみた事がある。


 どうしてたまにしか来ないの?


 その幼い僕の問いに――あの野郎言いやがった。


『私はヒーローだからね。色々と忙しいんだ、』


 まあ、子供心に何言ってんだコイツって思った。

 振り返ると、だ。大和紫遠は根本的にガキだ。馬鹿なガキだ。


 馬鹿なガキじゃなきゃ、本気で世界を平和にしようなんざ思わないだろう。

 馬鹿なガキだが――馬鹿なガキでも全て成り立たせてしまう程、あらゆる才覚に恵まれている。


 竜の巣の奥の奥。

 そこに、もう、終わった舞台があった。


 奥に、巨大な楕円の、卵のような輝く何かがある。白い、のか?全部赤くて何もわからない。


 そして、その周囲に夥しい数の死骸があった。竜の死骸だ、2,3百はあるだろうか?

 全部正確に眼球を撃ち抜かれていて、そう言う意味では酷く綺麗な死骸の山。


 そんな死骸の山の中心で、一機と一匹が向かい合っている。


 小柄な竜がいる。身体が透明なのか?内臓が透けて見えていて、内臓だけ浮いているかのように酷く気色悪く、牙も爪も尾も、武器になりそうなものが全部退化しているような、そんな竜。多分、知性体。


 何か訴えるように口を開いたソレの頭部が、ふと、弾丸に吹き飛ばされて――。

 ――そうやって崩れた知性体の前に、硝煙の上がる銃を手にした、一機の鎧が立っていた。


 “夜汰鴉”。きっと紫色に塗られてるんだろう、無傷の鎧。

 高級機でも最新機でもない。ただ、わざわざそれを使ってる奴は大抵歴戦で、猛者で、どこか人間離れしている――そんな往年の名機。


 腰にFPA用の太刀を佩き、手に20ミリを――その弾倉を慣れた風情で交換するその“夜汰鴉”は、視線をチラリとこちらに向けて……世間話のように、言った。


「……やはり来たか、水蓮」


 その声は、良く知っている。

 俺を拾った相手。俺が復讐したいと願っていた相手。俺が……話してみたいと思っていた相手。

 

 大和紫遠は俺に背を向けて、奥にある巨大な卵――“ゲート”の横に、背負っていた爆弾を設置し始める。


 そこへと、真っ赤な視界で、死にそうな、途切れそうな意識の中、俺は歩み寄り、声を掛けた。


「何やってんだよあんた。皇帝だろう?こんなとこまで来て良いと思ってるのか?」

「私は独裁者だ。……私の蛮勇を諫める権利のある人間はいない」

「だからって……」

「私の演説を聞かなかったのか?……まあ良い。来たなら手伝え。私を殺すのは作業が済んでからだ。……その方が合理的だろう?」


 世間話のように、大和紫遠はそう言っている。

 それを横に、俺もまた背負っていた爆弾を下ろし……。


「……あんた、死にたいのか?前に言ってたろ。俺に殺されてやっても良いって」

「この“ゲート”を破壊すれば、竜との戦争は終わる。独裁的な軍事国家はもう必要なくなる。独裁者の役も必要なくなる」

「独裁者が嫌になりました、とかか?」

「それを言う権利は私にはない。自分が碌な人間ではない事は、自覚している」


 大和紫遠は……紫遠おじさんはそう言っている。

 それを横目に――まだ、朦朧としながら。


「…………見捨てた事に贖罪、か?サユリを殺したことを後悔してるのか、情報提供者」

「……言い訳はしない。ただ、お前に殺されるのは筋の通る話だとも思う」

「俺に殺されにこんなところまで来たって?」

「今なら竜に殺された事に出来るだろう?お前は良く働いた。英雄だ。復讐をここで終わらせて、称賛される人生を歩め」

「…………訳わかんねぇ、」


 吐き捨てた俺の横で、設置を終わらせたのか、大和紫遠は立ち上がる。

 それを横に、俺は設置作業を続け……問いを投げた。


「あんた、殺したのか?自分の妹を。おっさん……スルガコウヤを」

「ああ。……公的には、な」

「…………公的、ね」


 呟いて、俺もまた設置を終わらせて、立ち上がる。

 立ち上がった俺を、“夜汰鴉”――紫遠は眺め……その手の銃を持ち上げた。

 20ミリ、なんて馬鹿げた口径の――当たれば、FPAだろうと貫ける、銃。


 それを、紫遠は持ち替え、銃口を自分自身へ向けて、グリップを、トリガーを、俺へと差し出してくる……。


 前にあった時と、同じような状況だ。

 俺が復讐したいと呻いて、それを、まだ駄目だと――そうあしらい、からかった時と同じような状況。


 真っ赤な世界で、目の前に銃。その向こうに仇敵――恩人。

 それを眺めて、俺は言った。


「……紫遠おじさん。俺は、……大人になった。大人になったと思う。大人になった事にした。根はガキだけど、……振舞いでごまかすのが大人なんだろ?俺は、そうなろうと思った。真っ当に育てて貰った。喚いてるのを、見守ってて貰った。馬鹿やったのを庇っても貰えた」


 何も言わず、大和紫遠は俺を眺めている。それを、前に。


「あんたの事は恨んでる。けど……どうしようもない状況が世の中にあるって事も、もう、知ってる。あんたは後悔してる。背負って前に進みながら、楽になりたいと思ってる」


 何も言わない紫遠を前に、俺は二つ並んだ爆薬――その二つのタイマーをセットして、それから、その横に腰かけ、言った。


「あんたの事は殺さない。死にたがってるなら尚の事だ。苦しんで生きろ。平和に貢献しろよ。それをするべき人間で、それが出来る奴だろ、あんたは。一生後悔しながら、世界を平和にして、寿命で死ね。……それが俺の復讐だ、」


 言った俺を、赤い世界の中で、紫遠は眺め続け……やがて、銃を下ろすと、俺に背を向けて、言った。


「なら、退くぞ。起爆まで時間がある。その間に、脱出だ」

「あんたはしろよ。俺は残る」

「…………」


 答えた俺を、大和紫遠は眺めて……そんな、恩人……確かに育ての親の一人なそいつを、俺も見上げて。


「自分でわかる。もう、限界だ。戻る体力はないけど……また竜が変なことしてくるかもしれないだろ?見張ってるぐらいなら出来る。……最後まで働きたいんだ。大人だからな?」


 そんな俺を、大和紫遠は暫く、……どこか思い悩むように眺め、それから、言った。


「……銃は?居るか?」

「いや。……俺もう、素手でも結構強いんだ」

「なら……、」


 呟き、大和紫遠は自身の腰――そこにあった野太刀を外し、それを俺へと差し出してきた。


「……ヒトにとっては、飾りのようなモノだ。高貴な血筋のモノが帯びる、武勇と高潔さの証」

「勲章より随分良いな、」


 そう言って、赤い世界の最中――俺は大和紫遠からその野太刀を受け取る。

 受け取ったそれを膝の上に、座り込む俺を大和紫遠は眺めて……。


 何か言おうとしてるんだろう。そんな気がしながら、それを遮るように、俺は言う。


「俺の事見逃しといて正解だったな、親父」

「…………ああ。私の負けだよ、水蓮」


 それで、やり取りは終わりだ。

 大和紫遠は、歩み去っていく……。


 それを、爆弾の横で、敵の卵を背に、赤い世界の中、眺めて……。


「…………親父、か」


 俺は結局、母親に甘えたくて、父親に勝ちたかった。それだけだったのかもしれない。


 状況が余りに複雑すぎたから、どっちもあまりうまく出来なくて……だが、こうやって、振り返ってみれば単純で、そして、案外満足な気がする。


「そういや、聞きそびれたな。サユリの事どう思ってたのか」


 そんな下世話な呟きを漏らし、俺は“夜汰々神”――その鎧を開く。


 目の前からHUDがなくなっても、世界はまだ真っ赤なまま。やっぱり、目がイカれてるらしい。脳内出血とかか?


 そんな事を思いながら、俺は懐から煙草の箱を取り出して……。


 だが、……ああ、最悪だ。なんか血でぬれてぐちゃぐちゃだ。俺出血してたのか?どれだ?無理に異能を使って鼻血でも出たか?ブービートラップで落下した時、ひしゃげて装甲が刺さりでもしたか?それともさっきの、気色悪い部屋で食らった分か?

 もしくは、半分意識死んでる時に竜にでも刺されてたのか?


 とにかく、流石にこれは吸えない。おい、ヘビースモーカーにその仕打ちはないだろ。

 ……いや。まあ、一つ。あるにはあるか。


 エンリが作ったジンクス。扇奈に甘えて、貼って貰ったお守り。

 俺は少し、悩んで……。


 もう、お守りは必要ないだろう。


 そんな風に思った。

 エンリに言おう。あんたのお守りのお陰で、最期の最期に一服出来たって。


 お守りを取って、開けて、その中から煙草を取り出し……一本咥える。

 咥えた時に、俺は気づいた。


「…………ハッ。震えてんのか、俺」


 やっぱり俺も臆病者だったよ、おっさん。そう、天国で言うか?いや、おっさん生きてんだっけ?公的に死んだって多分そういう事だよな。


 お姫様と英雄が、ただの女とおっさんになる訳だ。


「……絶対尻に敷かれるな」


 そんな事を思って、笑って、……煙草に火を点ける。

 恐怖が失せた気がした。安心できた気がした。これは刷り込みだな。エンリの本でちょっと読んだ。この匂いを嗅いでる時は、安心して良い……。


 真っ赤な世界が、ずっと目の前に……そこに、魂のように煙が踊っている。


 赤い、赤い……ああ。つらつらと思い出す。

 ……扇奈は、まあきっと平気だろ。むしろ寝込んでてくれた方が安心できる。元気だったら連れ戻しに来そうだしな。


 ……これは未練だな、未練。世話になったって言ってねえな。まあ、もうしょうがねえか。


「…………まったく、」


 呟き、俺は煙草の火を揉み消し……最後の最後まできっちり、その吸殻を携帯灰皿に入れて……。


 鎧を締めて、立ち上がる。

 手には野太刀。背後には“ゲート”、破壊対象。横には爆弾、防衛対象。


 最後の働きだ。すらりと――多分姐さんを見てて、それを真似たようなしぐさになってるだろう調子で、俺は太刀を抜き去って。


 赤い赤い煉獄の果てで、鞘を捨てる。


 カラン、と鞘が堕ちると共に、目の前――俺が通った、大和紫遠が退いて行ったその出口で、幾つもの影が蠢くのが見える。


 撤退した紫遠達が、撃ち漏らした竜だろう。それが、ゲートの破壊を食い止めに、ここへとやってきているらしい。


 案の上だ。やっぱ残って正解だったな……。


 そう、嗤って。見慣れたお友達クソトカゲを眺めて、赤い世界の中。

 真っ赤に染まった青い鎧を身に纏い。

 俺は姐さんを真似て太刀を正眼に……。


良い子だグッドボーイ、よく来たな。……丁度寂しくて死にそうだったんだ」、

 

 そんな風に嘯いて――俺は迫りくる竜の群れへと、最後の力で、駆け出した。

 HUDの隅に移る、カウントダウン。


 それが、0になるまで――。


 ――ああ。最期まで遊ぼうぜ?

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