悪役令嬢のクマ

緋色の雨@悪逆皇女12月28日発売

悪役令嬢のクマ

 1000年前に生を享けた私は生まれてすぐに魔術師としての片鱗を見せた。わずか十七歳で不老の力を手に入れた私は、畏怖と憧れを込めて虹の魔女イリスと呼ばれるようになる。


 十七歳という柔軟さと無謀な精神を併せ持つ私は、ときに権力者と肩を並べて人々に救いの手を差し伸べ、またあるときは既得権益を守ろうとする権力者とも戦った。


 最初からすべてが上手くいった訳じゃない少し魔術が得意なだけ小娘だった頃の私は、他人に騙されたこともあった。

 もちろん、私を騙した奴らには相応のお仕置きをしたんだけどね。


 とにかく、そういう経験を積み重ねた私は、他人のもたらす情報を鵜呑みにせず、自分の目で見たモノをよく考え、そして判断するという慎重さを手に入れた。


 そうして様々な力を手に入れた後の私に不可能はなく、ただひとたびの敗北もない。ある時代には、時代の転換期には必ず空に虹が架かるとまで言わしめた。


 だけど、私に友人は残っていない。寿命という概念を失った私は数多の友人の死を見届け、自分を置いて先立たれることを嫌い、新たな友人を作ることもなくなった。

 私はひとりぼっちでこの世界を導いていく。大切な誰かのためではなく、世界のために戦い続けた私は、そんな人生に――飽きた。


 いつからか人との関わりを絶ち、人里離れた森の奥でのんびりと暮らすようになった。最近の私の趣味は、異世界にあるゲームをプレイすることである。


 繰り返すが、私に不可能はない。

 私がこの美貌と魔術を使えば、この国の王子を婚約者から奪い取ることも簡単なことだ。だがゲームの中では違う。そのゲームのルールに則る限り、私にも不可能や困難が存在する。


 ――という訳で、最近のお気に入りは夜色のエスプレッシーボというゲーム。乙女ゲームと銘打ってはいるが、その実――鬼畜ゲームである。


 ヒロインはこのゲームの販売元、日本という国から異世界に召喚された女の子である。

 普通であれば、他人の都合で勝手に召喚するなと怒るところだろう。だがヒロインは、子供の身代わりになって事故に巻き込まれ、そのままなら死んでしまうところだった。


 命を助けた代わりに、この国に貢献して欲しいという交換条件の押しつけである。

 その展開に私は――


「いいね、いいね」


 と、わくわくした。

 しつこいようだが、虹の魔女たる私に不可能はない。だからこそ、こういう理不尽に巻き込まれるという展開は憧れなのだ。


 話を戻すが、異世界に召喚された少女は聖女候補に認定された。

 その力を使って国に貢献することを望まれるが、現時点では力が覚醒していないために学園に通うように勧められる。その学園というのが乙女ゲームの舞台だ。


 だが、彼女が異世界からきた聖女候補だと知られれば、その地位を利用しようとする連中が蜜に群がる蟻のように集まってくるだろう。

 それを避けるため、彼女はとある貴族の養子となった平民の娘として学園に通うことになる。だが、彼女が生まれ育った日本に貴族階級はない。

 貴族令嬢としてのマナーを身に付けていない彼女は周囲から異端に映る。貴族が産ませた愛人の娘といった噂が広まり、彼女は執拗な嫌がらせを受けてしまう。


 そこに現れたのがレティシア・シャドウフィールドだ。

 学園一と言われる美しい容姿を持ち、座学はもちろん、芸術関連に礼儀作法、更には剣術や魔術もトップクラスの成績を収めている。正真正銘、公爵家のお姫様。

 まさに、幼い頃の私のように完璧な存在である。


 レティシアは愛人の娘だと噂されるヒロインの世話を焼いてくれる。ヒロインが知らない礼儀作法を教え、ヒロインを虐げる者から守ってくれる。


 あげくは攻略対象である者達の好感度や趣味、誕生日なんかを教えてくれる。いわゆる友人枠で、ヒロインはレティシアの力を借りて華やかな学園生活を送る。


 だが――シナリオがある程度進んだ途端、ヒロインは何者かに誘拐され、そして翌朝、惨殺死体として発見されるというバッドエンドを迎える。

 前触れがなさすぎてびっくりである。


 でもって、それを回避しても、攻略対象のルートに入ったとおぼしき直後、あるいは力を開花させて国王に認められた直後、ありとあらゆるタイミングにバッドエンドが潜んでいた。


 エンディングナンバーが、バッドエンド094と書かれている時を見た私は、一体どれだけバッドエンドがあるのかとお腹を抱えて笑った。


 そんな感じで繰り返しプレイをしていると、犯人が女性だというヒントが与えられる。更にプレイしていくと、犯人は権力を扱える人物であることも予想できるようになる。

 そして更に進めると、ヒロインが殺されるシーンが表示された。


 嵐の夜、暗闇の中でヒロインは胸を短剣で突かれた。

 その瞬間に雷が落ち、いままでは分からなかった犯人の姿が浮かび上がった。そこで狂気に満ちた表情で笑うのは、ヒロインをずっと助けてくれていたレティシアだった!


 ヒロインにとって唯一の味方、そして最高の友人だと思っていたレティシアが犯人。乙女ゲームではなく、むしろホラーゲームだった。


 そんな理不尽な展開に私は歓喜し、興奮した。

 そして、この鬼畜ゲームを絶対にクリアしてみせると情熱を燃やす。


 何度もバッドエンドを迎えてリスタートするたびに情報が増えていく。そこで注目したのは、友人として過ごす期間に何度もレティシアの回想シーンが出てくることだ。


 鏡に映る自分を見つめての独白からはじまる、幼女なレティシアの回想シーン。

 毎回違うぬいぐるみを抱きしめていて、非常に微笑ましいシーン。最初はそう思っていた私だけど、何度もプレイしているうちにいくつか不思議な描写があることに気付いた。


 たとえば、雨の日は決まって空を見上げている。週末はいつも憂鬱そうで、週明けは必ずといっていいほど眠たげ――といった描写である。


 もちろん、普通なら気にするようなことではない。

 だが、レティシアは闇堕ちする。そんな少女の回想シーンで登場する情報。なにかあるに違いないと調べていくと、他にもいくつか分かったことがある。


 レティシアの母親が後妻で、元は平民のメイドだったという隠された真実である。


 表面上の設定、ヒロインとの共通点が浮かび上がった。レティシアがヒロインの世話を焼いたのは、自分と同じ境遇だと思ったからだろう。


 もっとも、ならばなぜヒロインを殺すのかと言われると分からない。


 ただ、後妻とはいえ、平民のメイドが公爵の夫人になるのはかなり珍しい。そこになんらかのしがらみが発生した可能性は否定できない。

 いや、そこにこそ、レティシアが闇堕ちする理由が隠れているはずだ。


 この調子でいけば、もうすぐ真実は明らかになるだろう。

 苦労させられたが、終わりが近付いてくるとあっけない。もう少し、理不尽な展開が続いてくれても良いのにな――と、私が思った瞬間。

 私は、自身に魂だけを招く召喚の力が働いていることに気付いた。


 あと一歩で真相を明らかにして、ハッピーエンドを迎えられるかもしれない。そんなタイミングで、こちらの許可なく、魂だけを一方的に召喚する。


 とんでもなく理不尽な展開に――


 ふふっ、面白そうじゃない。


 私はわくわくした。

 わくわく、してしまった。

 だから、私なら簡単に弾ける召喚を、自らの意思で受け入れた。

 そして――



 気付けば、私は鏡を眺めていた。

 鏡の中にたたずむのは、ぬいぐるみを抱きしめた幼い女の子。年の頃は六歳くらいだろうか? 艶やかなプラチナブロンドの髪は、途中からふわふわのパーマが掛かっている。

 愛らしい顔立ちに、印象的な赤い瞳。

 幼少期の私と同じくらい知的で可愛らしい。


 ――ちょっと待って。この子、レティシアじゃない?


 その事実に気づき、私は絶望した。

 一応、レティシアは悪役令嬢枠だ。バッドエンドでヒロインを殺したことを考えれば、レティシア自身も最後は処刑されて終わるだろう。


 だが、それはレティシアが原作通りに動けばの話である。

 虹の魔女として望みをすべて叶えてきた私が、容姿、家柄、才能、あらゆる面で優れているお嬢様として、幼少期からやり直してバッドエンドを迎えるはずがない。

 むしろ、前世より無双する未来しか見えない。


 私が望んだのは、こんなイージーゲームじゃないよっ!


 私はそう叫ぼうとして――叫べなかった。

 それだけでなく、怒ったような仕草も出来なかった。鏡に映るレティシアが自分の意思に反して動かない。なぜと思うより早く、私はその理由を理解した。


 私の目線は、レティシアの目線よりも明らかに低い。私は心をフラットにして、まっすぐに視線を向けた。その正面に写るのは――


 ……クマ?


 私はレティシアが抱きしめるクマのぬいぐるみになっていた。


 どうしてぬいぐるみ……?

 いや、たしかに理不尽な展開を望んだのは私だけども。


 幼少期の――おそらく、まだ闇堕ちはしていないのだろう。とてもとても愛らしいレティシアに抱きしめられながら、私はなにがどうなっているのかと考えを巡らす。


 転生したら、クマのぬいぐるみ。無機物である。望めばなんだって出来た虹の魔女たる私がいまや、まばたき一つ出来ない。というか、そもそもまぶたがない。

 果たしてこれは転生と言えるのだろうか?


 まぁでも、こういう余生も面白いかもね。


 私は変化のない永遠の人生に飽きていた。

 たとえ不老の力が残っていても、クマのぬいぐるみならいずれ朽ちるはずだ。


 これを最後の人生として生きるのも悪くないと私は笑った。もっとも、クマのぬいぐるみに表情筋なんてものはないので気持ちの上でだけ、だが。



 それから数日、私はぬいぐるみとしての日々を送った。

 レティシアの部屋には、私であるクマのぬいぐるみの他に、ウサギのぬいぐるみであるうさぴょんと、犬のぬいぐるみであるワンタが存在する。


 私はクマさんなのに、ウサギと犬には名前がある。


 なんとなく嫉妬しちゃうね。


 心の中でそう呟いて、私はなんだか嬉しくなった。自分より優れた他人を羨む嫉妬なんて、私にとって無縁の感情だったからだ。


 原作によると、レティシアは後妻となった元愛人の娘だ。

 ゲームではこの時期の回想シーンが多いため、既になにかが始まっていてもおかしくはないのだが、いまのところ迫害されているような現場には出くわしていない。


 とはいえ、私が知らないだけという可能性は否定できない。

 というのも、部屋にはぬいぐるみが三つ。

 レティシアは部屋の中ではその三体をランダムに抱きしめるのだが、外出時に限り、手前のぬいぐるみを抱きしめて出掛けていく。

 そんな訳で、三体のうち一番奥に置かれている私は、まだ部屋の中から出たことがない。


 そして今日も、レティシアは手前のぬいぐるみ――うさぴょんを抱きしめて出掛けていった。なんでも今日は週に一度、家庭教師の先生とお勉強をする日らしい。


 出来れば連れて行って欲しかったと思うが、選ばれないものはしょうがない。

 それに、私は1000年の刻を生きた虹の魔女である。相対性理論に基づき、私の一日の体感時間はとても短い。半日なんて、人間の数十分レベルである。


 という訳で、レティシアがいない時間を私は一人で過ごした。

 いや、隣にワンタが残っているけど……これはただのぬいぐるみだ。

 ……ぬいぐるみだよね?

 もし中におじさんの魂とかが入っていて、レティシアをずっと眺めているとしたら事案だよ。そのときは私が成敗してくれる。動けないけど。


 まぁワンタの中身の有無はともかく、いまの私は動けない。

 でも、動けないからってぼーっと過ごすつもりはない。虹の魔女にとって時間は無限にあったけれど、ぬいぐるみなクマさんの時間は有限なのだ。

 そもそも、レティシアがぬいぐるみを卒業したら、片付けられるかもしれないしね。


 という訳で、私は魔術が使えないか試行錯誤する。


 魔術というのは大気中に存在する魔力素子(マナ)を体内で魔力へと生成し、その魔力を使って魔法陣を展開、思った通りの事象を引き起こすという技術である。


 そこに意思がある以上、ぬいぐるみの身体でも問題なく魔術は使えるはずだ――というのが私の推論である。そしてその推論をたしかめるために魔術を行使する。


 結果から言えば推論は正しく、けれど実際には使えないことが発覚した。


 私はたしかに魔術を使うことが出来た。

 ただし、ぬいぐるみの身体に魔力を溜められるはずもなく、大気中の魔力素子(マナ)を魔力に変換した魔力を直接使うしかないのだが……これがもうとにかく非効率だった。


 具体的に言うなら、ちょっと手を持ち上げるだけでも数分はかかる。使い道は、部屋に鎮座しているときに向きを変えて、見える範囲を変えるくらいである。


 魔石か、触媒があればもう少しマシな魔術が使えるけど……魔石なんて、ぬいぐるみの身で手に入れられるはずがない。触媒――魔力を帯びた髪や体液なども同じく、である。

 私が効果的な魔術を使うのは難しそうだ。


 他に……なにか出来ないかな?

 理不尽な展開は嫌いじゃない。けど、私はその理不尽に挑戦したいのだ。ただ、クマのぬいぐるみとして、レティシアの闇堕ちを見ているだけなんて展開は望んでない。


 それに、ヒロインの世話を焼くレティシアは本当に幸せそうだった。あれが嘘だなんて思いたくない。出来れば、ヒロインとレティシアが仲良くなる結末を迎えさせてあげたい。

 人と関わることをやめた私にとって、久しぶりに抱いた感情だ。


 だがハッピーエンドに導くには、私がこの物語に干渉する必要がある。数分掛けて腕を動かせる程度では心許ない。もう少しなにかないかと試行錯誤する。


 アイテムボックスとか……ダメか、魔力が足りない。念話も同じく魔力が足りない。じゃあ切り口を変えて、ゲームっぽくステータス画面を開くとか……あ、なんか開けそう!


 脳裏に、ステータスを開くというイメージが浮かび上がる。そのイメージに従ってステータスオープンと念じれば、目の前に半透明のステータスウィンドウが浮かび上がった。


 種族:クマのぬいぐるみ 名前:虹の魔女イリス

 所有者:悪役令嬢

 LV01 HP10/10 MP0/1

 スキル:鑑定LV01


 ……種族がクマのぬいぐるみなんだ。でもって、MPがないのはさっき魔術を使おうとしたからかな? というか、レベル? レベルが上がったらどうなるんだろう? もしかして、おっきなクマさんになったりするのかな……?

 いやそもそも、クマのぬいぐるみの身でレベルを上げられる気がしないんだけどね。


 取り敢えず、鑑定を使ってみよう。

 まずは隣に鎮座するワンタに使う。


 イヌのぬいぐるみ 名前:ワンタ

 所有者:悪役令嬢


 表示された内容はこれだけだ。私の鑑定レベルが足りなくて表示されてないだけかもしれないけど、なんとなく無機物っぽい鑑定結果である。


 とまぁそんなことをしているうちにレティシアが帰ってきた。彼女は抱きしめていたうさぴょんを棚に戻し、クマさんたる私を胸に抱いた。


「……クマさん、ただいま」


 うんうん、おかえり。

 やっぱり私の方が抱き心地良いでしょ?


 それにしてもレティシアは可愛らしい。

 ホント、私が幼い頃にそっくりだよ。頭が良くて、同年代の子達と考え方が合わなくて、ぬいぐるみに話しかけたくなったりするんだよね。

 分かるなぁ……っと、レティシアのことも鑑定してみようっと。


 種族:人間 名前:レティシア・シャドウフィールド

 属性:悪役令嬢

 LV03 HP329/329 MP556/556


 ふむふむ。レティシアの種族が見えるなら、やっぱりワンタはただのぬいぐるみってことだね。事案の心配はなさそうだ。

 あとは……HPやMPが高いね。

 なんて、クマのぬいぐるみな私と比べて高いのは当然だけど。


 ちょっと一緒に帰ってきた侍女のお姉さんと比較してみる。レベルとHPは侍女のお姉さんのほうが高いけど、MPはレティシアのほうが高い。

 レベルと年齢的にステータスは低いけど、将来は有望、ということかな。



 とまぁ、そういった実験をしながら、私は数日を過ごした。

 そんなある日、なぜかレティシアが外出を渋った。


 説得する侍女との会話から推測するに、レティシアは勉強を嫌がっているみたい。才色兼備の悪役令嬢であるレティシアとは思えない行動はちょっと意外だった。

 だけど――


「ほら、お嬢様の好きなぬいぐるみですよ。この子と一緒にお勉強に行きましょうね」


 侍女がイリスの隣に鎮座していたうさぴょんををレティシアに手渡した。それをぎゅっと抱きしめたレティシアは一度ぎゅっと目を瞑り、それから「がんばる」と出掛けていった。


 う~ん、やっぱり外出に抱いていくのはうさぴょんなんだね。

 私の方が、絶対に抱き心地良いのになぁ。


 どうせなら私を連れて行って欲しかったと思いつつ、レティシアの後ろ姿を見送った。

 そして数時間後。



 帰ってきたレティシアは――うさぴょんを抱いていなかった。


 ……何処かに落っことした? うぅん、違う。ぬいぐるみがないことに疑問を抱いてる感じじゃない。だったら洗濯に出したか、もしくは友達にあげた、とか?


 なんて思っていたら、レティシアは私をぎゅっと抱きしめた。


「クマさん、私、どうしたら良いのかなぁ……?」


 思わず護ってあげたくなるような弱々しい声。でも、そんな言葉だけじゃなんのことか分からない――って、他の人は言うだろう。


 だけど私には、レティシアの考えていることがなんとなくだけど分かる。

 レティシアは私と同じ天才だ。

 そしてあの頃の私と同じ、頭が良いだけの無知な子供だ。


 だからきっと、周りから様々な情報を取り入れて、そこから色々な問題を導き出して、それに対する答えを出せずに苦しんでいるのだ。


 ――たとえば、幼少期の私はこんな経験をした。

 自分に魔術師としての才能があると知った私は、周囲の反応から、自分の力が周囲にとって、とてつもなく価値のあるモノだと気付いた。


 だから恐怖した。

 幼い自分じゃ、自分を狙う者達から自分の身を護れない、と。


 怖くて怖くて、周りの誰も信じられなくなって、必死に自分の力を隠そうとした。でも、その時代にはちゃんと、優れた魔術師を保護するというプログラムが存在していたんだ。


 つまり、私の抱いた恐怖の大半は杞憂だったってこと。


 普通の子供なら、自分の価値に気付くより前に保護されている。でも私は、誰よりも早く自分の価値に気付き、だけど自分を護るプログラムがあることを知らずに恐怖した。

 頭が良くて、だけど無知だった私の黒歴史である。


 だから私には、レティシアの抱える葛藤がなんとなく分かる。

 分かっても、伝える術はないんだけどね。


 だけど、もしかしたら、それこそが、レティシアを闇堕ちさせる原因かもしれない。

 嫌な予感がする――と、私はレティシアの今後を憂えた。



 それから数日はとくになにもなかった。

 ただし、いなくなったうさぴょんが帰ってくることもなかった。


 レティシアの部屋には犬のぬいぐるみであるワンタと、私ことクマさんの二人だけ。まるで、始めからぬいぐるみは二つだけだったかのように扱われている。


 そういえば、原作の回想シーンでもレティシアは毎回違うぬいぐるみを抱きしめてたよね。

 その割にはぬいぐるみが少ないのは不思議だ。そのうち足されるのかな?



 更に数日が過ぎて――再びやってきた週末。

 レティシアは再び勉強に行くのを渋ったが、侍女が手前のぬいぐるみ――うさぴょんがいなくなり、手前に昇格したワンタを手渡すと、レティシアはそれを抱きしめて出掛けていった。



 そして数時間後――レティシアは帰ってきた。ワンタも、ちゃんと腕の中に抱きしめられている。どうやら、杞憂だったらしいと私が思ったそのとき。


「――っ、――っ!」


 私の視界の外で、レティシアの鋭い息遣いが聞こえてきた。それと同時、ボスッ、ボスッと、柔らかいなにかを叩くような音が聞こえてくる。


 ……クッションでも叩いてるのかな?


 確認したくて、魔術を使って身体の向きを変えようと試みる。だが、手を上げるだけでも数分だ。身体の向きを変えるのは更に時間を要する。

 向きを変えようと、私は頑張って魔術を行使する。


 そうして五分くらいが過ぎるが、まだレティシアの姿は視界に映らない。しかし、そのあいだもずっと、ボスッ、ボスッと、クッションを叩くような音が響いている。

 レティシアがなにかに八つ当たりしているのは間違いなさそうだ。


 では、一体なにに?

 ――と、魔術の効果と、レティシアが起こす振動により、私は棚から転げ落ちた。視界がクルクルと回り、地面の上を転がっていく。

 そして、私の目の前に写ったのは――


 自らの綿を撒き散らす、無残なワンタの姿だった。


 ワ、ワンタアアァァァアァァアアァアッッ!?


 ルームメイト(ただのぬいぐるみ)の成れの果てに思わず心の中で絶叫する。だが魔女としての冷静な部分が、即座に状況の分析を始めた。


 ワンタの身体には、無数の小さな穴が空いている。圧迫を受けて、そこから綿を溢れさせているようだ。その原因は――と、ワンタの身体にペーパーナイフが突き立てられた。

 レティシアが赤い瞳に憎悪に染め、ペーパーナイフをぎゅっと握り締めている。


 そうそう、こんな感じ。

 ヒロインも、こんな感じでいきなり殺されるんだよね。


 幼くて愛らしい姿をしているだけに、その光景は際だって異様に写る。だが、やがてジェノサイドな悪役令嬢に育つ幼女のあるべき姿とも言えるだろう。


 なにがあったんだろう?


 呆然と眺めていると、レティシアは八つ当たりに疲れたのか、そのままベッドに突っ伏した。それからほどなく、侍女が部屋に入ってくる。


 侍女は綿を撒き散らして倒れるワンタを見ると一瞬だけ眉をひそめ――それから慣れた様子で後片付けを始めた。ワンタの成れの果てを処分すると、棚から転げ落ちた私ことクマさんを棚に戻して、その隣に猫とキツネのぬいぐるみを追加する。


 あぁぁぁぁっ、日常的!

 凄く日常的に補充されてる気がするよっ!


 回想シーンで、レティシアの抱いているぬいぐるみが毎回違う理由も納得である。レティシアはたくさんぬいぐるみを持っている訳ではなく、たくさん使い潰しているだけだった。

 しかも――


 棚で、私が一番手前に置かれた。

 次は私……ってことかな?


 タイムリミットは一週間。

 週末のお勉強までに打開策を見つけなければ、次は自分が切り刻まれる。そんな物凄く理不尽な展開を前に、私は不思議と焦燥感を抱いた。


 翌日から、レティシアはクマさんを連れ歩くようになった。

 そう、クマのぬいぐるみ、私である。


 私の抱き心地、最高でしょ?


 レティシアの腕の中で、私はそんなことを考える。

 次は自分が切り刻まれるかもしれないのに暢気――と思うかもしれないが、1000年生きた魔女である私に生への執着は少ない。


 私はそれから毎日、レティシアに抱っこされて色々な場所へ行く。といっても、レティシアの行動範囲はそれほど広くない。

 食堂やお風呂、後は中庭とお勉強をする部屋くらいである。


 六歳の子供なら、普通かもだけどね。


 意外だったのは、悪役令嬢の幼少期とは思えないほど大切にされていると言うことだ。

 食事はいつも母親と一緒。

 当主でもある父は忙しいようで、たまにしか一緒になることはないが、それでもレティシアを愛していることはその言葉の端々から感じられた。


 ならば、侍女に嫌われているかと言えばそんなこともない。

 お風呂に入ればピカピカに磨き上げられているし、お勉強を嫌がったり、ぬいぐるみが犠牲になっていることも、侍女は心配して母親に伝えているようだ。


 どうして、ジェノサイドなお嬢様になってしまうんだろうね?


 いくら考えてみても理由が思い付かない。こうなると、週末のお勉強を見るしかない。なんとしても、この無理難題を乗り越えてみせる――と、私は情熱を燃やした。

 そして週末、レティシアは再び勉強に行くのを渋った。


「レティシアお嬢様、そんなにあの先生のお勉強が嫌なのですか?」


 レティシア付きの侍女が気遣うように問い掛ける。それに対し、レティシアはフルフルと首を横に振った。そうして「お勉強に行きます」と私を抱きしめて歩き出した。


 だが、その腕の中に収まっていた私は、問われた瞬間にレティシアがその身を震わせたことに気が付いた。同時に、レティシアに問い掛けたのとは別の侍女が、レティシアに鋭い視線を送っていたことも。


 なにか、あるね。


 そしてそれこそが、レティシアが闇堕ちする原因なのだろう。その原因を白日の下に暴き出してみせる――と、私はレティシアのお勉強を特等席で見学した。

 そして――


 はは……これは酷い。


 授業を聞きながら、私はドン引きしていた。

 家庭教師の授業内容が、情操教育という名の洗脳だったからだ。


 人間というのは、自分でたどり着いた答えを信じる傾向にある。


 先生はレティシアに対し、領主はときに非情な選択を迫られる。自らの感情を押し殺し、その決断を下すことの出来るあなたのお父上は優秀な当主です――と教えた。


 表面的にはべた褒めしている。だが、その言葉の端々に恣意的な情報を開示し、シャドウフィールド公爵は血も涙もない領主だと思うように誘導している。


 レティシアはこう思っているはずだ。『先生はお父様のことを褒めてくれているけど、本当のお父様はきっと残酷な人だ』――と。

 それが、先生の用意した結論だなんて思いもせずに。


 もちろん、私はそれが事実かどうか知らない。もしかしたら、シャドウフィールド公爵は、先生が教える以上に鬼畜かもしれない。


 だがここで問題なのは、答えを導くために与えられた情報が恣意的だという事実だ。第三者の勝手な都合でレティシアの認識は歪められていく。

 レティシアが賢く、そして無知だからこそ、その誘導は綺麗にハマっていた。


 この状況に誰も気付かないの?

 いや……侍女は心配して、母親に報告していたよね。だとしたら、母親が気に留めていないのが原因かな? それとも、意図的に握りつぶしている?


 分からないけど、こんなことが毎週続いているのだとしたら、レティシアが闇堕ちしてしまうのも当然だ。将来的に、特権階級すべてを怨んでもおかしくない。


 だから、平民として蔑まれるヒロインと仲良くするし、物語が進行してヒロインが特権階級に食い込んでいくと、レティシアは闇堕ちして手のひらを返す。


 なんて酷い。


 私に以前の力が使えたら、この家庭教師とブラッディカーニバルを開催するのに……っ。だが悲しいかな、私はぬいぐるみのクマさんである。

 どう足掻いてもブラッディカーニバルは開催できない。


 結局見ていることしか出来なくて、その日のお勉強は終了となった。レティシアは私を抱きしめて、自分の部屋へと足早に帰る。

 彼女は私の腕を摑んで――ベッドに叩き付けた。


「どうしようっ! 前に、先生の娘さんは三年前に亡くなったって言ってたっ! きっと飢饉のときにお父様が見殺しにしたんだ!」


 レティシアが涙を零し、悲痛な声で訴える。

 それを聞いて、私は先生の思惑を理解した。


 家庭教師の先生はさきほどの授業で、三年前の飢饉を当主が多くの領民を救うために、非情な決断を下して乗り切ったことを口にしていた。


 わざわざ三年前のと口にしたのはその仕込みがあったからだ。優秀なレティシアなら、父の決断で犠牲になった人物の中に、先生の娘がいることに気付くと読んでいたのだ。


 繰り返すが、私はその情報が事実かどうか知らない。もしかしたら事実かも知れないが、逆にそもそも娘がいない可能性だってある。


 それに、もしそれが事実だとしても、その決断は先生の娘のような境遇の人を、犠牲にした以上に助けていることになる。

 なのに犠牲になった人の情報だけを渡し、レティシアの情を揺さぶった。レティシアが認識しているのは、大好きな父親が、先生の娘を見殺しにしたという事実のみ。


 それに幼いレティシアは耐えきれない。

 彼女は、何度も何度も私をベッドに叩き付けた。


 ステータスを開けば10あったHPが9に減っていた。この調子で叩き付けられると、切り刻まれるまでもなく死んでしまいそうだ。あるいは――と、レティシアが一度ベッドから離れ、テーブルの上のペーパーナイフを摑んだ。

 ――私はここで刺し殺されるかもしれない。


 死ぬのは怖くない。

 ……けど、このままなにも出来ないまま終わるのは悔しいよ。


 うん……凄く悔しい。望みを叶えられないのは凄く悔しい。レティシアをこのまま闇堕ちさせる未来から救えないのは悔しくて悔しくて仕方がない。なにか方法は――と考える私に、レティシアは泣きじゃくりながらペーパーナイフを振り下ろした。


 ステータスウィンドウに表示されるHPが一気に2減った。後たった四回同じことを繰り返すだけで私は死んでしまう。

 後たった四回、1000年生きた私にとっては刹那に等しい時間。だけど、だからこそ、私はクマのぬいぐるみの身でありながら、生きていることを実感する。

 再びペーパーナイフが振り下ろされ、私のHPは5になった。


 考えろ、考えろ私!

 猶予は数秒。ここから、レティシアを救うための一手を考えろ!


 私に出来ることは多くない――というか、魔術を使うしか他者に干渉する術がない。でもその魔術は、数分で手を持ち上げるくらいにしか使えない。

 魔力がないから――と、私は降り注ぐ涙に気付いた。優秀な魔術師としての才能があるレティシアの涙が、私の身体に伝い落ちている。


 涙を触媒にすれば魔術が使える!


 それに気付いた私は、この身に染みこむ涙から魔力を抽出する。問題はなんの術を使えば、この状況を乗り越えられるか、ということだ。


 そう考えるうちにも、私は追撃を喰らってHPが3になる。

 考えてる時間はない。私は手を動かすべく魔術を行使する。レティシアの涙に込められた魔力を触媒に、ぬいぐるみの手が少しだけ持ち上がった。


 その手を動かし、私を摑むレティシアの手を撫でる。すぐに魔力が切れて手は力なく落ちるが、レティシアはびくりと身を震わせてペーパーナイフを取り落とした。


 思惑通り、レティシアは止まった。だけど、それは一瞬だけだった。彼女はもう一度ペーパーナイフを摑み上げる。

 ダメだ、このままだと私は死んでしまう。


 ……違う。なにを言ってるの?

 私が生き残るかどうかなんてどうでもいい。重要なのは、この理不尽な状況を打開できるかどうか。レティシアを、闇堕ちの未来から救えるかどうかだ。

 だったら――


 私はもう一度、零れる涙から魔力を集めた。量は少ないけど、それでも――と、ペーパーナイフがグサリ。私のHPは1になる。だけど、そんなのは関係ない。

 魔術を行使すれば、私の目的はきっと果たされる。


 再びペーパーナイフが振り上げられるのと同時、私は魔術を行使した。

 それは、対象に声を届ける魔術。

 魔力がぜんぜん足りなくて、声のボリュームは最低。文字数だって限られている。


『自分が見たモノを信じなさい』


 限られた条件の中、私はその言葉をレティシアに贈った。

 レティシアは無知だが聡明だ。いまはその言葉の意味が理解できなくとも、いつか自分の思想が他人に歪められていると気付くはずだ。

 そうすればきっと、原作のような最後を迎えることもないだろう。


 ――だって、レティシアは私と同じくらい、才能の塊みたいな女の子なんだから。


 私の念話を受け取ったのか、レティシアは目を見張った。だけど同時に、ペーパーナイフは既に振り下ろされていて――その一撃は、再びぬいぐるみのお腹を突き破った。



     ◆◆◆



 私――レティシアが不思議な体験をしてから一ヶ月が過ぎた。


 私はずっと苦しんでた。先生はお父様が立派な領主様だって言うけど、私はその話を聞いて、お父様が非情な人間だって気付いちゃったから。


 みんなお父様に騙されているんだって思った。

 お父様が私に優しくしてくれるのも、私を将来政治の道具にするためだけだって思った。


 お母様もそんなお父様の被害者だ。

 お母様は、もともとは平民のメイドだったらしい。でも、お父様に手込めにされて、私を身籠もった。それで私を政略結婚の道具にするために、お母様を後妻に仕立て上げた。


 それが、私が先生達の話から導き出した答え。


 もちろん、私はお母様にそれとなく確認した。

 でも、お母様はそれを否定しなかった。


 つまり、お父様は血も涙もない領主。

 私のことは、政治の道具くらいにしか思ってない。


 お父様のことは大好きだけど、みんなを苦しめるお父様は許せない。そんな風に悩んで悩んで、どうしたら良いか分からなくなって、私は胸が苦しくなった。

 そんな毎日に耐えられなくて、私はぬいぐるみに八つ当たりをするようになった。


 でもあの日。

 クマさんに八つ当たりしていたあの日。

 クマさんが私の手を撫でてくれたような気がしたの。


 もちろん、すぐに気のせいだって思った。

 でもその後、私の頭の中に声が響いたんだ。


『自分が見たモノを信じなさい』――って。


 その言葉の意味は、正直なところよく分からない。でも、あの声は私が聞いたどの声よりも優しく感じられた。きっとなにか意味がある言葉だって、そう思った。


「ねぇクマさん。自分が見たモノを信じなさいって、どういう意味なの?」


 私は鏡に向かって問い掛ける。鏡の中の私は、たくさん縫い目が出来てちょっとワイルドになったクマさんを抱きしめている。

 私はあの日から、ぬいぐるみに八つ当たりすることをやめた。代わりに、気になることがあればいつも、鏡に映るぬいぐるみに問い掛けるようになった。

 ……クマさんはあの日以来、これっぽっちも反応してくれないのだけれど。


「もうちょっと、教えてくれてもいいのに。自分で考えろって……ことなのかな?」


 私がそんな風に呟くと、クマさんが少しだけ笑ったように見えた。

 

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悪役令嬢のクマ 緋色の雨@悪逆皇女12月28日発売 @tsukigase_rain

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