脳内熱愛~触れもせじとて

多賀 夢(元・みきてぃ)

脳内熱愛~触れもせじとて

 両手を強く捕まれたまま壁に押し当てられて、激しく唇で唇を貪られる。そのくせ舌は遠慮がちにしか迫ってこず、襲われているはずなのにじれったい。

 そんな事を望んでいない、と言えば大嘘だ。

 奪うなら一気に攻めて。

 私の理性を試さないで。

 とうとう耐えきれず、私が相手のロ内に舌を差し入れる。それを合意と言うように、彼は私の手首を放し、背を、髪を、無茶苦茶にかき抱く。彼が私の首を吸い、私は耐えきれず声を漏らした。



(なぁんてな)

 私は、目の前のイケメン主任を眺めて空想する。

 不埒な部下でごめんなさい、だけどそのシャツはいけないわ。ピッタリしたデザインのせいで、美しい筋肉のラインが際立っているじゃない。他の女性達もざわめいているけど、まさか計算なの?

 たまに着てくるスーツだって、本当に似合っているのよね。その時は、やっぱりネクタイで相手の手を縛るのかしら。それとも目隠し?

(ああいかん、仕事しよ)

 ちょっと暴走し過ぎたわ。一瞬、主任がこっちを変な目で見たじゃない。



 その日、残業を終えたのは夜10時を過ぎてからだった。うっかり空想したのがアウトだったわ、あれで集中が途切れてしまったもの。

 これから電車に乗って、自宅に帰りつくのは11時半。それから晩飯食べて、風呂に入ったら深夜1時。

「あ一、会社泊まりてえ」

 誰に聞かせるともなく呟く。

「それは駄目だぞ」

 返事が返ってきて総毛立つ。そろりとふりかえると、件のイケメン主任だった。

「主任も残業だったんですか?」

「部下のお前が終わるの待ってたんだよっ!ほらほら、もう帰るぞ!」

「はいっ、すみませんっ」

 申し訳なさと気まずさで、胃が重くなった気がした。バタバタと帰り支度をして廊下に出る。主任は戸締まりを確認しているようだ。

(空想なら、あそこで色恋が勃発するんだけどね)

 エレベーターのボタンを押して、自分の考えににんまりしてしまう。

 チンという音と共に扉が開く。誰もいない空間に乗り込み1階を押すと、凄い駆け足が近づいてきて、同じ空間に滑り込んだ。

「セーフ」

 そう言って、主任はい荒い息をして笑った。色気の増した吐息、少年じみた笑顔のギャップ。微かに男物の香水も漂い、私は平静を装うのに必死だ。


 狭い箱に二人きり。今まで、散々空想したシチュエーションそのまんま。

 だけど私は何もできないのだ、ただの部下だから。

 そこまで考えて、私は愕然とした。まさか私は、


「おい、帰りの電車は間に合うのか?」

 私は我に返り、慌てて返事をした。

「45分の電車に乗れば、12時までには帰れます」

「遅過ぎだろ。体壊すぞ?」

 ぽんっと頭に手を乗せられて、互いの距離感が分からなくなった。触れられるだけ空想は妄想となり、密かな愉しみが現実に近づく。

「やめて、下さい」

 主任の手を振り払う勇気がなかった。この手までぬくもりを知ってしまったら、私は密やかな願望を認めてしまう。気持ちの暴走を許してしまう。

「ああ、悪い」

 主任が手を退けた頃、エレベーターが1階に着いた。主任は当然のように私の横を歩いている。耐えられなくなった私は、ビルを出たところで足を止めた。

「すみません。私、彼の家に泊まります」

「え? 彼氏? この辺なの?」

「はい」

 気持ちいいほど明るく答えて、「お先に失礼します」と逆方向に迷いなく歩く。主任は追いかけてくる気配はない。


 彼氏なんていない。

 何をやっているのか、自分でも分からない。

 だけど少し泣きそうになって、夜空を見上げて涙を止めた。


 主任が背後から抱きしめてくる、そんな空想をやってみた。

 いつもと違って虚し過ぎて、私が自分を抱きしめた。

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脳内熱愛~触れもせじとて 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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