ランデブー・ポイント

伊島糸雨

ランデブー・ポイント


 平行世界の実在が明らかにされ、事象境界面ランデブー・ポイントを利用した多世界交流が実現してからずいぶんと久しい。

 時間軸タイムラインさえ近似していれば、世界間の距離なんてものは、それこそ空間における距離の概念と相違なく、専用の世界間通信端末を用いれば、同一の時間軸集合内で他世界と自由にメッセージのやり取りをすることができる。

 それぞれの世界は、平行していたり同じ収束の範囲で分類されてはいるものの、細々とした差異は当然存在する。そして、世界と世界の間には、その差異が曖昧で、収束に影響しないレベルで事象が確定していない層がある。これがいわゆる事象境界面ランデブー・ポイントと呼ばれるもので、私たちが世界の垣根を越えて直接言葉をかわすことができる唯一の接点だった。

『14時±12.76分にいつものとこで』

 タブレット型世界間通信端末の画面を見て、私はおもわず笑みをこぼす。不安定な時間の揺らぎまでわざわざ視野に入れて時間指定をするのは、なんとも彼女らしい生真面目さだ。

 人工微小ブラックホールを用いた遷移列車リープ・ラインは、振動も音もなく、まるで静止しているかのような穏やかさで進んでいく。外部を観測可能な窓の類は一切なく、ダークブラウンの内装と暖色の光に照らされた車内も静けさに満ちる。事象境界面ランデブー・ポイントまでは、主観時間でおよそ一時間だ。

 ──間もなく122番世界との事象境界面ランデブー・ポイントに到着します。事象振幅はおよそ2.38%。ターミナル周辺の天気は、晴れが65.73%、曇りが24.11%、雨が10.16%です。

 アナウンスから数十秒後、空気の抜ける音とともにドアが開いた。椅子から立ち上がり、ターミナルに降りる。

 予報通り、空には青空と曇天がゲームのバグのようにチラつき、街並みもまたノイズのようなざらつきに覆われている。事象の揺らぎの感受性は、視覚が最も高いと言われている。人によってはこの混然とした状態に酔って体調を崩す人も少なくなく、そういう場合は眼鏡やコンタクトレンズ型の認知機能保護フィルターを着用することで“酔い”から身を守ることになる。利用率はそれなりに高い。

 ターミナルのすぐそばに、行きつけの喫茶店がある。といっても、個人経営でもなんでもなく、どこの世界にもあるチェーン店だ。

「あ、ヒナキ!」

 店内に入ると、すぐさま声が飛んできた。窓際の二人席から手を振る女性が目に止まる。

「サツキ」

 久しぶり、と近寄って手を振り返すと、彼女は眼鏡の奥でにこりと微笑んだ。眼鏡をかけた姿は、ここでしか見たことがない。

「やっぱり早く来てた」

「ふふん、楽しみだったからね」

 彼女はおどけてウインクをした。

 コーヒーを注文してから、近況報告に入る。それぞれがそれぞれの世界で何をして生きているのか。そして、話をするときの表情や仕草……。そういったものを見て、聞いて、心に留めておくために、私たちはわざわざこんな曖昧な場所に集まっている。失ったものの残り香を、必死になって思い出しながら。

 それは、彼女もきっと同じだろう。

 サツキの世界で、私は死んでいて、

 私の世界で、サツキは死んでいるのだから。

 横断歩道を渡っている最中の交通事故だった。時間も、場所も、状況も同じだった。

 違ったのは、どちらが一歩先を歩いたか。

 ただ、それだけだった。

 いま眼前にいるサツキと出会ったのは、私の世界におけるサツキの死がきっかけだった。事故に関する他世界の情報を必死に集めていた時に、私とサツキの立場が逆転している世界を見つけて、私の方から接触をした。

 この関係も、もう二年になる。

 お互いを自分の世界で死んだ別存在と重ね合わせながら、半ば依存的に、半ば清算のために、こうして待ち合わせるのを繰り返している。いつかの別れから、目をそらしながら。

「ヒナキ、またね」

 別れ際、彼女は決まって哀しげに笑う。

「うん、また」

 言葉はどこまでも残酷だ。元の世界に帰れば、“また”は来ない。二つの可能性が混じり合う境界だけが、再会を可能にしているのだと、私たちは知っているはずなのに。

 時々、私とサツキが二人で歩く幻影を見る。彼女たちは、どちらが先に行くでもなく、隣に並んで歩いていく。きっと、サツキがきっちりと定めた時間に私たちは待ち合わせて、最後には「またね」と言って別れるのだろう。

 でも、そんなことはもう起こりえない。

 失われた彼女とどこかで再会できるとしても、待ち合わせ場所ランデブー・ポイントがここじゃないことだけは、はっきりと理解している。

 サツキのいない鈍色の世界を、冷ややかな風が吹き抜けていく。私は繋ぐあてのない手の冷たさを握りしめて、帰路を急いだ。

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