自転車ロケット

ふたみ

宇宙ロケット

001


 宇宙人。

 一般的にその言葉があらわすのは地球外生命体のことであり、脳裏に思い浮かぶのは、頭がデカくて銀色の肌をした少女漫画みたいに目が大きい怪物だ。しかし、俺が通う青空高校の生徒たちが宇宙人と聞いて思い至るものは世間のそれとは違う。いつも図書室の片隅で、宇宙に関連する本を広げている一人の少女を思い浮かべることだろう。


 彼女の名前は、佐伯。

 あまりに宇宙人という呼び名が浸透しているため、本名は知らなくてもあだ名を知っている奴の方が多いくらいだ。


 そもそも、彼女が『宇宙人』だのという麗しき乙女のイメージから遠く離れた名前で呼ばれるようになったのは、高校入学後のクラスルームにて行われた自己紹介にあった。何事においても第一印象は大切で、彼女の場合は、地球に隕石が落ちてきたかのような衝撃を俺たちに与えてしまったものだから、当然のごとく日本人の誰しもが愛する『普通』の範疇から全速力で飛び出して、得体の知れないナニカとして認識されてしまったわけだ。


 ピポピポ、ピポパポ。


 ほえ?

 何言ってるんだ、こいつ。

 それが宇宙人がクラスルームの仲間たちに向けて発した最初の言葉だった。普通、自分の名前と出身校、あとは中学の時に入ってた部活とか趣味とかを軽く発表するのが自己紹介の様式美。だというのにも関わらず、宇宙人はその十文字に満たないカタカナ群を嫌にハキハキとした口調で言い放って澄ました表情で席についてしまったのだ。


 最初は、冗談か何かなのかと誰しもが思った。

 しかし、日が経つにつれて宇宙人の異常性はみんなの常識に成り上がった。

 まず日常会話が成り立たない。授業で解答を求められたり音読になると日本語を話してくれるのだが、それ以外はデフォルトでピポピポ言いやがるのだ。問題行動も露見され、ある時は白線を引くラインパウダーという道具を使って校庭に謎の紋様を書き上げて青空に向けて自分の存在を叫び停学処分を食らっていた。ミステリアスというのは時として人間の魅力として作用するが、宇宙人の場合はその度合いが行きすぎてただの奇人だ。なまじ容姿が良かったため、伝説のピポピポ自己紹介をぶちかました後も彼女に近づく男はいたのだが、一ヶ月と経たずしてそのすべてが霞と消えて行った。今では宇宙人に寄りつく人間はひとりもいない。だがそれは、孤立というより孤高だろう。

 周囲から人影が消えた宇宙人は、どこか安心しているように見えた。


 俺は彼女を見て、得体の知れないその怪しさに気味が悪くなった。

 宇宙人から、俺たちと同じものが一切感じられない。

 同じ生き物なのかどうかさえ疑ってしまうほど、彼女は俺たち地球人とは違う知的生命体に見えた。


 怖い。

 知らないことは怖いことだ。

 だから俺は、彼女の帰宅を尾行することにした。


 そもそも宇宙人に帰る家などあるのだろうか。もしかすると、銀色の球体みたいなものが山の奥にあって、それが奴の住処なんじゃないだろうか。我ながら馬鹿な考えだが、否定することのできない自分が心の中で喚いているのも自覚できた。もし、彼女が普通の家に帰って母親なり父親に「おかえり」と出迎えられている姿を見られれば、それだけで宇宙人を地球人に変身させることができると思った。


 あくる日、友人からのカラオケの誘いを断った俺は宇宙人をつけた。


 高校から徒歩で最寄り駅まで歩き電車に揺られること30分。徒歩含め、下校に40分ほどの時間がかかる閑静な住宅街。彼女のようなはみ出しモノとは正反対の、ある規則性に則り整備されあた二階建て一軒家がいくつも並ぶその中のひとつ。ありふれた百の中のありふれた一。

 そこが宇宙人の家らしかった。

 表札には『佐伯』と書いてある。

 鞄から鍵を取り出し、玄関の扉を開く宇宙人。

 少なくとも彼女の住処が銀色の球体でないことに安堵を抱き、胸を撫で下ろして足元に目線を送る。彼女への恐怖はみるみるうちに消えていき、宇宙人はクラスメイトの佐伯さんへと変わった。


「ねえ」

「え」

「ずっと付いてきているみたいだけど、何か用? それともストーカー?」


 かけられた声に顔を上げると、カタカナしか話さないはずの宇宙人が少し怯えた顔で俺を見ていた。

 その瞬間、一学期を共にした宇宙人の姿はどこかへと消えていって、俺の目に映る佐伯さんは、ただの女子高生になっていた。


 怯える彼女の誤解を解くため、俺は尾行の理由を説明する。


「ごめん、佐伯さん。俺、ピポピポしか言わない君のことが怖くて、もしかして本当に宇宙人なんじゃないかって思って、普通の家に帰っている姿を見れれば安心できると思ったんだ!」

「……」


 どうやら俺のことをストーカーだと思い込んでいる彼女を安心させるため、身振り手振り、無実を証明するべく必死に声を荒げる。銀色の球体に住んでいると思っていただの、帰り道の途中で謎の液体を飲み始めるんじゃないかと観察していただの、余計なことを口走った気もする。俺が必死に弁明を繰り返していると、次第に佐伯さんは顔を俯かせて肩を震わせ始めてしまった。泣かせちまった、やばい。そう思った。

 けど———。


「……ふふ、ふふふ。私が宇宙人だと思っちゃったの? 君、かなりイタいね」


 おかしくてたまらないといった風に笑いはじめる彼女を見て、俺は心を奪われた。

 普段ピポピポ言ってる奴の方が何億倍もイタいやつだとか、そういった反論はもちろん思い浮かんだけど、そんなことどうでもいい。

 彼女のこの笑顔を、毎日見ていたいと思ってしまった。


 俺はその日、宇宙人に恋をした。



002


 

 宇宙人が佐伯さんになった日から、俺と彼女の距離は少しだけ近づいた。

 あの日まで交流はなかったが、クラスでは席も隣同士だったし、日常会話くらいはするようになった。

 一度、日本語で話したのが原因なのか、佐伯さんはピポパポ語を俺との会話で使わない。

 友人たちがどんな魔法を使ったんだと詰め寄ってきたが、「尾行しました」なんて恥ずかしいことを公表する気にはならなかったので、彼女に倣ってピポピポと言葉を返してやった。すると奴らは、俺が洗脳でもされてしまったと勘違いされたらしく悲鳴をあげて逃げ惑った。


 ……友よ、悲しいぜ俺は。冗談じゃないの。


 いつの間にか宇宙人第二号として認識されるようになった俺は、けれど彼女のように孤高の存在になるわけではなく、どちらかと言えば今まで仲良くなる手がかりのなかった佐伯さんとの橋渡しとして利用されはじめる。とはいえ、佐伯さん自身がみんなの距離を縮めようとしないものだから、そのほとんどが空振りに終わってばかりなのだが、それでも宇宙人佐伯は俺という緩衝材を挟むことで青空高校一年A組にようやく着陸したように見えた。


「高ちん、今日は帰りにファミレス寄ろうぜ! 佐伯さんもどう? 今日の授業の復習とかさ、みんなでやろうぜ!」

「……お前は俺じゃなくて佐伯さん目当てなだけだろ」

「そういう捉え方しちゃうの? 捻くれてるねぇ、高ちんは。ま、来なくてもいいのは事実だけど」

「けっ、やっぱりそうじゃねぇか。俺は、……行かねぇ。佐伯さんは?」


 少しの間も開けず、彼女は答える。


「ピポピポ」

「行かないってさ」

「いや、ピポピポしか言ってねぇじゃねぇか!」

「目を見ろ目を。冷め切っているだろうが」


 通学鞄を肩にかけて教室を出る。

 佐伯さんも帰宅するようで、最寄り駅まで一緒に帰る流れになった。


「今日は図書室に寄らないのか?」

「カケラでも宇宙のことに触れている本はすべて読んだからもうあそこには行かないのよ」

「ふーん」


 俺たちの間に共通の話題はない。彼女について知っていることも、佐伯さんが宇宙狂いなことくらいだ。

 もっと知りたいと思った。

 あの日以来、彼女の笑顔は見れていない。こうして、たまたまとはいえ一緒に帰っているんだから、俺を知ってもらいたいし彼女のことを知りたい。何か、いい感じの、ポップでキャッチーな話題を提供したい。そこから風呂敷を広げていって、友達レベルの状態には持っていきたい。歩きながら考える。けれど、茹で卵は茹でているから茹で卵なわけであって、名案は浮かばないからこそ名案と呼ばれるのだ。俺の大したことのない頭をフル回転させても、今日はいい天気ですね程度の天気の話題しか思い浮かばなかった。

 不甲斐ない自分に落ち込んでいると、意外にも、佐伯さんの方から俺に話しかけてきた。


「ねぇ、なんでファミレス行かなかったの?」


 なんだ、そんなことか。

 好きなモノとか聞いてくれれば良いのに。

 ……てか、俺が聞けばよくね?

 うわ、やべぇ。俺、天才では?

 そっから話題を広げて、休日に遊ぶ予定とか立てれれば最高だ。

 もし犬なら俺の家のポチ太郎が役に立つに違いない。


「俺が行くっていったら佐伯さんが断るとき感じ悪くなっちゃうだろ。そ、それよりさ、佐伯さんの好きなモノっていかがなものなんですか? も、もしかして犬とか? 犬っていいよね、可愛いよね?」

「……宇宙」

「お、おお、う、宇宙だよね、そりゃ。こ、広大な感じで、い、良いよね、うん」


 しまったああ。

 佐伯さんの好きなモノなんて宇宙に決まってんじゃねぇか。

 やらかしたああ。

 俺、宇宙なんて微塵も知らねぇよ。興味ねぇよ。考えるだけで眠くなること間違いなし。

 なんて考えていると、佐伯さんがぼそりと一言、つぶやいた。


「あと、犬も嫌いじゃないよ」

「———まじっすか」

「まじっす」


 はやる心を静めながら、俺は一世一代の賭けに出る。


「俺、犬飼ってるんだよね。室内犬でさ、犬種はコーギー。飯をよく食うもんだからデブでもちもちでさ、毎日ブラッシングもしてるからもちもちモフモフ生物に仕上がってんだよ」

「ふーん」

「でさ、もしよかったら———」

「行かない」

「え?」

「高橋くんの家の犬を見に行くなんて時間の無駄をするつもりはないよ」


 そ、そんなはっきり言わんとってくれぇえ。

 先回りして我が家への招待を断られた俺は、心の中で膝から崩れ落ちた。

 駅へ向かう足が止まる。

 項垂れる俺を放置して、ずんずんと目的地に進んでいく佐伯さん。

 どんどん離れていくその距離が、俺と彼女の間にある心の溝か何かに思えてしまう。

 ああ、行かないでくれ。

 情けなく縋り付くように佐伯さんの背中を見つめる。

 ふいに、彼女がサラサラの黒髪をふわりとひるがえし、取り残された負け犬へ振り返った。

 腰の後ろで手を組んで、


「ふふ、冗談だよ。高橋くんがいいならその子、見てみたいな」


 あ、笑ってる。

 見たくてたまらなかった彼女の笑顔を見れた喜びに俺の口は動かない。


「あれ、もしかして怒っちゃった?」

「いや、えっと……。ああ、怒ったよ」


 佐伯さんの笑顔に見惚れていたことを悟られたくなくて、下手くそな嘘をつく。

 少しだけ前屈みになって、顔を近づけてくる彼女の瞳が俺の目をじっと見つめた。

 開いたはずのふたりの距離は、佐伯さんの接近により縮まっていて。

 同じ人間とは思えない華やかな香りが、女の子の甘い匂いが鼻腔をくすぐった。


「嘘つき」


 少しだけ意地悪な表情を見せる———宇宙人時代からは考えられない、知らない顔を見せる佐伯さん。

 それもこれも、我が家に犬がいたおかげ、なのだろうか?


 とりあえず。

 ポチ太郎、俺の家で飼われていてくれてありがとう。


003

 

 なついあつ。

 いや、失礼。

 暑い夏。

 今年の夏が去年の夏よりも暑く感じるのって何でなんだろうか。

 絵具をぶちまけたような青空に描かれた綿あめみたいな積乱雲。

 俺と佐伯さんは、家の庭から見える夏の空を見ながらポチ太郎を可愛がっていた。


 勇気を振り絞って佐伯さんを家に招待してからというもの、彼女は「嫌いじゃない」というわりにかなりの犬好きだったらしく、週に一回はポチ太郎に会いに来るようになった。ポチ太郎も佐伯さんのことを気に入ったのか、飼い主たる俺よりも彼女のことが好きなようで、縁側に座る彼女の膝を下敷きにして気持ちよさそうに丸まっている。このクソ暑い中、犬カイロを体験させられる佐伯さんに申し訳なさを感じないわけではないが、ポチ太郎を撫でるときに決まって微笑むものだからはぎ取ろうとは思えないんだな、これが。

 佐伯さんが、ポチ太郎の耳を両手でこねながら言う。


「今更になるんだけどさ」

「おー」

「私がピポピポとしか話さない理由、高橋くんは聞かないよね」


 ……。

 そういえば、そうだな。

 言われてみれば気になってきた。


「なんでピポピポとしか話さないんでしょうか?」

「……もしかして、私がこうして聞いてみるまで疑問に思ってなかったの?」


 俺にとって佐伯さんは、尾行して佐伯さんになってからただの女子高生、というか好きな人になっていたもんだから、彼女のピポピポ語も受け入れてしまっていたのかもしれない。好きな人ができるとその全てがよく見えてしまうモノだと噂に聞いていたが、本当だったんだな。

 しかし。

 俺の気持ちを佐伯さんに伝えるには準備も勇気も足りないので、とりあえず彼女への返答は誤魔化そう。


「いや、前から気になってたけど? こうして話題に出たから尋ねてるだけですが?」

「鼻伸びてる。天狗なみに」

「そ、そんな馬鹿な!」


 か、神様ごめんなさい。

 う、ウソつきました!


「って、伸びてねぇじゃん」

「その焦り方、やっぱり嘘ついてたんだ。ほんと、高橋くんって分かりやすいよね」

「てか、それよりなんでピポピポ言ってるんですかって話だろ! 俺のことはいいんだよ!」

 

 不貞腐れて顔を背ける俺の耳に、鈴の音色のような笑い声が響く。

 やがて、それはおさまって。

 佐伯さんは少しだけ寂しそうに話しはじめた。


 それは、なんというか、簡単に言葉がでない話だった。



***



 私が小学生になる少し前、父と母が離婚したの。

 理由は、なんだったかな。

 小さかったから分からなかったけど、とにかく二人ともお互いのことが嫌になったみたい。

 それで私は、母に引き取られることになったわ。


 一ヶ月に一度、父はプレゼントを持って私に会いにきてくれた。遊園地に連れて行ってくれたり、水族館や動物園、美術館や博物館、私が行きたいといった場所に父は必ず連れて行ってくれた。知らない世界に連れ出してくれた。滅多に会うことができない父に、私はたくさん甘えたくてよくワガママを言ったわ。いつも困ったように眉尻を下げて、優しく笑いながら頭を撫でてくれた。大好きだった。母がなぜこの人のことを見たくもないナニカだと考えるようになったのか私には理解できなかった。また皆んなで一緒に暮らせればいいのに。そんな想いが父と会う度に大きくなって、それで弾けた。


 私は父にお願いしたの。お母さんと私とまた一緒に暮らそうって。

 いつもみたいに父は困ったように眉尻を下げて私の頭を撫でたわ。

 けど、その日だけは、大好きだった頭に乗っかる大きな手の平が大きな壁のように感じられて……。

 私は「いいよ」って頷いてくれない父の手をはねのけて、その場から逃げた。大嫌いって言葉で父を傷つけながら。

 悲しそうな顔で追いかけてくる父の顔を覚えている。

 そして、その顔が焦りに変わって、私を突き飛ばしたのを覚えている。


 父から逃げるために必死になった私はいつの間にか車道に飛び出していて、迫りくる車に轢かれそうになっていたの。

 父は私を救うために全速力で駆けて、私を助けた。

 自分の命を投げ打ってね。


 消えちゃった。

 父と母、そして私。

 もしかすると、三人一緒の生活がまたできたかもしれないのに、その芽さえ摘み取った。

 私は私の夢を、自分の手で壊した。


 ……映画で、人が死ぬシーンを見たの。

 死んだ人がどこに行ってしまうのか怖くて、父の胸に抱きついた。

 父は私の頭を撫でながら、優しくこう言ったわ。

 死んだ人は宇宙人になって違う惑星から家族のことを見守り続けるんだよって。


 父に謝りたい。

 あの日のことを、傷つけてしまった言葉を、本当は大好きなんだって訂正したい。

 そのためには、宇宙に行くしかないと思ったわ。だって、死んだら人は宇宙人になるんだから。火星人でも、土星人でもなんでもいい。人形じゃなくたっていい。私は父に会いに行かないといけないの。

 馬鹿みたいな話でしょ。

 でも、本気なの。

 あの時からずっと胸につっかえてるこの想いを終わらせる方法は、たぶんそれだけ。


 ピポピポ語を話すのは、宇宙人がいたら私に興味を持ってくれるようにするため。それと、友達を作らないため。

 私、頭も良くないし運動神経も自信ない。宇宙人が地球にいたとして私を宇宙に連れて行ってくれればいいけど、もしいなかったら自分の力で宇宙に行かなくちゃならない。そのためには宇宙飛行士になるしかない。出来が悪い頭でも、体でも、なってやるしかない。そんな私に、友達と遊んでいる時間なんてひとつとしてない。でも、私は弱いから。近づかれると甘えちゃうかもしれない。それなら最初から距離を取られるようなことをしようと思った。

 だから私はピポピポ語を話すの。

 だから私は宇宙を目指すの。


 ……高橋くん。

 あなたと会うのも、ポチ太郎と会うのも、今日で終わりにするわ。

 日本語を話すのも、今日でおしまい。


 やっぱり私に地球で生きる資格はないみたい。

 今まで、ありがとう。



***


 隣にいたはずの女子高生はもういない。

 宇宙人が俺の前から去っていく。

 見えないロケットに乗り込んで、知らない惑星へと飛んでいく。

 ロケットの噴出口から噴き出す白煙が吹き上がって、佐伯さんの姿を呑み込んでしまう。


 何も、言えない。

 言ってやれなかった。


 同い年のくせに、佐伯さんは俺よりも何倍も悲しい経験をしたらしい。

 その経験が彼女を宇宙に縛り付けて、違う惑星に誘拐してしまったんだ。

 だから彼女は宇宙人になってしまった。


「なあ、ポチ太郎。俺に何かできるか?」


 ポチ太郎はつぶらな瞳で俺を見るだけで何も答えない。

 けど、隣で寄り添って、じっと側にいてくれた。

 たぶんそれが、ポチ太郎の答え。

 でも。


「いや、俺はやるぞ。佐伯さんを地球に取り戻してやる」


 ネット通販で銀色の全身タイツを買う。

 もうすぐ夏休みだ。

 花火大会の日は近い。



004


 佐伯さんが宇宙人になった日から、彼女は日本語を話さなくなった。友人たちは喧嘩でもしたのかだの、いったい何をして佐伯さんを怒らせたんだの好き放題言ってくれた。ちょっと待ってろ、今度はみんなにも日本語を話させてやるよ。

 俺は宇宙人に約束を取り付ける。


「佐伯さん、夏休み中にある花火大会の日、必ず家にいてくれ。迎えにいく」

「ピポ」


 カタカナだけの意味をなさない言葉。

 けど、顔をみれば分かる。

 宇宙人が何処かへいくことはない。



 花火大会当日。

 いつか尾行して突き止めた宇宙人の家まで自転車を飛ばした。

 チャイムを鳴らす。

 扉を開けて出てきたのは私服姿の宇宙人だ。

 彼女はやっぱり約束を破らないでいてくれた。


「佐伯さん、今から君を宇宙に連れて行こうと思う。俺のロケットの後部座席に乗ってくれ」

「……ぶっ、ふふふ、くく、アハハハ」

「な、なに笑ってんだよ!」

「いや、だって、高橋くん、なにその格好っ、おかしすぎるよ」

「……宇宙人、探してたんだろ。ほら、俺が佐伯さんの宇宙人だ。いいから乗ってくれ」


 目尻から涙を流すほどの大笑いで、久しぶりの日本語を話す佐伯さん。彼女は俺の姿がおかしくて堪らないのか、なかなか笑いを抑えることができずにいる。佐伯さんの家に止めてある車の車体に反射する自分を見る。銀色の全身タイツを着た俺がいる。恥ずかしい。恥ずかしいけど、いつもの俺じゃダメなんだ。佐伯さんを地球に連れ戻すには、地球人のままじゃダメだ。たとえそれが出来損ないのコスプレじみた宇宙人だとしても、彼女のわだかまりを解消するには彼女の目に映る世界そのものをどうにかしなくちゃいけないんだ。

 段ボールでロケットっぽくデコレーションした自転車の後部座席。

 笑い続ける佐伯さんの背を押して、無理やりにでも座らせる。


「よし、乗ったな。じゃあ、今から宇宙に行くぞ、ビビビ」

「りょっ、りょうかいですっ、ぶふふっ」


 人一人ぶん重くなった自転車を全速力で漕ぐ。

 行き先は夏祭りの会場じゃない。

 花火がよく見える河川敷でもない。

 今日の目的は、佐伯さんと出店で綿飴を食べたり、金魚すくいをすることじゃない。

 花火大会の会場に向かっていく人波を掻き分けて、俺たち宇宙人は宇宙へ向かう。


「ねぇ、高橋くん」


 ようやく笑うことをやめた佐伯さんが俺の背中に額を預けながら言う。


「また日本語、話しちゃった」

「べつに、悪いことじゃないだろ」


 自転車を漕ぐ。

 どこからともなく沸き上がるような熱気がまとわりつく夏の夜。

 花火が打ち上がる音を聞きながら、暗くて深い夜空に鮮烈な色を咲かせる火花を俺たちは見ない。


「ねぇ、私の宇宙人さん。このロケットでどこへ向かうつもりなの?」

「池だ」

「池?」

「ああ。そこに自転車ごと飛び込む。覚悟しておいてくれ」

「え? まじっすか」

「まじっす」

「冗談よね?」

「ビビビ」

「……ふつうに嫌なんですけど」

「うるせぇ、いいから付いてこい。そこに宇宙があるんだよ」


 花火大会の会場から少し離れた森林公園。

 その中央に広がるため池を目指す。

 俺が池に飛び込むことを宣言してから、しっかりと嫌がりはじめた佐伯さんをけして下ろさないように、自転車を漕ぐスピードを上げる。逃げしてなるものか。そりゃびしょ濡れになるし、池の水は綺麗とは言い難い。けど、俺はそこ以外に宇宙を知らないんだ。

 花火大会へ行く人影はすでにない。

 人気がなくて、街灯も少ない、そんな場所。

 誰かと同じように寂しげな公園の入り口を駆け抜ける。

 漕げ、漕げ。

 ペダルを漕げ。

 この宇宙人を地球に取り戻すために、自転車のロケットを全力で転がすんだ。


「ちょっ、ちょっと、止まりなさいっ、こらっ、バカっ!」

「ラストスパートだっ! ほら、あそこに柵が倒れてるところあるだろ? 思いっきり突っ込むからちゃんと掴まれ、ビビビ!」

「ビビビじゃないわよ! こらっ、うそでしょっ、ちょ、信じらんないっ!」


 ボカボカと俺の背中を殴りつけていた手が止まる。

 宇宙人は俺が止まらないことを本格的に理解したみたいだ。

 観念したのか、恨み言をぶつぶつと呟きながら背中にぎゅっと抱きついた。


 最後にぐんとスピードを上げる。

 どかんと一発、花火が上がるのと同時に、俺と宇宙人とロケットが少しの間だけ宙を飛んだ。


「———ぜったい許さないからっ!」


 宇宙人の恨み節を聞きながら俺は笑う。

 そして、叫んだ。


「———許さなくていいから水中で空を見ろっ! それが俺が君に見せられる『宇宙』だっ!」


 重力に従って、俺たちは沈む。

 太陽がない暗闇の、街頭の少ない森林公園の、夜の黒に塗りつぶされた池の中に俺たちは呑み込まれる。


 ガキの頃。

 今よりもずっとバカだった俺は花火になんて興味がなくて、花火大会に来たと言うのにプールで遊びたい欲求が爆発し、家族の元から逃げ出してこの森林公園の池で泳いだことがあった。常識なんて言葉を知らない子供だから、俺はこの池をプールだと思って泳いでいたんだ。もちろん、母親はぶち切れたし、ケツを千切れるほど叩かれて怒られた。損したなって思うのと同時に、だけど俺は得したなとも思っていた。

 だって、俺だけが知っている。

 花火が上がる夜空をこのため池の中から見ると、それはまるで———。


「どうだ、宇宙みたいに見えるだろ」


 水中でにじむ視界を突き破るように鮮明に色づく火花。

 そのひとつひとつが図鑑で見る宇宙の星々のように輝いて、暗くて音のないため池の中からの景色を唯一彩る。

 無重力みたいに体を押し上げる浮力が。

 水中の無音が、花火が作り出す数多の惑星が、ここを宇宙空間に変えてしまう。


 自転車に段ボールを貼り付けただけのロケットでも。

 宇宙飛行士じゃなくても、偽物の宇宙人だろうとも。

 俺が佐伯さんを『宇宙』に連れ出せる特別な場所。


「親父さん、見つかったか?」


 池に飛び込む前はあれだけ文句を垂れていた佐伯さんは、水中に潜ったり水面に浮かんだりを繰り返しながらハリボテの宇宙を無我夢中で遊泳している。その顔に浮かぶ表情は笑顔でも泣き顔でもない。なんというか、どちらかと言えば無表情に違いふつうの顔だ。

 けど、その顔は『宇宙人』なんかじゃなくて『地球人』の顔をしていた。


「こんな汚いところにいるわけないじゃん」


 宇宙人はまた、佐伯さんになっていた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自転車ロケット ふたみ @hiza800

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ