Ⅵ.御姫様

 ポニーテールにまとめた長い髪と、驚いて大きく見開いたツリ目。視線がぶつかる。時間が止まる。

「……フーちゃん」

 だよね、と確認する声。昔の呼ばれ方に、明るく豪快なそれは聞こえない。ガキ大将としていつも汚れや擦り傷を作っていた面影はなく、異性として、大人としての美しさを持っていた。後ろでは、小さな女の子の手を引いた男性が立っている。

真生まおちゃん」

 それでも、分かる。目の前にいるのは紛れもなく、近所に住んでいた年上の幼馴染……かつてぬいぐるみをプレゼントした、初恋の女の子だ。

「探し物……」

 声が震える。拍動が高まる。

 それでも、これは受け取ってもらう。

「……これ、違う?」

 差し出した瞬間。

「あっ、ヒメちゃん!!」

 高い声を上げたのは、男性に手を引かれて立っている子どもだ。勢いよく駆け寄ろうとする彼女を「ミオ、お母さんがお話ししているから」と父親が優しく諭し、待たせる。

 駅員に「見つかりました!」と解決を伝え、子どもの母親は安堵の溜息をついた。

「よかった……もう会えないかと思った……」

 崩れ落ちるように言う彼女を、楓太は直視することができなかった。


「ごめんね。本当に助かったよ」

 駅前の広場に向かって歩きながら、大変申し訳なかった、と頭を下げる真生。甘い香りを漂わせ、結んだ髪の尾がふわり、と音を立てる。記憶の中のポニーテールより、ずっと整って艶を持っていた。

 誤魔化すように「偶々だよ。ちょうど降りるし、駅に預けようって思ってたから」と言う楓太。数センチ隣を歩く幼馴染との間にある、十年以上の空白。勢いで改札を出てきたのに、埋める言葉が見つからず、彼女の流れ落ちる声を待った。

「寝過ごす寸前でさ……ミオ連れて、慌てて降りて、気付いて戻ろうとしたときには遅くて」

 コールセンターや駅に問い合わせても、見つからない、って言って、もうミオがわんわん泣いちゃってさ―焦燥感から解放され、なおも零れ続ける弱々しい言葉から、その情景は容易に想像できた。

「ずっと大事にしてくれてたんだね、あの日のプレゼント」

 一瞬の沈黙。彼女の見開かれた目と邂逅する。それは驚きか、あるいは。

「全部、蛙さんから聞いたんだよ」

「……」

 真生は黙っている。信じてもらえなくても、これが楓太の知っている事実だ。

 駅前の広場を抜け、十字路の信号に差し掛かる。もう後には、引けない。


「ずっと大事にしてくれてた人がいるって。ずっと一緒だよ、って言ってくれた、大好きな家族がいるって。

 だから、帰らなきゃいけないんだよ。その、大事な人たちのところへ」

「……フーちゃんは」

 掠れるような声。ガキ大将の面影は、ない。もう”あの日”から、そんな真生はいなかったのかもしれない。

「楓太はいないの。その……大事な人たちの中に」

 いないよ。そう言いかけて、止まる。でも結末は同じだろう、と楓太は思った。

 できてしまった空白は多分、埋まらない。

「さあね」

 でも、と楓太は続ける。

「後悔はしてないよ。なんにも」

「そっか」

 短い言葉の後。

「あたしはさ、嬉しかったよ」

 少し俯きながら真生は言った。


「雑貨屋さんで見つけた、かわいい蛙のぬいぐるみ。でもあたしには、そんなもの似合わないしさ。ガサツで、ガキ大将だもん。だから迷ってた。

 でも楓太が勇気を出して買ってくれた。この蛙さんみたいに笑顔が似合うから、って……そう言ってプレゼントしてくれたよね。

 あの時は言えなかったけどさ。楓太にもらって、ヒメに会えて、あたしはすごい嬉しかった」

「……真生ちゃん」

 彼女の視線が上がる。数十センチの距離が、熱を帯びる。

「ヒメのこと、これからも大事にするから」

 ニカッ、という笑顔。

 直視した瞬間、涙が頬を伝うのを楓太は感じた。


 真生の夫の厚意で、楓太は隣駅の竜王まで乗せてもらった。御礼を述べると、「こちらこそご迷惑をおかけしました」と詫びられた。

「フータおにーちゃん」

 幼い声がする。ミオ、と呼ばれた娘には、ガキ大将の面影は微塵もない。それでも、蛙のぬいぐるみを掲げる顔はあの時と同じ。優しい笑顔の似合う女の子だった。

「またあそびに来てね!ヒメちゃんも待っているから!」


 車のライトが遠くなる。温度が再び下がる。

「さようなら、御姫様」

 十年の空白を経て、初恋は終わった。

「またね、ヒメ」

 これからは距離はない。甲府と新宿は、一時間半で結ばれるのだ。

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甲斐路の忘れ物 白幸虎仁朗 @tomo6tsurage

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