Ⅴ.甲府に到着
≪通過する各駅と、身延線ご利用のお客様はお乗り換えください≫
「じゃあ俺、ここなので」
「そう」
新宿を出て1時間半、甲府に到着する。この特急あずさ号の存在で、両都市は近くに感じるようになった。
「あっという間ね」
ヒメのか細い声がした。
「楽しかったわ。……悪かったわね、放置された惨めなぬいぐるみの為に」
楓太はきょとんとした。酒や駅弁をねだってきた、あの我儘な御姫様の姿はもうない。何も訊くこともできないでいると、蛙の方が語り出した。
「所詮は忘れ物。他のお客さんが気に留めることはないわ。車掌か駅員に拾われて、北長野でゴミにでもなるのがオチよ。……元々、そうなるはずだったのだから」
少ない荷物をまとめ、楓太は立ち上がる。強いブレーキがかかりバランスを崩しそうになるが、窓枠のヒメは微動だにしない。
駅前ビルとホームが近づいて、車窓が明るくなる。お元気で、か。楽しかった、だろうか。結局楓太には何も言えない。
≪まもなく停車です。お出口は左側です≫
自動放送が流れ、列車は完全に停車する。
刹那。
「きゃあっ!?」
突然持ち上げられたヒメが、驚いた声を発する。
蛙のぬいぐるみを抱いた楓太は、甲府駅2番線ホームへ降り立った。
「……突然どうしたのよ」
発車メロディが終わったあたりで、ようやくヒメの声が聞こえた。あずさ55号が再び夜闇に向けて走り出していく。
「急に抱えられてびっくりしたわよ」
「いやヒメさんこそ」
しかし楓太は冷静である。車内での記憶は鮮明だ。
「今日は甲府から旅行したんでしょう。それとも松本まで行きますか?わざわざゴミになるために、同じ道のりを旅行ですか」
「嫌に決まってるじゃない!」
怒られて楓太は安堵した。どうしても酔いは回っていて、昔の記憶が混同する。
「甲府駅なら駅員さんが確実にいます。保管してもらえれば安心です」
「冷静ね。嘘でも惚れたから盗みますって言って欲しかったわ」
「それに御姫様がこのまま捨てられるのは嫌です」
「……言わされてるじゃない」
ツッコミながら照れるヒメがかわいくて、楓太もつい笑ってしまった。改札口に繋がるエスカレーターが、ゆっくりと上がっていく。
22時40分という時間でも、駅構内や周辺は賑わっているようだ。家路を急ぐ足音、解散していく若者の声と、最終列車を告げる放送が入り混じる。
その中に親子の姿が見えた。自動改札の隣は仕切られていて、有人窓口になっている。
「……あっ」
駅員と何かを話す女性に気付いて、短い声が零れた。それがヒメのものか自分のものか、楓太には一瞬分からなかった。
「そう、だったんだ」
女性客との視線が邂逅し、足が止まる。
「あの方で間違いないですか」
念のため確認すると、
「あんたが一番分かってるはずよ。ほら、行ってあげなさい。……喜ぶわよ。」
「どっちが?」
「あの娘が!」
抱きかかえたぬいぐるみに叱られながら、まるで後押しされたように有人改札へ踏み出す楓太。包んだ手の中の、最後の声は聞こえなかった。
「……ありがとう、楓太」
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