さあアリス、点Pを追いかけよう。
天宮ほーが
続くかどうかもわからんのに第1話
「さあアリス、点Pを追いかけよう」
「は?」
突然頭の上から謎の声が謎の指示を送ってきたので、少女は素直に何言ってんだオメー、の意を最小限の文字で返答した。
寒い地域に住む人は、最小限の音で会話をするのだそうだ。理由は「寒いからゆっくり喋っていられない」というのが通説である。
例えば「食べなさい」が「け」、「食べるよ」が「く」。「おいしい」が「め」。もちろん書く場合はそうではないだろうが、他府県の人間にはなんのこっちゃである。
が、それは今全く関係なく、他府県などと言ったがここはそういうところではない。少女が発することが出来た最小限の言葉だよということを言いたいがための蛇足である。
「つーかここどこ、これ何、つーか誰」
少女が耐えられず独り言のように訊いた。
周りは草原が広がっているのみ、自分は何故だかそこに立つ思わせぶりな樹に寄りかかって寝ており、目が覚めたと思いきや突然頭の上から訳の分からぬ指示を出されたのだから、その何もかもに疑問を抱くのは当然のことであろう。さもありなん、さもありなん。
「聞いてる?」
非常にイライラした顔で少女が続ける。とりあえず頭の上に向けて。
頭の上には抜けるような青空しかない。足元に広がる草原と相まって、心地よい風景ではあるはずなのだが少女にとっては何ひとつ心地よいものなどなかった。
そんなことはお構いなしとばかりに、頭の上から声は続ける。ちなみに声は良い。声だけは良い。こんな状況でなければ少女の耳にも心地よく響いて「まぁ素敵」となるだろう、無駄にイケボである。
「さあアリス、点Pを追いかけよう」
「いやそれが一番意味わかんないんだわ」
何ひとつ質問に答えてないんだけど、と吐き捨ててから、少女は自分の着ている服にも文句をつけはじめる。
「何これダッサ」
ダサくはない失敬な。
襟と袖口に清楚なフリルが着いた白いブラウスに、ベロア素材の黒いジャンパースカート。少女がお行儀悪くスカートの裾を摘み上げると、スカートのボリュームを出すための白いパニエとドロワーズが現れる。脚は同じく白のソックスと、黒いエナメルの靴。コツコツ、と踵を鳴らせばビビュンと飛んでいけそうな、全世界5000億人(ソースのない概算)の幼女憧れのメルヘン靴だ。
しかし残念なことに、ここには一緒に飛んで来たおうちはないし、黄色いレンガの道もない。きびだんご無しでも着いてきてくれるお供もいない。
ただただ、草原と、思わせぶりな樹と、少女がいるだけの世界である。あ、あと頭の上から聞こえる無駄にイケボな謎の声。
「黒」
ミディアムボブの、毛先をふんわり内巻きにした黒髪を不本意そうに少女は摘んだ。
ちなみに鏡がないので少女は気付いていないようだが、ブラウスと同じように清楚なフリルとレースがついたヘッドドレスが頭に乗っかっている。
「さあアリス」
「何これ邪魔」
いやさすがに気付いたようで、ヘッドドレスは言葉と共に地面に投げつけられた。
ああ、フルコーデの均衡が崩れる。そのレース高いのに。いや知らんけど。
「さあアリス、点Pを追いかけよう」
RPGの村人かぶっ壊れたレコードのように頭上の無駄イケボが繰り返す。
少女は苛立ちを隠そうともせず、「アンタそれしか言えないやつなの?」と髪をわしわし掻きながら言った。
「アリスってあたしのこと?だとしたら人違い。あたしアリスなんて名前じゃないし」
さもありなん、この少女には名前がない。動物園で生まれた何かしらの動物の赤ちゃんのようにお名前募集で決める予定もない。
ただ誰かの意志の元に誰かの趣味丸出しの衣装を着せられた、特に超能力も戦闘能力もない、ごくごく普通の少女である。
「さあアリス、点Pを追いかけよう」
「だから」
アリスじゃないし点Pってなんだよ。少女がついに核心を突く。
「点Pとは」
「なんだ喋れるんじゃん、じゃあ最初から会話してよ」
「点Pとは、提示された図形の辺を決められた速さで移動する点の仮称例だよ」
「いやそれは知ってるわ数学で出てくるアレでしょ」
少女はメタなことを言った。
他府県も数学もない草原の世界だとぼく、つまりナレーション、要は地の文が言っているのに。
「それを追いかけるの意味がわかんないのよ」
「そのままの意味だよ、移動する点Pを、きみが追いかける」
「いやだから、なんでそんなことしなきゃなんないの」
「アリスは何かを追いかけるものだからね」
「点Pを追いかけるアリスなんて聞いたことないしそもそも点Pを追いかける奴なんて前代未聞なんですけど」
「ではきみが、史上初の点Pを追いかけた人間になるのだ」
なるのだ、じゃねえわ!と少女は堪らずキレた。足でドムドムと地面を踏みつける。地団駄を踏む、というやつだ。地団駄を踏むロリータファッションの少女というのも珍しい。
少女は目覚めてから困惑するか怒るかしかしていない。ストレス値はおそらく相当のものだろう。
「つーかあんた誰なの、人の上から偉そうに」
「よーしアリス、景気よく点Pを追いかけよう」
「いや言い方変えればいいわけじゃないのよ、通じてる?同じ言語で喋ってるよね?」
「ぼくのことは、そうだなぁ·····天の声とでも呼んでくれたらいいよ」
「答えになってないし、呼ばねぇわ」
「ほら、早くしないと点Pが先へ行ってしまうよ」
「別に行ってもあたしは困らない」
「でも、きみが追いかけないと、」
この物語は終わらないよ。
冷たい声で天の声がそう告げた。
これはメタ発言ではなく、本当に少女が永久にこのままだという、そう、一種の脅しだ。
永久にこのまま、草原と思わせぶりな樹しかない世界で、話し相手が頭上の微妙に会話が成立しない声のみだというのはさすがに気の強そうなこの少女でも発狂ものだろう。
「·····わかったわよ、やりゃいいんでしょ」
「その気になってくれて嬉しいよ。さあアリス、点Pを追いかけよう」
「その点Pはどこにいるの」
「あっちだよ」
「いや指も何もないからわかんないんだわ」
「きみがあっちと思えばあっちだよ」
「あーハイハイわかったわかった、あたしの都合でやりゃいいのね。変なとこだけ哲学みたいなので腹立つわ」
ぶつくさ言いつつ、少女は「あっち」へ向けて出発した。
「図形の辺を進む点Pのくせに、草原を移動するなんて生意気だわ」
ぶつくさを超えて少女はジャイアンのようなことを言い出した。そして、はたと何かに気付き早々に立ち止まる。
「·····ねえ、追いかけなくても待ってりゃ点Pが戻ってくるんじゃないの?」
「小狡いことを考えるアリスだなあ」
「待たなくてもあたしが思う方向と逆を行けば早く捕まえられるんじゃない?」
「とんでもねえアリスだ」
少女は天の声を無視して、来た道(道などはないのだけれど)を戻ってゆく。
とっとと点Pとやらを捕まえてこの馬鹿げたなんだかよく分からん何かを終わりにしたいという強い意志を感じる。
さくさく、と柔らかな草を踏みしめて少女は進む。いや、戻る。
ただ、同じ景色が延々と続くと少しずつ、自分の進む、あるいは戻る方向がずれていくものだ。どこをどう歩いているのか、少しずつわからなくなる。
天の声の言う通りだとすれば、少女が歩く方向が点Pの進んだ「あっち」なのだろうから、間違えるということははずはないのだけれど。
「めまいがするわ」
少女はぜぇはぁと息を吐き、とうとうその場にへたりこんでしまった。
「アリス」
「なによ」
「きみがあっちと思う方向があっち、だよ」
「だから?」
「だからきみが戻ると決めた方向も、あっちだよ」
「は?」
「だから、さあ、点Pを追いかけよう」
朗らかに言う天の声に少女はしばらく固まっていたが、その言葉の意味を理解し飲み込んだらしいタイミングで「さっさと言えよ!」と怒鳴った。
「もう無理、つかれた」
少女は大きく溜息をつくと、草の上に大の字に転がった。まるでホームアニメの自由で奔放な主人公のようだ。こんな状況でなければ深呼吸をして草の匂いを嗅ぎ、風の音に耳をすませて眠ってほしいくらいだ。
「そもそも点Pってどんな速さで移動してんの」
「100メートルを1.8秒だよ」
「追いつけるわけがないしメートル単位で提示される図形なんか聞いたことないわ」
「ぼくもそう思う」
「ぶっ飛ばすわよ」
だいたい、辺がないのになんで点Pは移動してんの。求める面積だってありゃしないじゃない。
ため息混じりにそう言う少女は案外冷静だった。いい加減この状況に慣れてきたのだろうか。
「だいたい点Pってなんなのよ、何を目的に一定の速さで辺を進むの。自分の進んだ辺から面積を求めてもらってどうしたいのよ」
「泣かないでアリス」
「泣いてないわよ。そもそも点PのPってなによ、何の権限でPを名乗ってるわけ。点?点だからpointのPなの?馬鹿じゃないの」
点Pへのヘイトが止まらない。こんなに悪し様に罵られているのも知らず、点Pは今も100メートルを1.8秒の速さで進み続けているのだろうか。
「プロデューサーのPかもしれないよ」
「100メートルを1.8秒で移動するプロデューサーってなによ」
「pinkかもしれないしpandaかもしれない。penguinかもしれないしphoenixかも。夢が広がるね」
「広がらないし点Pがなんなのかも考えたくなくなってきた」
「いいところに気付いたねアリス」
「え、なに、何かに正解した?この話もう終わる?」
「そう、点Pはいつだって存在する·····ぼくたちの、心の中に·····」
「下りてきなさいぶん殴ってやるから」
「天の声が下りてきたら地の声になってしまうよ」
それはぼくが困る。何を言い出すんだこいつは。
さっきから好き勝手喋りやがって、イケボだったらなんでも許されると思うなよ。
·····と、地の文は思った。
「天の声は天から話しかけるもの、アリスはなにかを追いかけるものだからね」
「例え一千万歩譲ってそうだとしても、追いかけるものくらい自分で決めさせてよ」
「じゃあ何を追いかけたい?100メートルを4.5秒くらいで移動する夢?それとも秒速5センチメートルの恋人かな?」
「恋人遅っ」
「さあ気を取り直して点Pを追いかけよう、アリス」
はああ、と何度目かわからない大きなため息をついて少女は立ち上がった。スカートについた草を手で払う。
「スタート地点に戻して」
「どういうこと?」
「どうしても追いかけろと言うのなら、フェアによーいどんさせてよその、点Pとやらと」
「あんたは追いかけろと言うけど点Pとやらを捕まえろとは言ってない。つまり追いかけさせるのが目的ってことでしょ」
「だったらよーいどん、の方がまだ面白いんじゃないの?あたしが思った方向に進んで、あたしの気が済んだ地点がゴール。あんたはその後面積求めるなり好きなようにしなさい。それで終わり。あとその点Pとやらにもっとゆっくり走れって言ってよ」
「フェアとは」
「相手が明らかに人智を超えた速さを持ってる段階でフェアプレーは死んでるのよ。チーム対抗赤坂五丁目ミニマラソンでもハンデはあるわ」
少女がまたメタなことを言った。最初からあったかどうかも怪しい世界観はしっちゃかめっちゃかである。
「それともあたしが都合良く考えれば、100メートル0.2秒くらいで走れるとでも?」
「脚が消し飛ぶよ」
「そこには常識が介入するの?とことんふざけてるわね」
「じゃあウサイン・ボルトくらいにしろと言っておこう」
「それでも速いわ」
けれども少女は真面目な顔で、ウォーミングアップを始めた。吹っ切れたのだろうか、しかし絶対吹っ切ってはいけないものを吹っ切った気がする。
この後少女はスタート地点へ戻され、点Pとやらと対峙するのだろう。点Pって結局なんだったんだ。
「アリスは短距離走派だったんだなぁ、覚えておこうっと」
天の声がそう呟いたのを、ぼく、つまり地の文は聞き逃さなかった。
せめて走りやすそうな服と、コーナーで差をつけそうな靴くらいは用意してやれよ。確かにスカートを持ち上げながら走るのは様式美だけど。
少女が至極真面目な顔で足首を回して準備をしているその先にぼんやりと、おそらくまだ少女には見えていない短距離走のトラックが見えた。気を利かせた天の声が用意したのかもしれない。
少女が思った方向が「あっち」の概念は、少女が同時スタートを提案した時点で瓦解したらしかった。
少女の都合で決めて良いという設定(我ながら設定と言ってしまうのは気が引けるが)だけは、彼女にとって良い方向に作用したということか。
それにしたっておい、辺じゃないんかい。
同時に出発する走る速度の違う少女と点Pが出会うのは何分後?
いやそれじゃ設問が変わってくるじゃないか。
少女はぼくの混乱など知る由もなく、点Pの待つスタート地点へ歩いて行った。
いや、本当に点Pってなんだったんだ。
さあアリス、点Pを追いかけよう。 天宮ほーが @redfalcon
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