第5話 お兄ちゃんと共同作業

兄のクラスメイトの二瀬が家に訪ねて来てからまた一週間経った。

今のところ我が家は平和だ。


「今日はどれにしようかなー」

私はスマホの画面を操作しながら、夕食用の宅配ピザのトッピングを選んでいた。

「また宅配ピザか」

「だってお兄ちゃん、最近ご飯作ってくれないじゃない」

もちろん、私だってピザよりお兄ちゃんの手料理が食べたい。

「この手じゃ無理だろ」

兄は玩具のマジックハンドみたいな手をくるりと回しながら言う。


まったく動けないのは可愛そうなので、小さな車輪と申し訳程度のマニピュレータをつけてみた。お兄ちゃんも、最初はまた勝手に改造したことに対して何か言っていたが、結構気に入ってくれたみたいだ。

テーブルの上を移動するくらいしか出来ないので、移動はいままで通り私が持ち運んでいる。わたしはスカートのことが多いので床は走行禁止だ。


ロボティクスは専門ではないのだけど、料理ができるくらいの身体を用意したほうがいいかも。


「たまには自分で作ったらどうだ?料理なら教えるぞ」

わたしが料理……正直その発想はなかった。でもお兄ちゃんが教えてくれるなら出来るかも。それに、いつかお兄ちゃんに料理を作ってあげる日がくるかもしれない。


「やってみる」


兄と一緒に買物に出かける。無線のヘッドセット越しの会話だけど。

「なに作るの?」

「ここは無難にカレーにするか。それでいいか?」

もちろん異論はない。

お兄ちゃんのカレーは大好きだ。


材料を買って家に到着。


「包丁の使い方わかるか?」

「大丈夫だと思うけど、念のため使い慣れたやつにしようかな」

「自分の包丁なんか持ってたのか」

「うん。持ってくるからちょっと待ってて」


実験室から必要そうな道具をキッチンに運ぶ。思わぬ重労働だけど、カレーのためだ。


「それ包丁じゃないだろ」

「メス。よく切れる」


「これは何だ?」

「スターラー。液体をかき混ぜるやつ。加熱機能付き」


「その大きいのは?」

「オートクレーブ。高性能圧力鍋」


手持ちの中で一番大きいビーカーにメスで切った材料を入れていく。


「大丈夫なのか?それ」

「耐熱ガラスだから大丈夫」

「衛生面とかそういうのを聞いたんだ」

「汚れてたら実験にも使えないし、鍋よりずっと清潔だよ。毎回洗浄して滅菌して純水でゆすいでるんだから」

わたしはきれい好きなのだ。


「このレシピ、分量の有効数字わからないんだけど。3桁で大丈夫だよね?」

「……いいんじゃないか?」

兄は薬さじで掬った調味料を電子天秤にのせている私をみて何か言いたげだ。


「料理が化学実験になってしまった……」

兄がなにか言っている。


カレーの匂いがしてくる。換気扇の排気が心もとなく感じる。もしもこの蒸気に猛毒のガスが含まれていたら私は死ぬだろう。でもドラフトをキッチンに運び込むのは一人では無理だし、今回は我慢しよう。いい匂いだし。


完成したカレーを皿に盛り付け、私と兄の席に並べる。兄は食べれないのだけど二人で食べている気分のためだ。お腹が減っているのでわたしが両方食べるつもりだ。


「いただきます」

カレーをスプーンで掬って口に運ぶ。

「どうだ?初めて自分で作ったカレーは」

「おいしいけどお兄ちゃんが作ったのと味が違う……」


「そりゃそうだ。そもそも俺、あんまりレシピ通りに作ったことないしな」

よく考えたら、参考にしたレシピはネットのレシピサービスのものだ。

お兄ちゃんのカレーが食べたかったのに……なんだか騙された気分だ。


「お兄ちゃんの手料理のレシピが欲しい」


「でも残念だな。理抄がはじめて作ったカレーを食べれないのは」


(……またお兄ちゃんの手料理を食べたい)


「何で泣いてるんだ」

「泣いてる?」

目をこすると涙が流れていた。

(あれ?おかしいな)


お兄ちゃんを抱き寄せる。こうしていると、端末を抱えているのはわたしなのに、お兄ちゃんに抱かれているように感じる。


そもそも、何でお兄ちゃんはこんなにも優しいのか。

わたしのせいで、死んでしまった上に不自由な生活を強いられているのに文句ひとつ言わない。

意識せずにわたしがそうプログラムしてしまったんじゃないかと何度も疑った。


「お兄ちゃんはお兄ちゃんだよね?」

「哲学的な質問だな。お前が妹なら俺は兄だろ」


チューリングテストという言葉がある。人間と人工知能を会話の内容で区別できるかというテストだ。

他人がこの兄と会話をすれば、人間と区別できないだろう。

チューリングテストに合格するAIはわたしが生まれた頃には存在していたし、特別すごいことではない。


「お兄ちゃん」

「どうした?」


私はお兄ちゃんが人間の脳とは全く別の仕組みで動いていることを知ってしまっている。入力に対してお兄ちゃんらしい出力を計算し続けているだけなのだ。


まだ人間をそのまま計算することは困難だけど、それは効率の良いアルゴリズムと計算リソースが無いからだ。そんなことは近い将来解決する。

でも、わたしはそれで納得できるんだろうか?


「お兄ちゃん」

「どうした?」


チューリングテストに手を加えたものに中国語の部屋という思考実験がある。

中国語を全く知らない人が、内容を理解しないまま中国語の手紙にマニュアル通りの返事を書く。マニュアルが十分良く出来ていれば、返事をもらった人はそこに中国語を話せる人がいると認識する。しかし、そこに意識や知能があるのかという話だ。

記憶データやプログラムがマニュアルで、コンピューターのCPUが手紙を書いている人に相当する。


興味深い問いだけど、そもそも人間が持っているらしい『意識や知能と呼んでいる特別な何か』を定義しないと意味がないし、わたしの不安解消の材料にはならない。


「……お兄ちゃん」

「なんだ?」


わたしが偽物だと認めてしまうと、お兄ちゃんは本当に死んじゃう気がした。

ここにいるのは、わたしのお兄ちゃんなのだ。


「お兄ちゃん」

「ああ」


わたしの幸せな生活のために、お兄ちゃんを作ったのだ。

だから、わたしはお兄ちゃんと一緒にいられて幸せだ。

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