rit.
わたしはレヒメをいつもの青少年会館に呼んだ。ティアがいなくなってしまった今、わたしに友達と呼べる存在はレヒメしかいなかった。学校で会ってそれほどの時間も経っていなかったのに、レヒメの姿を認めてわたしは泣きそうになった。思わず抱きしめてしまったわたしに、レヒメは人目を気にしてそわそわと落ち着かない様子だった。
「レヒメ……ティアが捕まっちゃったよ。……捕まっちゃった」
「うん」
わたしが小声で絞り出すように言ったのに、レヒメの言葉は冷たく心臓に響いて、体温というべきものがなかった。
「友達が拘束されたっていうのに、どうして冷静でいられるの」
「だって、あんなこと言うべきじゃなかった。男の子が好きだなんて。ずっと口を塞いでいれば平和に暮らせたのに」
レヒメの言葉はあまりに酷だった。考え方の相違はあれどここまでとは思わなかった。
「そんなの真実かどうか分からないじゃない。きっと何かの間違いよ。それに、人を唆したなんてティアがすると本気で思ってるの」
わたしが語気荒く言うと、レヒメは黙ってしまった。なにもレヒメに八つ当たりする必要なんてなかった。
「助けようよ」
わたしはここに来るまでに考えていたことを話した。
「えっ?」
「助けるの、ティアを」
「どうやって」
「それを今から考えるの。人を集めて、武器を集めて。最初は二人だけでも、思いを同じにする人はきっといるはず」
「でも……」レヒメは口ごもる。
「わたしたち友達でしょ。ずっと一緒にいた友達を見捨てられない。レヒメがやだって言うなら、わたし一人でも行く」
「無理だよ。そんなの……」
レヒメの声は消え入りそうだった。無理でも、友達ならせめて助けたいと言ってほしかった。わたしも一緒に、って。
「無理って。やってもないのにどうしてそんなことが分かるの」
「分かるよ。リフィルだって見たでしょ、あの死体。体制は盤石で、弱点に付けいるすきなんてない。わたしたちもああなりたいの?」
吊された死体が揺れゆくさまを思い出して、今度はわたしに返す言葉がなかった。
「リフィル、ねえ聞いて。さっきリフィルは、ティアが異性愛論者なのは真実か分からないって言ったよね。わたしね、それが真実だって知ってる」
「そんなの……でたらめよ!」
「ううん、違うの。聞いたから、本人に」
わたしは一瞬、レヒメが何を言っているか分からなかった。
「嘘……。わたしを止めようとして嘘吐いてる。わたしが一人でもティアを助けに行こうとしてるからって」
「嘘じゃないよ。コムムワのおもちゃを探した帰り、リフィルには先に会館に行ってもらってたでしょ。あのとき、わたしティアに言ったの。――わたしとリフィルは付き合ってるって」
「どうしてそんな勝手なことを」
「いつかは知られることでしょ。そしたらティアすごく動揺してた。仲良くしてた二人が睦んでたなんて思わなかったみたい。それからしばらくわたしたちはこの話題を避けてた。でもね、この間リフィルが自分の考えを言ったとき、帰り道でティアはようやくわたしに言ったの。自分は男の子が好きだから平気だよって――それで」
「それで――」わたしはレヒメを睨んだ。「……それで、友達を売ったの」
レヒメはわたしから目を逸らして、俯いた。答えは明らかだった。
「なんで……なんでそんなことを。レヒメのせいで…………ティアが……」
体から力が抜けて、わたしはへたり込んだ。体が熱くなって、声が喉から出てこない。
ティアはわたしたちの関係を知っていた。知っていながらわたしとの友愛を選んだ。でも本心は男の子が好きでそれを隠していた。それをわたしが……。わたしがティアに自分の考えを言ったからティアも隠すことをやめてしまった。レヒメのせいじゃない。全部、わたしのせいだ……。
勇敢なティア。いくらでも否定することなんてできたのに。レヒメの告発を退けることは容易かったはずなのに。
どうして、しなかったの? もしかして、レヒメを守るため? 否定すればレヒメが虚偽の告発をしたとして裁かれてしまう。ティアはそこまでして自分の命より自分を売ったレヒメを守りたかったの? それが正義だから? レヒメは嘘は言っていないから?
それとも、わたしのため。弱虫なわたしの代弁者として。やっと本心を吐露したわたしのかわりに、世界にノーを突きつけてくれたっていうの?
教えてよ、ねぇ、ティア……。
「仕方なかったの。ティアがわたしにそんな告白してくれるなんて思わなかったから。わたしだって悲しいわ。でも、こればかりは仕方ないこと。リフィルにはまだ分からないと思うけど、わたしは正しいことをしたって思ってる。先生もみんな褒めてくれた。よく勇気を出した教えてくれたわね、偉いわよレヒメって」
「友達を売ることが? レヒメは、二人しかいない友達の一人を明け渡したんだよ」
「この国を守るためよ。リフィル、目を覚まして。わたしたちは維持しないといけないの。弱い人間でも生きていける世界を。次の世代の未来を守るって先生たち言ってたじゃない」
レヒメは一歩も引かなかった。体制を盲信していた。レヒメは国を守るためにティアを密告することを選んだ。友達と世界を秤にかけて、世界の重みを大切にしたのだ。
「レヒメ、おかしいよ……。ううん、世界も全部おかしい。狂ってるよ。弱い人間でも生きていける世界なら、ティアこそ守らなきゃいけなかった。売るならわたしを売るべきだった」
「違うよ。ティアは守らなくてよかった」
「どうして――。どうしてそう言えるの」
「ティアはわたしたちと違うから! 別物なの。リフィルだって分かってるでしょ」
分かってるよ、レヒメ。ティアが別物くらい。ティアは特別なんだ。――わたしは思いながらも声を出せずにいた。
ティアはとうに適性試験に合格していた。飛び級というシステムを活用して、わたしよりも三つも年下。運動も勉強も充分すぎるくらいできていて、天からの贈り物のような女の子だった。
「わたしたちは昔だったら爪弾きにされていたのよ。異端の存在として、いじめや差別の被害者だったはず。でもこの体制のおかげでわたしたちは平和に暮らせているじゃない。それを、壊すだなんて、おかしいのはどっち?」
レヒメは言った。
そうだ。ティアは違う。でも、だからこそ思う。どうして、その道を選んだの。
待っていれば男の子とも恋愛できたのに。どうして早まることをしたの?
そこで、わたしは思い当たった。
もしかしたら、ティアはずっと感じていたのかもしれない。わたしが思うより遙か昔から。聡明なティアのことだから気づいてしまったのかもしれない。この世界の瑕疵と偽りの優しさにもがき苦しんでいて、どうしようもないくらいに耐えられなくなってしまったのだろうか。
わたしは自分をしまいこむように、制服のポケットに手を突っ込む。手に何かが触れる乾いた感触がした。それはレヒメの手紙だった。コムムワのおもちゃを捜索していたときに、レヒメによる逢瀬の約束が渡されたのだ。
おもちゃ。ひょっとしたら、コムムワのおもちゃがなくなった事情をティアは知っているのではないか。知っていて黙っている、あるいはもっと言えば、ティアこそおもちゃを隠した犯人なのではないか。そうではないと思いたいけれど、そうであってほしいと願う自分もいる。
呼吸が速くなる。苦しかった。わたしは唇がちぎれるほど噛みしめた。
ティアはそうやってせめてもの体制への抵抗をして、自分の内なる気持ちを整合させようとした。でも、罪悪感は膨れ上がるばかりで、ついにわたしたちと共に探すことを申し出た。
矛盾する気持ち。でも、せざるを得ない気持ち。
それは邪推だろうか。わたしにはそうは思えない。わたしはティアの気持ちが痛いほど分かった。わたしだって、体制をおかしいと思いながら、それを維持するためにおもちゃを探したんだ。それを共犯者と言わず、なんと言おう。
わたしはずっと、ティアが強い女の子だと思っていた。でも、矛盾する気持ちを抱え込みながら、誰にも言えない脆さに気づいてしまった。
わたしは立ち上がった。足が痺れていたのは座っていたからじゃなかった。怖かったんだ。これから自分がすることに怖じ気づいている。
「どこ行くの?」レヒメが言った。
「ティアのとこ」
「本気なの……」
「うん。クラスの子たちはティアの噂を聞いてすっかりなかったことにしている。もうティアにはわたしたちしかいないんだよ」
「どうしてそこまでするの! 確かにティアは友達だった。でも――」
「だった? ティアは今でも友達だよ。これからもずっと友達」
「そうね、友達。ごめん。それは分かってる。でも、わたしだって友達だよ……」
レヒメは泣き出しそうな細い声で言った。
「お母さんもお父さんもいるでしょ」
「どうしてそういうこと言うの」
レヒメは本当に残酷だった。わたしがしようとしていることを分かって、わたしの家族を持ち出す。わたしを引き留めるために。
「リフィルの体はリフィルだけのものじゃないんだよ。だからさ」
「だからってレヒメのものでもないよ。レヒメ、そうやって自分のためなのにわたしのためって装うのはもうやめて」
「リフィル……」
「絶交だから」
「リフィル、待って!」
わたしは会館の外に出た。レヒメも着いてくる。
「考え直して。ティアのことは謝るから、お願い。……リフィル」
「もう何を言っても無駄だよ」
そうやってわたしを繋ぎとめないでほしい。謝るなら、最初から密告なんてすべきじゃなかった。
わたしが歩き出すと、後ろから押されたように柔らかい感触が伝わった。レヒメがわたしに縋る。レヒメはわたしの背中に顔を押しつける。
「リフィルが好きだから! 好きだから、密告したの」
レヒメはしっとりと目を潤ませて、かろうじて立っていた。
「わたし、分かってた。リフィルの気持ちがわたしじゃなくて、ティアに向いてるって。そんなのとっくに気づいてた。その感情が友達としてで、この世界が認める恋愛としてじゃなかったことも、分かってるよ。でも、そのままじゃリフィルは絶対粛正される。わたしは守りたかったの。そのためにはティアを犠牲にするしかなかった。身近な人がいなくなって、リフィルに納得してもらいたかった。わたしたちはこの世界で暮らしているんだから、折り合いをつけることも必要なの。世界を愛して、大切にしてほしかった。これがわたしたちの国だから。それが、大好きなリフィルを守るたった一つの手段だったから。わたしはリフィルにずっとそばにいてほしい……」
レヒメは言い終えると、大きくふらついた。わたしはレヒメの体を支える。レヒメは全身で語っていた。わたしに理解させるために必死だった。
レヒメは真実を語っていた。
わたしは自分の顔が歪むのを感じた。もっとリフィルの心情を慮ってやるべきだった。リフィルのやったことは間違っていた。けれど、わたしを愛してくれたゆえの行動だった。
レヒメは泣くのをやめない。この繊細な女の子にはわたしが必要だ。わたしはレヒメの頭を撫でた。小さくてわたしの手のひらでも容易に包みこめた。初めてレヒメの心が理解できた気がした。わたしはこの世界を支持する法律の意味が分かった気がした。触れあうことで愛を知る。わたしはレヒメが愛おしかった。
このままここで生きていけるだろうか。レヒメのために自分を偽って生きていけるだろうか。
わたしを失ったらレヒメはどうなるだろう。今にも崩れ落ちそうなレヒメ。レヒメはわたしと同じ孤独な人だ。
でも、と思う。レヒメは一人じゃない。家に帰ったら家族がいる。学校に親友はいないけれど、レヒメはこの狂った体制を受け容れる強さがある。わたしとティアが持ち合わせていなかった強さが。だから、レヒメはやっていける。
ティアは――。ティアにはもう誰もいない。どこにいるのか分からないけれど、孤立無援なのは分かりきったことだ。
だから、わたしは、ティアを助ける。
端末を開く。わたしは短いメッセージを打ち込む。
お母さん、ずっと大嫌いでした。お母さんがわたしのために作ってくれるミネストローネが大嫌いでした。いつも、世界の理を押しつけてくるお母さんが大嫌いでした。だから、わたしはここを出ます。お母さん、ごめんなさい。探さないでください。
わたしはお母さんへのメッセージを打ち終える。これでお母さんに疑いの目は向かないだろう。体制に従順なお母さんと、愚かにも反逆した出来の悪い娘の構図に映るはずだ。でも、お母さんには気づいてほしい。このメッセージは本当は逆の意味だって。大好きで、大好きで溜まらないってことを。お母さんなら気づいてくれる。お母さんはいつだってわたしの味方だった。世間の理を押しつけるようなことは一度たりともなかった。だからこれが嘘だって分かってくれるはず。どうか、分かってほしい。
「レヒメ、ごめん。行かなきゃ」
「リフィル!」
わたしはレヒメを振り切った。レヒメがわたしを何度も呼ぶ。足音が聞こえる。わたしは耳を塞ぐ。そうでもしないと、もう耐えられないから。
わたしは歩くのをやめない。でも歩調はゆっくりだった。どこかでレヒメも共に来てくれることを願っていた。そういう自分を振り切れなかった。
耳に当てた手を離す。音は消えていた。
目指すべきはあのタトゥーのあったセンター職員のいるところ。あてはない。でも行かなければならない。
わたしは端末を地面に置いた。ここでお別れだ。監視カメラがわたしを追っている。今更、後戻りはできない。わたしは一台のカメラに向かって、中指を立てた。
以前、禁書で呼んだ反逆のポーズ。正しいのか分からないけれど、何かやってやらなきゃ気が済まなかった。
決して振り返らなかった。振り返って、もしもレヒメがいたら、わたしは戻ってしまうかもしれない。全部、嘘だったよって言えたらどれだけ楽なことか。
それでも、わたしは最後にレヒメを見たかった。かつて恋人だったレヒメ。親友だったレヒメ。わたしに寄り添ってくれたレヒメ。わたしを裏切ったのに、そういう姿がよぎって嫌いになろうとしてもどうしてもできない。その姿を焼きつけておきたかった。
わたしは背後を見た。
レヒメはじっと動かず立っていた。
「待ってる……」
レヒメの銀髪が風になびく。たとえ世界が偽りであっても、三人で過ごした日々は楽しかった。
「ごめん……ありがと、レヒメ」
わたしの言葉は風に乗って、レヒメに届いてくれただろうか。わたしは再び歩き始める。確かな歩調で。
制服のポケットに手を入れる。他に捨て忘れたものはないか。触れた先の感触で、わたしの感情は一気に流れ込んだ。レヒメの手紙があった。入れっぱなしだったからくしゃくしゃになっている。それを掴んで、丁寧に広げる。
――青少年会館で、続きをしましょう。
同性を愛する証拠。これを持っていたら反乱分子にはよく思われないだろう。体制側のスパイだとつるし上げられるかもしれない。でも、わたしには捨てられなかった。
「リフィルーーー!」
遠く、レヒメの声がする。
わたしたちは絶交した。でも、レヒメはずっとわたしを見送ってくれるし、わたしはレヒメの手紙を捨てられない。
わたしは思いっきり泣いた。溢れ出た涙はわたしの罪だった。手紙が涙で洗われていく。インクが滲んで、もう読み取れない。
泣いていいんだ。泣いたっていいんだ。
涙の混じった息を力いっぱい吸って、わたしは一気に駆けだした。
《了》
Ritardando 佐藤苦 @satohraku
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