第三楽章

「ティアさんはご家族の事情で転校されました。急に決まったことで、皆さんにはさぞ辛いことだと思います。お別れの会だってなかったですものね。ですが、ティアさんを思い出してください。あの元気で優しい女の子は皆さんが泣いているのを見てどう思うでしょうか。あの子なら絶対にめそめそしないはずです。今はみんな悲しいと思います。でも、いつか必ず乗り越えられます。そのときにはもっと強くなった自分をティアさんに見せましょうね」

 養護の先生は壇上でそう語りかけた。そこかしこですすり泣く声が聞こえた。みんな、これがその場しのぎのごまかしだと知っている。転校とはセンターによる拘束にほかならない。でも、職員も先生も誰もそのことに触れようとしない。暗黙のうちに生徒が了解してくれることを望んでいるのだ。

 ティアは誰にでも優しかった。とくに低学年の子たちには弟妹のように接していた。

「ティアはいつか帰ってくるよね……」小さな女の子が言った。

「ええ、帰ってくるわ、必ず。だから、我慢しましょうね」先生は女の子の頭を優しく撫でた。

 それは残酷な嘘だった。わたしは、全身が分裂しそうなくらいに虚脱した。泣き叫びたくて、整列しながら大人しく傾聴しているクラスの子を殴りたかった。

 どうして、みんな冷静でいられるの。昨日まであんなに楽しそうに遊んでいたじゃない。わたしの大切な、かけがえのない友人。ティア。どうして「転校」させられてしまったの――。

 養護の先生の演説の最中、職員はずっと優しいまなざしを向けながら、潜在的な反乱分子がいないか目を光らせていた。

 わたしは泣けなかった。本当に悲しかったのに、涙を流すことは禁じられていた。心が黒ずんでいくのを感じる。せめて、ティアに気持ちを伝えておけばよかった……。

 その日のうちに、ティアがなぜ「転校」させられたかの噂が出回った。噂の出所は定かではないが、職員が抑圧のために意図的に流したに決まっていた。

 ティアは異性愛論者だと新たなリーダーになった男の子が指弾しているのを、わたしは聞いてしまった。そのせいでティアを哀れんでいた風潮が変わった。ティアが使っていた机が校庭に投げ出され、ロッカーは破壊され、ありもしない噂が立った。ティアが異性愛を唆すビラをまいていたというのだ。

 ティアに前科はないのだから、異性愛論者というだけでは指導や教育で済む問題だ。けれど、それを他者に流布しようとしたのならば「転校」せざるを得ない。それは国家を転覆させる試みを意味する。でも、わたしはティアがそんなことをしたとは到底信じられなかった。

 なのに、わたしは――。

 折られたボールペンから黒い液体がカーペットをどろりと汚す。ティアの描いた絵が笑顔で破られていく。

 友達なのに、ティアが貶されていくのを黙って見ているしかなかった。

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