御伽噺の後日譚
翌朝、睡眠不足を解消した彼は
冴えた頭で昨日までのことを振り返った。
そして、
一つの大きな矛盾に気付いてしまった。
それは昨日の水神様が語った
中の一つに隠されていた。水神様の嘘だ。
『御神水を毎日一定量飲み続けなければ死に至る』
それが真ならば、
『弱みを握られている私は逃げられません』
なんて書き残さないはずだ。
それに、男共から脅されていたという話もある。
おそらく弱みというのは隼人のことで、
隼人を盾に男共は肉体関係を強要したのだろう。
逃げるとなれば
一定期間を過ごすためのお金が必要になる。
そのために無茶をしてまで
お金を手に入れようとしたのかもしれない。
結果は水になったが。
もし仮に、本当に死ぬ気であったとしても、
何らかの形で隼人の身の安全を確保しただろう。
実際隼人は命の危機に晒されてしまったのだ。
だとすれば、
水神様がどうして嘘を吐いたかが問題になるが、
答えは既に提示されていた。
おそらく水神様は城崎艶子という人間を
愛してしまっていたのだ。
それは草木を慈しむように淀みない愛情で、
一途に想っていたのだろう。
水神様の発言の節々にその想いが顔を出していた。
撫子だなんていうあだ名もその一種だ。
撫子全般の花言葉は
「無邪気」「純愛」「貞操」
と言われている。
女性にこんなあだ名を付けるとしたら、
思い初めたとしか考えられない。
だからこそ、恩のある村人さえも裏切り、
三人を助けることを優先したのだと思う。
極めつけは
『撫子の大事な人、
息子である隼人もあなたも守りたかったのです。
それから柊様の大事な人である椿様もです。
三人をお守りすることができて、
本当に良かった……』
という最期の台詞だ。
最後の最期にこんな言葉を捻出するのは、
心から愛していたからでしかない。
城崎艶子を水にしたのもきっと、
綺麗なままで終わらせてやりたかったのだろう。
一日遅らせたのは自分に
母親の存在を暗示したかったのかもしれない。
彼はそのことを念頭に置きながら、
記事作成に勤しんだ。
椿は化野で撮影した写真を厳選し、
小さくしたり一部を補正した。
そうして出来上がった記事は編集長に承諾を得て、
翌日の紙面に載るらしい。
それからようやく化野で起きた件を通報したのだった。
内容は村長の三雲が月下旅館の女将である
城崎艶子を殺害し、
遺体を遺棄していたところを目撃したこと、
同一人物が御神水の秘密を隠すために
自分たちを襲ってきたことの二点だ。
後者は信じてもらえなかったが、
殺人事件ということで警察は動いてくれた。
その後、水神様の
いなくなった化野の霊泉や滝は枯渇し、
跡形もなくなっていたという。
それだけでなく、大量の白骨死体が発見された。
また、各地で御神水を飲用していた一部の人間が
突如老化したということも報告され、
化野はたちまち社会問題にまで発展した。
「事情聴取ってあんな風にされるんですねー。
ようやく解放されてすっきりしました」
んんーっと両腕を空に伸ばし、
椿は肩の力を抜いた。
「ああ、俺たちの知っている村長や
村人の年齢とかけ離れていたらしいからな。
さすがに白骨死体まで
出てくるとは思わなかったけどさ。
水神様のいなくなったあそこに未来はないだろう」
彼はもう一度化野に赴き、
その惨状を目の当たりにしたのだ。
白い骸に、生気を失った虚ろな老人たちばかりだった。
子どもたちは親のしたこと、
村の陰謀を知り、出て行ったという。
「でも結局、艶子さんの殺人は
立証されませんでしたね……」
椿は遠い目をして、ほぅっと息を吐いた。
遣る瀬ないというよりも
もっと別な何かを抱えているようだった。
「ああ」
御神水に関する偽造や法外な価格で
売り捌いていたことで捕まえられたものの、
遺体が見つからなかったために
殺人罪には問われなかったようだ。
しかし、実際に城崎艶子が生前に
着用していた衣服などが見つかっており、
証言もあることから失踪の線で捜査中らしい。
そして村長はその重要参考人として
拘留されているとも聞く。
「すいにいちゃん、
これからぼくどうしたらいいの?」
今までは忙しさで目を背けていたが、
もうそろそろ答えを出さなくてはならない。
隼人の彼を掴む手は震えている。
彼の心にも迷いがあった。
隼人に自分が兄、
それも異父兄弟であることを
伝えるべきなのか分からない。
それを伝えるには母親が一度
離婚していることも告げなければならないのだ。
「隼人が望むなら、俺のところに来ればいい。
隼人はどうしたい?」
隼人は彼の目をじっと見つめる。
何やら頷いたかと思うと、
隼人の両手が伸びてきて彼の両頬に触れてきた。
「ぼくはね、
すいにいちゃんの気持ちが知りたいな」
「えっ」
子どもながらに現状を察したのだろう。
そのうえで隼人は彼の真意を尋ねているのだ。
「俺は……」
「すいにいちゃんがね、
ぼくのために頑張ってくれるのは嬉しいけど、
がまんと努力ってちがうと思うんだ。
だからね、無理しないで言ってね」
隼人は困ったようににへらと笑った。
こんな子どもに
気を遣わせてしまうだなんて情けない。
彼は隼人の言葉で踏ん切りがついたようだった。
「なあ隼人。俺さ、
言わなきゃならないことがあるんだ。
聞いてくれるか?」
「うん、もちろんだよ」
隼人は変わらず彼の目を見つめている。
「俺と隼人は父親が違うけど、兄弟なんだ。
俺は、本当に隼人の兄ちゃんなんだよ」
これを言ったら、
隼人が傷付くような気がしていた。
今まで信じてきたものを
壊してしまうような気がしていたのだ。
「そっかー。じゃあ、すいにいちゃんは
ぼくの家族なんだね!
ぼく、ひとりじゃないんだ」
ほっとしたような
隼人の表情が彼の胸を締め付けた。
戸籍上では兄弟でないし、繋がりもない。
血の繋がりはあると言えど、
DNA鑑定に頼らなければ
証明できないちっぽけな絆だ。
それにしたって彼に扶養義務はない。
二人を縛り付けてくれるものなんて一つもなかった。
ただそれでも、そこにお互いの意志さえあるのなら。
「なあ隼人、俺と隼人は
戸籍上ではなんの繋がりも持たないんだ。
それでもさ、俺と隼人が兄弟であることに変わりはないし、
い、一緒に暮らせたらなって思ってる。
隼人に来てほしいんだ。
父親の代わりにも、ましてや母親の
代わりなんてしてやれないけど、
俺のところに来てくれないか?」
彼は伸ばしかけた手を引っ込めて、隼人の返答を待った。
答えをもらうまでは触れてはいけないような気がして。
隼人はきょとんと首を傾げる。
「こせきじょうとか、よく分かんないけど、
すいにいちゃんが来てほしいって言ってくれるなら、
ぼくは行きたい。
すいにいちゃんと一緒に暮らしたい!」
隼人は勢いよく彼に飛びついた。
不意打ちだったために彼は尻餅をついてしまう。
「こら、隼人」
口先では窘める彼もつい笑ってしまっていた。
胸の中に、もう独りじゃないという
言葉が染み込んでいく。
「うぅ、私を除け者にしないでくださいよ!」
兄弟水入らずの間に椿も抱き着いてきた。
彼という水がいるのに
“水入らず”なんて言葉はおかしいけれど。
「はいはい、椿は俺の助手だから
心配しなくても早々離してやらないって」
彼は膨れる椿の頭をくしゃくしゃに掻き撫でた。
水という名前を持つ限り、水は水なのだと椿は言った。
水の畔には人が寄ってくる。
少数ではあるが、彼の傍にも絶えず人がいる。
母親は彼に、一人のために
たった一人の水になれと書き残した。
彼はこの言葉をそのままには受け取らず、
こう解釈する。
水という名前を持つ限り自分は水であり、他の何者でもない。
同時に、真水や淡水という意味の“みず”でもなく、
一つしかない“すい”という存在なのだと。
こじつけのようだけれど、
彼が思う水はなんでも受け止めるような甘さはなかった。
「掴み所がなく手で掬えない曖昧模糊な存在」
それが水なのだ。
それを体現するのはまさしく彼で、
椿と共に行動するようになってからの彼だろう。
水は脅威であるし、人には抗いようのない存在だ。
しかし、水なしに人が生き抜くことは叶わない。
水は人の傍に、畔にありふれている。
そうすると、人は危険と隣り合わせで
生きていることになるだろう。
しかし実際は、水を生かすも殺すも人間次第なのだ。
水を毒にするも薬にするも人間の行い如何である。
さしずめ、彼を毒にしかけたのは母親であり、
玉水のような水に戻したのは
椿や隼人ということになるだろう。
所詮水は水でしかない。
本当の怯えるべきなのは人に潜む毒の方だ。
*
彼らが事情聴取を受けたおよそ一週間後、
村長の三雲が緊急搬送されたと報じられた。
原因は体内に蓄積されていたヒ素らしい。
村長は多臓器不全に陥り、今も入院中とのことだ。
孤独な蠱毒は嗤い、水と化す。
水の畔 碧瀬空 @minaduki_51
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