大人の階段

理科室で授業に使った用具を洗っていると、女子生徒が入ってきた。

「あ、あの……高山先生……」


さっき4時間目に授業したクラスの中で一番真面目、いわゆる学級委員長なんて呼ばれる立ち位置の小林侑李という女生徒だった。

制服の着こなしも、髪型も校則の範囲内。

口数も少ない。

ただ女子からの人気が凄まじく、いつも女子に囲まれているイメージがある。

そんな生徒がわざわざ俺に話しかけてくる事に驚いた俺は、思わず身構えた。



これには理由がある。


クラスの担任も受け持っていない。そうなってくると、必然的に生徒と会話するタイミングは少ない。

それに人気があるとは言えない教師の俺に、わざわざ話しかけてくる生徒などそう居ない。

もし仮に話しかけてくる生徒がいても、教科書を忘れたとか宿題のプリントなくしましたと言ってくる程度だ。


そんな俺に真面目な生徒が話しかけてくるというのは、考えにくいことでもあり必然的に身構えてしまうのだ。


「ど、どうした?」

「あ、あの理科の質問なんですが……」


実に真面目な生徒らしい質問だった。

「あぁいいよ。どこかな?」

「ここなんですが……」


見せられたのは、学校の教材ではなかった。

きっと塾か通信教育の類いか。

手間取っているのは文章題らしい。

文章の言い回しのせいで、答えがわかりづらくはなっているものの、解法としては密中学1年生の内容だ。

「あぁこれは――」

文章題で受験生をふるいにかけるような問題は個人的に嫌いだ。

ただ、そうしないと受験というもので“差”というもがつけづらいのも事実であり、厳しい所だ。


「これで大丈夫かな?」

「はい……ありがとうございます!」

「でも偉いな、わざわざ聞きに来るなんて」

「そうでしょうか……研究者なれますかね?」

「研究者?」

随分と志の高い質問だった。

ただごくごく普通の公立に通う中学生だったら、人生を考えるタイミングではある。

「なんだ、小林は研究者になりたいのか?」

「はい……、宇宙の研究者になりたいんです」


宇宙って事は将来は物理学者になりたいって事になるんだろう。

化学の専攻だった自分としては、物理の方面には明るくはないが、それでも面白い分野だ。


「でも……親が、研究者なんてダメだって……、なんででしょうか?」

「あぁ~」

どうやら親御さんも親御さんで学者というものをよくわかっている。

学者になるということはいっぱい勉強しなければいけない。

それだけなら良い。

それ以上に辛いのが理系の研究に片足を突っ込むと、専攻にもよるが、就職もままならないっていう状況になりかねないって事だ。

よっぽど優秀なら別だが……。


ここでいう優秀っていうのは全国で優秀といままで呼ばれてきた人間の中で、さらに抜きん出るということ。

実際、大学時代に院生の人間を近くでみていた時の印象は、ただただ辛そうという印象しかなかった。

ただこれを伝えるべきなのかが難しい所だ。

現実を教えるのも誠意なら、現実を教えず優しい言葉をかけるのもまた誠意。


俺は少し悩んだ。

悩んだあとに重い口を開く。

「やるだけやってみたら?」


問題を先送りにして、お茶を濁す。

実に日本的だが、角が立たないいい方法だ。

大人の汚さと言い換えても良い。

ただ自分の人生についても考えさせられる昼休みの一時であった。


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今日のテーマ:理科室  人生



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SSデイリークエスト。 霧山よん @Kiriyama_4

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