夜から朝へのビタースウィート

@Chord_Y

夜から朝へのビタースウィート

「・・・どのくらい行くの?」


チェーンの居酒屋の狭い個室で、さやがビールグラスを傾けながら聞いた。


「とりあえず2年。でもプロジェクトの進み具合によっては長引くかも」


飲めない私は、汗をかいたウーロン茶のグラスを指でなぞりながら答えた。


さやが微笑う。

酔いが回ってほんのり頰をそめた顔は、相変わらずきれいだ。


*   *


さやと私は同じ高校に通っていた。

同学年にみんなが知っている有名な美人がいた。

廊下などで何度かすれ違ったことがあるが、背が高く、透き通るような肌とサラサラの髪、カフェオレのような薄い色の瞳を持った、思わず見とれるようなきれいな人だった。

ただ、高校時代に知り合うきっかけはなく、付属の大学にお互いが進んだ時に同じ専攻で同じ授業を取ったことで、言葉を交わすようになった。


するとお互い、どマイナーな某バンドのファンということが分かり、瞬く間に意気投合した。


バンドのライブに一緒に出掛けたり、新譜が出れば感想を言い合ったり。

バンド以外の話もたくさんした。

付き合ってみるとさやは美人なだけではなく頭の回転も早くて、私の投げるどんなボールも的確に打ち返してきた。

大学になってさやは寮住まい、私はアパートに下宿をしたが、お互いの部屋を訪ねて夜更けまで話し込むこともあった。


ただ、さやは面倒くさがりなところがあって、メールの返事をしなかったり、電話を折り返してこないことがよくあった。

そのため、いつでも一緒というわけにはいかなかったのだけれど、ひとたび会えばありえないほど楽しい。感覚が近いので深い話もどんどんできる。時間を忘れて没入してしまうような、そんな快感をもたらしてくれる人はさやだけだった。


やがて私たちは社会人になり、連絡を取り合うことは少なくなった。

それはさやがメールを返してこないせいでもあるし、私自身も、入社して仕事に慣れることに必死だったので、学生時代を振り返る余裕がなかった。


それでも、たまに会えば昔に戻ってお喋りできる。

さやは複雑な家庭で育ったので自立心が強く、仕事には真面目に取り組んでいた。私は私で仕事にやりがいを持ちたいと考えるタイプだったので、さやと話すのは刺激になった。

さやとの時間は、私にとって生活の中心ではないけれど、たまに帰りたくなる心の休憩所のようなものだった。


やがて仕事の面白さに目覚めてそれに打ち込むようになると、時間はあっという間に過ぎた。

20代も終わりに近づき、実家の母親は「そろそろ結婚を」とうるさくつついてきた。


私はといえば4年お付き合いした彼とつい先日破局したばかりだった。

おまけに仕事では新しく入ってきた上司からのパワハラまがいに悩まされていた。



そんな時、久しぶりにさやから電話があって、結婚すると聞かされた。



さやは美人で当然のようにモテたのに、私より男っ気がなかった。

誰かに告白されてお付き合いを始めても、すぐに別れていた。

私が異性の話を振ってもあまり乗ってこなかった。


さやは、恋愛や結婚に興味がないんだと私は思っていた。

仕事とか趣味とか、私のような女友達とぐだぐだ喋る時間のほうが好きなんだと思い込んでいた。


そうではなかったと知って、私はショックを受けた。ショックを受けていることがまたショックで、混乱した。


私は上の空でお祝いの言葉を伝えた。

取り繕うように他愛もない世間話をした。ひとしきり喋り終えて疲労感と共に電話を切ると、もう真夜中だった。



私はアパートを出て、散歩に出かけた。

近くに川が流れている。その遊歩道を歩く。

工業地帯の川で、広い河川敷も心安らぐ桜並木もない。ただ不愛想なコンクリートの堤防が続いているだけなのだが、私はその不愛想さが好きだった。

上空には濡れたような色の月が輝いている。



その月をしばらく眺めた。


さやを月のような人だと思ったことがあった。


色白でたおやかな美人。でも、光の当たらない部分があって、そこは謎に包まれている。


今、さやは何を考えているだろう。



私は、さやに恋をしていたのかもしれないなぁと思った。

電話に出なくても、約束を守ってくれなくても、それでも好きだった。



だってさやは、きれいな人だったから。



なんだかフラれたような悲しい気分だった。


元彼と別れた時とはまた違う悲しみだった。

彼とは同棲した時期もあったし、地に足の着いたというか、生活臭のある関係で、破綻した時は肉体的な痛みを感じた。


さやに感じた思いはもっと透明だった。透明で、どこに傷があるか分からない。だから、その傷の深さもよく分からない。



一か月後、私は会社に希望を出し、遠い地方支社に転勤することにした。

小さいころ優しくしてくれた祖母がその地域に独りで住んでいて、最近施設に入ったので、その職場ならたまに様子を見に行けそうだった。


出世コースとしてはわき道にそれてしまうが、別にいいと思った。

仕事は好きだが、出世したいわけではない。一度、環境を変えてみようと思った。


引っ越しの前の夜、さやに会った。


さやは結婚の話をしていいものかどうか、迷っている風だった。

私たちは一から十までウマが合っているようで、話せる話題と話せない話題を厳格に分けてしまっていた。


私は、さやの婚約者に興味があるふりをして、色々さやに喋らせた。

彼女は照れたように、でも嬉しそうに、彼の写真を見せてくれた。


式は家族だけの簡略なもので、指輪もまだ買っていないという。


「そうか。じゃあ私がお先にあげちゃおう」


私はあくまで明るく、軽くそう言って、さやに小さな箱を手渡した。

中にはシンプルなシルバーリングが入っていた。


「なんたってさやとの歴史は私の方が長いんだから。プロポーズするなら私が先」


私は自分の薬指にはめた、同じデザインのゴールドの指輪を見せた。


さやは笑い出し、心から幸せそうな顔になった。


「みつき、ありがとう。すっごい嬉しい。この指輪、ずっとはめとくね」


その時のさやの笑顔、相変わらずきれいな、こぼれる花のような笑顔を、脳裏に焼き付けておこうと思った。



さやは嘘をつかない。指輪をしてくれるというなら、きっとしてくれるのだろう。



薬指ではない指に。



だから、私はずっとフラれるのだ。

でもそれでもいい。やっぱりずっと好きだと思う。



あの夜見た月のような色のシルバーリングが、居酒屋の古ぼけた電燈の下できらめいた。



さやはそっと蓋を閉めた。




(終)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜から朝へのビタースウィート @Chord_Y

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る